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王太子 ー屋敷ー

 王妃ニコラは冷たい目のままでロレンツオたちを見つめていた。


「今更マルシナ公爵家のことを知ってどうするのですか?」


 ロレンツオは答えられない。本当に今更なのだ。マルシナ公爵家に通っていた少年の頃から王妃ニコラに言われていたのに。ティーティアのことをよく知ってから、考えてから、判断しなさい、と。ティーティアを知るにはマルシナ公爵家も知らなければならない。


「何を知ろうが、マルシナ公爵の屋敷であったことはムータム様が公爵にお与えになった特権のために私たちは何も出来ませんでした」


 ロレンツオの曾祖父である先々王ムータムは後にマルシナ公爵となる末息子スイリルを甘やかせるだけ甘やかしていた。スイリルが望むことで叶えられることは叶えていた。叶えなかったのは男爵令嬢ノチナタを正妻とすることくらいだろう。それもロレンツオの祖父である先王ハムラカたち王族と貴族が強く反対したから叶えられなかっただけだ。

 ラハメムト国王女クインとの婚姻に対してスイリルが先々王ムータムに強請ったのは王都の屋敷内の治外法権だった。自分の屋敷内だけは好き勝手できるようにしたいと、国や兄王たちの干渉や強制を受けたくないと先々王ムータムに訴えた。先王ハムラカたちはもちろん反対したが、可愛い末息子に望まない婚姻を強いた負い目から先々王ムータムはスイリルに望む特権を与えてしまった。


「だから、伯母上は幼い頃の私の願いを聞き入れてくれなかったのですか?」


 バーランの言葉に王妃ニコラは眉を上げる。


「あの馬鹿げた願いですか? ティーティアが異母妹を苛めているからどうにかしてほしいとかいう」


 王妃ニコラははぁと呆れた息を吐いた。


「幼き頃なら騙されても仕方がないとは思っていましたが、今もそれを信じているとは……」


 あり得ないと首を横に振る王妃ニコラにロレンツオは居心地の悪さを感じるしかない。


「ニコラ妃殿下」


 王妃ニコラ付きの従者が入室してきて、何やら耳打ちしている。ロレンツオは聞き耳を立てるが聞こえそうで聞こえない。


「そう…」


 王妃ニコラが小さく息を吐いた。


「いい加減自覚させるのも良いかもしれません」


 王妃ニコラの言葉に従者が顔を上げ、ロレンツオたちの方をチラッと見た。一瞬、目が嘲笑うように形を変える。


「では、そのように致します」


 従者は恭しく頭を下げてから退出していった。


「母上…」

「直に分かります」


 一体何があった? ロレンツオの質問は言葉にする前に一言で片付けられてしまった。


「話の続きですが、バーラン、はっきり言いましょう。ティーティアは異母妹を虐げていません」


 王妃ニコラはそうはっきり言うと優雅にお茶を飲んでいた。


「伯母上!」

「何も出来なくとも王家の″目″と″耳″があの屋敷にはいます」


 悲痛なバーランの叫びを王妃ニコラは一蹴する。王家は影を忍び込ませ、マルシナ公爵の屋敷を見張っているのだと。


「冷静に考えたら分かることでしょう」


 マルシナ公爵の屋敷は王都にある小さな他国。この国の法も権力も通用しない。

 王はスイリル、妃は側室、王女は二人の娘。心配性の(スイリル)は大切な(側室)王女()が傷つけられないよう目を配っている。そんな王女()を虐げることが出来るのか、(スイリル)から疎まれいない者とされているティーティアが。


「しかし、しかし、伯母上…」

「バーラン、泣いている年下の女の子を守りたい、その子を悲しませないようにしたいと思ってしまったのは分かります」


 王妃ニコラは憐れみの籠った目でバーランを見ていた。が、すぐに冷たい視線に変わる。


「けれど、その言葉のみ鵜呑みにしたのはいただけません」

「けれど、伯母上! サリアーチアの母君も侍女たちもティーティアが虐げている、と」

「他の者は? マルシナ公爵の者以外の証言は? それに行動や証言に不審なところは?」


 答えないバーランに王妃ニコラは小さく息を吐いた。


「マルシナ公爵の屋敷では側室や娘の望む証言しか()()()()可能性を忘れていませんか? まあ、あの頃はあなた方はまだ幼く信じてしまったのも仕方がないとしましょう」


 王妃ニコラは空になったカップを置くと直ぐ様侍女が新しいお茶を注いでいく。


「ところで、あなた方はティーティアの立場で考えたことがありましたか?」


 バーランはふんと鼻を鳴らした。


「伯母上、出生だけで苛めるような奴のことを考えるまでもないでしょう」

「バーラン!」


 ロレンツオは振り向いてバーランを諌めた。王妃ニコラが苛めていなかったと言ったのだ。それを覆すようなことを言ったらいくら甥でも不敬罪で処罰されはるかもしれない。


「バーラン。もしかしたら、あなたがティーティアの立場になっていたのかもしれません」


 王妃ニコラの言葉にバーランの呆けた顔をして固まった。何を言われたのか分からないようだ。


「ラハメムト国との同盟に一番反対していらっしゃったのが、バーラン、あなたの祖父であるニハマータ辺境伯でした」


 ラハメムト国との同盟に反対していたのは一番センスタ帝国に近い国境を守るニハマータ辺境伯であった。王家はニハマータ辺境伯に同盟の必要性を説き、一人娘しかいなかったニハマータ辺境伯に王族を婿入りさせることで認めさせた。

 婿入りの候補となったのがバーランの父である先王ハムラカの息子ムハタと先々王ムータムの末息子スイリルだった。

 訓練でも軍事経験のない、いや最初から愛人がいるスイリルをニハマータ辺境伯は婿に迎えるつもりはなく、スイリルと決まるのなら離反すると王家に告げた。先々王ムータムも可愛い末息子を危険な辺境に行かせたくなく、ニハマータ辺境伯に婿入りするのは必然的にムハタに決まった。ムハタが婿入りする際、ニハマータ辺境伯は公爵に陞爵し現在のニハマータ公爵となった。


「もし、ニハマータ家に婿入りされてもスイリル様は同じことをされたでしょう」


 本邸という屋敷に閉じ込められて自由のない生活。

 商人さえも訪れることなく広い屋敷に母親と二人きり。

 ほとんど会うことのない父親。会った時は身に覚えのないことで叱責され、時には手をあげられた。

 入れ替わりの激しい使用人。慣れる時には違う顔に変わっていた。

 時折見かける父親の側には母親と違い美しく着飾った女性と笑顔の子供の姿。

 聞こえてくる幸せそうな笑い声。

 たった一人の家族だった母親の突然の死。

 話し相手のいない日々。

 婚約者という来訪者の冷たい視線。いつの間にか守られるようにいるのはいつもは父親といる愛されている子供。

 会話もなくただ悪だと決めつけられた。


「父親に愛され大切に育てられた腹違いの弟や妹に会った時、バーラン、あなたはその兄弟に笑顔で接せられますか?」


 ロレンツオも目を見開いて固まってしまった。


「遊び相手がいないから遊んであげる、と言われたら?」


 そんな境遇にいたら、相手が悪くなくても苛めてしまうかもしれない。


「そ、そんな、こと…いわ、れても……」


 ロレンツオの頭上からバーランの絞り出すような声が聞こえる。


「ティーティアは苛めてはいません。自らその娘と関わろうともしていません。ただ…」


 ただ?


「初めて会った時、その娘に優しく接することが出来なかっただけです」


 それを苛めとしますか?

 ロレンツオはそう聞かれているように感じた。

 沈黙がその場を支配する。バーランも何も言えないようだ。

 ロレンツオはティーティアが眠る寝室に視線を向けた。ここは彼女が目覚めたいと思える世界だろうか? 自分は彼女が目覚めたいと思える世界に出来るのだろうか?



 沈黙を破ったのは扉の外から聞こえる騒音だった。


『入れないとはどういうことですか?』

『今日はどなたとも面会のご予定はありません』

『そんなことないはずですわ』


「あら来たようですわ」


 王妃ニコラは口角を嬉しそうに上げ、扉の方に視線を移した。ロレンツオたちの視線も扉に向けた。

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