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王太子 ー衣装部屋ー

 王太子妃の部屋にいたほとんどの者が驚いた目でロレンツオたちを迎えていた。ロレンツオが見舞いに現れるとは誰も思ってもいなかったのだろう。


「ティーティアが目覚めないと聞いたのだが」

「私どもではご説明できませんので医師を呼んでまいります」


 ティーティア付きの侍女の一人がさっと部屋から出ていく。

 その姿を見送ってからロレンツオは奥の部屋にある寝台に近づいた。

 長い薄紫の髪を三つ編みにし、白い顔色をした美しい女性が横たわっている。閉じられた目が開けば蜂蜜色の瞳がある。形のよい唇の端が赤黒くなっていた。叩いた時に切れたのだろう。左頬はうっすらとまだ赤く少し腫れているような気がした。


 ロレンツオは強く叩いた覚えはなかった。頭に血が上っていたが自分を見る瞳に傷付いた影を見つけて直前で力が抜けた。叩いた衝撃で体勢を崩したティーティアがどこかに頭を打つようなこともなかった。部屋を出るとき床に横たわっていたが倒れた音は聞こえなかった。叩かれたショックで気を失っただけだと、あれから目覚めていないなど思ってもいなかった。



 ユーリンは王太子妃の部屋を見渡していた。必要な物以外何もない質素な部屋だ。まるで寝泊まりをするだけの部屋のようだ。


「ユーリン、何が気になっている?」


 ロレンツオは寝室に繋がる部屋で準備されたお茶を飲みながら問いかけた。

 医師は実践で怪我をおった騎士の手当てが終わり次第すぐに来ることになっていた。長くかからないということなので、ティーティアの部屋で待っていた。


「何もない、と思いまして」


 その答えにロレンツオも頷く。ロレンツオが最低限として準備させたままだ。新しく購入したり公爵家から持ち込んだりしなかったようだ。嫌味か? と言いたくなるくらい新しい物が何もない。


「殿下、衣装部屋を拝見しても?」


 ユーリンの言葉に給仕している若い侍女がビクッと体を揺らした。

 ティーティア付きの侍女頭がすっと前に出てくると咎めるような目でロレンツオたちを見てから『ご確認ください』とゆっくり頭をさげ案内を始めた。

 ロレンツオたちは侍女たちの態度を不信に思いながら衣装部屋に足を向けた。

 開けられた扉から飛び込んできた光景に絶句する。


「なっ!」


 そこは王太子妃の衣装部屋として異様だった。いや、王太子妃でなくても貴婦人や令嬢の衣装部屋としてあり得ない光景だった。


「こんだけ?」


 簡単に数えられそうな枚数にケラスオが目を丸くしている。空と言ってもいいほどだ。


「宝石箱は…」


 ユーリンの言葉は続かない。視線の先の棚には古びた小振りの宝石箱があるだけだ。


「これだけでございます」


 侍女頭が宝石箱を取り、何処で御覧になりますか? と聞いた。


「殿下?」

「………、向こうの机で」


 ロレンツオは余りにもティーティアの物が少なすぎて唖然としていた。侍女頭の再度の呼び掛けにやっと答える。


 お茶が片付けられた机に戻り宝石箱の中身を見る。これもほとんど入っていない。

 王家から王太子妃に渡される物しか入っていない。


「ティーティアの私物は?」


 公爵令嬢の時に持っていたドレスやアクセサリーがあるはずだ。


「妹君、マルシナ公爵令嬢様が妃殿下の私物は全て持っていかれました。王太子妃として新しく購入するのだから必要ないと仰られて」


 バーランは侍女頭の言葉に固まった。


「サリ、サリアーチアが?」


「妃殿下がお断りになられると、父君でいらっしゃるマルシナ公爵様がお見えになり…」


 侍女頭は言葉を詰まらせた。


「妃殿下が王太子妃の名で妹君を無理矢理呼び出したとお怒りになり手をあげられることも…」


 わなわなと唇を震わせて紡がれる言葉にロレンツオは驚愕を隠せない。


「そんなことが繰り返されて、先日は妃殿下が隠されていた物や母君の形見の品までも妹君が持っていかれました」


 その中にアルシアたちが贈った髪留めも入っていたのだろう。ロレンツオは何も知らなかった。ティーティアのことなど知りたくなかったから何も知ろうとしなかった。同じ王太子宮に住んでいたのに。


「嘘だろう? サリがそんなことをしていたなんて!」


 真偽の水晶で証言できるか!

 悲痛な声で叫ぶバーランから視線を外さず侍女頭は口を開いた。


「陛下の前で同じことをお答えしましょう」


 王の前で虚偽の証言をすることは余程の理由がない限り重罪になり罰せられる。ましてや真偽の水晶を用いて分かった場合は極刑が確定していた。

 バーランはその場に崩れ落ちた。恋しい女性がしたことが信じられないでいた。


「ティーティア様が王太子妃になられてから購入されたものは? あるはずです。領収書がありましたから」


 ユーリンの問い掛けに答えたのはロレンツオだった。


「……、カサリンだろう」


 シィスツサがカサリンが商人を呼んでいたと言っていた。品を見るだけではすまない。見せるだけなら商人も頻繁に来ない。気に入ったものがあれば買っていただろう。では、その金はどこから?


「はい、カサリン様でございます。本当なら王太子妃になられるのはカサリン様だったのだから、王太子妃のお金はカサリン様が使われるべきなのだと仰られて…」

「…ありがとう、よく話してくれた」


 ロレンツオは力なくそう言うしかなかった。が、ロレンツオの言葉に驚いたのは侍女頭のほうだった。


「殿下の指示ではなかったのですか? カサリン様も妹君も殿下が承認されていると」


 ロレンツオはそんなこと承認していない。承認するわけがない。王太子妃の金は衣装代だけではなく王太子妃主催で行われる様々な公務の必要経費も含まれている。好き勝手使ってよいものではない。

 それは側妃教育でカサリンも習っているはずだった。


「カサリンだけではなくサリアーチア嬢も?」

「はい、バーラン様から殿下に話を通してある、と」


 自分の名にバーランは頭を上げて、虚ろな目でロレンツオを見た。首を横に振る。そんなこと知らないと。


「さすが従兄弟だね、女性にコロっと騙されてる」


 俺もそうだけど。

 ケラスオははぁと大きな息を吐いた。

 ロレンツオもバーランもそしてユーリンもその言葉に何も言えない。確実に何かを間違えていた。それを認めるのが怖い。


「な、何故、私に…」


 そう言いながらロレンツオは誰も自分たちに言えなかった理由が分かっていた。

 ティーティアの名を聞くだけで嫌悪感を顕にさせていた。王太子であるロレンツオの怒りを買いたくなければ口を噤むだろう。それに聞いても信じたかどうか。たぶん、ティーティアが言わせていると思っただろう。


「殿下はお忙しいのだから余計なことで手を煩わせてはいけない、と」


 侍女頭の言葉がロレンツオたちに刺さる。彼らはティーティアを気遣う気持ちなど持ったことがなかった。


「な、何故、あのお方が悪く言われなければならないのでしょう。私たちにも優しくされていて、それが悪女などと噂されて!」


 ロレンツオたちは答えられない。その通りだとつい先ほどまでそう思っていた。そう思って接していた。周りからどうティーティアが見られるが分かった上で。


「殿下も…、何故あのような扱いを妃殿下に…」

「殿下、医師が参りました」


 衛兵の言葉にハッとして侍女頭が深々と頭を下げた。


「出過ぎたことを申し上げました」

「いや、これからも妃を頼む」


 ロレンツオはそう言うしか出来なかった。

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