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王太子 ー診察ー

残酷な表現があります。

 ロレンツオはティーティアの寝室に来ていた。

 いつもならその日にあった出来事を話していた。庭師が植え替えたのか窓から見える花が変わったとか、月明かりが明るすぎて星があまり見えなかったとか、些細な日常を。

 今日は何かを話さなければいけないと思うのに何も思い浮かばない。いや、聞いて欲しいことはある。けれど、それは口に出来なかった。口にしたら、どうしてこうなってしまったのか、誰にもぶつけられない怒りをぶつけてしまいそうで。

 何か話そうと口を開いては閉じる。閉じてはまた何か話さなければいけないと口を開く。なんども繰り返しては、はぁと息を吐く。やっと口から出てきた言葉は……。


「な…ぜ……」


 その先を言うことは出来ない。閉じた目に浮かぶのは三人の決意した姿。


『あの三人は勅命を受け入れています。殿下は彼らの思いを無にしたいのですか?』


 仕事の間に突き付けられた言葉。ロレンツオは手を握りしめるしかなかった。ロレンツオが三人に下った命を取り消そうとすればするほど彼らの思いを無駄にしてしまう。それが分かっていても受け入れられなかった。


「どうすればよかった……?」


 怒り、恨み、苛立ち、戸惑い、悲しみ、悔い、喪失、そのどれもであり、そのどれでもない言い表せない形にならない気持ちが渦を巻いてロレンツオの中で暴れている。

 ロレンツオは膝を突き、ベッドに顔を埋めて肩を震わせた。大声で叫ぶことは許されない。弱い所を見せられない。けれど、今夜だけは、今だけは。

 暫くして目を赤くしてロレンツオはベッドからそっと体を起こした。


「すまない、見苦しい姿を見せた」


 静かに眠り続けるティーティアにロレンツオは掠れた声で詫びる。当然ながら、ティーティアからの返事はない。それに安堵するとともに何故かとても寂しく思った。

 綺麗に纏められたティーティアの髪を手に取ると、おやすみと呟いてロレンツオは静かに部屋を出ていった。



 翌日、いつもと変わらない朝をロレンツオは迎えていた。いつもと同じように起き、身支度を整え、朝食を取り、ティーティアの様子を見て職務に向かう。変わったはずなのにいつもと変わらない日常。いつも側にいた者たちがいない慣れない慣れなければならない慣れたくない日常。


「これで今日中に片付けなければいけないものはありません。午後からは南部地方の治水について会議があります」


 お疲れ様でした。と気持ちが籠っていないジャンスの言葉に頷いて、ロレンツオは大きく伸びをした。そして、午後からの資料に手を伸ばす。毎年氾濫を起こす川の工事についてだ。二本支流を作る工事は順調に進んでいる。恐らく会議は工事の進捗状態を聞き確認するだけになるだろう。雨季が来るまでに完成させたい。


「では、私はこれで」


 ジャンスが書類を持って退出した。ロレンツオも昼食までに時間が空いたので、ティーティアの様子を見に向かった。ふと思い付いたので、庭により庭師に花を用意させて。

 ティーティアの部屋の前に来たが、何やら中が騒がしい。部屋に入ると寝室に繋がる扉が開け放たれていた。


「この気付け薬も効かないようですね」


 昨日、大広間で聞いた声がした。連合軍にいたフードを深く被った男の声だ。そういえば、腕の良い薬師に彼女を診察させると言っていたのを思い出した。


「目覚めさせられないか?」


 ラハメムト国の王子ホストルの声だ。どうしてここに? 従兄弟でも女性の寝室だ、入るべきではない。


「この薬でも目覚めないとなると……」


 その言葉に失望しながらも慌ててティーティアの寝室に駆け込んだ。


「何をしている!」


 部屋にはホストルとその従兄弟でアリシアの婚約者となったレジラル、ガルシア国の第三王子ウラル、フードの男、医師のエイバン、ティーティアの侍女がいた。


「この方が優れた薬師でいらっしゃるので教えを乞うておりました」


 エイバンが顔色を悪くして、慌てて頭を下げた。その言葉から、フードの男がこの場にいるのは分かるし、まだ許すことが出来る。問題はあとの三人だ。


「せっかくだから、我らは従姉妹姫の顔を見に来た」


 ホストルの言葉にレジラルが頷いているが、二人の視線は冬の氷柱より鋭くて冷たい。


「美姫だと聞いたのでな。見られるのなら見るのか当たり前だろ」


 ウラルは笑いながら、ポンとフードの男の肩を叩いた。


「それに心配は無用だ。もし姫さんに不埒(バカ)な真似でもしたら、フードの男(こいつ)の薬で瞬殺さ(やら)れるだけだかな」


 そういうことではない。


「だから、言ったのですよ。幾ら陛下の許可を得ているとはいえ、寝ている貴婦人の部屋に男がゾロゾロと入るべきではない、と」


 フードの男が呆れた息を吐いているが、ウラルはどこ吹く風で全く気にしていない。


「あの二人は見舞いで、俺はお前の付き添い」


 そういうことでもない。ティーティアはロレンツオの妻だ。それにここはロレンツオが管理する王太子宮。ロレンツオの許可を、いや、然るべき連絡があるのが当たり前なのに。


「さっきまで王妃殿下がいらっしゃいました」


 額に汗を滲ませながら、エイバンが恐る恐る口を開く。ならその時にフードの男を残して、三人とも退出するべきだ。


「……、で、殿下、やはりこちらにいらっしゃいましたか」


 息を切らしたジャンスが現れた。はあはあ、と肩で息をしている。


「至急、王妃殿下から、王太子妃殿下の部屋に向かわれるよう伝令がありまして」


 ジャンスは書類を各部署に届けに、ロレンツオは庭に回り庭師に花を用意させていて、二人とも王妃ニコラの従者と会わなかった。忘れていたことはないかとロレンツオの執務室に戻ったジャンスが伝令を聞き、ロレンツオを探し回っていたらしい。

 ロレンツオは息を吐いた。花を準備させていたから、伝令を受け取れなかったのは分かった。だからといって、ティーティアの寝室にホストルたちがいるのは許せない。


「怖い顔をするなって。こいつらも姫さんが心配なだけだからさー」


 そう一番関係ないのはこのウラルだ。確かにティーティアは美女だ。だからといって寝室に見に来るのは礼儀がなっていない。


「にしても厄介だな。面倒な薬や呪は使われていない。それが良かったなのか、悪かったのか、何とも言えんな」

「そうですね。薬なら私が、呪ならあなたがどうにか出来たかもしれませんから」


 ロレンツオは目を見開いた。ティーティアが呪詛(のろい)をかけられた、という考えは無かった。

 確かに人を呪うことをそれを解呪することを生業としている者・術者と呼ばれる者がいるのは知っていた。ただ、この国では馴染みが薄く、そういう者たちも住んではいるのだろうが話のネタとして上がることも滅多にない。

 では、ウラルがこの場にいる意味は……。


「ああ、曾祖母(ばばぁ)が力のある術者だったからな。簡単な呪詛なら解呪できる」


 ウラルを呆然と見つめるロレンツオの視線に気がついたのだろう。ポリポリと頬を掻きながらこの場にいる意味を教えてくれた。


「ウラル、もっとよく診てくれ!」


 ホストルが必死になって聞いているが、ウラルは首を横に振る。


「簡単な(まじな)いさえかけられていない」


 フードの男も恐らく口元に手をやり思慮深く呟く。


「今は力のある術者も少なく、ほとんどが薬を併用し思考を鈍らせた刷り込み、洗脳です。けれど、この方にそのような薬が使われた形跡もありません」


 ロレンツオは静かに眠るティーティアに視線を移す。眠り続けているのは、やはりティーティアの意思なのか。


「ともかく栄養のある物を摂らせることで生を繋ぐことは出来るでしょう。

 しかし、出産となると……」


 フードの男は言葉を続ける。ゆっくりとその場にいる者たちに言い聞かすように。


「このまま目覚めることなく寝たきりなら、確実に母体に子を産む力が不足します。母子とも危うく、いや、助からないでしょう。子だけなら月が満ちたら傷つけぬよう腹を裂いて取り出し助けることは出来ますが」


 残酷な未来を。

お読みいただき、ありがとうございます。


術者は不思議な力を使う者たちをさします。フードの男の妹も術者になります。

ウラルは占術が得意で戦局を占い武勲をあげていました。呪詛は解くのを祖母に覚えさせられました。仕組みとして分かっているので呪詛を使うことも出来ますが、使う気はありません。


誤字脱字報告、ありがとうございます。

『洪水』を『氾濫』に変更しました。

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