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王太子 ー噂ー

 周りを従者と護衛に厳重に囲まれ、まるで護送されるように連れて来られたのはロレンツオの執務室だった。

 そして、扉の向こうにいたのは会いたくない者だった。


 ジャンス・レーニンニガ


 レーニンニガ伯爵家に婿入りした五つ上のロレンツオの再従兄弟だ。彼の祖母であるキルテアは先々王ムータムの末娘であった。キルティアは十五歳下の弟スイリルを嫌悪しており、自分の子供はもちろんのこと、孫たちにも権利と義務を厳しく教えた。末孫であったジャンスには特に厳しかったと聞く。


「今日から殿下にお仕えすることになりました。ジャンス・レーニンニガです。尽力致しますが、慣れぬことゆえ何卒寛容なお心でお許しいただきたくお願い申し上げます」


 大袈裟に頭を下げるジャンスの薄茶の瞳に嘲りの色を見つけ、ロレンツオは小さく息を吐いた。

 ロレンツオはこの再従兄弟が苦手だった。真面目といえば聞こえがいいが、堅物で融通が利かず、些細なことでもくどくどと注意してきた。

 ジャンスも祖母キルティが嫌うスイリルの娘と懇意にしているロレンツオたちを軽蔑する視線を隠そうとしていなかった。会うとバーランとの口論は当たり前のことでお互いに接触を避けていた。


「書類は至急・重要なものほど手前に分けてあります」


 低姿勢で丁寧だが、言い方に含みがあり刺々しい。言いたいことが山ほどあるのだろう。嫌味だけで済んだらいいほうだ。


「分かった」


 山積みとなっている書類を片付けなくてはいけない。王太子妃であるティーティアが仕事が出来ないため、ロレンツオに回ってくる書類は多くなっている。

 ロレンツオは椅子に座り、机の上に並べられた書類を仕方なく手に取った。


「これとこれは、妃殿下に」

「どちらの妃殿下に?」


 ジャンスが失笑と共に聞いてくる。国王ラムス直属の文官の一人として働いていたジャンスなら、ティーティアが体調を崩し公務を休んでいるのは知っているだろうに。


「王妃殿下に、だ。ティーティアは今仕事が出来る状態ではない」

「……、今頃、愛妻家の演技ですか?」


 ロレンツオは言われた意味が分からなかった。


「噂を。今まではマルシナ公爵とセンスタの残党の目を欺くための演技であった、と」


 ロレンツオは思わず笑いそうになった。そんな噂が立つことが滑稽すぎる。


「その証拠に殿下が時間を作っては王太子妃殿下の元を訪れ、親身になって体調を気づかっている、と」


 それは本当のことだ。真実を知ったあの日以来、ティーティアには迷惑だろうが時間があれば様子を見に行っている。目覚める兆候が少しでもあれば、と思うがティーティアは深い眠りについたままだ。


「貴殿はどう思う?」


 ロレンツオの問いにジャンスは肩を竦めた。


「殿下たちがようやく″目が覚めた″と」


 その通りだ。起きないティーティアの部屋で、見ないようにしていた現実を知った。


「それにしても何故そんな噂が?」


 確かに冷遇していたティーティアを頻繁に見舞えば話題に上がるのは分かる。だが、欺くために演技していた、とは。何処をどう見たら、そう解釈出来るのか。


「殿下たちが屑の娘を切り捨てたからですよ」


 ジャンスが屑と呼ぶのはスイリル、その娘はサリアーチアだ。


「サリアーチアを斬り捨てた?」


 ロレンツオたちがサリアーチアに剣を向けた覚えはない。


「ええ。投獄されたのに救いだそうとせず、それどころかその罪状を容認された。いつもなら、屑の娘に懸想したバーラン(バカ)の嘆願を殿下がお聞きになり助けようとされるのにそれもなかった。

 翌日には茶番劇までして側妃にする予定だったイキンチ伯爵令嬢を軟禁し、側妃にすることを取り消された。

 そして、足繁く王太子妃殿下の元に通われている」


 全て事実だが、それがどう噂に繋がるのか。


「屑の娘が投獄されたその日に、屑の屋敷の者から出入りしている商人に馬と荷馬車を大至急集められるだけ集めて欲しい、と依頼があったそうです」


 その依頼は如何わしいものだったらしい。

 幌馬車がよいが、幌は張らないで持ってくること。

 一台でも早く、用意出来た馬車から持って来るように。

 馭者は必要ない。

 馬は重い荷物を運ばせるから若い丈夫なのを用意しろ。

 夜逃げで家具も運ぶと思った商人が馬車に荷物を乗せる作業人も必要か? と聞くと自分たちで行うから必要ないと言われたり。

 馬車を運ぶ馭者だけで関係のない者は連れて来るな。と厳命されたり。


 センスタの残党が元マルシナ公爵家に見切りをつけたとしても行動が早すぎた。

 あの日、投獄されたサリアーチアの解放を求めてスイリルが王太子妃の部屋に来た。恐らくその時に連れていた護衛の中にセンスタの者がいたのだろう。ロレンツオとバーランの態度から、マルシナ家に先が無いのを感じ取ったのかもしれない。護衛の者たちはその日の夕方までに解放され屋敷に戻されていたから。


「屑の屋敷周辺の市街戦も想定していたのに馬車の納入で連合軍の精鋭が内部に入り込むことが出来、被害を最低限に出来た。と」


 ロレンツオたちの行動と連合軍の襲撃はたまたま時期が重なっただけだ。いや、最初から計画されていたのかもしれない。偶然なのはティーティアが倒れ目覚めなくなってしまったことだけで。

 アルシナとユーリンの婚約が無くなれば、ロレンツオたちはその理由を調べ、サリアーチアのこと、カサリンのことに辿り着いただろう。

 だが、センスタの残党が討伐されたのは今日だ。なのにこんな噂が立つのは早すぎる。


「……、シィスツサに縁談が届いているのか?」

「まだ打診の段階ですが。カルタカ公国の公女様と」


 カルタカ公国は小さな国だが貴重な鉱物の産地だ。縁を結びたい国だった。後継ぎは第一公女でまだ婚約者が決まっておらず、シィスツサと釣り合いのとれる年齢であったとロレンツオは記憶している。

 アルシナは嫁ぎ、シィスツサは婿入りする。この国に残るのは醜聞まみれのロレンツオだけとなる。


 ロレンツオは小さく息を吐いた。

 この噂はロレンツオの醜聞を幾らか軽減するために流されたのだと。


「まあ、欺くためであってもケジメはつけなければなりません」

「だから、あの三人が?」


 ロレンツオの言葉にジャンスは肩を竦めた。


「さあ? 上の判断は私には分かりません」


 ロレンツオは思わずジャンスを睨み付けてしまう。知っている、判っているはずだ。


「ただ、″()()()()()、だけです。嘘ばかりではなく真実も織り混ぜて」


 最初は信じる者は少ないかもしれせんが、殿下が王太子妃殿下を大切になされば真実になるかも……、しれませんね。


 ロレンツオは大きく息を吐き、止めていた手を動かした。

 噂はこれから流れるのだろう。その噂をロレンツオが嘘だと言う資格も権利もなく、だが真実だと認めることもしたくなかった。

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