王太子 ー乱入者ー
一話目・二話目 連続投稿です
二話目です
明日からストックがあるだけ毎日一話投稿します
「まだ公務に出てこないのか!」
机に高く積み上げられた書類にため息を吐きながら、クランシルト国の王太子ロレンツオはうんざりとした表情を見せた。青い瞳にかかる金髪を邪魔そうにかき上げる。
「ロンが叩いたから」
なんでもないことのように軽く言ったのはケラスオ。近衛副団長であるオンクラサ侯爵の次男、自身もロレンツオの護衛騎士をしている。オレンジの髪と赤茶の瞳をしており、精悍な顔つきと鍛え抜かれた肉体で鍛練場では令嬢たちから熱い視線を集めている。
「うんうん、腫れた頬で外を歩かれてもねえ」
ケラスオの言葉にバーランも頷いている。ニハマータ公爵に婿入りした王弟の嫡男、ロレンツオの従兄弟になる。ロレンツオと同じ柔らかな金髪で、瞳は緑色をしている。瞳の色から、ロレンツオが青の君、バーランが緑の君と令嬢たちから呼ばれ、憧れの美丈夫として今も人気高い。
「まあ何故腫らしているのか、理由が公表されると困るのはこちらですし」
書類から目を離さず口を開いたのはユーリン。宰相を務めるミッタム伯爵の嫡男でロレンツオの妹アルシアの婚約者でもある。栗色の髪に紫の瞳、一見冷たくみえる容姿をしているがよく笑う好青年だ。
三人ともロレンツオの幼馴染であり気のおけない側近でもある。
「仕方がなかったとはいえやっぱり女性を叩いたとなりますと。彼女は公務は完璧にこなしてましたし、民は彼女が悪人とは信じないでしょうから」
バツが悪そうに頬を掻くロレンツオに気持ちはよく分かると言いながらもユーリンは釘をさすことを忘れない。
「忌々しいことだけどな」
「ああ、公務の時だけは慈悲深い立派な王太子妃だったし」
ケラスオとバーランの言葉にロレンツオも頷く。共に公務に赴く時、王太子妃ティーティアはパートナーとして最高の働きをしてくれていた。
「けど、あれから四日だぜ。化粧で誤魔化せるだろ」
「嫌がらせ、かもね」
ぶつくさ言いながらケラスオとバーランは王太子妃がするはずの書類を分けていく。急ぎの分だけロレンツオが処理しなければならない。王太子としての仕事もあるのに増やされているのだ。文句の一つや二つ言いたくなる。
にわかに扉の前が騒がしくなった。
バーン
勢いよく扉が開かれ、朱金の髪の女性が現れた。引き摺るようにロレンツオを幼くしたような少年を連れて。
「どうしたんだ? アルシア」
ロレンツオは突然の訪問者に驚きを隠せなかった。
朱金の髪の女性はアルシア。ロレンツオの妹でユーリンの婚約者。キッと藍色の瞳でロレンツオを睨み付け、ずんずんと歩いてくる。アルシアに逃げられないように手をがっしり掴まれているのはシィスツサ、ロレンツオとアルシアの歳の離れた弟だ。
「シィスツサ、言いなさい」
「……」
ロレンツオの前に出され、アルシアに両肩を押さえられているシィスツサは俯いて身体を震わせている。
「お姉様、ティーティア妃殿下はあなたのせいで頬を叩かれたのよ」
アルシアの言葉にビクンとシィスツサの身体が大きく揺れる。
「シィスツサ、気にしなくていい。叩いてしまったのはやり過ぎたが、頑張っているお前を認めないティーティアが悪いのだから」
ロレンツオは跪いて視線をシィスツサと合わせ、慰めるように優しく言った。アルシアもシィスツサもティーティアを本当の姉のように慕っているのをロレンツオは知っていた。そのシィスツサにもティーティアが暴言を吐いたのだ。許せるわけがない。
アルシアの視線がきつくなったが、ロレンツオはいつものことなので気にしていない。
「………」
囁くような小さな声でシィスツサは首を大きく横に振っていた。
「私から…」
「シィスツサが言わなければならないの」
後ろからの気弱な声をアルシアが遮る。
ロレンツオが視線を上げると、アルシアの後方にシィスツサの講師と従者たちがいた。その中にはロレンツオがシィスツサくらいの時に世話になった恩師テラオスもいた。
「あ、あにうえ。ティーティアさまは、ティーおねえさまは悪くないんです!」
泣き出しそうな声で言われた言葉にロレンツオは苦笑する。ロレンツオがティーティアを叩いてしまったことで大事になったとシィスツサが責任を感じてしまったのだろう。
「気にしなくていい。シィスツサがちゃんと学んでいるのは分かっている」
十歳離れた弟が責任を感じる必要はないのだと、再度ロレンツオは優しく言い聞かそうとした。
「ち、違うのです、兄上。ぼ、ぼくが勉強をしていなかったから…、だから、ティーおねえさまがそれじゃあダメだって…」
優しく頭を撫でるロレンツオの手を振り払って、シィスツサは瞳に涙を溜めて叫ぶように言った。
「シィスツサ?」
ロレンツオは可愛い弟の態度に戸惑いを隠せなかった。
「ティーおねえさまは、嫌いなことでもきちんと勉強しなければ兄上のような立派な王子になれないって…。ぼくが…、ぼくが悪いんです」
ロレンツオは四日前に聞いたことと違う内容に眉を寄せながら、優しく問いかけた。どういうことかはっきりさせなければならない。
「どうしてそんなことをしたんだい?」
「……、いやな科目なんか勉強しなくてもいいって聞いたから…」
苦手な科目から逃げ出したくなる気持ちはロレンツオもよく分かる。だが、王族として必要だから学ばなければいけない。学んでおかなければ失敗した時に恥をかくのは己一人ではないのだから。
「そんなことを誰が…」
ロレンツオは息を吐き出した。王子教育を妨げるなど許しがたい行動だ。誰かを見つけ出し厳重に処罰しなければならない。
「カサリンさまが、カサリンさまが、いやなことはしなくていいって。いやなことをさせるのはいやがらせだと教えてくれて…、ならいやなことは教えてもらわなくてもって思ってしまって…」
ロレンツオは思いもしなかった名前が出て息を飲んだ。黒髪の美しいカサリンはロレンツオの恋人だ。半年後に側妃になるために城で教育を受けているはずだった。
俯いたシィスツサはそれに気付かず身体を震わせながら言葉を続ける。
「だから、ぼくはいやな勉強の時間になるとカサリンさまの所に行って、カサリンさまに遊んでもらっていたんだ。あそこなら、先生も連れ戻しに来ないから。あの日は、ティーおねえさまがカサリンさまのところに来て、覚えなければいけないことだから先生にきちんと習うんだと…」
ごめんなさい。抱きついてきたシィスツサを抱き返しながらロレンツオはそれがどういうことなのか必死に考えようとしたが感情がそれを拒否する。そんなこと、間違いだと。
「カサリン嬢が…? ほんとに…?」
小さくケラスオが呟いた声にロレンツオも同じ気持ちだった。
「シィスツサ殿下、カサリン嬢も側妃教育を受けているはずでは」
ユーリンの問いにロレンツオの胸から顔を上げてシィスツサは涙声でもはっきりと答えていた。
「う、うん、そんな時もたまにあるけど、ぼくをゆうせんしてくれてた。それにほとんどお茶を飲んでて勉強してなかったし」
シィスツサが嘘を吐いているようには見えない。ロレンツオは混乱する頭を必死に整理しようとしていた。
「あっ、しょうにんが来ている時はダメって言われたけど…」
商人? 側妃になっていないカサリンには国から経費は出ていない。ロレンツオの王太子として支給されている一部を切り詰めて渡しているだけだ。だから、ロレンツオ抜きで商人を呼ぶ金はない。カサリンの実家、イキンチ伯爵からの持参金も側妃になる前に使い果たしてしまっている。追加の金が届いたとも聞いていない。商人を呼び出しても使えるお金など無いはずなのに。
ロレンツオは信じたくない話に視線を彷徨わせた。その視線が恩師であるテラオスと絡み合う。
「発言をよろしいですか?」
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