王太子 ー愚者ー
マルシナ公爵は呆然と王座に座る甥を見ていた。
愚かだと言った。マルシナ公爵のせいで愚か者になったと。偉大な父も口煩かった兄も王座に座る甥も。
「だからこやつは早々に始末するべきだったのですよ。遅くてもティーティア殿下がお生まれになった時には」
そう言ったのはマルシナ公爵の数少ない歳下の甥であった。バーランの父、ニハマータ公爵ムハタだ。まだ城内にある離宮で王子として住んでいたころ、歳下の甥を兄気取りでとても可愛がっていた。成人してからは口煩くなり敬遠していたがそれまではそれなりに仲が良かった。その甥に始末するべきだったと言われたことはとてもショックだった。
「こやつだけでも始末しておけばミーシャ姉上も死ぬ必要などなかった。そこの女も逃げただろうが後楯を失い価値のない者を向こう側は早々に棄てたでしょう」
吐き捨てるように紡がれた言葉に腑に落ちないことがあった。
「ミーシャは……病死では………?」
マルシナ公爵は力なく呟いた。姉のようだった姪の死に自分は関係ないはずだった。
「母上はクイン叔母上の死に責任をとると仰り、自ら水牢に入られた。両国の同盟を壊してはならぬ、とな」
ロレンツオは淡々と話すホストルを見た。ミーシャと同じ輝きを持つその瞳は射貫くようにマルシナ公爵を睨み付けている。
「我が国の汚点であるお前たちは我が国だけで処理する予定であった。この王都を焦土に変えてもな。だが、各国から要請があり、各国の拠点を潰し一ヶ所に集め殲滅をおこなおう、とな」
国王ラムスの言葉にマルシナ公爵は虚ろに目を彷徨わせた。認められなかった。王都を犠牲にしても消さなければならない存在だと言われたことに。
「そ、それで、我が屋敷が選ばれた、と」
マルシナ公爵の問いかけに国王ラムスは間を置かずに肯定した。
「我が国であって、我が国でない。我が国に負しか与えず、益を生み出さぬ。連合軍に差し出すには最も適した場所であろう」
「………、だから、売ったのか? 我らを、あの屋敷を!」
マルシナ公爵は信じられなかった。血の繋りもあり濃い関係であったはずだ。それは国のために簡単に切り捨てられる存在ではないはずだった。
「王ならより被害が少ない方を取る。当たり前のこと」
「それに先にこの国をセンスタに売ったのはそこの女だ。己の側室も管理出来なかった叔父上が悪い」
国王ラムスの言葉にニハマータ公爵が続く。
「お前たちには血の繋がりの情もないのか!」
マルシナ公爵はクワッと目を見開いて叫んだ。
「なら、お前がクイン王女やティーティアにしたことはどうなんだ?」
国王ラムスは冷たく問い返した。クイン王女はともかくティーティアは血の繋がりがあるマルシナ公爵の実の娘だ。
「政略で娶った女など、作らされた子などに情などあるか」
マルシナ公爵は娶りたくなかった。子など作りたくなかった。だが、それをしなければ、最愛のノチナタを側におくことが出来なかった。
ロレンツオはその言葉に鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。マルシナ公爵の言葉は少し前のロレンツオの心情だった。政略で娶ったティーティアを気遣う必要などないと思っていた。だが、それを他の者が、それもマルシナ公爵が言った時、酷く身勝手な傲慢な考えだと思い、自らもそうだったのだと思い知った。
「お前は、政略で嫁いだ者に、授かった子に情などないのが当たり前だと申すのか」
マルシナ公爵は更に鋭くなった視線がその身に刺さるのを感じ、体を震わせた。
「陛下と私も政略により結ばれましたが? 陛下にはよくしていただいていますし、三人もお子を授かり幸せですわ」
王妃ニコラが冷たい笑みをうかべてマルシナ公爵を見下ろしていた。
「私も政略で婿入りしたが、妻も子供たちも大切な家族だ」
ニハマータ公爵はギロリとマルシナ公爵を睨み付ける。
「先王ハムラカも政略であった。だが、母上を蔑ろにしていた記憶も私たち子が虐げられた記憶もない。むろん先々王ムータムも正妃との婚姻は政略であった」
国王ラムスは淡々と語る。
マルシナ公爵は自分の失言にようやく気がついた。貴族のほとんどが利害絡みの政略で結ばれ、子をなし家督を繋げている。自分の言葉が王座に座る甥を含めここにいる殆どの者たちの婚姻を、その生まれを、貴族社会を否定してしまったことに。
「むろん、私も妻や子を虐げた覚えもない。まあ、うまくロレンツオを導けなかったが」
チラリと鋭い視線を向けられたロレンツオは身を引き締めた。その視線を向けられるだけのことをロレンツオはしてしまった。
「お前の母が先々王ムータムに嫁いだのも政略だ。ムータムの事業の一つを任される対価として父親の男爵から差し出されたのがお前の母親だ。良好な関係を築いていた婚約者と別れさせられてな」
マルシナ公爵は瞠目した。親子ほどの年齢差はあったが、仲睦まじかった両親が政略であったことに。父が母を見初めて、母がそれを受け入れたからだと思っていた。自分とノチナタと同じように。
「ラムス、わ、わたしは…」
マルシナ公爵は何か言わなければと思い口を開いた。だが、何を言うべきなのかが分からない。
政略については失言だった。けれど、元敵国の王女やその娘にしたことが悪かったなど思わなかったし、今も思えなかった。あれは愛する者たちのためにも当たり前のことだった。
「お前に何を言っても分からぬ、分かろうとしない。だが、最後にこれだけは言っておく。お前がクイン王女やティーティアにしたことは、望まぬ政略だったではすまされぬ、人として許されぬ人道にはずれた最低な行為だということを」
「なっ!」
マルシナ公爵は反論しようと口を開くが透かさず衛兵が猿轡を当てる。それはもう国王ラムスがマルシナ公爵の言葉を聞く気がないことを示していた。
ロレンツオはゴクリと唾を飲み込んだ。なんともいえない思いでマルシナ公爵を見てしまう。拘束され猿轡を噛まされたあの姿、あれは過ちに気づかなければ訪れていたロレンツオの未来の姿。これはロレンツオに見せるために判らせるために行われた。もう間違うことは許さないという最終通告だった。
お読みいただきありがとうございます
誤字脱字報告、ありがとうございます