王太子 ー小さき者ー
「小僧? 年齢だけ大人の人に言われたくありませんね」
ホストルは振り返りジロリとマルシナ公爵を睨み付けた。その視線は鋭くマルシナ公爵はたじろぐが腕の中で痛い痛いと呻くサリアーチアの声でギッと睨み返した。
「このティアラはラハメムト国の王が姪の祝いとして贈った物。″それ″が身に付けてよいものではない」
「そ、それは…、商人に……」
違う物だと言いたいマルシナ公爵の言葉をホストルは冷たい声で遮る。
「一国の王が祝いに贈った一点物をどこそこで購入した類似品と嘯くわけではあるまいな」
「殿下が勘違いされておられます。これは下賜された物ですわ。ティーティア…殿下に」
ノチナタが青白い顔をしながらも凛とした姿で口を開いた。マルシナ公爵もその通りだと何度も首を縦に振っている。
「それこそおかしい。クイン叔母上の嫁ぎ先はラハメムト国の文化に疎いらしい」
ふん、と鼻で笑い、ホストルは軽蔑した目をマルシナ公爵たちに向けた。
「このティアラは親から子へそのまた子へ引き継がれていく物だ。亡きクイン叔母上の代わりに父上が保管していた。クイン叔母上の時は製作が間に合わず渡すことが出来なかった品。叔母上の婚姻はもう少し後の予定であったから」
ティーティア殿下の婚姻式で説明があったと思うが?
ホストルの言葉にマルシナ公爵は視線を游がせた。ティーティアの婚姻の日に色々言われたが全て聞き流していた。
「それに…、″それ″はこの国の常識も知らぬようだ」
ホストルは駆け付けた医師に応急手当を受けているサリアーチアを侮蔑の籠った目を向けた。
「この国ではティアラを付けられるのは王族であることと特別な時のみ。王妃殿下も次に高位の王女殿下も今日は付けられていない。格下が付けて当然の顔をしているなど、厚顔無恥、もしくは罪人だと自ら公言しているようなものだ」
マルシナ公爵は反論しようとするが、治療を受けているサリアーチアが腕の中で暴れ宥めるのに忙しかった。それでもちらりと壇上を見る。王妃ニコラの、王女アルシアの頭にティアラはない。そのことに驚愕する。集まれるだけの貴族が集まる今日は二人が絶対にティアラを付けてくると思っていた。サリアーチアが付けたがっていたのもあるが、王族と認めさせるためにティアラを付けることを認めた。だが、これではサリアーチアは二人に対して最大の不敬を働いたことになる。
ノチナタは屈辱に震えていた。他国とはいえ王族に下手に反論できない。相手の主張が至極真っ当なものだから余計に。激しく歪む口元を扇で隠し、忌々しくホストルを睨み付けるしかない。
「ああ、無事に帰れると思われないように」
ノチナタに向かって小さな声でそう呟くとホストルは壇上に戻っていった。ノチナタはその言葉の意味に茫然とその後ろ姿を見送るしかなかった。
「陛下、お騒がせして申し訳ごさいません」
壇上に戻るとホストルはまず国王ラムスに頭を下げて謝罪した。
「いや、あれだけで良かったのか?」
国王ラムスの言葉に集まった者たちは戸惑いを、マルシナ公爵は憤怒の表情を浮かべた。
「ええ、今はこれくらいで。資格のない者が当然のように付けているのが目に余ったので」
国王ラムスの許しを得たホストルは優雅な足取りでロレンツオの隣に再び座った。
「汚い血が付かぬよう気を付けたのですが。綺麗にして返しますのでご心配なされないように」
ホストルは動きを怒りの籠った目で追っていたロレンツオと視線を合わすとニコッと笑って告げた。
「それとも義務で娶った妻の物に興味などございませんでしたか?」
ロレンツオだけに聞こえる声で言われた言葉にギュッと手を握り締めるしかない。だか、これだけは言っておかなければならなかった。
「やりすぎだ」
ロレンツオの言葉にホストルは悪怯れる様子もなく答えた。
「あのような者たちには身を以て思い知らす必要があるのですよ。それでも理解出来ない者もいる」
ロレンツオはホストルに見ろと言うように視線をアルシアたちの方に向けた。顔色を悪くしたアルシアは震えているシィスツサをしっかり抱き締めていた。
ホストルの雰囲気が変わるのが分かる。
「確かに子女への配慮を欠いていました。それは認めましょう。思っていた以上に頭に血が上っていたようです」
何か詫びの品を届けましょう。
ロレンツオは頷くしかなかった。ロレンツオがサリアーチアのティアラに気がついた時点で直ぐに強制退場を命じていたら、騒ぎはしただろうがこのようなことは起こらなかった。穏便にしようとした、いやロレンツオの判断が遅すぎた。
「さて、この度皆に集まってもらったのは他でもない。ラハメムト国とガルシア国、両国から婚姻の申し込みがあった」
国王ラムスは何事もなかったかのように口を開いた。それを遮る怒声が飛ぶ。
「ラムス、その小僧の首をはねろ!」
頭に大きな布を当て憔悴したサリアーチアをノチナタに預け、マルシナ公爵が壇上へと近付いてくる。すぐに衛兵たちに止められるが、マルシナ公爵は憎々しくホストルを睨み付けていた。
「何故? 好き勝手するお前たちに非があるのに?」
国王ラムスは呆れた口調を隠しもせず口を開いた。
「な、なにを!」
「大広間に入る前に衛兵に言われたはずだ。冠を外すように、と。それと、その冠は盗難届が出ている物と似ているため提出するように、ともな」
声を張り上げたわけでもないのにマルシナ公爵の怒声を掻き消して広間に響き渡る。
「だが、私は!」
「王族? 先々王ムータムの息子? だからといって好き勝手していいわけではない。先王も私も何度もそう叱責していたが」
国王ラムスは堪えきれずに盛大にため息を吐いた。
「では、私は先々王ムータム様の曾孫ですから、大叔父上と同じようにこの国では好きに振る舞ってよいということですね」
ポン、と手を叩いてホストルが楽しそうに会話に加わった。
そうだな。と国王ラムスもホストルの話に乗る。
「となると、私はムータムの孫だ。叔父の言うことなど聞く必要もないということだ」
マルシナ公爵はワナワナと震えていた。先々王ムータムの名は自分だけの特権のはずだった。その名を使えば何でも許されるはずだった。
集まった貴族たちは小声で囁き合いながらも成り行きを見守るしかなかった。
「違う! 偉大なる王ムータムの名は息子の私だけが使える」
「ち、ちがうよ。上に立つ者ほど、きちんと守らないといけないんだよ」
マルシナ公爵の声にまだ幼さの残る声が重なった。その声は小さく聞こえた者はほとんどいない。
「お前たちは間違っている。ムータムの血を一番濃く引く私を馬鹿にするなど」
「父上も、母上も、お兄様も、お姉様も、ティーお姉様も、先生たちも、みんなみんな、そう言っているよ」
だが、小さな体で一生懸命訴えている姿は壇上を見上げる者たちからはっきり見えた。
「私を不快にさせるなどあってはならぬことなのだ」
「支えてくれる人たちの見本になるために上にいる者ほど決まりをきちんと守らなければいけないって」
小さき者の声を聞こうと静かになっていく。
マルシナ公爵も周りの視線が一点に集まっているのに気がついた。
「だからね、好き勝手するのはまちがいなの!」
ロレンツオは立ち上がって、手を叩いた。
「シィスツサの言う通りだ。上に立つからには下にいる者の見本となるよう気を付けていなければならない」
それが綺麗事であることはロレンツオも重々分かっている。だが、その志を上に立つ者は忘れてはいけない。
アルシアの腕にしがみつきながらも一生懸命正しい主張を言っていたシィスツサを壇上を見上げるほとんどの者が見ていた。そして、ロレンツオと同じように手を叩いてその名を口にしていた。
「陛下、発言をよろしいですか?」
ロレンツオは次男の成長に満更な表情を浮かべている国王ラムスに許可を伺う。国王ラムスが頷いたのを見て、ロレンツオはマルシナ公爵の方を向いた。
「マルシナ公爵、あなたが先々王ムータムの名を出すのなら、その名に恥じない行為をしなければならない。ムータムの名はあなたの罪を無くす免罪符ではない」
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