王太子 ー推察ー
「あのぬいぐるみ、本当に妃殿下の物だったのかもしれませんね」
ユーリンがポツリと呟いた。
ロレンツオも同じように思った。思い入れのある物だったからこそあそこまで嫌がったのではないか。あの頃の報告書に書いてあったのか、バーランの方にロレンツオは視線を向けた。そこで初めてロレンツオはバーランの顔色が真っ青になっているのに気が付いた。
「あっ、あれ、妃殿下に返したから」
ケラスオがばつの悪そうな声で呟いた。
「見つかってみんなの所に戻ろうとしたらさー、抜け出して探しに来た妃殿下に会って。何かさ、今にも泣き出しそうな顔が妹と重なって。あんだけボロかったしサリアーチア嬢も諦めてくれるかな? と思って」
これも黙っててごめん! とケラスオは座ったまま頭を下げた。
バッとバーランが立ち上り、ケラスオの両肩をガシッと掴むと「ありがとう! よくやった!」と声を詰まらせていた。
「ティーティアの物だったのか?」
ロレンツオの問いにバーランが頷く。
「報告書によるとクイン王女がティーティアに与えた物らしい。ラハメムト国では生れた子供に兎のぬいぐるみを贈る風習があって子孫繁栄の意味を持つからと」
息を飲む音が幾つも聞こえた。
本当に亡くなった母親から与えられた物。それも生まれた時に贈られた特別な品。だからあれだけ嫌がっていた。ティーティアは真実を言っていたのに誰も信じなかった。マルシナ公爵家の者たちは皆あのぬいぐるみはサリアーチアの物だと言っていた。だから、ロレンツオたちはそれを信じティーティアを責め取り上げようとした。その行為はどれだけティーティアを傷つけただろう。
「読むのが嫌になった。全然サリの言う通りじゃなくて。誰も守ってくれる者いないのにサリに騙された俺たちにも責められて…」
震えるバーランの声にロレンツオは思わず胸を押さえた。己の罪の深さに胸が痛かった。
「確かに読んで気持ちのいいものではありませんね」
ユーリンは報告書に手を置いた。
「けれど、これが真実ならば私たちは読まなければなりません」
「これ、嘘の可能性あるわけ?」
ケラスオの問いにユーリンは首を傾げる。
「影の報告書ですので可能性はかなり低いですが、ないとは言い切れません」
「まぁ、警邏でも虚偽の報告書あげるヤツいるからなー」
ケラスオの言葉にバーランも頷く。毎年十数件は虚偽の報告書で罰せられる者がいるからだ。
「ところでさ、今日はもう読むの止めて報告会にしない?」
ケラスオの視線の先に闇に染まった窓があった。明るかった外はすっかり闇に染まっていた。
「そうですね、終わりが見えませんし」
どうしますか? とユーリンに聞かれ、ロレンツオは
皆を見渡した。誰もが疲れた表情をしている。昨日から正しいと思っていたことが根底から覆されている。ロレンツオ自身、まだ受け入れられない気持ちがあり精神的な疲労感が強い。
「そうだな。軽食を準備させる。食べながら聞かせてくれ」
隣室に控えていた従者に声をかけるとすぐに軽食が準備された。
「まず俺からいいかな」
一口大に切られたサンドイッチを口に放り込みながら、ケラスオが手を上げた。最新の報告書から遡っていたケラスオは約一年分を読み終わっていた。
「少なくともあの屋敷では二ヶ月に一人は死んでる」
その言葉にロレンツオたちの手が止まる。そんな話は聞いたことがない。下働きの者でも二ヶ月に一人も死んでいたら噂でも立ちそうなものなのに。
「何で死んでるのかは調査中で浮浪者を使ってる。遺体をすぐ燃やすから調べられないみたいだ」
居なくなっても分からない者を連れてきて何をしているのか。考えられるのが王家を脅せる『物』の効果の確認。ティーティアが王家に嫁いでいる。王家は気兼ねなく何時でもマルシナ公爵家に武力行使が出来る状態だ。なのに王家は動いていない。その理由は?
「それから、妃殿下が嫁いだからお金の心配かな」
終わり! とケラスオは軽く言ったが、最初の内容は決して軽くない。影からの報告で国も対処法を考えているだろうが、ロレンツオには何も知らされていない。
「次、俺でいいかな?」
バーランがオズオズと手を上げた。
「さっき言った通り、サリアーチアや使用人の言っていることは全部ウソだった。ティーティアは本邸でも動き回ることは許されていなくて、ほとんど部屋に監禁状態。難癖のような理由でマルシナ公爵から暴力も受けていた」
バーランの声は沈んでいる。将来を考えた相手にずっと嘘を吐かれていた。昨日のサリアーチアの様子から予想は出来ていただろうが、やはりショックのようだ。
「で、気になるのが使用人たちの態度。普通は一人か二人くらいティーティアに同情する者がいてもよさそうなのに恐ろしいくらいに誰もいなかった」
それはとても気になることだ。ティーティアは国にとっても大切な者だ。そのことからも隠れて世話をする者がいてもおかしくないのに。影の報告では隠れてティーティアを助ける者は一人もいないとなっている。
「次、僕が話します」
ユーリンが手を上げた。
「クイン王女はマルシナ公爵から暴力を受けていました。頻繁ではありませんでしたが」
これもやはりとしかいいようがない。
「先代ラハメムト国王、クイン王女の父君が亡くなり遺産を受け取る条件がクイン王女と妃殿下の登城でした」
「当然登城させられる状態ではなかった」
ポツリと呟いたロレンツオの言葉にユーリンが頷く。
「ええ、公爵夫人の生活ではありませんでしたから。最低限の生活と辛うじて言えるかどうか。産後の肥立ちが悪くずっと床に臥していると言っていたようです」
ロレンツオは初めてティーティアに会った時を思い出した。手入れのされていない髪、痩せた体。生きていればよい、そんな生活をさせられていたと今なら分かる。
「見舞いも全て断っていたようです。会わせて真実を話されては大変ですから」
ロレンツオは嘆息した。別居なら別居で公爵夫人としての生活を保証していたらこんなことにならなかったのに。何故、マルシナ公爵はそこまでクイン王女を冷遇したのだろう。クイン王女を娶りティーティアが生まれなければ、ノチナタを側室に迎えることは出来なかったのに。
「クイン王女が亡くなれば妃殿下に権利が移ります。妃殿下の父親として遺産を手に入れようとしていたようです」
「それでも妃殿下だけでも登城させなきゃいけないだろ」
ケラスオの問いにユーリンはまだそこまで読めていないのでと答えながらも口を開く。
「公式文書ではクイン王女と使用人が感染症にかかったとなっています。恐らく妃殿下も感染し療養中として登城させなかったのではないでしょうか?」
「だから、クイン王女は感染症で亡くなったことにした?」
「たぶん。それに妃殿下も治療が長引いているといえば登城させられませんから」
バーランの呟きにユーリンが答えていた。
「それでもいつかは登城させなきゃいけないじゃん」
「それは王家が折れざるをえなかったのでしょう。それこそ妃殿下を人質にとられて」
ユーリンの答えに有り得そうとケラスオは顔をしかめた。
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