王太子 ー報告書ー
王家の影が纏めたマルシナ公爵家の報告書はロレンツオたちにとって何が飛び出してくるか分からないパンドラの箱だった。
「で、どうする?」
元々文字を読むのは苦手なケラスオは高く積み上げられた報告書にゲッソリとしていた。
王弟だったスイリルがマルシナ公爵になってから約二十年分ある報告書。四人ががりで数日かけても読みきれない。
「何を知りたいかで読む年を決めましょう」
ユーリンは報告書を数年ずつの小さな山に分けていく。でこぼこの山が五つ出来た。
「私はクイン王女が本当に病死だったのかが知りたいです。感染症の病気だったらしく亡くなられて直ぐに遺体は焼かれたそうです」
ユーリンは二つ目の山から該当する年の報告書を探していく。ティーティアが五歳の時に亡くなったクイン王女。マルシナ公爵夫人であり他国から嫁いできた王女でもあったのにも関わらずその葬儀は死因となった感染症のために屋敷でひっそりと行われたらしい。参列したいという声を無視して。
「すぐに遺体を焼かなければいけない病であったにも関わらず、その病にかかったのはクイン王女を含めたマルシナ公爵家の者数人のみ。おかしいと思いませんか?」
ユーリンの説明にロレンツオたちも眉を寄せる。そんな恐ろしい病なら多くの者が感染し、その話はロレンツオたちの記憶にも残っていそうだ。それにクイン王女はマルシナ公爵の屋敷から出ていない。感染症にかかるリスクが少ないのに流行ってもいない感染症にかかり亡くなっている。
「つまり見せられない遺体だった、ということか」
「ええ、骨の検死も断られたそうなので毒の可能性もあります」
バーランの言葉にユーリンが頷く。即効性の毒なら骨に成分が残っていないかもしれないが、長期間毒を摂取させられていたのなら骨にも成分が浸透している。
「俺、(マルシナ公爵の屋敷に)お茶会に行く前くらいから読んでもいいかな。ほんとに嘘だったか調べたいんだ」
バーランか三つ目の山に手を置く。サリアーチアの証言が本当に嘘なのか確かめたいのだろう。
「あー、俺、最近のから遡ってくわ。薄くて読みやすそうだし」
ケラスオは端の一番低い山に手を置いた。
ロレンツオはいつのを読むか悩んだ。最初から読むべきなのだろうがそんな時間はない。
そういえば…。
「私はティーティアが城に来た頃のを」
それは三つ目か四つ目の山にあるはずだ。
初めて登城した時のティーティアの姿はよく覚えている。とても令嬢とは思えない姿だった。一緒に来ていたサリアーチアと対照的だったから余計に。サリアーチアはティーティアが何もさせなかったと言っていたが、今思うとそれは嘘だったのだろう。どれだけティーティアが嫌がろうが城に来るのだ、無理矢理にでも相応しい格好にさせるはずだ。家の恥ともなるのだから。ロレンツオはそういうことさえも思い付かなくなっていた。
「意外ですね。ロンなら最初から読みそうなのに」
「ああ、ふと気になって。城に来る度に歩き方がおかしかった…。屋敷でマルシナ公爵から暴力を受けていたのかもしれない」
よく覚えてますね。ユーリンに驚いたように言われ、ロレンツオは苦笑する。最初の頃、親睦を深めるために馬車からのエスコートを命じられていた。ティーティアは隠そうとしていたが馬車から辛そうに降りてくる姿や歩く時に片足を引き摺っていたのを覚えている。嫌でも気が付かされた。早く部屋に送ってティーティアから離れたいのに早く歩かせられなくてイライラしていたから。
ペラリ、ペラリ、紙を捲る音だけが響く。
書いてある内容はどれも眉を顰めるものばかりだった。
ロレンツオは報告書から目を離し、息を吐いた。読むのかかなり辛い。他の者たちはどうだろうと顔を上げた。皆眉間に皺を寄せ、険しい顔をしている。
「休憩しようか」
ロレンツオの言葉にバーランは大きく息を吐き、ケラスオは首を鳴らし、ユーリンは目頭を押さえていた。
「これって、本物? 警邏隊の凶悪犯を纏めた報告書と負けていないんだけど」
むしろ勝ってる。と言ったのはケラスオ。
「………」
バーランは青い顔をして項垂れていた。
「恐らく感染症ではないと思います」
まだそこまで読めていませんので。と呟いたユーリン。
「……、治外法権があるとはいえここまで放置しているとは…」
ロレンツオは信じられないという思いが強い。醜聞になるが兵を使って何故捕らえなかったのか疑問に思う。
「踏み込めない何かを持っているのでしょう。屋敷は王都の中にあります」
例えば水源に毒を。マルシナ公爵の屋敷にある井戸に毒物を入れたのなら下流の井戸を使う者たちに甚大な被害が出る。
毒は水に混ぜるだけではない。種類によっては燃やした煙に効果があるものも存在する。
むろん毒だけではない。他にも恐ろしいやり方は色々ある。
「クイン王女と妃殿下を人質にもしていたようですが…、妃殿下が登城している時や学園に通われていた時に何もされていないということは、やはり踏み込めない何かがあの屋敷にあるのでしょう」
ユーリンの言葉にロレンツオは得も言わぬ恐怖を感じた。
ケラスオが、あ! と口を開いた。
「そういやー、燃やした煙を吸うと麻痺症状の出る木が植わってるって言ってたなー」
親父に口止めされてたけど今の今までほんとに忘れてたわ。
ケラスオはばつが悪そうにポリポリと頭を掻く。
「それは本当ですか?」
「あぁ、親父が慌てて陛下に謁見申し込んでたからな」
ケラスオの答えにユーリンは考えこんだ。
「……、麻痺だけでは弱いですね。やはり他の手段もあるのでしょう」
「けれど、ケラスオは何故その木に気が付いたのですか?」
ユーリンは不思議に思った。マルシナ公爵の屋敷は決められた場所しか行くことが出来なかった。だが、どこの屋敷にも植えられている木しか見たことがない。
「ぬいぐるみ! 俺が妃殿下が持ってたぬいぐるみを明後日の方向に投げた時があったじゃん! ぬいぐるみ探すのに俺、色んなとこ潜り込んで偶然ポケットに葉っぱが入り込んでたみたいなんだ。親父に何処で手に入れた! てすっげー剣幕で聞かれてさ」
ぬいぐるみの言葉にバーランの顔色が一層悪くなったことに気付く者はいなかった。
サリアーチアが泣きながらティーティアにお気に入りのぬいぐるみを盗られたと言ってきた。古いウサギのぬいぐるみでとてもとても大切にしていたらしい。サリアーチア付きの使用人たちもティーティアの行為に憤慨していた。
ロレンツオたちは当たり前の正義感でティーティアからぬいぐるみを取り返すことに決めた。ティーティアにサリアーチアのことは伏せてぬいぐるみを持っているなら見せて欲しいとティーティアに頼んだ。
それは本当に古いぬいぐるみだった。薄汚れていて片目はすでに無くなっていた。破れた部分もあり下手な継ぎ接ぎがしてあった。古いと言っても余りにもボロボロすぎてとてもサリアーチアの持ち物には見えなかった。
ロレンツオたちがサリアーチアに返すように言ったら、ティーティアは自分のだと、亡き母から貰ったものだと嘘をついて酷く嫌がった。
バーランが前から取ろうとしてティーティアが後ろに隠そうとした時にケラスオが奪い取った。ティーティアが奪い返そうとケラスオに向かってきたからロレンツオに投げようとしたが、手元が狂い木々の隙間を縫って木が生い茂る方へ飛んでいってしまった。
泣き叫びながらティーティアが探しに行こうとしたが使用人に羽交い締めにされて止められ屋敷の方に無理矢理連れていかれた。
ケラスオが走って探しに行ったが見つからず、取り戻せなかったことをサリアーチアは笑って許してくれたがロレンツオたちには後味の悪い思いをしていた。いつもなら違うと言って泣くだけのティーティアが必死になって取り返そうとしたことが何となく引っ掛かっていた。
お読みいただきありがとうございます
誤字脱字報告ありがとうございます
『顰める』と『潜める』、教えていただきありがとうございます。気を付けて活用していきたいと思います。