王太子 ー横領ー
ロレンツオの視界の隅でリーデル子爵夫人は激しく動揺していた。
「カサリン、それは間違いだ。王太子妃の予算は王太子妃が使うものだ」
ロレンツオの言葉にカサリンはキョトンとした顔をしたがすぐにクスクス笑いだした。
「ロン様がそうしてくださったのに」
クスクスとカサリンは可笑しそうに笑う。
「私のお金が無くなったから、王太子妃のお金を使えるようにしてくださったのでしょう」
ありがとうございます。と優雅にカサリンは頭を下げた。
「カ、カサリン!」
リーデル子爵夫人が悲痛な声で姪の名を呼ぶ。
「叔母様、叔母様がティーティア様にロン様からの許可をいただいていると仰ったのではないですか」
カサリンは真っ青になっているリーデル子爵夫人を見て、どうしましたの? と不思議そうにしている。
「叔母様が王太子殿下に冷遇されている妃より寵愛されている私が使うべきだとも仰ってくださって、意地悪なティーティア様が渋々ですけど了承したのですわ」
カサリンはリーデル子爵夫人に座るように勧めながら 笑顔で語る。リーデル子爵夫人は顔色をますます悪くしてガタガタと震えていた。それを娘が肩を貸して椅子に座らせようとしていた。
「冷遇している妃……」
ロレンツオは自嘲の笑みを浮かべて呟いた。確かに冷遇していた。だから、ティーティアは王太子妃でありながらリーデル子爵夫人にも侮られた。
「カサリン、私は許可していない」
ロレンツオが蒔いた種なら刈り取らなければならない。
「ロン様?」
カサリンが訝しそうにロレンツオを見上げてきた。
「私は、カサリンが、王太子妃の、予算を、使えるように、許可して、い・な・い」
ロレンツオは分かるように言葉を区切りゆっくりはっきりとカサリンに告げた。
「きょか、していない?」
カサリンが意味が分からないと言いたげにロレンツオを見てくる。ロレンツオは頷いた。そして言い聞かすようにゆっくりと口を開いた。
「ああ、そうだ。国から支給される金を違う目的で使うのは横領という犯罪になる。たとえ王族でも厳しい処罰が下される」
ロレンツオが王太子妃の予算をカサリンに使う許可を与えていたのなら、それなりの罰を受けることになる。金額や使用目的で病死として毒盃を飲む可能性もあった。
ガタンと音がして椅子に座ったリーデル子爵夫人が床に座り込んでいた。その顔はもはや土色になっている。
「おうりょう? はんざい? しょばつ?」
カサリンは大きく目を見開いて固まった。
「わたしが、おうたいしひに、なるはずだったから、つかえる、おかね、では、ないの?」
ロレンツオは首を横に振る。そんな都合のよいお金などない。
「側妃教育の最初に習うはずだ。王族に支給されるお金のことも間違った使い方をしたらどうなるかも」
ちゃんと学んでいたら知っていたはずだ。
「えっ、あれはしてはいけない、これはこうしなさい、それはそうしてはいけない、て色々言われて………、よく覚えて…………」
カサリンは首を小さく横に振って、そんなこと知らない、覚えていないと呟いた。
「ティーティアは何も言わなかったか?」
カサリンはロレンツオの名前を出して渋々了承した、と言っていた。なら、ティーティアは止めるように言ったはずだ。
「そ…それは……つみ…になる…と…、意地悪を…言っている…だけだと…思って……」
たどたどしくカサリンは言葉を紡ぐ。
「ロン様…が…本当に…許可…されたかも……疑って…いて…何度も…聞いて…きて…」
ロレンツオは何故かホッとした。ロレンツオの許可をティーティアが疑ったことに。
「お…かねも…少し…だけ…なら…て…、また…いじわる…だと…おもって…」
ティーティアは額も私用で使える分だけに、と言ったようだ。自分が庇える額ですむように。
そんなティーティアにロレンツオは何をした。ロレンツオは胸の痛みに今は耐えるしかなかった。
「けど……いっぱい…あるの…だから……つかっても…いいと……おもって…」
ロレンツオは首を横に振った。
「側妃教育で聞いたはずだ。予算には主催で行う行事の費用も入っていると。全額が私的に使えるものではない」
カサリンはそんなこと…とフルフルと首を横に振っている。
「今年、王太子妃の予算が多いのは私に嫁いで初めての年だからだ。次期王妃として国内外に披露するため、衣装も行事も立派なものにしなければならない、と予算も増額されている」
知らない、聞いていない、とカサリンは首を横に振っている。
「いえ、いいえ、ティーティア様が意地悪なのですわ。ダメならダメとはっきり断らなかったから。私を罪人にしたかったのですわ」
その場に崩れるように座り込むと両手で顔を覆いしくしくとカサリンは泣き出した。
ティーティアが意地悪だからこうなるように企てた、と。
「カサリン、ティーティアのせいではない」
ロレンツオの言葉にカサリンは違うと泣き続ける。
「カサリン、側妃教育をきちんと受けていなかった君の責であり、側妃教育を受けさせなかったリーデル子爵夫人の責だ」
ロレンツオははっきり告げた。今回の件にティーティアに責任はないと。側妃教育を受け理解していたら、こんなことは起こさなかっただろう。
「違います。ティーティア様が私を憎んでいるから。だから、叔母様も私も被害者です」
カサリンはティーティアが悪いと詰りながら泣く。
「そうです。ティーティア様が悪いのですわ」
リーデル子爵夫人もカサリンに便乗する。少しでも罪が軽くなるように。
「先程のカサリンの話では、リーデル子爵夫人、貴女が渋るティーティアを脅したようにとれたのだが?」
「ち、違います。ティーティア様にそう言うよう誘導されたのです!」
リーデル子爵夫人は髪を振り乱し必死の表情で訴えてくるが次の瞬間目を大きく見開いて固まった。
「では、真偽の水晶を手にしてそれを証言してもらおう」
ロレンツオはティーティアの侍女頭を思い出していた。バーランの言葉に国王の前でも同じ答えを言えると即答していた。リーデル子爵夫人にはその覚悟はなかったようだ。
「で、出来ますわ。私、出来ますから真偽の水晶を持ってきてください」
カサリンはまだ涙を流しながらも顔をあげて、ロレンツオに真偽の水晶を持ってきてほしいと訴えていた。ティーティアが悪いのだと証言できるから、と。
「カサリン、何故、側妃教育を受けていなかった?」
ロレンツオは静かに問いかけた。
カサリンは違うことを聞かれて戸惑っていた。
「えっ。私はティーティア様が悪いと真偽の水晶に誓えると言ったのよ?」
「側妃教育を受け理解していたら、何故ティーティアが罪になると言ったのか、私が許可したという言葉を疑ったのか分かったはずだ」
「えっ、わたし……」
ロレンツオの言葉の意味が分からず、カサリンは救いを求めて視線を彷徨わせていた。バーラン、ケラスオ、ユーリンと視線を合わせようとするが哀れみの籠った目で見つめ返されるだけ。誰も助けようと動き出さない。
「私が王太子妃の予算を使えるように許可したということは、私がカサリンの横領を認め黙認した、いや、私がカサリンに横領を唆した、ととることも出来る…」
ロレンツオの言いたいことが分かったのか、リーデル子爵夫人がそんなつもりは…と呟いていた。
カサリンはリーデル子爵夫人の呟きの意味も分からず首を傾げていた。
「横領は王族でも厳しい処罰が下る」
涙に濡れたミルクティー色の瞳が揺れる。何を言いたいのか分からないと。
「カサリンは、私を罪人にしたかったのかい?」
カサリンは声にならない悲鳴をあげた。
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