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王太子 ー出会いー

 結局ロレンツオはその日カサリンに会いに行くことが出来なかった。

 大人しく貴族牢に入ればよいのにまた暴れたマルシナ公爵のせいで色々なことが進まず、今日中に終わらせなければならない仕事を夜遅くまで片付けなければならなかった。


 そのマルシナ公爵は貴族牢で泣き続ける娘を抱き締めながら一晩中暴言を吐き続けていた。

 娘のサリアーチアもただ泣き続けていたのならよかったが、あれが欲しい、これも欲しいと牢番を呼びつけあれこれ無茶な注文を言い叶わないと父親に泣き縋っていた。

 おかげで昨晩の貴族牢の当番だった者たちは疲れきった表情で帰路についたという。



 ロレンツオは執務室に行く前にティーティアのところに寄った。今日は長い髪を一つに纏めて右側に流してあった。


「君は私を憎んでいるか?」


 ロレンツオはその白い頬に手を伸ばして躊躇する。自分がティーティアに触れていいのか分からない。


「すまなかった」


 思わず呟いてしまった言葉に苦笑する。何に対してすまないのか、心当たりが多すぎて笑うしかない。謝って終わることではないのも分かっている。


「また来る」


 ロレンツオは踵を返すと部屋をあとにした。



 七歳のロレンツオは馬車に揺られながらウキウキしていた。生まれる前からの婚約者にやっと会える。何度も何度も王家から催促して、ようやくマルシナ公爵家で顔合わせのお茶会が開かれることになった。姿絵もなくどんな子か分からない。マルシナ公爵家の屋敷から一回も出たことがない子だと聞いている。母親も亡くして一人大きな屋敷で暮らしている可哀想な子とも。

 ロレンツオが最近読んだのは、幼い頃に拐われ悪者の屋敷に閉じ込められて育ったお姫様の話だった。悪者に質素な衣服と食べ物、そして意地悪をされて育ったのに明るく元気で心優しいお姫様。悪者を倒すために現れた勇者に助けられ幸せになる。挿し絵のお姫様はとても可愛らしい女の子だった。屋敷から出たことのない婚約者もきっとお姫様のような子なんだろう。

 ロレンツオが会った婚約者は物語のお姫様と正反対の女の子だった。手入れをしていないのか艶のない髪、痩せた体、暗い表情、体に合っていない黒っぽいドレス。使用人からも距離を置かれて嫌われているような感じだった。ロレンツオが話しかけても婚約者は分かりませんと答えるだけで話が続かない。

 ロレンツオは面白くなかった。だから、婚約者と話さず一緒に来ていた幼馴染と彼らしか分からない話をしていた。婚約者は蜂蜜色の瞳を不思議そうな光を宿しながらもキラキラ宝石のように輝かせながらロレンツオたちの話を聞いていた。それはとても綺麗でロレンツオはいつまでもそれを見ていたかった。そのキラキラした瞳に自分を映して欲しいと思った。

 けれど何回目かのお茶会でロレンツオは本物のお姫様に会った。茂みの奥で隠れるように泣いていた女の子。白い肌にふっくらとした薄紅色の頬、大きな目からは涙がポロポロ零れ、まるで物語の一場面のようだった。悪者に閉じ込められ助けを求めて泣いているお姫様の挿し絵にそっくりだった。

 話を聞くと女の子の異母妹だった。女の子に苛められていると言う。

 ロレンツオは納得した。屋敷に閉じ込められていたお姫様はこっちだったんだと。婚約者は物語に出てくる悪者の役だったんだ。痩せていて、表情が暗くて、いつも黒っぽいドレスを着て。勇者に倒された悪者の魔女も枯れ枝のように痩せていて黒い服を着ていた。

 ロレンツオたちは何回も婚約者にお姫様を苛めないように言った。けれど、会う度にお姫様は苛められたと泣いていた。

 婚約者の方もロレンツオたちの話を聞いても目をキラキラさせなくなっていった。輝いていた蜂蜜色の瞳は暗く陰っていく。ロレンツオはそれを見るのが嫌だった。お姫様を苛めなかったら、面白い話を一杯してやるのに。ここから連れ出して楽しい場所にもいってやるのに。とロレンツオはいつも思っていた。

 ロレンツオは女の子と会うのが憂鬱になっていった。けれど、毎月二回、ロレンツオと幼馴染だけでマルシナ公爵家に行かなければならない。ロレンツオの両親は女の子もお茶会に参加させたかったが、マルシナ公爵が許さなかったらしい。

 ロレンツオはお姫様を助けたくて両親に話したが、悲しそうな顔をされただけだった。婚約者が何故ロレンツオたちの話が分からないのか、何故体に合わない服を着ているのか考えなさいと言われた。そんなの悪者だから、とロレンツオは思った。悪者だから正しい者の言葉は分からず、悪者だから黒い服を着ているのだと。

 お茶会の話をする度に両親のため息は増えていき、マルシナ公爵家に行くことがなくなった。

 婚約者に会えなくなったことにロレンツオはホッとした。あの蜂蜜色の瞳に光が無くなっていくのをもう見たくなかった。

 それから婚約者とは数年会わなかった。時々会うお姫様の話では婚約者は悪い子だから屋敷から出してもらえないらしい。お姫様は相変わらず婚約者に苛められたと泣いていて、ロレンツオは変わらない婚約者が大嫌いになっていた。

 ロレンツオが次に婚約者にあったのは十二歳、婚約者が王太子妃教育で城に通うようになったからだった。もっと早くから王太子妃教育に入りたかったらしいが、婚約者が悪い子だからマルシナ公爵が中々許可しなかったらしい。

 久しぶりに会った婚約者は相変わらずどころか酷くなっていた。伸び放題の髪、痩せた体、暗い表情、合っていないドレス、おまけにマナーもなっていなかった。お姫様の話だと屋敷に招いた講師たちから逃げ回り勉強を一切していないらしかった。

 一流の講師たちのおかげか婚約者の所作は瞬く間に美しくなっていった。学問の方も順調に修得しているらしい。報告を聞く度にロレンツオは嫌になる。やれば出来るのにやらなかった婚約者に。

 婚約者は社交界にも出てくるようになった。ロレンツオは仕方がないから入場のエスコートだけはした。帰りは婚約者が早く帰らなければならなくなるため送る必要はなかった。会場に入れば別行動をしていたが、婚約者は問題を起こしてばかりだった。お姫様やその友達にわざとぶつかったり、ドレスにお茶やジュースをかけたり。父親のマルシナ公爵が参加している時に婚約者がそれをすると罵倒され酷いときには叩かれている。マルシナ公爵の行為には眉を潜めながらも自業自得だとロレンツオは薄ら笑いを浮かべて婚約者を見ていた。

 ロレンツオは会場に着くと婚約者の方は騒ぎが起こるまで見ないようにしていた。婚約者が端に貼り付くように立っていて、飲食物を一切受け取っていないのに『それ』が起こっていることに気づくことはなかった。

 ロレンツオは必要なこと以外は婚約者と関わらなかった。時折、妹のアルシナと弟のシィスツサと中庭でお茶を楽しんでいるのを見ることがあった。あの蜂蜜色の瞳に優しい光を宿し、二人に接している婚約者にイライラした。自分のことは暗い光のない瞳で見てくるのに。

 十六歳になり、ロレンツオと婚約者も王立の学園に入学した。そこでロレンツオは運命の出会いをした。

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