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王太子 ーマルシナ公爵令嬢ー

「王妃殿下、マルシナ公爵令嬢様が扉の前に来ております」

「説明をしてさしあげて。私の従者からは何もありません」


 扉を守る衛兵からの報告に王妃ニコラは冷めた目を扉にむけながら指示を出している。

 ロレンツオたちは思いもしない来訪者に声を失った。


『申し訳ございませんが、お急ぎでしたら王妃殿下の許可をお取りになられてから今一度御越しください』

『お姉様に会うのに何故王妃様の許可がいるのですか?』

『陛下のご命令です。従っていただかねば拘束させていただくことになります』


 衛兵とサリアーチアの押し問答が聞こえる。


『お姉様の召喚状もありますのよ』

『本物でしょうか? 中身を改めても?』

『不敬な! 公爵令嬢の私を疑いますの。今朝届きましたわ』


「あとで虐められたと騒ぐのなら会いに来なければよろしいのに」


 王妃ニコラが今日何回目かの呆れた息を吐く。

 ロレンツオも同じ思いだ。それに衛兵に止められたと大義名分があるのだから、召喚状があろうとも無理に会う必要もない。そもそもサリアーチアにはティーティアからの召喚には従わなくていいとバーランから伝えてある。それなのに何故来たのか。


『ですが、やはり王妃殿下の許可をいただかないと』

『バーラン様からロレンツオ殿下に許可をいただいておりますわ』


「簡単に使われるなどと、軽い名前ですこと」


 サリアーチアの言葉にギョッとしたロレンツオは今度は王妃ニコラにそう言われ顔を下げて身を小さくした。そんな許可など出した覚えはないがどうしてもと頼まれたら同行を条件に許可したかもしれない。

 バーランは顔色を無くして扉を凝視していた。

 王妃ニコラは視線を扉近くにいる侍女に目配せすると、侍女は扉を大きく開けた。


「失礼いたしますわ」


 衛兵に声をかけて、侍女を連れた可愛らしい容貌をした小柄の女性が入ってくる。侍女は我が物顔で部屋の中を移動しようとして足を止めた。

 パタンと扉が完全に閉まったのを確認してから、女性が勝ち誇った顔をして歩き出そうと一歩踏み出した。


「お姉様も往生際が悪いですわ。素直に最初から…」


 ニシャと嗤った顔が引き攣っていく。


「マルシナ公爵令嬢、私の元に使者は来ていないようですが、誰が許可を?」


 王妃ニコラは立ちあがり闖入者をニッコリ笑って出迎えた。王妃ニコラの側には侍女が立ち、ロレンツオたちをサリアーチアから見えにくくしている。


「それにこの部屋の者は誰一人としてあなたに入室を促しておりませんのに、さも当然のように入室なさったのは?」


 金色の髪に黄緑色の瞳の女性はスッと表情を取り繕うと綺麗なカーテシーを見せた。


「ご機嫌麗しゅう、王妃殿下」

「発言を許します。質問に答えなさい」


 王妃ニコラの言葉にビクリと体を震わせるが女性ーサリアーチアは答えようとしない。


「それに一ヶ月以上も前にマルシナ公爵家には王太子妃との接見を禁じる命を出しております。聞いていないのですか?」


 ロレンツオと顔色の悪いバーランは顔を見合わせた。そんな話は聞いていない。お茶会の時もティーティアから呼び出され嫌がらせを受けたとサリアーチアが言っていたのに。


「王太子妃からの呼び出しがあろうがマルシナ公爵家の者は応じる必要はありません。応じることは命を破ることになります」

「そんな、たった二人の姉妹なのに…」

「あら、あなたはいつから陛下より偉くなりましたの? その命をお出しになられたのは国王陛下ですのに。姉妹だから破ってよいと?」


 頭を下げたままなのでサリアーチアの顔は見えない。その小さな体は小刻みに震えている。


「……、バーラン様にお願いしてロレンツオ殿下に許可を…」

「あら、あの者たちが? 随分お偉くなりましたのね。あの者たちの許可があれば陛下の命など破ってよいと?」

「えっ、決してそのような……、おねえさま、お姉様が召喚状を送って来て…、応じなければと…」

「そう、今度は王太子妃の責にしますの?」


 王妃ニコラは大袈裟に息を吐いた。

 ロレンツオたちもコロコロ変わるサリアーチアの言い分に唖然としていた。


「王太子妃には城に居を移した時に生家とは関わらぬよう言いつけてあります。召喚状を見せなさい」


 これもロレンツオたちは初耳だった。ティーティアが王妃ニコラの命を破るとは考えられない。では、ティーティアが王太子妃の権力を使ってサリアーチアを呼び出していたというのは……。


「……、それは……」

「扉の前で衛兵に見せていたでしょう。それとも見せられない、とでも?」


 サリアーチアは体を震わせているだけで何も答えない。


「知っていますか? 五日前から、王太子は緑、王太子妃は若草色の封筒と便箋を使っておりますのよ。衛兵に何色であったか確認しましょう」

「お姉様が間違えて…」

「そう…。あくまでそう申すのですか…」


 バチン、と王妃ニコラが手に持っていた扇で自分の手を叩いた。

 その音にロレンツオたちの体もビクッと震えてしまう。


「そこの者、部屋の者に断りもなく何をしようとしていたのですか?」


 王妃ニコラはサリアーチアが連れてきたマルシナ公爵家の侍女に声をかけた。

 マルシナ公爵家の侍女は王妃ニコラとサリアーチアで視線を彷徨わせている。

 サリアーチアが少し顔をあげて、自分の侍女を睨み付けていた。


「言いなさい」

「王太子妃殿下が新しい宝石を手に入れられたので拝見させていただく予定で……」


 マルシナ公爵家の侍女がガクガクと体を震わせた。

 ロレンツオたちはさっき見た宝石箱にそんな宝石はなかったのを覚えている。それに仲のよい姉妹なら見せ合うのも分かるがこの場合そうではない。


「それで?」

「い、衣装部屋から宝石箱を出しに………」

「それは王太子妃付きの者がすることです。部外者のマルシナ公爵家の者が行うことではありません。ましてや勝手に行おうとするなどと。主共々教育がなっていないようですね」


 王妃ニコラの射すような視線がサリアーチアに戻る。


「おいおい、何故そんな主の恥となることをしていたのか聞きましょう。衣装部屋からの紛失物の行方と共に」


 真っ青になったマルシナ公爵家の侍女はヘナヘナとその場に座り込んでしまった。


「マルシナ公爵令嬢、バーランからあなたは王太子妃に酷く苛められて、虐げられていると聞いていたのですが?」


 宝石を見せるほど仲がよいのですか?


「そ、そうなのです…。お姉様、姉は私が側室の娘だからといつもいつも……。今日も自慢され蔑まれるおつもりで…」


 泣き出しそうな声でサリアーチアは答えていた。


「あら、この部屋に勝手に入って来られた時は堂々としていらして、とても苛められに来られたように見えませんでしたわ」

「そ、それは…」

「それに″往生際が悪い″、″素直に最初から″ですか? まるで苛めている者が使う言葉のようではないですか」

「……、お姉様と仲良くなりたくて…。バーラン様も応援して下さって」

「そう、私がバーランに頼まれるのは、王太子妃がマルシナ公爵令嬢を苛めているので会わせないようにしてほしい、ですわ。バーランを呼びましょう」


 チラリと王妃ニコラは従者の方を見るふりをして、動こうとしていた顔色の悪いバーランを目で制した。


「い、いえ! バーラン様もお忙しいですから」


 頭を下げたままサリアーチアは頭を振る。仕事の邪魔は出来ない、と。


「そう。王太子妃の仕事は邪魔をしてもよいと」

「いいえ、そんなことは!」

「本来なら執務で王太子妃はこの部屋にいない時間です。そんな時間に来るようにと召喚状を送るなどとありえません」


 バチン、と扇が鳴る。


「それで答えは? ほとんどお答えになられていませんわ」


 体を震わせたまま答えないサリアーチアに王妃ニコラはため息を吐いた。


「そうそう、この機会に伝えておきます。バーランからあなたとの婚約を認めるように申請が出ておりますが、王家とニハマータ公爵は認めることはありません。それでも、と申すのなら子が出来ぬようにして二人で平民となりなさい」

「な、何故ですか?」


 サリアーチアが悲痛で歪んだ顔を上げた。ガタっと王妃ニコラの後ろで音がした。


「国を二度も危機に追い込んだ両親を持つ者を迎え入れるところはありません。両親と違う人間ならともかく同種の者なら尚更」

「そ、それはお姉様も同じ…」


 父親は同じなのに何故ティーティアだけロレンツオに嫁げたのか。

 サリアーチアはそう言いたかった。


「ええ、そうですわ。ラハメムト国との同盟を揺るがす存在です。だから、ティーティアはどれだけ不幸になろうが王太子妃にならなければならなかったのです」

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