第三十八話 七条だから
俺は和田と別れた後、来見から保健室にいると連絡を受けたため、すぐに保健室に向かった。
「お、早見」
来見がわざとらしくそう言い、俺を保健室の中に招き入れた。
保健室に入ると、一番手前のベッドに七条が足を伸ばして座っているのが見えた。
「早見くん……」
「ごめん。電話出れなくて」
「いや、大丈夫」
そこまで怒っていない様子で、少し安心した。
「怪我、大丈夫か?」
「うん」
「それならよかった」
「まあ、リレーは走れないし、歩けないことは無いけど……って感じかな」
「そうか……」
軽い捻挫のようなものだろうか。それならいいか……
「一応、病院行こうかなとは思ってるけど」
「その方がいいな」
「一緒に、来てくれる……?」
「え……? あ、別に、いいけど」
「ありがとう。早見くん」
一緒に行くなら兄である暁人さんの方がいいと思うが……わざわざ俺を指名するということは何かあるのか……?
まあ、今回も俺がいなかったという事実へのせめてもの罪滅ぼしになればいいか。
「じゃあ早見、七条、俺はそろそろ戻る」
「あ、はい」
「ありがとうございました」
気を使ってくれたのか、単に時間が迫ってきていたのかどっちなのかわからないが、来見はそう言って保健室を後にした。保健室の先生と呼ばれる教師も、今は外の救護室に出てしまったようで、今の保健室は俺と七条の二人きりとなってしまった。
「……やっぱり、肝心な時にはいないんだね。早見くんは」
「すまない。こっちもちょっと立て込んでて」
「立て込んでる?」
「まあ、色々あってな」
「そっか……」
変に疑わせた方がいいかもしれないと思い、少し何かがあったことを匂わせた発言をしておく。
「早見くんは行かなくていいの?」
「ん?」
「リレーのメンバー変更の話し合い」
「あれって、女子だけじゃないのか?」
「そうなの?」
「いや、わかんないけど……少なくとも、俺は呼ばれてない」
「そうなんだ……」
俺がいてもいなくても、メンバー決めなんてできてしまうだろうから、別にいいだろ。
「何で、いつも早見くんは肝心な時にいないの?」
さっきから質問攻めだな。と思うと共に、俺もそれは考えたことがある内容だったと思い出す。
「そういう時を狙ってきてるんだよ。一人になった時、女だけの時、って」
「やっぱり、そうなんだ……」
「あくまでも憶測だけど、それ以外に理由は無いと思う」
だからといって、俺がピッタリ着いていればいいという問題ではないし、それは不可能だ。そのために市川を接触させたが、それでもまだ市川が本気を出せる状態じゃない。
「早見くん、今、他に誰もいないよね?」
「え? あ、うん。いないけど……」
「じゃあ、ちょっと、こっち来て」
七条はそう言って、俺をベッドのそばに誘導する。
「どうした?」
すると、七条は急に抱きついてきて、俺の腹のあたりに顔をうずめた。
「七条……?」
「……怖い」
「怖い……?」
「何で私だけ、こんな目に……」
「別に、七条だけじゃない」
今はそう思えても、こんなことはあちこちで行われている。実際、七条は目の前で莉緒が殴られているのを見たはずだ。確かに、これはやられすぎだと思うが……これも和田のせいだ。
「音葉だって、私と一緒にいるから危ない目に遭って……」
それは違う。でも、そうとは言えない。だけど、七条のせいではないことは確かだ。
「七条のせいじゃない」
「早見くんは、優しいからそう言ってくれるけど……」
「別に俺は優しくなんかない」
「十分優しいよ」
「それは七条だからなのかもな」
「え……?」
狙われやすく、対抗できる力もないのに、重要なカギを握る人物だということ。ついでに姉さんの相方の妹ということもあって、そんな七条だから気に掛けるのだと思う。
「それって、どういう意味?」
「どうだろうな。俺もわからない」
あくまでも憶測でしかない。今の俺の感情の中には、今まで感じたことがない感情も多くある。だから、それが何なのかがわからない。でも、それを除いてもいいくらい大部分を占めているのは七条の立ち位置を考えてのことだ。やはり、それが事実なのだろうか。
「早見……くん……?」
俺は無意識のうちに、七条のことを抱きしめ返していた。
「でも、俺がいるから大丈夫だ。必ず、近いうちに手を打つ。それまで、少しだけ頑張ってほしい」
「……わかった。何かあっても、絶対守ってね。約束通り」
「必ず助けに行く。これ以上、七条に嫌な思いはさせない」
本当は内通者の存在を明かしてしまおうかと考えたが、そんな裏切るような人がクラスにいたことを知ったら、ただでさえ人間不信だった七条がまた人間不信に陥ってしまうかもしれないと思った。
仮にそうなったら、七条は一気にボロボロになってしまい、脱落だってあり得る。それだけは絶対に避けたい。
無傷で守るという確実な約束はできないが、絶対に助けに行くくらいなら約束はできる。
いわゆる『命の恩人ポジ』的なところに入って、まだ俺だけでも信じてくれれば、いつか裏切り者がバレたとしてもそれでいい。
お互いに抱きしめ合う時間は誰かの足音によって一瞬で終わって切り替わり、七条の顔には不安よりも安心が見えたような気がした。
「優里愛、大丈夫?」
「音葉、わざわざ来てくれたの?」
「うん。まあ……」
「リレー、大丈夫? 時間とか……」
「だから、すぐ行く」
「そっか。ありがと、音葉」
「全然」
市川は軽く七条と話しながら、保健室に入って来た。
「市川、話し合いは終わったのか?」
「うん」
「誰が代わりに……?」
「萩野さん。えっと……100で走ってた子。成績は……そこそこって感じだけど、他に走れる人いないから」
「そっか……」
無事に代役が決まったようでよかった。
「優里愛も大丈夫そうだし、私そろそろ行くね」
「うん。頑張って、音葉」
「ありがとう」
そして、市川は保健室を出て行こうとしたが、出る手前でなぜか立ち止まって振り返る。
「早見くんはどうする?」
「どうする……って?」
「外、見に来る? それとも、配信で優里愛と見る?」
「どうしようか……」
今は保健室の先生もいないし、ああ言ったばかりなのに七条を一人にはしておけない。
「配信で見るよ」
「……そっか」
なんだか、見てほしそうな雰囲気を感じる。だが、こればかりはしょうがないし、市川もそれはわかっているだろう。
「閉会式は行くから、またその時に」
「わかった。じゃあ、頑張ってくる」
「うん」
今度こそ、市川はグラウンドの方に向かった。
「……ありがとう、早見くん。私のために」
「いや、いいんだ。今は、七条のことが心配だから」
「早見くん……」
俺たちは、なぜかしばらく見つめ合った後、スマホから競技の配信ページを開き、二人でベッドの上に腰かけて、最終競技を見守った。