第三十七話 襲来、《ノアの箱舟》
都長マドールとの交渉の翌日、アルマは冒険者ギルドに出向いていた。
特に用事があったわけではない。
ただ、マドールと会い、約束の二億アバルを受け取るのが午後からであったため、朝は暇だったのだ。
散歩がてらの情報収集であった。
「よう、シーラ、先日はどうも。お前が逆上してくれたお陰で、話を進めやすかった」
「……アルマ様、今日は、どういった要件で?」
受付嬢のシーラが引き攣った顔で、握り拳を固めながら答える。
怒りを堪えているのは明らかだった。
「いや、何か変わった依頼はないかなと。
「大商人にとってはそうでしょうね。……ただ、一般冒険者の方は、これまで通りの自分の生活を守るのにせいいっぱいだと思いますよ。騒動の中心にいた貴方は、その限りではないのでしょうが」
やや棘のある言葉でシーラは返す。
「まぁ、そういうものか。少数だけが大儲けして、大多数が損する流れだよな。そこで物を言うのは、元手の金か。やっぱりマドール相手にごねて、もうちょっと金をもらっておくべきだったか」
アルマが顎を押さえてぼやく。
「その件でピリピリしている方も多いですから、あまりギルドでそういったことを口にしない方がいいですよ」
シーラの言葉に、アルマは周囲へ目を向ける。
冒険者達はアルマの背を睨み、小声で何かを言い合っていた。
あまりよくない噂らしいということは察しがついた。
余所者が冒険者として成り上がれる大チャンスを、横から掠めて独占していったのだ。
強引にランクを上げに掛かっていたことはほぼ周知の事実であるため、アルマの元々の評判も悪い。
その後、シーラやギルド長メイザス相手に、屁理屈で突っかかって弁舌と勢いで彼らを黙らせていた様子も、他の冒険者達に見られている。
遺跡に先行した調査隊を助けたことも、既に悪評の前に霞んでいた。
そもそも彼らを強引にこき使っていたことも暴露されており、悪い噂は面白半分、嫉妬半分で尾鰭を生やし、冒険者ギルドに限らず都市パシティア全土を駆け回っていた。
これで嫌われない方がむしろおかしい状況である。
「まあ、うん、悪かったな。俺も手っ取り早く金が欲しいんだ。でも俺がいたから遺跡騒動に噛めなかったんじゃなくて、元々縁がなかった奴が大半だと思うから、俺を恨むのはお門違いだぞ」
ギルド内に冷たい空気が走った。
「あっ、貴方は、人を小馬鹿にしないと息ができないんですか!」
シーラが唾を飛ばしてアルマへと叫ぶ。
「間違ったことは言ってないだろ。元々、遺跡に行くつもりだった奴だって、お互い頑張って競り合った結果なんだから恨みっこなしだろ。でもまあ、気持ち的に思うところがあるのはわかる。わかるが、明らかに無縁だった奴にまで陰口叩かれると、俺だってちょっとくらい言い返したくなる。さすがに関係ないだろ」
「仮にそうだったとして、別に正しいことを言うのが常に正しいとは限りませんからね!」
シーラの説教を受けるアルマの背へと、一人の冒険者が近づいていった。
禿げ頭の冒険者、ボルドである。こうしてアルマにギルドで突っかかって来るのも、もう三度目のことであった。
「ア、アルマ、テメェ! 言わせておけば、好き勝手……! 聞いたぜお前、遺跡で採掘部隊を脅迫して現場の指揮を牛耳って、それをタネにごねて都長のところまで押し掛けたってなぁ! 恥ずかしくねぇのか冒険者として、いや、人として!」
鼻息を荒くしている。
ボルドも今回のアイテムの物価変動で、大損をした被害者の一人でもあった。
抱えていたアイテムの一部が暴落したのである。
前々からアルマに対して敵意を抱いていたこともあり、今回の騒動には大分頭に来ているようだった。
「なんか言ってみたらどうだ、おい! アルマァ! どうなんだ!」
「はぁ……ボルド、お前な……」
アルマは頭を押さえ、呆れ果てたように深く溜め息を吐く。
それから思案するように額を押さえ、首を捻った。
「……あれ、それについては弁解のしようがなくないか?」
アルマがぼそっと呟いた。
純粋な本音であった。
直前までボルドに綺麗に言い返してやろうと考えていたのだが、咄嗟に出てくる言葉が何もなかった。
対面していたボルドも逆に虚を突かれ、茫然と口を開けていた。
『ようやく気付いたか馬鹿め』
クリスが呆れたようにそう零す。
様子を見守っていた他の冒険者達が、顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。
「馬鹿にしてるのかテメェ!」
「表に出ろアルマ!」
発端は確かにボルド達の嫉妬心から来るものだった。
ただ、その嫉妬心を肯定し得てしまうほどに、アルマに落ち度が多すぎた。
ちょっとでも交渉を有利に進めたかったのでできることをやったまでだというのがアルマの本音だが、正当性ではなくモラルを指摘されれば答える術がない。
金銭優先でモラルを欠いていたのはアルマ本人も自覚していたことだったので、黙って受け流すか、とっとと逃げるかするべきだったのだ。
調子づいて真正面から受けたのが間違いであった。
アルマも都長と約束した二億アバルを前に、無駄に気が大きくなっていた。
「せこせこ動き回ることにばっか長けてるらしいが、実力は怪しいもんだ! ぶっ飛ばしてやる!」
「そうだそうだ! ひょろっちい身体しやがって! お前はあの
ブーイングの嵐の中、そっとギルドから去ろうとする人影があった。
羽根帽子の長身の男は、A級冒険者のキュロスである。
彼に気づいたボルドが駆け寄り、キュロスの進路を遮った。
「キュロスさん! いらっしゃったんですね! キュロスさんも、アルマに何か言ってやってください!」
他の冒険者達もキュロスに気づき始め、期待に満ちた声で彼の名を呼ぶ。
皆、アルマは憎いが、離れたところから石を投げるのがせいぜいであり、近づいて何かをする勇気はなかった。
故に、口だけでなくアルマと正面からぶつかれる人物を望んでいたのだ。
ただ、当のキュロスはびくっと肩を震わせ、沈黙を保っていた。
当然である。キュロスは遺跡の中でメイリーに完敗し、アルマに命を助けられている。
好き嫌いでいえば間違いなく嫌悪に振り切れている。
しかし、もう、アルマに突っかかれるわけがなかった。
キュロスが乗るわけがない。
アルマもそのことはわかっていたため、僅かに口許を綻ばせた。
「わ、私は、その、急用が……」
「キュロスさん、どうしたんですか! 言ってやってください! 昨日も、あいつは冒険者を奴隷のようにこき使っていただとか、竜人の娘の方は多少は戦えるけど、本人は歩くことを覚えたばかりのもやしだとか、散々言っていたではありませんか!」
横から飛んできた冒険者の言葉に、キュロスの顔が真っ青になった。
アルマも、随分と詳細に触れた噂も出回っているとは疑っていた。
その謎が明らかになった。
「そんなこと私は知らない! 知らないぞ! 言っていない!」
「おいクソキュロス、ちょっとこっち来い!」
アルマが怒鳴り声を上げる。
キュロスは詰め寄ってくる冒険者の胸部を手のひらで押し、人混みの合間を抜けて颯爽とギルドの外へと逃げて行った。
A級冒険者としての身のこなしは伊達ではない。
開かれたままの扉が、キィキィと音を立てる。
しばしの沈黙の後、何事もなかったかのように、冒険者達はアルマへと詰め寄ってくる。
「お前だけは許されないからな! 卑劣な真似ばかり、し腐りやがって!」
「ちょっと待て! あの逃げた、羽根帽子の馬鹿を捕まえてこい! 俺の悪評撒いてたのアイツだろ! アイツっ、俺、助けてやったのに! おい、まずはアイツと話させろ!」
アルマと冒険者が言い争っている間、メイリーは大きな欠伸をし、手のひらで口を塞いでいた。
「ねぇ主様、ボク、宿に帰ってていい?」
そのとき、キュロスの開けた扉から、一人の男が飛び込んできた。
「大変だ! そっ、空に、空に、とんでもなくでけぇ船が!」
男の言葉を聞き、ギルド内の空気が一変した。
「天空艇……? 他の都市が送って来たのか? そんなの持ってるなんて、聞いたことがなかったが」
「まさか、他大陸の?」
「黒い船だ! 空賊団……《ノアの箱舟》だ!」
その名前が出た途端、ギルド内で悲鳴が飛び交った。