第八話 完全決着
「嫌だ……嫌だ! 殺さないでくれ、殺さないでくれぇ! 私はっ、私はまだ何も成し遂げていないのににに、死にたくない、死にたくない!」
ネクロスが水を腕で掻き分け、必死にアルマから離れる。
アルマはそれを冷めた目で眺めていた。
ネクロスの腕が潰れ、水面に突っ伏す。
必死に壁伝いに身体を起こし、怯えた目でアルマを振り返る。
「ひっ、ひぃっ!」
「アンデッドになった時点で、とっくにお前はもう、人として死んでるだろうが。その身体もじきに潰れるだろうに、そんなに残り少ない寿命が大事かよ」
アルマはネクロスの貧相な姿から目を逸らす。
「お母さん……?」
ミーアは部屋端の鉄格子に手を掛け、中へと声を掛けていた。
アルマはミーアへと駆け寄る。
「おいっ、ゾンビがいるんだ! あまり近づくな、危ないぞ」
「あぁ、あア、あああアァぁっ!」
そのとき、鉄格子へと一体のゾンビが飛び掛かっていく。
ミーアはそれに驚き、水面の中へ尻餅を突いた。
「何があるかわからん。あまり俺達から離れるな」
それから鉄格子に張り付くゾンビへと目を向ける。
肌は緑に腐食し、肉はところどころ削げている。
だが、じっと見ていると、それが初老の女性らしいことがわかった。
「……アァァ、アア、ミー、ア……?」
ゾンビがミーアへと顔を向け、そう口にした。
ミーアは茫然としたようにゾンビを見上げていたが、ゆっくりと立ち上がった。
「ミーア……母親か?」
「……大丈夫です。ゾンビはもう、見慣れました。それに、私……覚悟、してました。覚悟、してましたから」
自分に言い聞かせるようにミーアは口にする。
ミーアはゾンビが襲い掛かってこない様子を見て、手を伸ばそうとした。
アルマはその手を掴み、制した。
「危険だ、止めておけ。また暴れないとも限らない」
「そう……ですね」
ミーアは何か言いたげだったが、言葉を呑みこみ、アルマに従った。
それから母親へと目を向ける。
「お母さん……今まで、育ててくれて、ありがとう。私……きっと、ここを離れることになると思います。お母さんのことも、ここの村のことも、絶対に忘れません。だけど……辛いことが多すぎたから、一度離れたら、しばらくは来られないかもしれません。ここまで来るのには、護衛の人も必要ですから。でも、折り合いがついたら、村の皆とお母さんを、必ずまたお参りに来ます……」
鉄格子越しに、ミーアは母親へとそう声を掛け、そのまま手で顔を覆って泣き崩れた。
母親は鉄格子に手を掛け、無機質な目で、じっとミーアを見つめている。
『なぁ、アルマよ。この村は、どうするのだ? 全員殺すのか? その……墓は、作ってやるのか? お前ならば、奴らを葬ってやるのも、墓石を用意するのも容易であろう。』
クリスがアルマへと声を掛ける。
「は……? なんでだ?」
アルマが眉間に皴を寄せる。
『なんでだ、はなかろうが! 貴様、そんな冷たい奴であったのか! ちょっとでも貴様を認めてやった、この我が間違いであったわ! よくぞそんな無神経なことが口にできたものであるな!』
クリスが激昂する。
「ああ、そういうことか。落ち着けクリス」
『これが落ち着けるものか! 他人事のようにペラペラと!』
ガラガラとした笑い声が響いた。
「ハ、ハハ、ハハハ……。私は思う、人間の生きた価値というのは、良くも悪くもその者の影響力によって決定されるのだとな。私はここで朽ち果て、死ぬ運命……。だが、私は、雑草のように死んでいったこの村の者共よりは、ずっと価値のある生であったということだ」
ミーアがネクロスを振り返り、睨み付ける。
「あ、貴方は……貴方は一体、どれだけ私達を侮辱すれば気が済むのですか! こ、殺してやる! アルマさんがやらないのなら、私が殺しますっ!」
「ハハハ、ハハハハハ……。に、憎いか、この私が! どうせ早かれ遅かれ死ぬ命を摘んだまでだ! 何が悪い! むしろ私が役立ててやったのを、そこの男は台無しにしたんだ! そうだろう?」
目を泣き腫らしたミーアと、今にも崩れ落ちそうな肉体を辛うじて支えているネクロスが睨み合う。
ネクロスは強張った顔に、せいいっぱい嘲弄の表情を浮かべる。
アルマはミーアの肩を叩き、彼女を止める。
「止めておけ、ミーア。あんな奴に構ってやる必要はない。あいつこそ、放っておいても死ぬ奴だ。自分の小ささが認められず、ああやって他者に迷惑を掛けて、構ってもらわずにはいられないんだろうよ」
「わかりませんっ! アルマさんには、私の気持ちなんてわかりっこありません!」
ミーアが泣き叫ぶ。
アルマはその反応にびくりと身体を震わせ、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「悪い、ミーア。その、引っ張るつもりはなかったんだが……」
アルマは《魔法袋》を開け、中から一つのポーションを取り出した。
中には桃色の液体が入っていた。
蓋を外し、中身をバッとミーアの母親へ振り掛ける。
じゅうっと蒸発するような音が響き、身体から緑の煙が昇る。
「アァアァァッ!」
悲鳴のような声を上げ、顔を押さえてその場に蹲った。
煙の量がどんどんと増えていく。
「おっ、お母さんっ! 止めてあげてください! お母さんを、これ以上苦しませないで!」
ミーアはアルマの腕を押さえ、彼の動きを止めようとした。
「違う、ほら見ろ」
ミーアの母親から、緑の煙が昇るのが収まった。
彼女はすっかり肌色に戻っており、生気のある瞳をしていた。
何があったのかわからないというふうに、きょとんとした表情を浮かべていた。
それからゆっくり顔を上げ、ミーアを見つける。瞳が大きく見開かれた。
「ミーア……? ねぇ、何が、あったの……?」
「お母さん……お母さぁんっ!」
ミーアは鉄格子越しに、母親へと抱き着き、涙を零した。
「はっ……? はぁ? はぁあああああああ!? あり得ん、あり得んぞ! こんなことは、絶対にあり得ない! ゾンビ化した人間が元に戻るなど! きっ、聞いたこともないわ!」
ネクロスが絶叫に近い、怒りの声を上げた。
『き、貴様、ゾンビ状態の人間を元に戻せるのか……?』
「生者から直接ゾンビになったタイプの奴なら、治療は簡単だ。《聖水》と《再生のポーション》を合わせて、それをベースにちょいとひと手間掛ければ、治療ポーションを造ることができる」
アルマは周囲を見回した。
「この数は流石に用意できないが……一旦ハロルドに相談するしかないか」
アルマはネクロスを振り返った。
「ゾンビ状態は生命力を急上昇させる。恐らく、死んだ村人はいないだろう。どうやらお前の基準では、お前は無価値ってことになるらしい。な? ミーア、こんな奴、わざわざお前が手を下す価値はない」
「あ、あり得ない……あり得ない、あり得ないいいい! 私はっ、私は、私は、偉大なるる、偉大なるるるる錬金術師、死の象徴、ネクロス……私は、歴史に名を遺す錬金術師に、に……!」
興奮しすぎたためか、元々崩壊寸前だったネクロスの身体が崩れていく。
「偉大な錬金術師……ね。ゾンビ化解除の《神秘のポーション》を、存在さえ知らなかった奴が、か。確かに造るにはそれなりの技術がいることは間違いないが、全く知らないのは論外だろう。アンデッドを活かした戦い方もできず、ハズレスキルの《屍塊化》まで命懸けで発動して……。あれに費やす魔力と素材があったら、普通ホラーゴーレムか《ゴーストトラップ》でも造るよな? 錬金術師にとって、知識は力だ。ネクロス、お前は三流以下だよ」
「お、おおお、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ネクロスが咆哮を上げる。
身体全身に罅が入って黒い血が滲み、肉片となって水の中に散らばっていった。
アルマはネクロスの残骸を見下ろし、鼻で笑った。
「《怨魂石》だって、俺ならもっと悪用してみせる。魔物を生み出すアイテムは、いくらでも悪さができるから高価値なんだ。敵にマンフェイスを正面から嗾けるなんてつまらない使い方するものか」
『……貴様、何で張り合っておるのだ?』
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