第三十四話 アヌビス
「アルマ殿! 丁度いいところに戻ってきてくれたね」
「エリシアにハロルドが来てるって教えてもらってな」
アルマの新拠点、時計塔の玄関にハロルドが来ていた。
彼の横では、部下が荷車を押していた。
台の上には、細かい金の装飾品が色々と乗っていた。
「へえ、こんなに黄金が村にあったんだな。言っちゃ悪いかもしれんが、意外だな」
マジクラにおける鉱石の価値は、当然現実のそれとは全く異なる。
特に金は大量の特異な魔力を帯びており、用途が広く、それによって価値が跳ね上がっていた。
地方村に纏まった量があるのはかなり不自然なことであった。
「村を回って集めた分もあるけれど……まぁ、大半は僕の隠し財産だね。ヴェインは村に余裕があると思えばその分逼迫に掛かるから、都市部で金に変えて隠し持っておいたんだ。まともに従っていたら、有事の際にそのまま村が滅びかねなかったからね」
「お前……本当に綱渡りやってたんだな」
「生きた心地がしなかったよ。それで、金はこれだけあったら足りそうなのかな?」
「ああ、俺の手持ち分と合わせれば、ギリギリ足りるんじゃないかと思う」
「そ、そっか……これでギリギリなんだ……。僕の家の総資産の大半なんだけどな……」
ハロルドが少しがっかりしたように口にした。
「わ、悪い……。というか、使っちまっていいのか?」
「まぁ、有事に備えた余裕資産だから、元々村に使うための分だよ。村の防衛に活用してくれるのならば本望だよ。アルマ殿に任せれば、無駄にはならないだろうし。それにこれは、僕だけじゃなくて村人達が出してくれた分もあるからね。僕の親戚に、家で話し合って結婚指輪を出してくれた人もいたよ。皆、アルマ殿を信用してるんだよ」
「おう……む、無駄にはしないようにするからよ」
「でも、何に使うんだい? 正直、僕にとってはそれなりの大金だから、用途くらいはできれば知っておきたいな、と。僕の資産は、村のお金みたいなものだしね」
「戦力の補充だが、実は一番肝心なのが抜け落ちていてな。今、エリシアに見つけてもらいに行ったんだが……」
アルマとハロルドが話していると、五人ほどの村人の集まりが近づいてきた。
先頭にはエリシアが立っている。
「ライネル! 必要な犠牲なんだ、これは!」
「だ、だが、こいつ、野良犬だが、本当に俺によく懐いてくれているんだ! い、生贄になんてできない! 見逃してやってくれ!」
村の青年ライネルが、わんわんと泣きながら他の村人へと訴えかけていた。
村人は三人掛かりでライネルを押さえつけている。
「いいか、これを怠ったら、村の中から死者が出るかもしれないらしい。諦めてくれ!」
「わかった! なら、俺が生贄になる! それで文句はないだろうが!」
「落ち着いてくれライネル! 俺だって嫌だが、仕方ないんだ!」
アルマとハロルドは何事かと彼らを眺めていた。
エリシアは、抱えていた犬をアルマの前へと降ろした。
黒い犬であった。
地に降ろされた犬は、ライネルへと駆け寄っていき、取り押さえられている彼を心配げに眺めている。
「クゥン、クゥン……」
「大丈夫だ! 俺が絶対に守ってやるからな!」
ライネルが犬へと叫ぶ。
「……あ、あの、アルマさん、この犬で大丈夫なのでしょうか? 野良犬ですが、気性が大人しくて、村の皆も可愛がっていた犬なんです。一度、魔物に吠え付いて、村人に知らせてくれたこともあるんです」
エリシアの言葉に、アルマは頷いた。
「そうだな、こいつなら大丈夫そうだ」
「あの……死ぬわけじゃないんですよね?」
エリシアの言葉に、アルマは依然暴れているライネルへと目を向ける。
「アルマさぁぁん! 俺だ、俺をやってくれぇ! そいつは、そいつは本当に良い奴なんだ!」
ようやく彼らの様子に合点がいったアルマは、深く息を吐きだした。
「……安心しろ、殺すわけじゃない。悪いな、急いでいて説明不足だった」
その言葉を聞いて、ライネルを筆頭に、村人達から安堵の息が漏れた。
アルマは拠点に入り、錬金炉を用いてアイテムを造って外へと戻った。
その手には黄金色の輝きを放つリンゴがあった。
「アルマさん、それは……?」
「《知恵の実》だ。獣や低ランクの魔物が食せば、魔力と知性を得ることができる」
ホルスに使ったアイテムと同等のものであった。
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《知恵の実》[ランク:6]
リンゴを大量の魔力と純金で覆ったもの。
計り知れない魔力を秘めている。
口にした生物の魔力を覚醒させ、[モンスターランク:5]相応の潜在能力を発揮させる。
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ランク5の魔物が一体いれば、それだけで村の安全度は跳ね上がる。
このために急ぎで黄金が欲しかったのだ。
「ほら、来い」
アルマが犬に呼びかければ、犬はそろそろとアルマの足許に近づいてきた。
「クゥン」
犬は一声鳴いて、アルマを見上げる。
アルマは屈んで頭を撫でた。
「よしよし、賢い犬だな。おい、名前はあるのか?」
「い、いえ……」
ライネルが首を振る。
「じゃあ、黒いし……お前は、アヌビスとしよう。アヌビス、頼むぞ。この村を守ってくれ」
アルマはアヌビスに《知恵の実》を与えた。
アヌビスは拾い上げて《知恵の実》の匂いを嗅いでから、ちらりとアルマへ目をやり、それから勢いよく噛り付いた。
アヌビスの毛並みがぶるりと瞬間逆立ち、身体が少しだけ大きくなった。
それから毛がぺたりと、再び寝た。
「大きくなって、毛並みがよくなった気はする。だが、思ったより、変化がないような……」
『お任せください。何か、私に力が宿ったことはわかります。村の人達は私によくしてくれましたから、私は村の人達が大好きです。連れてこられるときに尋常ではない様子だとは思っていましたが、生贄になるのならそれでも構わないと思っていました。必ず私が、この村を守って見せましょう』
アヌビスは激しく尾を振りながら、そう《念話》を放った。
「ア、アヌビスが喋った!?」
村人達にどよめきが走る。
ライネルは特に呆然と口を開けていた。
『ライネルさん……特に、気をかけてくださり、ありがとうございます』
アヌビスはライネルへ顔を向け、頭を下げた。
「そ、そんな、俺は、結局何もできなかったのに……!」
ライネルは感涙しながら、その場に突っ伏した。
「これで、メイリー、アヌビス、ホルス、クリス、アイアンゴーレム軍団か。戦力としては、流石に充分だと思いたいが……」
アルマは空を睨む。
既に夕暮れの時間になっていた。
空には、薄く赤い月が浮かんでいる。
「主様ー! 大変、たいへーん! なんだか、その、おかしいの! ヘンなの!」
そのとき、時計塔の上からメイリーの声が響いてきた。
顔を上げれば、いつもマイペースなメイリーが、困惑した表情を浮かべている。
「メイリー殿……何かに気付いたみたいだけど……」
ハロルドが不安げに漏らす。
「……時計塔の上には、遠くを見れるアイテムを設置している。何かに気づいたのかもしれない。ハロルド、一応ついてきてもらっていいか?」