第三十二話 赤の予兆
アルマが村開発を急進させた日の夜、彼の拠点にハロルドが訪れてきた。
客間に招き入れ、机を挟んで顔を合わせる。
天井には豪奢なシャンデリアが設置されており、椅子や机の造形にも拘りがあった。
「悪いなハロルド、茶と菓子の用意はまだできていない。だが、いずれ準備してみせるさ。次の機会には、優れた錬金術師は農耕と建造だけでなく、料理にも精通しているのだと証明してみせよう」
得意げなアルマの様子に、ハロルドは頭を抱える。
「どうした、ハロルド?」
「アルマ殿……一応、大きなことをする際には、声を掛けてもらえると助かるよ……。今回はその、僕が寝てたのが悪いんだけど……」
「そ、それは悪い……。俺もその、興奮してしまってな」
「大きな変化に際して、割を食う住民がいるかもしれないしね。事前に教えてくれれば、僕だって改善案を出せるし、村人に何らかの補償を出して根回ししておけることだってある。アルマ殿も、これだけ村のために尽くしてくれるのに、つまらないことで反感を買うのは嫌だろう? 僕も感謝しているし、今回のことも凄く村のプラスになることだと思う。だからこんな退屈なことは言いたくないんだけど、人の集まりっていうのは本当に複雑なもので、建前だとかわかりやすい姿勢だとかが、凄く大事なんだ。後で細かいケアに回っても、最初の印象が根付くと面倒なことになってしまう。いや、僕も本当に、アルマ殿の邪魔をしたくてこんなことを言っているわけではないんだ」
「あ、ああ……悪い。不満は出ないように配慮したつもりだったが、確かに考えなしだった。次からは、何かする前に申請書を出そう」
思った以上のガチ説教を前に、アルマは肩を窄めた。
「理解を得られたようで嬉しいよ、アルマ殿」
「ああ、お前を引き留めておいてよかったと再確認した。悪いが、この手の細かい調整は投げさせてもらうぞ」
アルマには最強のプレイヤーとしての錬金術の腕前と知識はあったが、しかし政治に関してはからきしである。
マジクラにおいて他プレイヤーと泥沼の争いを何度も続けてきていたので、この世界における戦略面ではある程度自信がある。
だが、他プレイヤーと協力関係になることは稀であったし、《天空要塞ヴァルハラ》には忠実な部下しかいなかった。
村や都市を指揮したこともなかったし、あったとしてもマジクラでNPCを束ねるのと、この現実化した世界で生きている人間を束ねることは全く異なる。
「勿論、その点は任せてくれて大丈夫だよ。元々、それが僕の仕事だからね」
ハロルドが安堵したように微笑む。
「正直、納得してもらえなかったらどうしようと、冷や冷やしていたんだ。アルマ殿の方針を半ば勘で読み取って、必死に村内を駆け回らないといけないことになっていただろうからね」
ハロルドはそう言って、窓の外へと目を向ける。
「ここは本当に見晴らしがいいね。なんだかもう、自分の育った村なのが信じられないよ」
アルマもハロルドに釣られ、窓の外へ目を向ける。
「ああ、そうだろ? そういうのも考えて、ここを客間に……」
アルマは目を細め、席を立って窓の傍へと張り付いた。
「アルマ殿……?」
「なあ……月が、微かに赤みを帯びていないか?」
アルマに続き、ハロルドも窓の傍に立って目を凝らす。
「……言われてみれば、そういうふうに見えるね。この程度だとまだ断定はできないけど、
ハロルドが苦々しそうに呟く。
だいたい半年周期で発生するが、一年発生しないこともあれば、三か月で二回発生するようなときもある。
その規則性を読むのは難しい。
そして
おまけに
止めとして、
簡単に安定した生活基盤を築かれては悔しいという、運営の悪意が垣間見える最悪の仕様であった。
予兆として、前日に月が微かに赤みを帯びる。
これを見逃して
「いつも
「……だと、いいんだけどな」
「えっ……い、いや、でも……村の防衛は、これまでとは比べ物にならないくらいだよ。村人に夜間は絶対に外壁を超えないように忠告して、見張りの兵に都市の外側を警戒してもらえば、それで被害を出さずに済むんじゃ……」
「いや、悪い。どうにもこういうとき、悪いふうに考えちまう性分でな。
「それは間違いなくそうだね。わかったよ、僕もできる限りのことをしようと思う。兵士や村人に、昼間に仮眠を取ってもらって、夜は警戒してもらうように呼び掛けておくよ」
「魔物災害は、本当にとんでもないことが起きるときがあるからな。いくら警戒しても、しすぎることはないはずだ。それに、なんだか嫌な予感がするんでな。俺も明日は、村の防衛の準備に時間を割こう」