名家の娘
この微妙に気まずい出会いの後、僕たちは羽生社長に連れられるままに屋敷の中を案内され、予定通りに夕食をいただいた。
一連の流れは非常にスピーディで、特筆すべきことは無い。
淡々と、屋敷を見て回った上でご飯を食べただけである。
しかしそれでも、敢えて追想するのであれば。
道中では、目についたことが三つあった。
一つは、実際に中に入ることで目についた屋敷の内装。
外からでは分からなかったのが、羽生邸は非常に豪奢な内装をしていた。
大きな部屋にはシャンデリアが設置され、廊下にところ狭しと絵画や彫刻が並ぶ様は、なるほど確かにお金持ちっぽい家だった。
同じ資産家の洋館でも、昼に見た終夜の家とは大きく様子が違う。
あちらは意外な程に簡素な内装だったが、こちらは下品に思ってしまうくらいの高級感を漂わせていた。
終夜は羽生社長のことを「成金」と言っていたが、その辺に理由があるのだろうか?
二つ目は夕食の内容。
ゴリゴリの洋館で白い大きなテーブルに招待されたものだから、てっきり洋食が出てくるものだとばかり思っていたのだが。
どういう訳か、提供されたのは和食だった。
いやまあ、別に洋館にいるからと言って、絶対に洋食を出さないといけない理由も無いのだけど……。
それでも、白いナプキンを膝元に置きながら白米を箸で掻き込むのは中々シュールで、妙に印象に残った。
僕としては和食の方が食べやすかったので、正直助かったのだが、それでも何で来客の予定があるこの日に洋食じゃなかったんだろうか。
因みに一応、食事中にそれとなく「パンはお嫌いですか」みたいなことは聞いた。
しかし羽生社長の回答は「パンは発酵させ過ぎると体に毒」とか、「酒やパンは発酵の過程を間違えるとガスが溜まって破裂することがある」とか、よく分からない発酵の危険性に関する講座のみ。
この人はとにかく発酵には詳しいらしい、ということが分かっただけだった。
そして最後の一つ。
夕食の場で引き合わされた人物のこともまた、印象に残った。
というのもその日、羽生社長は自分の家族を終夜に対して紹介したのだ。
羽生社長の息子、羽生虎之助を名乗る青年。
二十代後半と思しき彼は、父親とよく似た顔に眼鏡を加えたような風貌で、目立たない感じの男性だった。
しかしその彼は、ずっと終夜のことを見つめていた。
「まあ何ですかね、雫さん。ウチの息子も良い歳ですから、色々と将来のことを考えないといけない時期で……一つ、これを機会に仲良くしてみるのはどうでしょうか?」
鷹揚な様子でそう提案する羽生社長が、日本茶をグビリと呑んでいる間。
終夜は常に感情の読めない微笑を浮かべていて。
完全に場違いな僕は、端っこの方で漬物を摘まんでいた。
「要するに……終夜さんが僕をここに連れ込んだ理由の一つって、見合い相手に口説かれるのが面倒くさいから盾にしたかったとか、そんなところですか?」
夕食会が終わった後。
今日泊まるための部屋をあてがわれてすぐ、僕は終夜の部屋を訪れていた。
言うまでも無く、今日の真意を聞くためである。
「夕食の間、羽生社長はずっと息子さんのことを褒め千切っていましたし……息子さんは息子さんで、終夜さんにひたすらアピールしてた。こう言うとアレですけど、これから高校に入るって年齢の子に対して、大の大人が滅茶苦茶へりくだってました。あれって、ここが見合いの場だからですよね?」
「大体正解。私と結婚したいから、必死に媚びてきているって訳」
気疲れした様子で手足を揉む終夜は、実にかったるそうに僕の推論を肯定する。
それから、不意に僕を見つめてニヤッと笑った。
「でも、説明なしでよく分かったわね。流石は専攻が『日常の謎』なだけあるわ」
「あれだけあからさまなら、誰でも解けますよ。貴女の年齢でお見合いというのも変な気はしましたが……」
「別に、珍しい話でもないわよ。幻葬市の外はどうなっているか知らないけど、探偵狂時代の平均結婚年齢は下がり続けているから」
「外でも同じですよ、それ」
どうして平均結婚年齢が下がるかと言えば、結婚を躊躇っていると、何らかの犯罪に巻き込まれて片方が死ぬ可能性が出てくるからである。
なまじ治安が悪いために、恋人たちの判断も刹那的になった訳だ。
それにしても、高校生で見合いというのは早すぎるが。
──逆に言えば、今の年齢でもアピールしておきたいくらい、終夜の家はお金持ちの家なんだろうな。何が何でも繋がりを保っておきたいくらいの名家相手だからこそ、成金の羽生家はしつこく見合いを進めようとしているってことか。
そして今の様子を見る限り、終夜本人はこの誘いに積極的ではないらしい。
まあ、当然の話だろう。
いくら平均結婚年齢が下がったとはいえ、そもそも十五歳では結婚ができない。
「でもそれにしたって、僕をこの屋敷に連れてくる必要は本当にあったんですか?羽生社長の息子さん……虎之助さん、ずっと変な目で僕のことを見てましたけど」
「それで良いわ。私がこうやって知らない男子を連れてきたこと自体が、遠回しに『この見合いに乗り気じゃない』って意志表示になるから。この手の世界には、色々と面倒くさい作法があるのよ、夕食会一つでもね」
「はあ……」
よく分からないルールだなあと思いつつも、そうなっていると聞かされれば反論はできない。
ただ一つ、「名家の娘と見合いをしようとしたら、男友達が同行してきたのは本当に驚いただろうなあ……」という羽生社長たちへの同情だけは抱いた。
もっとも、向こうも僕に同情されたくはないだろうけど。
何にせよ、これで彼女の奇行の一つは解き明かせた。
同居云々はともかく、僕をここに連れてきたことのは男除けのためだったらしい。
ずっと理由も分からず振り回されていたのが解消され、僕は少しスッキリとした気分になる。
「でもこれ、一泊した後はどうするんです?明日の予定って……」
「簡単よ。明日の朝食を頂いた後、『九城君はここに引っ越してきたばかりで、まだ荷解きも終わっていないんです。だからそれを手伝わないと』って言って、帰るだけだから」
「それはまた……無茶苦茶な」
確かに僕は荷解きどころか、本来住むはずの寮の扉すら開けていないが、その原因は間違いなく終夜にある。
それなのに僕を理由にして上手いこと帰宅しようと言うのだから、これは何というか。
マッチポンプという言葉が脳裏に浮かんだ。
──この子、いくら何でも強引が過ぎる……僕を連れてきたのは、本当に男除けだけが原因なのか?ここに男友達を連れてくる理由は分かったけど、僕を連れてくる理由にはならないし……。
終夜の真意を聞きながら、僕は再び彼女の心情を推しはかろうとする。
どうにも、腑に落ちない点が残っていることに気が付いたのだ。
彼女は元々幻葬市に住んでいるのだから、見合いの場に別の男子を連れてきたいというのであれば、その頃からの知り合いをここに連れてくればいい。
見たところかなり社交的な性格のようだし、男友達の一人くらいいるだろう。
だというのに、彼女は知り合ったばかりの僕の手を掴んだ。
何度も言っているように、この時代では非常識と言って良いレベルの無警戒さだ。
「あの、終夜さん。まだ僕に隠していることとかって……」
しつこいとは自覚しつつ、僕は更に真意を問いただそうとする。
だがその瞬間、終夜がピシッと僕の顔を指さした。
正確には、僕の唇を。
「さっきから思ってたんだけどさ、その敬語……もうやめない?自己紹介の時も言ったけど、私たち、同い年なんだから」
「……タメ口で話そうと?」
「そうそう。駄目?」
コテン、と首を傾げながら終夜は問いかける。
仕草自体は可愛らしいものだったが、提案としてあまりにも唐突だったので、僕はちょっと毒気を抜かれてしまう。
一先ず、言われるままに従うのが精一杯の対応だった。
「……じゃあ、終夜とは普通に話すけど」
「ん、OK。それじゃあ互いにフランクになったところで、残っている羽生家の人に挨拶でもして置く?挨拶もしないまま寝るのは、流石にアレだし……」
こちらが頷いたのを良いことに、終夜は何だか色々と勝手に話を進めようとする。
話を誤魔化されていることに気が付いた僕は、ちょっとちょっと、とツッコミを入れた。
「いやいや終夜さん、じゃなくて終夜。そんないきなり話をそらさないで……そもそも、羽生家の人への挨拶ならもう全員したんじゃ?」
「いえ、していないわ。羽生社長とその息子さんには会ったけれど、娘さんには会っていないもの」
「……娘さん?」
初めて聞く単語に、僕はそれを復唱してしまう。
話を誤魔化そうとする終夜の思惑にまんまと引っ掛かっているのは分かっていたが、反応せざるを得なかった。
「娘さんって……羽生社長には、虎之助さん以外の子どもが?」
「うん。晶子さんっていう女性で……年齢は確か十八歳。羽生虎之助さんにとっては、ちょっと歳の離れた妹。羽生社長は奥さんをずっと前に病気で亡くしているんだけど、そのせいか娘さんを溺愛しているの」
「……その人が、夕食会に出てこなかったのは?」
問いかけながらも、僕は既にその答えを予測していた。
いくら僕が庶民の出であろうが、この問題は知っている。
果たして、終夜は予期した答えを返してくれた。
「単純に、羽生社長が晶子さんを彼女の部屋から一歩も出さないから。だから、私たちにも挨拶させなかったんだと思う」
「……鳥籠娘、か」
鳥籠娘。
治安の悪化した現代日本を怖がる余り、家族の手によって殆ど軟禁同然の生活を余儀なくされる娘さんたちのことだ。
確かに羽生家のようなお金持ちであれば、娘を一人養うくらいは可能だろうけれど……。
「でもその人、家の中すら自由に歩けないのかな?普通、外には出ないと言っても、自宅内くらいは……」
「そう。ここは辺鄙な山奥なんだし、別に動き回っても良いとは思うんだけど……娘さんが心配な余り、羽生社長が許さないんだって。娘さんの部屋には特殊な鍵がついていて、内側からは絶対に開けられないとか言ってたわ」
「それ、軟禁どころか普通に監禁なんじゃ……」
「旧時代みたいに法律がキチンと機能していたら、確実に通報物でしょうね。まあ、この話を聞いてきたのは私の親で、又聞きでしかないから本当のところは分からないんだけど」
「それにしたって……あそこまで媚びてきた夕食会にすら出さないって時点で、自由に部屋から出していないのは確定だろう?」
「まあね……私がここの家の息子との結婚を嫌がる理由と、アンタを連れてきてまで拒んでいる理由、分かってきたんじゃない?」
さらり重いことを言う終夜に対して、僕は重々しく頷いてしまった。
確かにそんな事実を知ってしまうと、一人でここに泊まれば良かったのにとは言いにくい。
それ以前に、僕としてもここでの宿泊が怖くなってきた。
当然だろう。
社会問題になるくらいにはよくある事例とは言え────羽生社長たちは、家族相手に監禁行為を働くような人たちなのだ。
僕たちは今、そういう人たちの世話を受けている。
「……とんでもないところに連れてきてくれたね、終夜」
色々と現状が分かってきたこともあって、僕は恨み言を述べる。
出会って数時間の相手に放つ言葉ではない気もしたが、こちらも終夜という存在に慣れてきたのかもしれない。
彼女の言う通り、実にフランクに会話ができるようになっていた。
「そこまで警戒しなくてもいいとは思うけど?私相手にはあの人たちは媚びてくるし、まさか客人を監禁はしないと思うわ。だからこそ、ウチの親も一度だけ夕食会に参加して、それとなく断ってきなさいって方針に決めたくらい……念の為の備えは必要だけど、言う程危険はないと思う。私たちが消えたら、ウチの家がすぐにこの家を捜索するもの」
「それはそうだろうけど……」
それにしたって、鳥籠娘を作り上げる人の家に宿泊するというのは中々怖い。
意味もなく周囲を警戒し出す僕を前に、終夜はフフッと笑った。
「まあ、大丈夫大丈夫。もしここの家の人が変なことをしようとしたら、私がアンタを守ってあげるから」
「……そんなに強いの、終夜?」
「そこらのチンピラよりはね」
本気かどうか分からない口調でそう告げながら、終夜はぴょん、とベッドから飛び降りる。
そして言っていた通りに、僕を連れて「挨拶」に向かった。
未だに出会っていない、鳥籠娘に会うために。
会わせてくれるかは微妙だと思っていたのだが、終夜が娘さんに挨拶したいと頼むと、羽生社長は意外にもあっさりと部屋の扉を開けてくれた。
もし雫さんがウチの家に入ってくれたら、彼女も家族になるのだからと言って了承したのである。
鳥籠娘に会わせるというのが、彼なりの誠意だったらしい。
こうして、僕たちは羽生晶子と邂逅する。