出会い(Period1 終)
「再確認になりますけど、入居希望だった三人はずっと二階にいて、面接の時はその人だけが一階に降りていた。そして面接が終わってからはまた二階に戻っていた……間違いないですね?」
僕が確認すると、終夜と入居希望者の三人はコクリと頷いた。
とりあえず、ここでどんでん返しは無いらしい。
「なら普通に考えて、スられたとか盗まれたとかの可能性はないでしょう。今の時代、財布は肌身離さず持っておくのが鉄則ですし……入居希望者同士の接触がほぼ無かった以上、盗むチャンス自体が無い」
「待って、何で入居希望者同士の接触が無かったと言い切れるの?」
「さっきの弁明の中で、『コイツが待機中に掴みかかってきたから、きっとその時に盗まれたんだ』みたいな言い分が一切無かったからですよ。もしもそんな出来事があったのなら、真っ先に誰かが口に出すはずでしょう?」
彼らが詐欺を目論んでいる以上、財布を盗んだ犯人がこの中にいる、と主張するのは良い手段であるはず。
それにも関わらず苦しい弁解しか出てこなかった辺り、待機中の三人は互いに殆ど話さなかったのだろう。
だからこそ、罪の擦り付けすらできなかったということだ。
「そういう訳で、彼らの言う『誰かが盗んだ』は嘘として……三人が三人とも、弁償金をせしめるために何らかの手段で自分の財布を消したと断定します。三人の内、一人は窓から財布を投げるというワイルドな手段を採用した。そして残り二人は、また別の手段で財布を消した」
「そうなるわね……それで?」
「ここでまず、残り二人の財布消失手段の方を考えましょう。そうすれば、消去法で僕が拾った財布の持ち主が分かりますから」
そう告げると、終夜が「え?」という顔をしたのが分かった。
他の二人から推理していくとは思っていなかったらしい。
「それ……分かる物なの?未だに他の二人の財布が見つかっていないことからすると、凄く複雑な方法で隠された可能性があるけど……」
「いえ、そんな複雑な方法でもないと思いますよ。そもそも財布消失とは言っていますが、この詐欺を完遂するだけなら、もっと簡単な方法がありますから」
「簡単な方法?」
「ええ……そこで、赤木さんに聞きたいんですが」
そう言いながら、僕は無言で座っている赤木さんに視線を向ける。
話の流れを既に察しているのか、彼女の顔色はどこか悪かった。
「何だかカツアゲみたいでアレですけど……ちょっと、この場でジャンプしてくれませんか?ああ勿論、そのコートは着たままで」
そう告げた瞬間、赤木さんは分かりやすく顔を俯かせる。
対照的に、終夜たちは何かを思いついたような顔になった。
流石に専攻が違うとは言え、ここまで言えば察しはついたらしい。
「もしかしてこの子……コートの生地の中にお金を隠してたの!?」
「そうだと思います。終夜さんは彼女がコンビニで買い物をしているところは見たそうですけど、財布を取り出す姿は見ていない。彼女はきっと、最初から財布なんて持たず、生地の破れ目にお金を隠していたんです」
推理中にも少し言及したが、財布消失を訴える詐欺で一番シンプルな方法は、財布を最初から持ち込まないというやり方である。
初めから財布を持参せず、手ぶらで特定の場所に行き、その場で「財布が盗まれた」と騒ぐ。
当然周囲の捜索が行われるだろうが、元々持ってきていないのだから財布が見つかるはずもなく────財布がないことだけが証明され、弁償金をせしめる訳だ。
彼女が使ったのも、これと同様の手段。
最初から財布は持参せず、必要なお金は服の生地に隠しておいたのだろう。
その上で財布がなくなったと騒げば、傍目には本当にお金が消えたように見える、というカラクリだ。
「恐らくですが、前々から彼女は財布を持参せず、この手法で現金を持ち歩くことがあったんでしょう。わざわざ古いコートを着込んでいるのも、それを室内で着続けているのもこれが理由です。この時代、珍しいことではありませんし」
「カツアゲや強盗に会った時のために、お金を分かりづらいところに隠すのはよくあることだしね。それを肌身離さず持っておくのも……そっか、じゃあ私の前で、わざわざコンビニに寄ったのも?」
「終夜さんに『彼女は財布をちゃんと持っている』と錯覚させるためですよ。まあ、そのせいでお釣りの小銭を持参する羽目になり、硬貨が音を立てないためにゆっくりとしか歩けなくなって、少々苛々させたようですが……」
終夜が「ゆっくりとしか歩かなかった」「わざわざコンビニに寄りたいと言ってきた」と言っていたのはこのせいだろう。
ついでに言えば、彼女が今ここでジャンプしない理由でもある。
激しい動きをすれば、きっとチャリンと音が鳴ってしまうのだ。
「終夜さんがボディチェックしたとは言っていましたが、確か服は脱いで行ったんですよね?ポケットの中が空っぽであれば、それでコートのチェックは終わってしまう。このことを利用してコートには触らせず、適当なタイミングで財布消失を訴えた。そうでしょう?」
最後に畳みかけると、いよいよ赤木さんは動かなくなった。
苦し紛れの反論も思いつかないらしい。
所詮証拠も無い推理なので、言い逃れ自体は可能だったと思うのだが、この辺りは──幻葬高校に入学する立場とは言え──所詮、学生ということか。
いくら何でも、プロの詐欺師程の手腕は無い。
何にせよ、これで彼女が僕の拾った財布の持ち主でないことは確定した。
彼女は最初から財布を持っておらず、強いて言えばコートが財布だったのだ。
「……赤木さんが使った手段は分かったわ。でも、他の二人はどうなるの?男子二人に関しては、財布っぽい物がポケットに入っているのを見たけど」
「ええ。こちらの二人は財布をちゃんと持ってきたと思いますよ。というか、財布をちゃんと持ってきたと印象付けるために、そうやってポケットに膨らみがある様子を見せたんでしょうし」
だからこそ、春先だというのに簡素な薄着で来ているのである。
邪推も含まれるが、これは詐欺のための布石という側面もあったのではないか。
敢えてポケットの膨らみを見せて、財布が消えたという主張に説得力を与えるための。
「そしてこの状況では、財布を消した場所は限られます。面接中は終夜さんの目がありますし、待機中は他の二人に見られる恐れがある。となると、隠すチャンスはトイレ中か、階段を上り下りしている時くらいしかない」
そう言いながら、僕は階段の方を指さす。
その下にあった物を思い出してもらうために。
「終夜さん……来る時に見ましたけど、階段の下にゴミ袋を置いてますよね?」
「ああ、うん。この前倉庫の片付けをしたから、その時のゴミを収集日に捨てようと思って……入居希望者がいるのに、ゴミを見える場所に置いておくのもアレな気がしたけど、目に見える場所に置いておかないと忘れそうだったから」
「結果論ですが、見えない場所に隠した方が良かったですね。だってここには、ゴミ回収のバイトを手伝う予定の人がいるんですから」
僕がそう言った瞬間、青井君の肩がビクリと跳ねる。
同時に、終夜が目を見開いた。
「回収って、まさか……この人」
「そうです。きっと彼は、ゴミ袋の中に自分の財布を隠したんですよ。階段脇にゴミ袋があるのなら、誰にも見られずに財布を入れることも可能でしょう?」
「そっか、面接の帰りにでも入れたらいいから……」
「ええ。ゴミの中に手を突っ込む人はあまりいませんから、袋の奥に押し込んでしまえば、そうそうバレないでしょう。後はゴミ回収のバイトに参加して、捨てられたゴミ袋から自分の財布を回収するだけです……ゴミ袋の結び目が妙に乱れている物がありましたから、多分その中でしょう」
終夜の話によれば、青井君の兄はゴミ収集車の運転手をしていて、この地域のゴミ回収を引き受けているとのことだった。
既に彼が兄のバイトを手伝っているのであれば、こういう形でのゴミ回収も可能となる。
今日だけ財布がなくなったと騒いでおけば、後は詐欺が成功しようがしまいが、数日後には自力で財布を回収できるのだ。
「まあ勿論、普通に見つかってしまったり、本物のゴミとして処分されたりする可能性もありますけどね。その辺りは当然のリスクとして割り切ったんでしょう。多分、最初から大した額は中に入れていないと思いますよ。ここに来た時点ではどこに財布を隠すかは決めておらず、ただ失っても諦めがつく程度の小銭だけ持ってきた。そして階段脇でゴミ袋を見た瞬間、この方法を思いついたってところじゃないですか?」
「……私、見てくる!」
推理を聞くや否や、終夜はダダダッと駆け出していく。
青井君が力なく手を伸ばしたが、止められるものじゃない。
しばらくドタバタと騒音を響かせた彼女は、やがて慌てた様子で戻ってきた。
「……あった!私たちが使ったこともないような財布が、ゴミ袋の底に……!」
「おお、やっぱり」
「でも、中身入ってなかったんだけど、これ。紙幣も小銭もない、ペラペラの状態になってて……」
そう言いながら、不思議そうに終夜は見つけた財布を摘まんで揺らす。
ゴミのせいで薄汚れた様子のそれは、終夜の言う通りに中身が無いのか、揺らしても何の音も響かせなかった。
「う、嘘だ!確かに小銭しか入れていなかったけど、それでも千円くらいはあったはずだぞ!?」
これに一番動揺していたのは、他でもなく青井君だった。
焦った様子で終夜に詰め寄ると、財布をガッと奪い取り、信じられなさそうな様子で中身を確認する。
しかし彼が何度漁っても、財布の中身が復活する様子はなかった。
彼の背中を見ながら、僕はまあ予想通りだなと思う。
青井くんは悔しいだろうが、そうあって然るべき展開だった。
「……無駄ですよ。財布の中身は既に別の人物に盗まれてますから」
「盗まれたって……まさか、お前が?」
「違いますよ。青井君よりも後に面接を受けた人……最後に残った人が、通りすがりに中身を抜いたんです」
これを契機に、自然と全員が一点に視線を集める。
やはり黙ったまま話を聞いていた平黄君を、全員が見つめたのだ。
どこか悔しそうな顔をする彼に向かって、僕は最後の結論を述べた。
「僕が拾った財布の持ち主は、平黄君ですね?面接帰りにゴミ袋を漁ったことで、偶然青井君の財布を見つけた貴方は……その中身を抜いて、自分の財布に詰め替えたんだ」
僕の結論に対して、彼は何も述べなかった。
ただただ下唇を噛み続けている。
だから仕方なく、僕は独り言のように推理を述べていくこととなった。
「恐らくですけど、彼も青井君と同じく、具体的な詐欺の手法は思いつかないままこの屋敷に来たタイプだと思います。前々から計画していたにしては、手口が雑過ぎますから」
「以前の面接で、財布をなくした人にかなりの額の弁償金が支払われたことは知っていた。それを利用した詐欺が効果的だとも自覚していて、なくなっても諦めがつく程度のお金しか入れてない財布も用意した。でも、それ以上のことは計画していなかった」
「だってそんな詐欺をしなくても、普通に面接に受かる可能性がありますからね。あの家賃でここに住めるのなら、それは詐欺よりもよっぽど有益なことですから。最初の時点では、積極的に詐欺を働く気は無かったと思います」
「しかし面接の後、彼は普通に受かるのは諦めてしまった。以前の入居希望者たちも全員落選したそうですし、終夜さんの面接は厳しい様子。多分、今のは落ちてしまったな、と確信したのでしょう」
「だから普通に入居するのは諦めて、せめて何か手に入れようとした」
「平たく言えば、何か盗もうとしたんです。だからゴミ袋を漁るようなことをした。何か、売れそうな物でも持って行こうとしたんですかね?」
「しかし彼は、そこで面白い物を見つけます……先に面接をした、青井君の隠した財布です」
「彼はすぐのその意図を察したでしょう。中身の入った財布が捨てられる理由なんて、そうそうありませんから」
「ああそうか、自分はまだ実行していないけど、この手の詐欺を既にやっている奴がいるのか。だったら、自分もそれに乗っかった方が……」
「そう思った彼は、自分の財布をどこかに隠すことにします」
「ただ、屋内に隠すのは躊躇われたのでしょう。屋内に隠した青井君の財布を、彼自身が見つけてしまっていますからね。こんなところに隠してもすぐに見つかるということを、彼自身が証明していた」
「できれば、家主たちに財布を探されてもすぐに見つからない場所……外に財布を置いておきたい。しかし入居希望者という立場上、理由もなく外に行くと目立つ」
「そうして思い悩んだ末、窓から外の路地に投げ捨てるなんて手段に至った。どうせ、なくしても良い額しか持っていませんし、捨てること自体は躊躇わなかったんでしょう。トイレくらいしか監視の緩む場所が無い以上、窓から放り捨てる以外に、財布を外に移動させる手段もありませんしね」
「ただこの時、問題が生じます」
「彼の財布は、軽すぎたんです」
「普通なら財布が軽いのはそんなに悪くないことですが、この場合は問題です。財布が軽いと、どうしても投げにくくなりますから」
「うっかりすると、トイレの窓から財布を投げても、空気抵抗に負けて敷地内に墜落するかもしれない。それは困る。すぐに見つかってしまう可能性が高い」
「できれば、重しのような物を財布に取りつけたい。ある程度重い物の方が、投げる時に安定しますから」
「そこで彼は、青井君の財布に目を付けます」
「この財布は恐らく、ずっと後になってから回収される予定の代物。仮に持ち去ったところで、すぐにバレるとは考えづらい。つまり、中身を抜いても一先ずは大丈夫だろう」
「だから彼はその中身を抜いた上で、硬貨を自分の財布に移し、小銭でパンパンの状態にしたんです。これで、彼の財布は重くなりました」
「この財布を持参した平黄くんの服が傷んでいない理由はこれです。財布がこんなに膨らんだのは、あくまで後付けですから。ここに来た時点では、常識的な量しか入っていなかった」
「何にせよ、後は簡単。面接帰りにトイレに行って、窓から財布を外に投げるだけ」
「これにより、僕が見た通りに『小銭がパンパンに詰まった財布が空から降ってくる』というシチュエーションに至ったんです」
「今の時代、そんな物が路地に落ちていればほぼ確実に持ち去られます。空から降ってくる場面を見られたとしても、問題とせずに盗む方を優先するでしょう」
「だから彼の財布は、通行人によってその内本当に盗まれる可能性が高い。後は『財布が盗まれた、弁償金を寄越せ』と騒ぐだけ……」
「まあ、僕が馬鹿正直に財布を拾った上で返しに来たために、彼の目論見は破綻したんですけど」
「概ね、そんなところだったんじゃないですか?」
僕が全てを言ってからも、平黄君は何も言わなかった。
ただただ、周囲に見つめられても黙ったまま。
財布の中身を盗られた青井君は彼のことをずっと凝視していたが、それでも沈黙していた。
その状態のまま、たっぷり一分。
じっくり待たせてから、彼は蚊の鳴くような声で反論した。
「そ、それでも……その財布は僕のじゃないです。何か、確実にその財布が僕の物だという証拠はあるんですか?」
──証拠、か。まあ当然、そこを突くだろう。
妥当な抗弁だと思った。
実際、僕の推理を証明する物的証拠は特にない。
指紋でも採取できればいいのだが、そんな捜査キットはここには無いし、彼も指紋の提供には協力してくれないだろう。
ただし────証拠はともかく、証言なら一つあった。
彼が犯人でなければ説明がつかない、とある証言。
ある種のトドメとして、僕はそれを指摘する。
「平黄君、思い出して欲しいんですが……さっきの話の中で、こんなことを言ってましたね?『紙幣が入らないような財布は、使い辛いから買いません』って」
「ええ、言いましたよ。それが?」
「不思議なんですよ。どうして貴方は、外に落ちていたこの財布に紙幣を入れるスペースが無いと知っていたんですか?」
この倉庫に来てからずっと、終夜は拾った財布の中身を見せていない。
勿論、三人に触らせるような真似もしていない。
三人はただ、小銭でパンパンになった財布を表面から見ただけなのだ。
確かにこれには紙幣を入れる隙間が最初から無かったが、終夜はそんなことは説明していない。
話の細かい部分は省いていたからだ。
パッと見た限りでは、この財布が完全に小銭専用であることは分からないはずなのである。
しかし彼は断言した。
普通に紙幣と小銭の両方が入る財布だってたくさん売られているのに。
それでも、紙幣が入らないタイプであることを大前提のように語った。
「これが貴方の財布だから、分かっていたんですよね?自分の財布だからこそ、これには紙幣が入らないと知っていた。そして自分の財布だと認めたくないから、敢えて真実と反対のことを言った……その中でうっかり、前提条件を取り違えたようですが」
違いますか、と問いかける。
一応、彼がこのタイプの財布の造形に詳しくて、外観だけで小銭しか入らないと見抜いた可能性もあるけれど。
そんなレアな仮説よりも、平黄君が犯人だと考える方がずっとスッキリする。
そう指摘すると、いよいよ彼は顔面蒼白となった。
彼だって幻葬高校に受かる程度には知識のある人間だ。
状況の不利は悟ったのだろう。
しかし生憎と、正面からそれを認める度量は無かったらしい。
彼はただ肩を縮めて、その場で押し黙ってしまう。
「……ちょっと、何か言いなさい」
焦れたように終夜が迫るが、それでも何も言わない。
頭がショートしてしまったのだろうか。
倉庫の中を変な沈黙が支配してしまう。
──ダンマリか、ずっとこうしていても仕方がないし……これはもう、ちょっと荒っぽい手しかないかな。
沈黙に気まずさを感じた僕は、そこでふと、小さな思い付きを得る。
荒っぽい上に性格の悪い手だが、仕方がないだろう。
ため息を吐きながら、僕は事態解決のために終夜に話しかけることにした。
「……終夜さん」
「え、何?」
「僕の推理は以上です。でも、彼はどうしてもこの財布が自分の物だとは言ってくれません……だから、こうしませんか?
「どうするの?」
「この財布、普通の落とし物として警察に届けましょう。落とし主がここにいないというのなら、それしかない」
僕の提案を聞いた終夜は最初、意味が分からなそうな顔をしていた。
しかしすぐに意図を察したのか、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべる。
元々の強引さも相まってか、随分と彼女に似合う表情だった。
「……そうね。この三人の中に落とし主がいないのなら、そうするしかないわ。『法壊事件』以降、警察の質はすっごく低下していて、落とし物の返却なんか全くしてくれないことで有名だけど、仕方がないんじゃない?」
「ですよね。仮に落とし主本人が警察を尋ねても、適当な理由を付けて追い払われることすら結構あるみたいですけど、どうしようもないですもんね」
「ええ、この財布には、二人分のお金が詰まっている可能性もあるって話だけど……その中身も、交番の手癖の悪い警官に盗まれるのかしら。だけど落とし主が正直に名乗り出ない以上、市民として交番に届けるしかないわ」
即興ではあるが、探偵狂時代における警察事情は悪い意味で有名であるせいか、互いに滑らかな会話ができた。
二人して色々とすっとぼけた様子で、悪い話をしてみる。
まあ要するに、軽い脅しだ。
これに即座に反応したのは青井君だった。
ついさっき「非力だ」と言ったのも忘れたように、彼は隣の平黄君につかみかかり、大声で怒鳴り始めた。
「おい!あれ、お前の財布だろ!とぼけるんじゃねえよ、俺の財布まで弄りやがって……!あの中には、俺の金も入ってるんだろ!?」
ゴミ袋に財布を詰めたのは青井君自身だし、大胆な詐欺を働こうとした時点で人のことを言えた身分でもないのだが、そんなことは気にしていられないらしい。
最悪消えても良い小銭だとしても、回収できるならそれに越したことはないのだろう。
これもまた、この時代では正しい対応だった。
ギリギリと平黄君の喉元を締めあげる彼の瞳は、完全に怒りに染まっている。
それを真正面から見た黄金君は「ヒイッ」と情けない声をあげ、それから何度も強く頷いた。
「す、すいません!そこの人の推理通りです、あれ、僕の財布で……この人の財布の中身もスリました……」
その告白を聞いて、終夜はハア、と分かりやすいため息。
それから、パンパンの財布をすっと掲げた。
「最初から、そう言えば良かったのに……そうすれば、すぐに返したのに」
「か、返してくださるんですか……?」
「うん。こんな小銭を没収するほど、ウチは困ってないし。だから……ほら」
物凄く呆れた表情をした終夜は、そこでダッと窓際に駆けだした。
トイレではなく、この部屋についている窓。
そこに向かった彼女は、何にも言わずに────ポーンと財布を投げ飛ばす。
全員が呆気にとられた。
ただ一人、投げた張本人だけが涼しい顔をしていた。
口の端を僅かに上げながら、彼女はこう続ける。
「ほら、『外に』返したわ。だってこれ、外に落ちていた物だし……本当にあれがアンタたちのお金なら、さっさと拾いに行った方が良いんじゃない?次にあの路地を通りがかった人が、九城君みたいな良い人とは限らないんだから」
効果は覿面だった。
バタバタと暴れていた青井君と平黄君は、終夜の言葉を受けて、即座に外へと駆けだしていく。
自らの荷物も大事に抱えた彼らは、数秒後には敷地の外に出ていた。
彼らに紛れるようにして、赤木さんも姿を消す。
僕らが外を見ている隙に帰ってしまったようだった。
これ以上自分の企みを責められるのが嫌だったのか、一つの財布を掴んで揉めている二人を背に、どこかに逃げていく。
こうして、お屋敷に入り込んでいた三人の詐欺師は、綺麗に敷地から追い払われたのだった。
「んー……スッキリした!正門はオートロックだし、もう入ってこられないでしょ、アイツらも。泥棒関連の決着はもう、本人たちにつけてもらうとして……これにて、今回の面接は終わり。三人全員不合格ってことで!」
彼らの様子を倉庫の二階から眺めながら、終夜は清々しそうに伸びをする。
彼女の表情を見ながら、僕は無茶苦茶やるなあと軽く呆れた
まあ僕も、半分共犯みたいなものだけれど。
「ええっと……何だか変な感じになりましたけど、僕、帰りますね?」
爽快感溢れる余韻に浸っている終夜を見ながら、僕は今更のように口を開く。
とりあえず財布は元の持ち主たちの手に渡ったようだし、もう僕がここにいる理由はないだろう。
急がないと、学生寮の門限が来てしまう。
「すいません。僕の好奇心に付き合ってもらって、こうして捜査みたいなことまでさせてもらって……では、もう時間も遅いので」
ゴニョゴニョ言いながら、僕は倉庫から立ち去ろうとする。
いきなり女子と二人っきりになってしまったので、間が持たないというのもあった。
荷物を持ち直した僕は、すぐに階段を下りようとする。
だがその瞬間、背後から声をかけられた。
「あ、ねえ……九城君。ちょっと待ってくれない?」
「え?」
呼び止められるとは思っていなかったので、大分驚きながら振り返る。
するとそこには、どこか楽しそうな顔をした終夜の姿があった。
何だ何だと思っていると、彼女は不思議な問いを投げかけてくる。
「さっき私、一階で面接をしたって言ったけど……九城君、私が面接の中で何を聞いていたか、分かる?」
「何って……普通に、人柄とかを試す質問をしたのでは?」
突然何だと思いながら、流れで返答する。
面接で何を話していたかは、これまでの会話でもほぼ出てこなかったので、適当に想像するしかなかった。
しかしそれでも、普通なら入居前の面接で聞くことなど決まりきっているだろう。
しかし、終夜は僕の解答を聞いてふるふると首を横に振った。
そして、あっさりと正解を教えてくれる。
「違う違う。私ね、先週も今週も、面接者にある謎解きをしてもらってたの」
「謎解き?」
「うん……『日常の謎』の例題を、解いてもらったわ」
ほら、私って専攻が「殺人」だから。
ちょっと照れくさそうにしながら、彼女は理由を述べていく。
「さっきも言ったけど、殺人にまつわる推理なら結構自信があるんだけど、人が死なない事件を捜査するのが苦手なの。昔っからずっとそうで……だから今日も、あんな小悪党の詐欺の手口すら見抜けなかった。この弱点を何とか埋めないといけないって、前から思ってて」
「だから……同居人に、『日常の謎』が解ける人を求めたんですか?面接でも、その手の質問を?」
「そうそう。まあ、ちょっと難しすぎたみたいで、今まで誰も解けなかったんだけど」
先週集められた人たちは、全員落とされたと言っていた。
今日集まった三人も、面接直後から合格は諦めて、詐欺に全力を注ぐようになっている。
確かに、難しい問題を課していたらしい。
「九城君も知っての通り、今は探偵狂時代。殺人事件が多発していると同時に、詐欺や窃盗も激増している。だからそういう『日常の謎』を解ける人に部屋を貸して、身内にしておくのは大きなメリットがあると思ったの。いざって時に頼りやすいから」
「……部屋が余っているから、だけではなかったんですね。自分が不得意としている『日常の謎』の解き手が近くにいると、色々便利だと踏んでいた。だからこそ安い家賃で募集をかけ、その手の人材を見つけだそうとした」
「そうそう。私も同居している友達も、『日常の謎』は専攻じゃないから……だからこそ、ここで提案したいんだけど」
ここで、彼女は僕のことを真正面から見据えた。
見つめられた方を飲み込んでしまいそうな、虹を映した瞳。
それに魅せられている内に、彼女の薄い唇が開かれる。
「九城君……この倉庫を借りて、私たちと一緒に住まない?」
今日の謎解きの様子を見る限り、九城君にはそれだけの価値があると思う。
ふてぶてしさすら感じさせる笑みの下で。
終夜雫は、呆気にとられる僕にそんなことを宣言した。
かくして、僕たちの物語は始まる。
殺人事件しか解けない探偵、終夜雫。
日常の謎しか解かない探偵、九城空。
僕たち二人が出会ったことで。
探偵狂時代は、次のページへと移ることになる。
ただしそれを知ったのは、ずっとずっと、後の話だ。