前へ次へ
32/34

委員の沈黙

「……うん、これで必要な単位数は取得できると思う。アンタの取りたい講座も抜けなく入っているわ」

「そうか、ありがとう」


 頼れる終夜の声を聞いて、僕はほっと胸をなでおろす。

 入学式を終えた日の夜、香宮邸のリビング。

 夕食を終えた僕は、困っていた履修登録について終夜にヘルプを頼んでいた。


 ずっと分からない分からないと言っていたこのシステムだが、元々幻葬市に住んでいたお陰か、終夜はやり方について詳しかった。

 その恩恵にあやかる形で、自分の履修登録申請についてチェックしてもらったのである。

 香宮はいつも通り地下にいるので──そして、申請は自分で完璧にやるらしいので──彼女しか頼れる相手がいなかったという事情もあった。


「時間を取らせてゴメン、終夜。君は普通に申請用紙を書き終わっているのに、わざわざ僕のために……」

「別に良いわよ、このくらい。そもそも、新入生がこの登録でつまずくのはよくあることだしね。去年までもこの時期になると、困った顔をした学生がそこらをよく歩いていたわ」

「へえ……でも終夜は、どうしてこれのやり方について詳しいんだ?去年は中学生なんだから、流石にこんなのは無かったはずだろう?」

「幻葬市の中学校だと、幻葬高校を志望した三年生はこれのやり方について講習を受けられるの。だから覚えていたってわけ」

「そんなのがあったのか……そっか、だから君や香宮は困ってないんだ」


 羨ましいと思いながら、僕は申請用紙を封筒に戻していく。

 それを受講できていれば、こんなに困ることは無かったのだけれど。


「でもそれ、不公平な話だね。僕たちみたいな『外』出身の学生にも、受講できるようにすればいいのに」

「まあそうなんだけど、必要ないと踏んでいるんじゃない?だってほら、『外』から来た学生の大部分は、学生寮に住んでいるから。寮の先輩やルームメイトに相談すれば、講習なんて受けなくても履修登録のやり方を教えてもらえるもの」

「ああ、そっか……この場合、僕の方が変わっているのか」


 幻葬高校側は、学生寮で先輩からやり方を教えてもらえる「外」の出身者たちは、ある程度放っておいても何とかなると思っているのだろう。

 逆に地元からの入学者の場合、実家から通う人が多くて学生寮での相談ができない可能性があるため、講習を開いてくれた訳だ。

 僕みたいに、「外」出身なのに学生寮に入らず、別の宿を借りたパターンは例外なのである。


 ──そう言う意味では、終夜が話しやすいタイプで良かったな……もしも彼女との関係が悪かったら、履修登録だけでも詰んでいたかもしれない。


 何となく感謝の念が増して、僕は意味もなくもう一度頭を下げる。

 彼女はそれを不思議そうに見てから、最後に一つ忠告するわ、と口にした。


「履修登録はこれで問題ないと思うけど、申請用紙を出すのは期限ギリギリにしておきなさい。明日いきなり出すようなことはしないように」

「え、駄目なの、それ?」

「たまーにだけど、期限前に授業の担当教師が病気になったり、誰かに殺されたりして、講義開設が取りやめになることがあるのよ。そうなると、履修登録を練り直さないといけないから……一度提出しちゃうと、それを取り消して再申請するのが面倒でしょう?」


 さらりと述べられた「誰かに殺されたり」というワードに、身を固くしてしまう。

 この時代では当然想定しておかなければならないリスクなのは、無論分かっていたが。


「まあ勿論、普通はこのまま提出して問題ないのだけど……幻葬高校の教師って、元々狙われやすい立ち位置の人たちだから。万が一は想定しておかないとね」

「……やっぱり、狙われるんだ?」

「それはそうよ。幻葬高校を留年した学生が、教師を逆恨みして殺した事件も過去にはあったし……人に教えられるレベルで犯罪関連の知識が豊富な分、その知識目当てに変な組織に狙われるリスクもある。何が起こるか分からないのは、学内でも同じよ」


 そう言われて、僕は昼間に見た担任教師の姿を思い出す。

 非力で優し気な女性にしか見えなかった、あの人。

 彼女もまた、そう言ったリスクを覚悟してあの教壇に立っているのだろうか。


「何にせよ、入学したばかりと言っても気は抜かないようにしなさいよ、九条君。何か困ったことがあったら、別クラスだけどすぐに私たちを頼ってくれていいから……はい、今日は解散!」


 ちょっと暗くなった雰囲気を断ち切るように、終夜はそこでパン、と手を打つ。

 こういう振る舞いも含めて、本当に彼女は面倒見のいい人だった。






 結論から言えば、提出期限までに取り立てて問題は発生しなかった。

 提出期限までの一週間は、普通の高校生と変わりないような日々だったから。


 授業はいくつかあったが、そのどれもがオリエンテーションとチュートリアル。

 まだ履修登録が済んでいないので、本格的に受講開始とはいかないのである。

 流石に必修授業は普通にやるけれど、こちらの方もまだまだのんびりしていて、教師相手に自己紹介をするだけで終わるような日もあった。


 終夜や香宮とは必修のクラスが違うため、学内ではほぼ会うこともなかった。

 かといってクラスメイトたちともあまり話さず──元々、僕は友達を多く作る方ではない──黙々と学校に通っていた形になる。


 強いて変化を挙げるとすれば、これまた普通の学校らしく、委員会活動が始まったことくらいだろうか。

 学級委員とか、図書委員とか、ああいうのがクジで割り振られたのだ。

 それで僕が保健委員になったことが、唯一の変化と言える。


 しかし保健委員と言っても、クラス内に体調不良者が現れた時に保健室に連れて行くくらいしか仕事がないので、平時はやることがなかった。

 だからこれもまた、僕の日常に影響を与えなかった。


 もっとも、全ての委員がこんなに暇だった訳でもない。

 例えば、僕の隣の席に座る女子────例の涼風さんなんかは、掲示委員という役職に選ばれていた。

 名前の通り、クラス内でお知らせのプリントを掲示したり、逆に貼られたポスターを回収したりする、雑用係みたいな委員である。


 四月という時期の都合上、クラス内だけでも掲示物は多い様子だった。

 だから僕とは対照的に、涼風さんはかなり忙しくしていた。


 何度か手伝おうかと声をかけたのだけれど、「先生から任された仕事ですので……ちゃんと委員が一人でやらないと」と断られた辺り、責任感が強いタイプらしい。

 もっと言ってしまうと、あんまり友達作りに長けた子ではないらしく、いつ見ても一人で過ごしていた。

 そのせいで、更に雑用が大変になっているのである。


 何にせよ、彼女が助力を拒むのであれば、僕の出番は無い。

 元より、必修授業でしか近くにいない子の話である。


 だから普通に一週間は終わって、履修登録申請の期限はやってきて。

 終夜の言いつけ通り、僕は最終日になってからそれを恙なく提出した。


 ダイニングで終夜から質問をされたのは、その日の夜のことである。






「九城君、涼風さんって女子のこと知ってる?」


 夕食のハンバーグを切り分けながら、終夜は今思い出した、という様子でそんな質問をした。

 その唐突な話の流れと、質問の内容の両方に驚いた僕は、少し動きを止める。


「知ってるよ、必修授業で出席番号順に並ぶと、僕の隣の席だから……」

「ああ、そうなの。突然だけど、その子ってどんな子?」

「え、いや、地味目な大人しい子だけど……どうかした?」


 終夜と夕食を取るようになって半月近く経つが、こんな話題が出るのは初めてだ。

 だから理由を聞いてみると、終夜は首を捻りながらこんな話をする。


「私、今日の放課後に担任教師に用事があって、職員室に行ったのよ。まあ、その時はウチの担任は席を外していて、そいつの机の近くで待たされていたんだけど。それで暇だから、何となく周囲の様子を見ていたんだけど……偶々、アンタのクラスの担任教師を見かけて」

「担任って、優月(ゆづき)先生?」

「ええ。勿論職員室なんだから、教師がいること自体は不思議でも何でもないんだけど……その人、アンタのクラスの女子を呼び出して、ちょっと説教をしていたわ。それで、何だか気になって」

「へー……説教?あの先生が?」


 今一つ想像できず、僕は意外な顔をする。

 担任教師の優月早苗(ゆづきさなえ)先生は、非常に穏やかな人だ。

 少なくともこの一週間、声を荒げたところなど見たことが無い。


 そんな彼女が誰かを説教していたというのだから、自然と興味が湧いた。

 そもそもどんな失敗をすれば、入学して一週間で説教される羽目になるのか。

 しかも、話の流れ的にその説教相手は────。


「その時、涼風さんが叱られていたってこと?」

「ええ。名札を見たから間違いないわ。自然と話が聞こえてきて……」


 以降の終夜の話をまとめると、こうなる。


 まず優月先生は、決して怒鳴るようなことはしていなかった。

 ただ静かに、「どうしてこういうことをしたの?」と問いかけていたらしい。


 静かな様子なのは、叱られる側……涼風さんも同様だった。

 終夜の見る限り、暗い雰囲気のまま押し黙っていたそうだ。

 お陰で立ち聞きをする形になった終夜は、中々説教の原因──涼風さんが何をやらかしたのか──を知ることができなかった。


 だがそれについては、じきに優月先生の口から述べられた。

 押し黙った涼風さんを前に、困った様子の彼女はこう告げたそうなのである。

 教師のデスクに積まれた、履修登録の申請用紙を見せながら。


「涼風さん、どうして掲示をしてくれなかったの?私、何度も言ったでしょう?『履修登録申請の期限を三日伸ばすことになった。だからそのことを掲示して知らせて欲しい』って。てっきり涼風さんが伝えてくれていると思ったから、ホームルームでも繰り返し言わなかったのに……それが伝えられていないから、元の期限に合わせて提出する人が出てきたのだけど」




「えっ……履修登録の期限って、三日伸びたのか!?」


 初耳の情報を前に、僕は思わず大声を出してしまう。

 そんなこと、今まで一回も聞いていなかった。

 すると終夜は再び首を捻り、そのまま解説してくれる。


「やっぱり、九城君のクラスは知らされていないのね……でも、本当よ。何日か前に、掲示委員に知らされていたもの。急だけど、今年から期限を三日伸ばすことになった、だから入学式の一週間後じゃなくて、十日後に出してくれれば大丈夫だって」

「ちょっと待って。何で終夜はそんなに詳しく知っているんだ?掲示委員の事情まで」

「ああ、それは簡単。私、自分のクラスの掲示委員なのよ。今日職員室に行ったのも、掲示物を担任から貰うため……言ってなかったかしら?」

「初めて聞いたよ、それ」


 前々からそうだったけれど、どうも終夜は報連相を怠る傾向にある。

 なまじ思考速度が速い子だから、細かいことは自分の中で言ったつもりになってしまうのだろうか。

 同居人としては怖い傾向だが、今は一先ず期限日の方が気になる。


「ええと、つまり……履修登録の期限は実は延長されていて、掲示委員である涼風さんはそれを皆に周知するように頼まれていた。でもそれが何故か伝えられておらず、ウチのクラスの人間だけが、当初の期日に申請用紙を次々と提出し始めたって流れ?」

「そういうことになるわね。アンタもその一人?」

「ああ、今日出しちゃったから……何にせよ、それで優月先生が周知されていないことに気が付いて、掲示委員を呼び出して事情を聞いたのか」


 困惑する優月先生の顔がすぐに思い浮かんだ。

 確かにこれは、結構不思議な話である。


「でも涼風さん、僕が見る限りでは結構ちゃんと掲示委員の仕事をしていたみたいだけど……寧ろ、そのせいで忙しくやっていたようにすら見えた」

「真面目な感じの子なの?」

「うん。手伝おうかと言っても、責任もって一人でやりたいとか言っていたくらいだし」


 そんな彼女が、履修登録の申請期限延長という最重要の伝達事項を掲示し忘れていた。

 階段教室に用意されている掲示板に、赤文字で書きこむだけの仕事なのに。

 涼風さんのことを詳しく知っている訳ではないが、割と違和感の残るミスだった。


 掲示委員の仕事は多いが、この件はとりわけ大切な仕事だろう。

 履修登録は向こう半年間の学生生活、ひいては将来の探偵としての展望にも関わってくる。

 その期限日が延長されたというニュースは、決して杜撰に扱ってはいけない情報だ。


 大袈裟な言い方をすれば、この情報が伝わらなかったことで、ウチのクラスの人間は履修登録について考える時間が他のクラスよりも短くなった訳で。

 本当に伝え忘れたのであれば、どうして、と思ってしまうのは当然だった。


「それで……涼風さんは、何て答えていた?」

「何も言っていなかったわ……うっかりしていたのかと聞かれても首を振るし、じゃあ理由があるのかと聞いても答えないし。泣きそうな顔で、ずっと黙ってた」

「完全黙秘か……何でまた」


 理由が気になり、僕はこの話に興味を持つ。

 らしくない彼女の態度は、一体どういう意味を持つのか。

 全く知らない相手ではないこともあって、僕は自然と推理を始めていた。

前へ次へ目次