探偵だらけの学園生活・初日
幻葬高校・探偵学科
今まで何度も述べたように、探偵狂時代到来に合わせて「名探偵」が創設した私立高校である。
未来を担う探偵たちの養成を主目的としているが故に、ここには通常の高校とは異なる特徴が多く存在している。
例えば、大きな高校なのに普通科が無い。
入学した先で配属されるのは、探偵学科のみである。
法律的な扱いの都合上、一応「科」なんて概念が用意されてはいるものの、ここに入学したらもう探偵の勉強をする以外の道は無い訳だ。
代わりという訳ではないだろうが、施設は異様に立派である。
入試のためにこの会場に来た時には、呆然としてしまった。
何せ食堂一つをとっても、そこらのレストランを軽く超越する店構えになっているのだから。
この辺りは、私立探偵として活動する前から著明な投資家であったという、「名探偵」の影響が大きいのだろう。
惜しみなく注ぎ込まれた彼の財産は、生徒のために実に贅沢に使われている。
もっともそのせいで、探偵を目指してもいないのに、この施設目当てで進学しようとする人間が現れたそうだから、正直やりすぎの感もあるけれど。
他にも色々と変わった点はあるのだけど、入学してすぐの僕たちは気にしていなかった。
気にする暇も無かった。
というのも、入学式が終わってすぐにやらないといけないことがあったから────。
「はーい、これで資料の最終ページまで説明しましたねー……ではそれぞれ、半年後までの取得したい講義を選んで申請用紙に書いてください。ハッキング対策でネット登録はできないので、申請用紙はきちんと書くようにー。期限は一週間後です。では、十分休憩で……」
ほんわかした雰囲気の若い女性教師──僕のクラスの担任だ──がそう言い終わると、急に教室中からため息が零れたのが分かった。
安堵、疲労、緊張、緩和……色々な感情のこもった物だろう。
入学式直後、オリエンテーションが終わった時のことだ。
この少し前に、幻葬高校の入学式は、予想していたよりもあっさり終わっていた。
普通の学校と同じように、体育館で厳かな言葉が贈られて、校長が何か言って、新入生代表として知らない女子生徒が何かを読み上げて、それで終わり。
その後に新入生のクラスが発表されて、自分たちの教室に向かうように誘導されたのも、ごく普通の流れだった。
強いて言えば、向かった先の教室はちょっと変わった物だっただろうか。
幻葬高校の教室は、何故かどこも階段教室なのである。
従来なら大学とかに多い構造だと思うのだが、どのクラスもその構造で一致しているようだった。
と言ってもまあ、階段を上れば自分の席があり、そこに資料や教科書が置かれているのは普通と同じ。
担任である女性教師の解説の元、オリエンテーションが淡々と進められていたのだが────。
──それで早速、授業選択か……噂には聞いていたけど、変わった制度だな、これ。
苦笑いしながら、僕は先程配られたプリントと、分厚い講義解説の資料を見やる。
周囲に視線をやれば、殆どのクラスメイトが同じようなことをしていた。
皆、自分の選びたい授業について考えている。
……これこそ、幻葬高校の変わった点の一つ。
高校一年の段階から履修登録をさせる、選択授業制度である。
階段教室と同様、高校の割に何故か大学っぽい制度の一つだった。
──いやまあ、理念は分かるけどね。高校三年間で探偵としての能力を磨き上げるんだから、全ジャンルの授業なんてやっていられない。本人の希望で学びたい授業を選んで、自分の専攻に合った学習をしようっていう……。
僕自身がまさにそうだが、幻葬高校を選ぶような学生は既に専攻を決めている場合が多い。
入学時点から、学びたい方向性が定まっている訳だ。
そんな新入生たちに画一的な教育をしたところで、良い時間は過ごせない。
例えば、終夜みたいな「殺人」専攻の子に、「日常の謎」関連の授業ばかり押し付けても意義は薄いだろう。
殺人関連のテストは全部こなせるのに、「日常の謎」のテストで赤点を取ったために留年しました、なんてことになると時間の無駄だ。
社会が一人でも多くの探偵を求めている現在、できない分野を埋めるよりも、得意な分野を伸ばしまくってさっさと卒業させるプログラムが採用されたのである。
ただし、必修科目(一般教養、法律関連、体育など)も存在する──割り振られたクラスも、必修科目を受講する時のためのクラスだ──ので、自分の得意科目だけを履修して卒業することは流石にできない。
先程の説明によれば、毎週月、金が必修科目、火~木が選択した授業の日となっていた。
週二日はこのクラスで集まり、残り三日は自分で選んだ講座の部屋に向かうのだ。
──それでも、「外」ではかなり批判されていたけどな、この履修制度……いくら何でも、自分の苦手な推理ジャンルを深く学ばないまま卒業させるのはどうなんだって。他の職業は、そんなことはしてないのに。
この批判は、旧時代の常識で考えれば的確な物だった。
例えば医者の場合、いくら外科医になりたくても、内科や精神科の勉強は当然しないといけないし、それらができなければ医師国家試験には受からない。
検察官や弁護士も同様で、民法についていくら詳しかろうが、刑法の勉強もしていないと司法試験の合格は不可能だろう。
人の命を扱う仕事というのは、普通はそうやって、嫌でも全ジャンルの勉強をさせるのである。
しかし我らが幻葬高校では、そこまでのことをしていない。
自分の苦手な推理ジャンルは必修だけこなせればよく、後は得意なことだけやっていれば卒業可能。
如何にも歪んだこの時代らしい制度だけど────当座の問題は別にあった。
──この履修登録のシステム、やけに難しいんだよな……ええっと、半年間で何単位取って……一講座が何単位なんだ、これ?
頭を悩ませながら、僕はじっと資料を見つめた。
オリエンテーションの最中も思ったのだけれど、どうもこの高校のシステムはややこしすぎる。
この講座を取得すると何単位だとか、ここは不合格でも一単位くれるとか、この単位は最悪来年取り直すことも可能とか、そんな細かいルールが乱立していて、何が何やら。
これがもっとどうでも良いことなら適当に済ませたのだけど、向こう半年分のスケジュールに影響するとなれば、そんな訳にはいかなかった。
うっかり計算ミスして、授業は皆勤賞なのに必要な単位を取得できませんでした、では泣くに泣けない。
結局、僕たちは十分の休み時間を分かりづらい資料の解読に費やしていた。
──あー、終夜や香宮に意見を聞きたいな。別のクラスだけど……。
同じクラスだったら相談も簡単だったのに、と思いながら申請用紙に名前だけは書いておく。
そうしている内に時間が経ち、再び教室に担任教師が入ってきた。
「はーい、では皆さん座ってー……オリエンテーションの続きをしまーす」
相変わらず緩い感じの雰囲気で、まったりとオリエンテーションが進む。
教壇に立つ担任教師は、垂れ目とウェーブのかかったロングヘアによる優しげな容姿が特徴的な女性だが、どうやら内面も相当に緩いようだった。
何だかこの人の話を聞くと気が抜けるなあ、なんて思いながら僕たちは資料をしまって、オリエンテーションの続きを聞くことにする。
「この時間は、学校設備や受けられるサポート制度について解説しますー……ええと、まずは奨学金制度の案内について」
大量の資料と格闘しながら、解説は続いて行く。
次の話もまた、履修登録に負けず劣らずややこしい話のようだった。
情報の濁流に負けじと、僕は配布資料に齧りつき────そこでふと、奇妙なことに気が付いた。
──何だ?クラスメイトたちが、こっちをチラチラ見ている……?
出席番号順に座った都合で、僕は偶々、階段教室の最上段の列にいた。
この位置からだと、クラスメイトの大部分の様子が見えるため、自然と気が付いてしまう。
数人の男子生徒が、定期的に首をこちらに振ってくることに。
特に、僕の目の前の列の男子が酷い。
比喩でも何でもなく、三十秒に一回のペースでこちらを見てくる。
何だ何だ、僕の顔に何かついているのか────なんて思ったところで、僕はその視線の正体に気がついた。
──これ、僕を見ている訳じゃないな。寧ろ、僕の隣……?
近くの男子たちは、僕を一瞬だけ見ると、すぐに横に視線をスライド移動させている。
こちらを見たいのではなく、その隣を見ようとしているようだった。
自然、僕も視線を横に向ける。
すると当然、僕の目は隣の席にいる生徒の姿を捉えた。
机に貼られたネームプレートによれば、涼風蜜姫という女子生徒のようである。
履修登録で必死になって、今まで周囲を見ていなかったのだが────隣を見た瞬間、僕は彼女がクラスメイトたちの注目を集めている理由を察した。
別に、彼女が凄く美人だったとか、そういう理由ではない。
顔自体は地味目で、セミロングの髪と眼鏡だけが特徴の普通の女子である。
しかし彼女は、何というか……非常に目立つスタイルをしていた。
端的に言えば、胸が大きかった。
制服の上から分かるレベルなのだから、相当な物だろう。
机に胸を乗せる女性なんて、現実で初めて見た。
要するにそこには、とても高校一年生とは思えないスタイルの女子がいたのだ。
──これで悪目立ちしていた訳か……あからさま過ぎるだろう、皆。
本当に探偵の卵かよ、と僕はクラスメイトたちにかなり呆れる。
一応、今はオリエンテーション中なのだけど。
話を聞く気はないのだろうか。
──まあでも、そこは所詮男子高校生ってことか。多分、入学式中とかは緊張もあって、彼らも気が付いていなかったんだろうな。
しかし休憩を挟んだため、多少は自由に席を移動できるようになった。
クラスメイトを観察する余裕も出てきて、男子たちの中には、女子の品定めみたいなことをした人もいたのだろう。
結果として、目立つスタイルをしていたこの子に注目が集まったのか。
──可哀想だから、止めてあげて欲しいんだけどな……。
隣を見てみると、涼風さんは目を伏せて前を見ないようにしていた。
資料の冊子を立てて開き、自分の体を下の生徒たちに見せないように努力している。
明らかに周囲の視線を意識した動きだが、ここまでやっても、体を隠すのは難しいようだった。
この子も大変だな、と僕は密かに同情する。
旧時代からこの手の問題はあったと思うけれど、探偵狂時代ではより一層、「スタイルが良い」というのは深刻な問題と化していた。
言うまでもなく、痴漢やら盗撮やらの犯罪に遭う頻度が増えるからである。
一応は厳しい入試を潜り抜けてきた、幻葬高校の一年生ですらこれなのだ。
一般道をこの子が悪目立ちせずに歩こうと思えば、かなりの努力が必要とされるだろう。
ぶかぶかの服を着て体型が分からないようにするとか、そういう面倒臭い手間が増える。
……そんなことを思っている内に、前列の男子がまた首を曲げた。
本人としてはチラ見している気なのだろうけど、客観的に見て十分にガン見している。
流石に不快になった僕は、いっそ注意しようかと悩んで────そこに担任の声が届いた。
「……えー、サポート制度の一つに、サブモニターの導入があります。ここは階段教室ですので、後ろの列の生徒はボードがかなり遠くになっちゃいます。そのせいでよく字が見えない人に、サブモニターを貸し出す制度です。出席を簡潔に取るために、必修授業の席順は今ので固定ですから、視力が悪くても、前の列に行けないので……後方の席で目が悪い方は、今、挙手してくださーい……すぐに渡しますので」
台本を読み上げるようにして解説しながら、担任は段ボール箱に入ったサブモニターたちをこちらに見せる。
小さめのテレビみたいなそれは、挙手すればすぐに机に設置してもらえるようだった。
視力が悪い生徒たちが即座に挙手する中────ふと思いつくことがあった僕は、同じように手を挙げてみる。
「はーい……九城君ですね、どうぞー……」
重そうにサブモニターを持ってきた担任は、ずいっとこちらにそれを差し出した。
会釈をしてから、僕は自然な動きでそれを取り付ける。
僕の席の真ん前ではなく、僕と涼宮さんの間の位置に。
何も問題ないだろう。
折角サブモニターが来たので、隣の席からでも見られるようにしただけだ。
こうやる人は多いのか、担任は何も言わなかった。
しかしそこで、はっきりと前の席の男子たちが舌打ちをしたのが分かった。
まあ、彼らとしては残念なことだろう。
モニターが邪魔で、涼宮さんを見ることができないのだから。
──隣の僕は彼女を見ないし、反対側の隣は女子生徒……とりあえず、これでOKかな。
ちょっと残念そうな様子で視線を前に戻す男子たちを見ながら、僕は予想通りにことが運んで安堵する。
これで一先ず、必修授業の間はあの不躾な視線を排除できるだろう────そう思ったところで、ちょんちょん、と肘を隣からつつかれた。
あれ、と思って振り返った先には、当然ながら涼宮さんがいた。
いつの間にやら、彼女はずりずりと席を移動して僕に近寄っている。
何気に初めて会話する彼女は、困惑した顔で僕に囁いた。
「あの……九城さん、でしたか。その……」
「……何です?」
「目、本当に悪いんですか?眼鏡とか、していないみたいですけど……見づらそうに顔をしかめてもいませんし」
僕は思わずふっと笑う。
視力は両目とも一・五ですよ、とは言わなかった。