新時代の犯罪
「何?黙っちゃって……財布を拾ったの、アンタじゃないの?」
こちらが黙っていたせいか、少女は不審そうに眉を顰める。
その苛立ちが伝わってきたため、僕は慌てて説明をした。
「あ、いえ、そうです。今しがたこの財布を拾った者でして……」
「ふーん。アンタ、見かけない顔だけど……『外』の人?」
「は、はい。今日、幻葬高校に入るためにこの街に来たばかりで」
「そ。じゃあ同い年か」
その一言で僕に興味をなくしたのか、少女の視線は僕から僕の手元に移る。
拾った財布をじっと見つめ始めたのだ。
何となく急かされた気分になった僕は、これまた慌てて説明を追加する。
「これ、さっきあそこの塀の隣で見つけたんです。信じられないかもしれませんけど、上からポーンと落ちてきて……中身も結構入っていたので、落とし主に届けたくて」
「結構入っているって、いくら?」
「いやまあ、数千円ですけど……落とした人、困っているだろうなあと」
そう言いながら財布を渡してみると、少女はパパッと中身を確認する。
そして僕の言ったことが間違っていないと分かったのか、今度は彼女の方が呆れた口調になった。
「もしかしてだけど、これ、拾ってから普通にそのまま持ってきたの?中身も抜かずに」
「ええ、まあ」
「実は紙幣も入っていて、小銭は無視してそっちだけ盗んだってことはないかしら?」
「してませんよ。というかそれ、そもそも紙幣が入らないタイプですし」
カード類も無いので本当に小銭入れなのだと説明すると、少女は迅速にそれを確認。
やがて、感心したような顔でこちらを見た。
「ホントだ、小銭以外は何も無い……お人好しね、アンタ。この時代には珍しいくらいに」
ウチに来た三人にも見習わせたいくらい────そんなことを言いながら、少女は表情を歪ませる。
その言い方が余りにも気になったので、僕は質問をぶつけることにした。
「あの……この財布について、何か心当たりでもあるんですか?」
「ええ、あるわ。大アリよ。まず間違いなく、これはウチに来た学生が放り投げた物だと思う」
「……どういう状況で?」
何で財布を外に向かって放り投げるのかも分からないし、それをどうしてこの少女が断言できるのかも不明だった。
そもそも、「ウチに来た学生」とはどんな存在なのか。
疑問符で頭を埋めていると、向こうもそれを察したのか、クイッと親指で後方の屋敷を指し示した。
「ちょっと、色々とややこしい状況があるのよ……どうする?中で聞く?お茶くらいは出すけど」
「え、良いんですか?」
「普通なら、そんな簡単に屋敷の中に人を入れないけど……」
危険だしね、と至極真っ当な意見が述べられる。
まあ、妥当な判断基準だろう。
治安の悪化した現代どころか、旧時代でも、見知らぬ人間をそう簡単に自宅には入れなかったと思う。
「でもまあ、拾った財布をそのまま届けるような人を家に入れたところで、別にどうこうすることは無いでしょう?アンタ、前科とかも無いっぽいし」
「確かに前科は無いですけど……えっと、信頼してくれてありがとうございま……す?」
何だか妙な信頼をされたな、と思いながら僕は頭を下げる。
本当に親切心で財布の落とし主を探していたはずなのだが、急に妙なことに巻き込まれているような。
どうしてだろうかと思っている内に、少女はスタスタと屋敷の玄関まで僕を連れて行っていた。
少女に連れられる形で目にした洋館の内装は、意外と普通の物だった。
外見通りの滅茶苦茶広い空間で、恐らく建築技術も一流の何かが使われているのだろうが、思っていたよりも派手な場所ではない。
高級な絵画が飾られているようなことはなく、簡素な家具が点在するだけだった。
どういう訳か人の姿も見えないので、屋敷の空気も静かな物である。
一言で言えば、意外と地味な家だった。
その中の一室──恐らくは応接室だろう──に僕を連れてきた彼女は、ここで待ってて、と告げてしばし消える。
しばらくしてから戻ってきた彼女は、約束通りに紅茶を持参していた。
「私、紅茶淹れるの下手だから。そんなに美味しくないと思うけど……」
「あ、いえいえ。僕もその、紅茶の味の良し悪しが分かるような上品な人間ではないので……」
少女が謙遜らしい言葉を述べると、僕の方も自虐めいた何かを述べる。
どうにも距離感が掴めなかった。
出会って五分なのだから、仕方がないのだが。
「それで、その……玄関先で話していた、ややこしい状況というのは?」
差し出された紅茶を一口飲んでから──宣言通り、味はよく分からなかった──僕はずばりと本題に入った。
元々僕は、今日中に幻葬高校の学生寮に赴く予定になっている。
午後六時までに学生寮の門を叩いておかないと、今夜は野宿になってしまうので、この話はそれなりに急ぐ必要があった。
「その前に、自己紹介をしておきましょうか。私は、ここに住んでる学生の終夜雫。終わった夜の雫で、終夜雫ね。初めまして」
「……どうも」
どうにもリアクションし辛く、僕は曖昧な言葉を返す。
珍しい名字だなあとは思ったのだが、この幻葬市では意外とありふれた名字かもしれないし、あんまり過剰に反応するのも失礼だろう。
だから単に、頭を下げながら相手の顔を観察するに留まった。
──でも、凄く可愛らしい人だな……屋敷もそうだけど、お金持ちのお嬢様?
こうしてじっくり見ると改めて分かるのだが、終夜雫と名乗るこの少女は、物凄く人目を引く容姿をしていた。
あんな派手な登場をしていなくても、間違いなくすれ違うだけで振り返ってしまったことだろう。
ブルネットに近い、栗色をしたつややかな髪色。
それを頭の後ろで一本にまとめた様は、時代劇の女剣士に似ている。
そして髪型の印象から決して浮いていない、勝気な瞳。
大きな瞳はどこか蒼みがかっていて、異国風の雰囲気もある。
話によれば僕と同い年らしいのだが、年齢に見合わないスタイルをしているところを見ると、外国の血が入っている人なのかもしれない。
何というか、あらゆる面で日本人離れしている少女だった。
「……何だか黙ってるけど、そっちの名前は?」
「あ、すみません……僕は九城空と言います。さっきも言いましたけど、高校進学のためにこの街に来まして。昨日までは、東京に住んでました」
「そう。今の時期に多い新入生か……」
なるほどなるほど、と言いたそうに終夜は頷く。
学園都市であるこの街は、当然ながら春になると一気に外から人が入ってくる。
僕みたいな新参者を見かけるのは、元々ここに住んでいるらしい彼女にとっては、季節の風物詩なのかもしれない。
──でも同じ年齢なら、この子も幻葬高校に春から通うのか。現地の人向けに、小学校や中学校も設置されてたはずだし……そこから普通に進学したのかな。
今更のような発見をしている内に、終夜はごくごくと、スポーツドリンクでも飲んでいるかのように勢いよく紅茶を飲み干した。
そのままカップを皿に置くと、「まず、ウチの状況なんだけどね」と話し始める。
「見ての通り、私はこの屋敷に住んでいるんだけどね」
「はあ……ご家族とですよね?」
「ううん。友達の女の子と二人暮らし」
「へえ、二人暮らし……ふたりぐらし!?」
平然と語られた言葉に初手からツッコむ。
家族と住んでいないということにも驚いたが、それ以前に住人の数に驚愕した。
百人は余裕で住めそうなこの大屋敷の中に、住んでいるのがたったの二人?
「何よ、別におかしなことじゃないでしょ。ちょっと規模の大きなルームシェア、みたいな」
「いやいやいや、規模が大き過ぎますよ……部屋が余るでしょう?」
「そう、それ。それが本題に繋がるんだけど」
「本題って、財布の件に?」
「うん。その内分かってくるから、長くなるけどちょっと聞いてて……この屋敷、あんまり人が少ないのも防犯上アレだし、部屋を遊ばせておくのも勿体ないと思って。他にも色々事情はあるんだけど、友達と話し合ってあることを決めたの」
「あること、とは?」
「部屋を学生向けに貸そうかなって考えたの。つまりここ、現在入居者募集中の物件なワケ」
「はあ……賃貸を始めたんですね、余っている部屋で」
妥当な判断だな、と思った。
どう考えたって、これだけの建物に二人しか住まないのは勿体ない。
人に部屋を貸せば家賃も入ってくるだろうし、部屋の掃除なんかも住人がしてくれるだろうから、良いことずくめである。
「因みに、家賃はおいくらで?」
「んーっとねー……」
思い出すようにして告げられた金額は、想像よりも遥かに安かった。
普通に学生寮で生活するよりも、更に安い。
この子、相場が分かっていないんじゃないだろうか────なんて心配したところで、「ただね」と説明が続いた。
「ほら、現状住んでるのが私と友達の女子だけだから、できれば住人は選びたいでしょう?強盗とか泥棒とかが住み着いたら最悪だから」
「確かに。悪人が中に入り込んだら、屋敷に置いてあるものを全部盗まれてしまう」
「友達もそう言ってたわ。だから、入居希望者には事前に面接とかをしようかなって話になって」
これまた、妥当な判断だった。
旧時代ですら、アパートやマンションの部屋を借りる際、住人の職業や年収を大家が審査していたと聞く。
誰かに部屋を貸すという行為は、住人の社会的な信頼に支えられている訳だ。
まして今回、貸し出すのはこんなに大きな屋敷の一画。
住んでいるのは女子二人。
身の安全を考えるのであれば、住人を厳選するのは当然の自衛と言えた。
「だからまず、先週にネットで入居希望者を集めて、私が面接をした。先週の時点で、もう新入生とかは結構来てたから」
「早く来たメンツは、確かにそうなるでしょうね。これだけの場所でその家賃ですし、優良物件に思われたのでは?」
「ぽいね。割とたくさんの人が来て……まあ、私が全員落としたんだけど」
──全員落選……入居希望者に悪人が多かったのか、それともこの子の審査基準が厳しかったのか、どっちだ?
どちらにも解釈できるな、と思いながら紅茶を一口。
先程の状況を思えば、審査基準が厳しいのは当然といえる。
今の時代、「アパートを人に貸しました→そいつが殺人犯でした→大家が人質にされて立てこもり事件を起こされました」なんてことも平然と起こっているのだから。
「ただその時に、ちょっと厄介な奴が現れて」
「厄介?」
「簡単に言えば……落選した時点で騒ぎ出した奴がいたのよね。『面接の控室で待っている時に、自分の財布がなくなった。探したけど見つからないし、これはもう大家であるアンタか、他の入居希望者が持ち去ったとしか思えない。弁償しろ』って」
「うわあ……」
あまりにも大胆な、しかしよく聞く手口に僕は呆れる。
幻葬市はどうか知らないが、少なくとも「外」では頻発する詐欺だった。
詰まるところ、この時代に激増した犯罪の一つである。
「そいつ、面接中の態度が滅茶苦茶で、真っ先に落とした奴だから、多分自分でも落選を察してたんだと思う。それで、手ぶらじゃ帰れないと考えたんだと思うけど……」
「大方、待ち時間のどこかで、自分の財布をすぐには見つからない場所に隠したんでしょうね。その上で、財布が盗まれたと騒ぎ出した」
「そういうこと。それで財布の中身を弁償しろ、もしくは見つかるまで住まわせろとか言い出して……」
──そこまでやったのか……。
神経の太い奴もいるものだなあ、とこれまた呆れる。
一種の当たり屋みたいなもので、この時代の日本にはしばしば現れる人種なのだが、まさか幻葬市でも見られるとは。
例え本当に財布を無くしたとしても、それは大家の責任にはならないだろうに。
「でもそれ、どうしたんですか?所詮は小悪党のたかりというか、地味な詐欺ですけど……警察は民事不介入とか言って取り合ってくれませんし、粘られると厄介ですよね?」
「そうよね。でも私、もうそんな馬鹿の相手をするのも面倒臭かったから……」
「どうしたんです?」
「小金を渡して帰らせたのよね。これで文句ないでしょうって言いながら」
「あー……」
それはまた、最悪の対応をしてしまっている。
小金をちらつかせれば、確かにその場で騒いでいる奴は帰るだろう。
しかし、その場面を他の入居希望者たちも見ているのが不味いのだ。
この話を聞いた人はきっと、こう思うだろう。
なるほど、あの屋敷の大家は、こういう手口で騒げばお金をくれるのか。
だったら────。
「今日、また別の入居希望者を三人集めて、面接をしているんだけどね……全員が言ってるのよ」
「財布をなくした、と?」
「そう。それで賠償をしろって、三人が三人とも言い出して……」
丁度困っていたところ、と言いながら終夜は苦笑いする。
元の顔が良いので、苦笑いすらどこか綺麗だったが、話の内容は全く綺麗では無かった。
まとめると、新種のたかり屋たちに目を付けられてしまったという話になる。
「え、じゃあ、もしかしてこの財布って……」
「うん。その三人の内、誰かの物なはず」
「入居希望者である三人の内の一人が、この屋敷に来た後で詐欺を思いついて……自分の財布を外に放り捨てることで、財布をなくしたフリをしていると?」
そんな馬鹿な、と最初に思った。
いくら何でも犯行が杜撰過ぎるというか、行き当たりばったり過ぎる。
僕が財布を拾ったことからも分かる通り、こんな物は周囲にはバレバレの計画で、しかも通りすがりの人間に財布を盗まれるリスクのある行為だ。
数千円とは言え、今の時代お金は貴重である。
こんな行為は最早、詐欺としても成立していない。
……しかし同時に、このお屋敷を見ればそんな行為に走ることも有り得るかもしれないな、とも僕は感じていた。
先程の「小金を渡して帰らせる」という気前の良い対応からして、間違いなく終夜の家は尋常ではない資産家だ。
屋敷に二人しか住まわせないなんて贅沢すら許される、とんでもないお金持ち。
そんな家の人間にちょっとゴネるだけでお金が手に入るとなれば、魔が差した人間が現れること自体は全くおかしくない。
犯人もここに来た時点では真っ当に入居する気で、だからこそ財布を持ってきたのだろうか。
しかし実際に屋敷を見たことで、思わず財布を外にぶん投げてまで詐欺に走っていて────僕が見つけたのは、その一つということか?
探偵狂時代になったからといって、推理小説のように複雑な密室殺人ばかりが起きるようになった訳ではない。
寧ろ頻発するようになったのは、この手のどうしようもなくズルい小金稼ぎだ。
そう言う意味では、これは現代らしい犯罪と言えた。
「……それで、ちょっとお願いがあるんだけど」
ここまで理解したところで、ずい、と終夜がこちらに顔を近づける。
思わずのけ反ったが、それも構わずに彼女は提案してきた。
「財布を盗まずにそのままやってきた、アンタのその素直さに賭けて、頼みたいことがあるの」
「……何をです?」
「アンタ、財布を投げた人間の顔を見てない?或いは見てなくても、何とか持ち主を判別できない?」
無茶言うな。
紅茶を飲みながら、まずそう思った。