誕生日と命日(Period4 終)
無論、これは合理的ではない考え方だ。
誕生日を知ったところで、本当に僕の悪夢が終わるかなんて分からない。
でも香宮なら、こういう思考を理解してくれるのではないかという気がしていた。
だって、彼女は────。
「……夕食の時にさ、香宮、言っていただろう?君は人の命日を調べる探偵だって。命日が分からない限り、人はちゃんと死ねないから自分が調べるんだって」
月明かりに導かれるように、彼女に問いかける。
じっとこちらを見つめながら、彼女はすっと頷いた。
彼女の信念に当たるであろう言葉だ、間違えるはずもない。
「この言葉、僕も真理だと思う。命日みたいな重要な日は、やっぱり正確に分からないと人の一生に区切りがつかない。所詮は書類上の記載であったとしても、解き明かせるならそれに越したことはない。そしてそれは……誕生日に関しても同じことが言えると思う」
「つまり……」
僕の言いたいことを察したのか、香宮が口を挟む。
彼女は僅かに逡巡してから、やがてはっきりと自らの持論の裏を述べた。
「命日が分からない限り、人がちゃんと死ねないように……誕生日が分からない限り、人はちゃんと生まれることができないということ?」
「少なくとも僕は、そう思ってる」
多くの人にとってはただの平日であっても、それでもやはり、誕生日というものは本人にとっては重要な日だ。
そこを起点として、全てが始まったのだから。
誕生日があるからこそ、人はその後の生を当たり前のように受容できる。
開始十ページが落丁した小説が、商品にならないように。
冒頭を見逃した映画を続けて見ても、後の展開を理解できないことが多いように。
起点を飛ばしてしまうと、その後の全てに自信が持てない────完全な形で成立しなくなる。
「まあ、我ながら極端な考えではある。戸籍上には一応の誕生日があるんだから、普通ならそれで十分だ。そもそも他の人だって、自分が生まれた瞬間の記憶なんて無いのが当然で、親から聞いた誕生日をそのまま引用しているだけだろうし……」
「それでも、貴方は気になった」
「そうだ。君が人の命日が気になって仕方が無いように……僕は自分の誕生日が、気になって仕方がない。そこが分からないと、どこにも行けない気がしているから」
そしてこれを知るためには、努力の必要がある。
自分が捨てられるまでの全容を調べないと、真の誕生日は解明できないだろう。
パッと思いつくだけでも、恐らくは幻葬市の住民であろう実の親の捜索、産婦人科などの記録の検索、産婆さんや闇医者のことだって調べないといけないかもしれない。
「義父さんには……反対された。誕生日を知るためだけに、そんな危険なことまでしなくていいって。悪夢とかの問題は、きっと保護者である自分が解決してみせるからって」
「良い人ね、本当に」
「ああ。嬉しかったよ、気遣いは」
本当に、僕はとんでもない親不孝者だ。
こんなにも義父さんに感謝しているのに、その義父さんが望まないことをこんなにもやっているのだから。
実際、義父さんの述べる危険性は正しい。
僕の頭にだって、これが命の危険を伴いかねない行動であることは分かっていた。
上に挙げたように、誕生日を調べるためにはどうしても、僕の実の両親の動向を探る必要が出てくる。
しかし平然と子どもを捨てているところからして、僕の両親がマトモな人間である可能性は極めて低い。
両親の正体は反社会的勢力に所属している人物でした、或いは収監されている死刑囚でした、なんてオチすら有り得るのだ。
そんな危険人物の動向を追いかけようとするのだから、ただ誕生日を調べようとするだけで、僕はとんでもない危険に巻き込まれる可能性があった。
場合によっては、探偵狂時代の危険な裏社会の動きを探るようなことになるかもしれない。
義父さんが反対するのも当然だろう。
「結局、大喧嘩して飛び出すようにこの街に来た。それでも義父さん、良い人だから学費や生活費はちゃんと送ってくれた。引っ越し費用も……だけど正直、これがいつまで続くかは分からない」
「元から幻葬高校進学に反対していた彼が、生活費の仕送りを打ち切る可能性があるのね」
「その通り。義父さんは良い人だけど……良い人だからこそ、そこまで厳しい態度をとってまで、僕を『外』に戻そうとする可能性はある」
一種の兵糧攻めだが、所詮は義父さんの脛を齧っている僕に対しては有効な戦術だ。
本当に義父さんが僕に誕生日調査を止めさせようと思ったなら、そこまでするだろう。
しかし僕は、義父さんに逆らってでもこの街で調査をしたいので────対策を練っておく必要があった。
「だからこそ、このお屋敷に住みたかったんだ。家賃が安いに越したことは無いから……出費が少ない程、いつか仕送りが打ち切られたにしても、この街に留まりやすくなる。より貯金できるから」
「そのためなら、雫の怪しい誘いすら利用したかったということ?」
「ああ。僕も正直、変な誘いだとは思っていたよ。だけど、チャンスを逃がしたくなかったんだ。学生寮の入居費、そこそこするから……」
ここでお屋敷に住んでしまえば、その分だけ渡されている生活費を節約できる。
学校が始まればバイトもするつもりなので、最悪自分で家賃くらいは稼げるだろう。
終夜が提示したこのお屋敷の家賃は、そのくらい安いものだったのだ。
「……長くなったけど、僕がこのお屋敷に住もうとした理由はこれで全部だよ。僕は自分の誕生日に異様な執着を持つ人で……その目的のためにも、少しでも家賃の安いところに住みたかったってだけ」
長々と続けた一人語りも終わり、僕はそこで香宮に対して浅く微笑む。
変なことに付き合わせてしまったな、と思いながら。
彼女が僕の入居動機を不思議がっていたので、こんな話をしてみせたのだけど……。
話し終えてみると、これで彼女を安心させられるかどうかは微妙な気もしてきた。
寧ろ、別ベクトルで怖がらせてしまっただけのような。
「……僕のこの動機が、その、どうしても怖い、気持ち悪いと感じるのなら、遠慮なく言って欲しい。いくら僕でも、大家さんを怖がらせてまでここに留まろうとは思わない。どうしても折り合えないなら、また学生寮に連絡するから……」
香宮に配慮するつもりで、僕はそんな言葉を続ける。
しかし意外にも、彼女は割と平然とした様子でそこに佇んでいた。
何も怖くない、と明示しているように。
「私は……怖いとは思わないわ。貴方の立場からすれば、当然の願いだと思うもの」
「そう?『外』の中学校で、自分の誕生日を知るために幻葬市に行きますって言ったら、割と怖がられたんだけど……そんなどうでもいいことのために自分の進路を決めるなんて有り得ない、狂ってるって、皆言ってた」
「どうでもいいことじゃないわ。大丈夫、貴方はおかしくなんてない」
さらりと。
本当に当たり前のことのように、香宮はそう返答する。
こんな風に評価されることは初めてだったので、僕は思わず硬直した。
そんな僕を見ながら、香宮はふわりと体を揺らして、もう一言。
「それに……仮に狂っていたとしても、それが何だと言うの?何も問題ないわ」
「……どうして?」
「だって今は、探偵『狂』時代なのだから。国も、警察も、一般人も、誰も彼もが狂ってしまっている。貴方を批判したその人たちだって、生きている限りはこの時代の狂気からは逃れられない……そしてこんな時代だからこそ、自分の道は自分で決めるものよ。何が正しくて何が狂気なのか分からないのなら、どこまでも自分の判断を疑って、同時にどこまでも自分を信じるしかないもの」
私が、誰に何と言われようと命日の探求をするように。
貴方もまた、誰に何と言われようと誕生日を追い求める。
それだけのことでしょう、と香宮は話をまとめた。
「……香宮」
こういう風に言われたことは初めてだったので、僕は驚いて彼女に呼びかけてしまう。
彼女も、他人から見ると怖がられるような拘り──何よりも死法学の研究を優先すること──があるので、僕の思考を理解しやすかったのだろうか。
最初からそれを期待していたのは事実だが、ここまで速攻で理解してくれるとは思わなかったので、僕は呆然とする。
「……今更だけど、謝っておくわ、九城君。不躾に貴方の過去を聞いてごめんなさい。この前から、貴方のことを疑うような真似をして……」
「あ、いや。それは別に。何度も言っているけど、香宮が僕を疑うのは当然の流れだし」
続けて唐突に香宮が謝ってきたので、僕は慌てて気にしていないと訴えた。
この前の一件でも思ったが、妙なところで素直な言葉をくれる子だ。
何だかんだで自分の過去を隠していた僕とは、対照的な態度とも言えるかもしれない。
──対照的、か。でもそれを言うなら……。
ふと思うことがあって、僕はそこで満月ではなく屋敷の本館を見つめる。
そこでは、今も終夜が眠っているはずだった。
自分の過去にまつわる話が一段落したからか、何となく彼女を思い出してしまう。
「どうしたの?」
黙って建物を見つめ始めた僕を不可解に思ったのか、香宮がフランクに質問してくる。
それに対して、ああいや、と苦笑を返した。
「何というか、ここって僕と色んな意味で対照的な人が住むなあと思って……」
「どういうこと?」
「元々は、終夜と話している時に感じたんだ。彼女は僕と真逆の探偵だって……『殺人』専攻と、『日常の謎』専攻だから」
殺人に対しては推理力を発揮できるが、もっと些細な事件は解けない終夜。
日常的な謎なら何とか解けるが、殺人のような大規模な事件を解き切る能力は無い僕。
僕と終夜の推理傾向は対照的で、だからこそ彼女は同居してでも僕の推理力を必要としている────そんなことを、以前に終夜に言われた。
「でも今の話を聞く限り、僕と香宮も対照的な部分があっただろう?」
「そうね……私は、命日を調べる探偵。貴方は、誕生日を調べる探偵。人生の最初と最後を調査することを、それぞれ目的としている」
「ああ。だから何だか、面白くなってきて。幻葬市に来てたったの一週間で、こんなにも対照的な人に出会えたんだ……これからは、どうなるんだろう」
そう言ってみると、香宮はふっと微笑んだ。
そのまま、歌うように言葉を並べる。
「これから、きっとたくさん会えると思う。貴方も私も、勿論雫も、幻葬高校に通うのだから。探偵の卵たちが集まる場所に……」
「確かに。幻葬高校での生活なんて、正直誕生日を調べるためのついでみたいに思っていたんだけど……中々どうして」
楽しみになってきたかもしれない。
そう呟くと、香宮はそこでもう一度、僕に向かって微笑んでくれた。
それは、あの地下室で見た死体のような表情ではなく。
月を見ていた僕ですら、思わずそちらに視線が吸い寄せられてしまうような。
本当に、美しい笑顔だった。
この後、香宮は用を果たしたとして自分の部屋に戻っていった。
地下室に戻ってまた何かをするのか、それとも今度こそ寝るのかは分からない。
どちらにしても、僕が手伝えることじゃない。
僕はただ、それからも屋上で静かに過ごした。
夜が明けるまで。
「おはよ、九城君」
「ああ、おはよう、終夜」
「ちょっと待っててね、今パン焼いているから……」
朝になってからリビングに行くと、隣接されているキッチンで終夜が朝食の用意をしているところだった。
僕と違ってがっつり寝たのか、彼女は朝から元気がいい。
つい昨日、自分が例の事件に関われなかったことを凄く悔やんでいた──彼女が大慌てで用事から帰ってくる前に、香宮が片付けてしまったのだ──のだけれど、それはもう引き摺っていない様子だった。
「あれ、香宮も……」
そこまで話したところで、僕は終夜の隣で香宮が紅茶を淹れていることに気が付く。
向こうも僕を見て驚いたのか、少しだけ固まった後、おずおずと唇を震わせた。
「おはよう、九城君」
「……おはよう、香宮」
「今、紅茶とお茶菓子の用意をしているところだけど……このお菓子、貴方も食べる?」
「え、良いのか?」
流れるようになされた提案に目を丸くする。
前々から気になっていたお菓子だったが、こんなに簡単に貰える物ではないと思っていた。
「別に、これは私専用のものではないわ。雫が好んでいないから、何となく私しか食べていなかっただけで……正直、私一人では食べ切れないくらいにあるもの」
「そうなんだ……なら、少しだけ」
「ええ、今から用意するわ。味は何か、希望あるかしら」
「いや、正直詳しくないから、その、香宮のと同じ感じで……」
一瞬で僕の知識不足が露呈してしまい、何となく恥ずかしくなりながらオーダーを出す。
しかしこれも想定された反応だったのか、香宮は僕を見ながらクスリ、と笑った。
仕方がないわね、とでも言いたげな表情で、ゴソゴソと僕の分を用意してくれる。
僕と香宮のそんなやりとりを、終夜は横から興味深そうに見ていた。
ゆらりとキッチンから離れると、何故か僕相手に内緒話をしかけてくる。
「凪と九城君……いつの間にか滅茶苦茶仲良くなってない?」
「……そう?」
「そうだって!え、何か切っ掛けとかあったの?」
興味津々な目をした終夜に押し寄られて、僕はうーんと悩む。
切っ掛けはまあ、あるにはあるのだろうけど。
話の内容上、あんまりポンポン言わない方が良いことではある。
「ちょっと、分からないな。元からこうだっただろう、多分」
だから僕は、思いっきりはぐらかした。
無論、終夜は「えーっ?」と不満顔をする。
「そう言われると、猶更気になるんだけど……」
「まあまあ。とにかく僕は分からないから、他に当たってくれ」
「九城君が分からなかったら、私に分かる訳ないでしょう……凪も、こう言うのは教えてくれるタイプじゃないから」
ブツブツ言いながら、諦めたように終夜は体を離す。
それを見ながら、僕はゴメンと心の中で謝った。
ひょっとすると今日を境に、終夜には「日常の謎」が一つ増えたかもしれない。
この「日常の謎」を解くのは、それを専攻としない終夜には大変だろう。
当事者以外、事情を知っている人がいないのだから。
いや強いて挙げるなら、空には一人いたかもしれない。
僕と香宮がこんな風になった真相は、きっと……。
きっと、月光だけが知っている。