命日を暴く者
────警察から志川春雄逮捕の連絡を貰った時、僕は丁度、香宮と同じ場所にいた。
夕食をとろうと思ってリビングに行ったら、珍しく香宮が地下室から出てきていたのである。
終夜はまだ帰っていなかったので、二人きりで夕食をとる形になっていた。
「香宮は……今回の事件で警察から何か報酬を貰うとか、そういうことはある?」
電話を切った後、昨日の森がニュースで報道されているのを見ながら、僕はふとそんなことを聞く。
無言のまま、カチャカチャと食器の音がするだけの空間に投げかけられた質問。
向かいに座った香宮が、じっとこちらを見たのが分かった。
「貰っていないけれど……どうして?」
「いや、だとしたら珍しいタイプの探偵だなと思って」
地主たちが土地の値段を釣り上げるために小細工をしたとかいう話を聞いた時にも思ったのだけど、やはりこの時代、資産の重要性は増している。
安全も、健康も、昔以上にお金がなければ手に入れられない。
そういう意味では、かなりの額で売れたはずの土地を手放さなかったあの森の地主は、この時代の人間としては相当に珍しい部類に入る。
これは、探偵も同じだ。
法壊事件を起こした「名探偵」だって、その名声を利用して資産を増やしたからこそ、こんなに大きな街を創るに至ったのだ。
黎和も十六年となった今では、腕の良い探偵は大金を払わなければ雇えないとよく言われている。
「だけど、香宮は殆どボランティアで謎を解いたみたいだから……勿論、白骨死体の第一発見者だったというのはある。それでも、無料で警察に推理を教えるなんて珍しいなと思って」
「……善意で財布を届けに来た貴方が、それを聞くの?」
「いや、あれは元から、お金を貰えるような推理じゃないから。内容も小規模だったし」
「では、雫は?あの子も羽生邸で起きた事件で、別に依頼料もとらずに推理をしたはずだけれど」
今更何を言っているのか、と言いたげに香宮は目を丸くする。
だが、ここでも僕は首を横に振った。
「羽生邸の事件では、推理を警察に教えないとそもそも家に帰れないような状況だった。ああいう状況なら、例え自分に利益が無くても推理をせざるを得ない。でも、香宮は違っただろう?」
今回見つかった死体は、香宮とは殆ど関係のない人間のそれだった。
結果から言えば、「香宮の知り合いの地主の遠縁の人物の母親の死体」だったのだが、関係性としてはもう他人と呼んで差し支えないだろう。
彼女はそれを偶然見つけただけであって、誰かにあの骨の正体を突き止めるように頼まれたとか、身内が事件に関わっているので利益度外視で動かざるを得なかったとか、そういう事情があった訳ではない。
それでも、香宮は非常に熱心にこの謎を解いた。
死体を見つけた瞬間、入らないように警告した私有地に無理矢理押し入ってまで、死体を掘り起こした。
そして警察に対しても、ほれぼれするほどテキパキと指示を出している。
今になって分かるが、この迅速さは事件解決のために必須な物だった。
報道から分かる通り、犯人の志川春雄は今日、重要証拠品である凶器を捨てようとしていたのである。
仮に香宮の推理が間に合わず、警察が彼をマークしていなかったのであれば、凶器の処分は恙なく成功していた恐れすらあった。
そして凶器を処分されてしまっていたなら、彼を殺人で立件するのは難しかったかもしれない。
母親の年金を不正受給していた件では裁かれたかもしれないが、殺人については証拠不十分で無罪に……なんて流れも有り得る。
探偵狂時代に入って以降、裁判所だって碌に信頼できないのだ。
つまり今回の事件、香宮はずっと、最適解と呼べる行動を取り続けている。
だからこそ、一度聞いてみたかった。
いくら死法学専攻とは言え、大して見返りもないのに、他人の死についてここまで熱心に推理をするのは何故なのか。
「香宮には失礼な話だけど……今までの様子だと、自分の研究や勉強が第一のように見えたから」
「そんな私が……外で起きた事件に、こうも積極的に関わったのが不思議?」
「まあ、そういうことになる」
死体を目にした瞬間に見せた、彼女の異様なまでの積極性。
その正体だけは、どう推理しても分からなかった。
だから正面から問いかけたんだ────そう伝えてみると、少し考える仕草をしてから、香宮はさらりと教えてくれた。
「そうね、端的に説明するなら……その人の命日が知りたいから、ということになるわね」
「……命日?」
「ええ。唐突だけど、九城君。この国で行方不明の人が出た時、その人が死んだと認定されるまでにどのくらいの時間が必要か知っている?」
突飛な単語が出てきたと思ったら、続けざまに突飛な質問も飛んでくる。
何だ何だと思いながら、僕は幻葬高校の入試のために得た知識で解答した。
「確か……普通失踪なら、七年だったと思うけど。突然失踪してしまった人は、消えてから七年経った時期に、国から死んだと認定される。戸籍の上で、死者と同じ扱いになる」
「その通り。探偵狂時代になる前、治安が良かった頃に決まった法律だけれど、今でも変わっていないわ。だからこそ、現代だと困ったことになっているのだけれど」
「……行方不明者、増えているからね。昔よりもずっと」
「そう、生活苦から唐突に消える人もいるけれど、特に問題なのは殺された挙句に死体を隠された人。その人の家族は身内を殺された挙句、七年もの間、『死体が見つかっていないからあくまで行方不明』という曖昧な状態で待たされ続ける」
「よく聞く話だね……うん」
ニュースなどで良く言われていることなので、僕としても理解は早かった。
探偵狂時代に入ってから見られるようになった、社会問題の一つである。
家族にとって、この七年という時間は長すぎるとよく言われているのだ。
「この問題の厄介なところは、仮に死体が見つかっても、時間が経ちすぎて誰なのか分からなくなりやすいこと……それこそ、今回のような白骨死体だと、身元の特定は事実上不可能になることがあるわ」
「まあ確かに、肉は腐ってしまって、DNA鑑定が難しいだろうし。歯型の照合だって、骨を砕かれてしまえば終わりだ」
「そうよ。だからこそ、今でも身元不明の死体は見つかり続けている。どれだけ調べても、その人が誰なのかは分からない。折角死体が見つかったのに、警察は遺族に連絡できず……行方不明者に死亡認定をすることもできない」
「まあ、そうなるな。とりわけ今の警察だと、あまり熱心に捜査してくれないことも多いらしいし」
これまた、よく聞く話だった。
当たり前の話だが、発見された死体の身元が分からなかった場合、その死体の数だけ、どこぞの行方不明者が死亡認定もされないまま放置されることになる。
遺族は遺骨の回収すらできない──身元不明者の死体は、警察が名無しの権兵衛さんとして処分してしまう──まま、七年の期日を待つしかなくなる訳だ。
場合によっては、七年経っても尚、「死体が見つかっていないのだから、どこかで生きているかも……」なんて希望を持ち続けるのかもしれない。
当人が既に身元不明の死体として処理されていることなんて、遺族には知りようもないからだ。
死体が消えてしまうと、遺族は悲しむことすらできない。
「それに生々しい話、遺産の点でも問題が残るわ。遺族が死者の遺産を貰えるのは、その人が死んだと確認された後の話。でも、行方不明になってしまうと……」
「ああ、なるほど。生きているか死んでいるか分からないから、残された家族が財産を動かしにくくなる。確か、管理人を立てる制度があったはずだけど、この時代では件数が多すぎて機能してないし……完全に死んだと判断されるまでは、財産が宙に浮きやすい?」
「そう言うこと。特に家庭の稼ぎ頭が行方不明になった時、この点は大きな問題となるわ。遺産を貰えなかったがために、他の家族がドミノ倒しのように破綻していくことだってあり得るもの……被害者の命日や死んだ時の状況が分からず、身元が特定できないと、これだけの問題が生まれるの」
「だから……探偵として、人の命日を推理したくなった?例え見返りが無くても」
話をまとめ直すと、香宮はコクリと頷いた。
昔からそうだったの、と呟くように言葉が続く。
「白昼堂々と起きた殺人事件なら、今の時代だと多くの探偵たちが解こうとするでしょう?真相が分かれば、知名度も上がるもの。でも今回みたいな事例だと、そもそも死者が誰なのかも、何時死んだのかもはっきりしないことも多い……私、昔からそれが我慢できなくて」
「死者の身元を特定するのは難しいから、現代の探偵たちも中々細かいところまでは解けないことが多いしね」
「ええ、だからこそ、私は死法学を専攻したの。誰に何と言われても、私がやろうって……死者たちの命日を突き止めないと、浮かばれないものがあるから」
口ずさむような言い方をしてから、彼女は僕を真っすぐ見つめる。
そして、どこか宣言するようにこう告げた。
「奇妙な言い回しに聞こえるかもしれないけれど……命日が分からない限り、人はきちんと死ねないの。書類上の意味でも、残された者たちの区切りという意味でも。だからこそ私は、見つけた死体は全て、その身元と命日を解き明かすことにしているわ」
「その一例が、昨日のあれか」
「ええ。もっともあの事例では、遺族が犯人で、不正受給のために失踪届すら出ていなかったけれど……それでも、せめて誰が死んだかくらいはきちんと明らかにしないと、死者が浮かばれないでしょう?」
まあ確かに、と僕は頷く。
彼女にとって、犯人当てやその逮捕は、あくまで死者の命日を調べる過程でついでに行うことらしい。
変わった考えと言えば変わった考えだが、同時に極めて社会に貢献している考え方でもあった。
──このお屋敷にいる子たちって、本当に明確な信念があるなあ……。
香宮の信念を聞いたところで、僕はしみじみとそんなことを思う。
脳裏には、数日前の終夜の表情が蘇っていた。
羽生邸の事件の後、終夜は壮大な夢を語っていた。
自分の手で、探偵狂時代を終わらせるのだと。
実現可能かどうかはともかく、本当に覚悟を決めた顔で彼女はそれを告げた。
香宮もそうだ。
地下室に籠りきりな様子や、死体を見つけた時の異常な言動から、キャラを掴み損ねていたところがあったのだけど────どうやら彼女の行動の全ては、「行方不明者の無念を晴らすためにも、死者の身元や命日を必ず暴く」という信念の賜物らしい。
彼女の言う通り、治安悪化にともなって行方不明者は着々と増えているので、このスタンスは彼らを助ける崇高な目的と言えるだろう。
奇妙なお屋敷に住む、奇妙な二人の美少女。
しかしその実、確かに探偵としての信念を併せ持つ二人。
彼女たちの話を真正面から聞くと、何だか酷く眩しいものに接したかのような感覚に襲われた。
「かねがね思っていたけれど……本当に凄いね、二人とも。高校入学前なのに、既に探偵として完成している気すらしてくるよ」
そんなことを言うと、香宮は物凄く変な顔をした。
同居人が唐突に感動した台詞を言ったものだから、奇妙さを感じたらしい。
僕としてもフォローの言葉は持たなかったので、結局、僕たちは再び気まずい雰囲気で夕食を終えることになった。
そして、この夜。
「今日も、いつもの夢だったな……これで三日連続か」
いつもの悪夢を見た僕は、んーっと伸びをしながらベッドから這い出る。
変な表現になるが、三年前からずっとこんな調子なので、僕としても悪夢には慣れていた。
目を覚ました瞬間に思うことは、「また寝られなかった」という悔いではなく、「今夜は何をして時間を潰そうか」という計画性である。
「ちょっと前までは受験勉強で時間を潰せたんだけど……もうやることないからなあ。持ち込んだ本は全部読んだし、ゲームも飽きたし。ネットもなあ……」
こんな時代なので、夜中に眠れなくなっても「外に出て時間を潰す」という手法は危険すぎて使えない。
そもそも、二十四時間営業の店は治安悪化に伴って激減している。
どれだけ眠れずに暇であろうと、この部屋から出ることはできなかった。
故に困って部屋の中をキョロキョロ見ていると、ふと僕の視界の隅に気になる物が引っかかる。
正確には、前々から気になっていたことを思い出した。
「この梯子、そう言えば香宮に聞けてなかったな……」
僕の部屋の片隅、窓の傍。
そこには何故か、壁に貼り付けるようにして梯子が設置されている。
引っ越したその日から用途が気になっていたのだが、別に無視すればいい話なので、これまで使ったことはなかった。
「でも普通に考えたら、これって屋上に出るための物だよな。使った形跡がないけど、明らかに天井に向かっているし」
誰も聞く者がいないので、僕は独り言多めに梯子を見つめる。
そして何となく、本当に屋上に繋がっているのなら一度行ってみようかな、と思った。
別に、何か意味があっての行いじゃない。
本当に暇だったので、そういうことをしてみたくなっただけ。
深夜テンションと言ってもいい。
幸いというべきか、梯子を上るのは僕でも十分に可能だった。
昔から、義父さんには護身術関連で鍛えられたが──この時代、そういうのを覚える学生は多い──僕自身は体力に自信があるタイプじゃない。
そう言う意味では、この部屋の天井がそんなに高くないのは有難かった。
するすると天井近くまで梯子を上り、何となく天井を片手で押してみる。
途端にパラパラと砂利が落ちて、天井の一画がゴトリと動いた。
パッと見では分からなかったが、横にスライドするらしい。
──よし、出られるぞ。月明かりを見ながら、暇潰し……ちょっと、気取り過ぎかな。
我ながら、似合わないことをやっている。
自然と苦笑しながら、僕は屋上に躍り出た。
後から知ったのだけど。
彼女が今日の研究を終えて、何となく地下室を出て外の光景を見ていたのも。
同じ時刻の出来事だったらしい。