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埋蔵

 このお屋敷の固定電話が鳴ることは初めてだったので、僕は意外に感じて周囲を見渡す。

 どこから音がしているのか、よく分からなかったのだ。


 その点、香宮は家主だけあって動きが早い。

 彼女は素早くティーカップを机に戻すと、窓際に置いてあった電話の受話器に駆け寄り、慣れた様子で「はい、香宮ですが」と返答。

 しばらく相手の話を聞くと、やがて近くに置いてあったメモ用紙にさらさらと何かを書き始めた。


「はい……はい、その二人ですね。例の死体が出た現場で……」


 ──死体……警察から連絡が来た?


 話の内容に興味を持った僕は、静かに彼女の方に近づいていく。

 丁度食事も終わったところだったので、不作法だとは思いながらも香宮の背後に回り、メモを覗き込んだ。


 ──えーと……人名?


 香宮の背中越しに、二つの人名が見えた。

 通話が進むと、紹介文らしい内容も追記されていく。

 みるみるうちに、彼女は二人分の情報を書き終えていた。




來山浩紀きたやまひろき(五十八)

・建設会社の社員(役職無し)

・親からの遺産で山間部の荒れ地を一部所有していたが、ゴミ処理センターの工事前に売却

・現在は近くのマンションで妻と二人暮らし、子ども二人は独立(子どもは共に幻葬高校職員)

・十二年前に自宅で介護していた父親(脳梗塞により、長期間意思疎通できない状態だった)が死亡、母親は二十五年前に強盗により殺害

・前科なし

・自己破産歴あり


 志川春雄(しかわはるお)(五十四)

・現在無職(前職不明)

・山間部の地主の遠縁にあたる男性

・現在は現場近くのアパートで高齢の母(脊髄の損傷により歩行困難、現在介護中)と二人暮らし。父親は十五年前に新宿事変により死亡。妻とは十一年前に離婚、子どもなし

・前科なし

・自己破産や借金の情報なし』




 これらの情報をさらさらと書いてから、香宮は少しだけ目を閉じた。

 そして、透き通った声で感謝を告げる。


「ありがとうございます。恐らくですが、この二人のどちらかでしょう。ですから……そうですね。一時間後にでも折り返します……はい、刑事さん、協力ありがとうございました」


 流れるように言ってから、彼女は電話をチン、と切った。

 即座に事情を聞こうとしたが、先手を打って向こうから説明がなされた。


「……実は私、警察からの取り調べ中にある推理を思いついていたの。勿論、すぐに担当刑事に伝えたのだけれどね、条件付きで」

「条件?」

「もしも私の推理を信じてくれるのであれば、代金として容疑者の個人情報を教えて欲しいと言ったの……いつものことよ」


 そう言いながら、彼女はしずしずと自らの椅子に戻る。

 彼女の動きはどこか慣れを感じさせるもので、こうして警察と取引するのが日常茶飯事であることが察せられた。


 ──この時代、警察が探偵相手に捜査情報を漏らすのは殆ど常態化しているけど……珍しい頼み方だな。推理を教える代わりに情報を追加しろ、なんて。


 普通なら、「推理を教える代金として何かしら寄越せ」と続くのだが。

 どうもこの少女、興味があるのは死体にまつわる謎解きだけで、他の金目の物には興味がないらしい。

 まあこれだけお金持ちなら当たり前かと思いつつ、僕も座席に戻る。


「それで……その警察に教えた推理っていうのは、どんな?」

「殆どは先程言った話よ。白骨死体の特徴に、大方の死因の予想……森の地主が犯人とは思えない、とも付け加えたわ。それと、もう一つ」

「もう一つ?」

「森の地主に対して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、調べてもらったの……その人が犯人の可能性が高いから」

「土地を売却しないように……?」


 端的に言われ過ぎて、最初は意味が分からなかった。

 ようやく意味を察したのは、じっくり考えた後である。


「……ああ、そうか。地主が犯人じゃないってことは、犯人はあの土地に勝手に入り込んで死体を埋めたことになる。当然、その後のゴミ処理センター開設時に、地主がどんな対応をとるかは犯人には分からない。だから……」


 犯人としては、ゴミ処理センターの開設が決まった時に相当焦ったはずなのだ。

 普通の流れなら、死体を埋めたあの土地も売却される可能性が高い。

 あの死体はそんなに深くないところに埋まっていたし、基礎工事でもされたら一発でバレてしまう。


 本来なら掘り返しに行きたいくらいだろうが、土地買収のせいであの付近に注目が集まっていたなら、安易に出向くのは危険行為だ。

 それこそ、掘り返している途中で誰かに見つかる恐れが非常に高い。

 死体を回収することができなかった犯人は、困った末に────。


「地主に陳情しに行く可能性がある訳だ。適当な理由をでっち上げて、あの土地を売らないで欲しいって勧める。少しでも死体発見を防ぐために……」

「そういうこと。だから、警察に確かめるように言ったの。あの森の地主に連絡を取って、かつての土地買収時に売らないように勧めてきた人はいないか聞いてみて欲しいと」

「なるほど。それで教えてもらえたのが……このメモをした二人?」

「そういうこと。土地を売るように勧める人が多い中、わざわざ売らないようにアドバイスする人は珍しいから、地主の人も覚えていたらしいわ。十年前のことなのに、すぐに名前が出てきた……地主の人自身、かなり不思議に思っていたそうよ。普段はそんなに交流が無い人たちなのに、突然電話してまで売るなと言ってきたらしいから」

「交流が無い人なのか……」

「ええ。交流が無いからこそ、彼らは地主の意向を知らなかった。元から売却に抵抗していると教えると、安心して電話を切ったとも言っていたけれど」


 怪しいな、と率直に思う。

 周囲の殆どがゴミ処理センターのために土地買収を承諾した中で、一人だけ売却を拒否しているあの森の地主は、恐らくかなり頑固な人なのだろう。

 邪推ではあるが、近所でも困った人扱いされているタイプかもしれない。


 だから、売却に乗れと説得しに来る人がいるならまだ話は分かる。

 しかしこの時、もっと反抗しろとアドバイスしに来た人が二人もいるのだ。

 何かあるかも、と香宮が推理するのも自然だった。


「因みにこの二人、どういう理由で土地を売るなと言ってきたんだ?地主の人だって、そこを当然聞いたはずだろう?」

「それが、よく分からないらしいの。あまり明確な説明がないままだったらしくて」

「いよいよ怪しいな……」

「ああでも、志川さんの方は少しだけ発端が違うわ」


 そう言いながら、彼女は一度立ち上がってこちらに近づき、ペンで内容を追記し始める。

 彼女としても、書ききれない情報を整理したいのか。


「この人、少し前に奥さんと離婚していて、経済状況がよくなかったらしいの。奥さんが主に稼いでくる家庭だったそうだから……だから以前に一度だけ、縁を辿って地主さんに借金を申し込んできたことがあったらしくて」

「よくある話だけど……貸したのかな?」

「いいえ、断ったそうよ。でもその時、、かなりしつこい態度だったから、時間を置いて謝罪の電話をしにきた。その電話の中で、偶々土地買収の話が出たと言っていたわ」


 これまた生々しいな、と思う。

 いきなり電話して土地を売らないように勧めたのではなく、借金の謝罪中に偶然そんな提案をした、というのが正確なようだった。


 ──でもこの人、その後も無職なんだよな……母親を介護中らしいから、それが忙しくて再就職できていないのかもしれないけど。


 だとしたら辛い話だと思いながら、僕はもう一人の方にも注目する。

 借金の話を聞いたからか、注目したのは同じような内容だった。


「一人目の來山さん、自己破産したことがあるみたいだけど……警察はこれについて、何か言ってた?」

「単純に、以前に何か事業をしていたけれど失敗したそうよ。それで別の会社に雇ってもらって……だから、現在の勤務歴は浅いみたい」

「そうか、だからここに役職無しって……」


 五十八歳の新入社員、という扱いになっているのだろうか。

 この不安定な時代に正規雇用されるのは十分に偉業だが、本人としては色々辛い思いをしているのかもしれない。

 何にせよ、こっちはこっちで経済的に困ってそうだな、と僕は失礼な推理をする。


 ──でも、それ以外は大した情報は無いような……。


 メモに何度も目を走らせながら、僕はうーんと唸る。

 他に特徴的な情報は無いかとメモを凝視するが、特に目に留まる物は無かった。


 一応、「母親が強盗により殺害」とか、「父親は新宿事変により死亡」なんて刺激的なキーワードはある。

 旧時代なら、こんな経歴があるというだけで警察に注目されただろう。


 しかしこの時代、身内に殺人事件の被害者がいることなど、大して珍しい特徴でもない。

 ああそうなんですか、不幸でしたね、というだけだ。

 故に、目につくところは無く────寧ろ、このメモの情報源の方が気になってきた。


「この借金とか自己破産とかの情報は、確かな話?前科は警察の記録を見ればすぐに分かるだろうし、家族や職業は電話だけでもすぐに分かるだろう。でも今の警察が、借金みたいなプライベートな情報をこんなに短時間で調べられるとは思えないんだけど」


 警察をみくびりすぎかもしれないが、本音だった。

 僕の懸念を理解してくれたのか、香宮もすかさず補足してくれる。


「そこに関しては、地主さん経由の情報だから間違いないわ。この人、志川さんに借金を申し込まれた時に、彼がどのくらい困っているのかを知りたくて、独自に探偵に頼んで調べさせたそうなの。それからも自分に頼ってくる兆候がないか、定期的に調べてたみたいで……」

「じゃあ、比較的最近まで調べた情報ってことか……來山さんの方は?」

「そっちはそっちで、ついでに調べたとの話だったわ。彼も経済的に楽では無いから、借金を申し込んでこないか警戒していたそうよ」

「なるほど……でも、いくら怪しかったとは言え、電話を掛けてきただけでそこまで調べさせるのか……」


 流石にちょっと引いてしまうが、今の時代を考えれば当然の対処なのかもしれない。

 土地持ちと言うのは、それだけで何かと狙われるものだ。

 もっともそのお陰で、こうして二人の容疑者の経済状況を迅速に把握できた訳だが。


 しかし、二人の借金歴や破産歴だけでは何も分からない。

 少なくとも僕の目では、これ以上の掘り下げは難しかった。

 だから僕は早々に白旗を上げ、香宮に話を振る。


「仮に容疑者をこの二人に断定して考えるにしても……香宮、犯人はどちらだと思う?警察もそのまま情報を伝えてきたところからすると、まだ犯人が分かっていないみたいだけど……」


 警察が既に容疑者を見定めているのなら、香宮に一々情報提供をする理由が無い。

 向こうが要望に応えてくれたというのはつまり、香宮の推理に期待しているということだ。


 だからこそ、僕も聞いてみたかった。

 死法学を修めた彼女は、この事件の真相をどう思っているのか。


「僕は『日常の謎』が専攻だから、ここから先は見えないんだけど……香宮は、分かる?」

「分かるわ。決まり切っているもの」


 返答は即座になされた。

 本当に、当たり前のことを述べているように。


「まだ証拠は無いけれど、二人目の志川という人が犯人で間違いないと思う。動機もあるようだから」

「動機?こんなメモ書きだけで、動機が分かるのか?」

「ええ、簡単に推察できるわ。死体が教えてくれたもの」


 呆気に取られて質問したが、彼女は動じなかった。

 寧ろ、「九城君は分からなかったの?」とでも言いたそうな様子ですらあった。

 この真相を見抜けない人間が存在することが、心底不思議であるように。


 しかしそんな顔をされても、分からない物は分からない。

 僕の領域を超えている。


 そんな当惑が何とか伝わったのか。

 やがて彼女は一口だけ紅茶を口にすると、カップを置くと同時に濡れた唇を動かした。




「さて────」

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