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死法学講座

 藤間刑事の言う通り、香宮は特に罰則もなく警察から解放された。

 多少時間はかかったが、これは香宮の方が根掘り葉掘り警察の情報を聞いて回ったせいであって、別にお説教をされていた訳でもないらしい。


「それでも最初に、本人確認のために生年月日を言ったり、身分証を呈示したり、面倒な手続きをしたわ……私、こういうのは初めてでもないのだけど」

「死体を見つけるの、初めてじゃないんだ……」

「死法学を専攻していると、色々あるもの。警察の方も、私のことくらい知っているはずなのに」


 警察のマニュアル対応を愚痴る香宮を、僕は何とも言えない顔で見守った。

 まあ確かに、僕も数日前会ったばかりの藤間刑事相手に、盛大に噛みながら生年月日を言う羽目になっていたけれども。

 こんな愚痴を言う程に死体発見を経験しているというのも、中々凄い話だ。


 何にせよ自由になったので、その後の僕は終夜に一報入れた後、遅ればせながら粗大ゴミを処分して、リヤカーと共に帰宅した。

 ただし、香宮とは別行動で。


 香宮は最初、「駅のコインロッカーに荷物を取りに戻らないといけないから、駅のお店で話をしない?」と僕を誘った。

 専攻もあってか、死体を掘り起こす中で、彼女は何らかの推理を思いついたらしい。

 まだ記憶が鮮明な内に、その推理を誰かに話して形にしたいとのことだった。


 ただ僕は、その提案を断った。

 色々理由はあるが、香宮には「リヤカーを引いたまま駅の構内に入るの、普通に嫌なんだけど……」と述べている。

 こうして、香宮は駅に寄ってから先んじて一人で帰宅し、僕はリヤカーを引きながら単独で戻る形になった。


 僕たちが再度合流したのは、それから更に一時間後。

 二人とも着替えたり、シャワーを浴びたりした後で、昼食がてらリビングに集まったのである。

 終夜が作り置いてくれた料理を食べながら、僕たちは推理を出し合うこととなった。


 今朝までは互いにちょっと気まずい空気だったけれど、死体が現れた今となってはそんなことは関係ない。

 ここからは既に、探偵の時間になっていた。




「九城君がどこまで見たのか分からないけれど……あの場所には、殆ど全身の骨が埋まっていたようね。私が掘り起こせたのは、両足と骨盤の一部、それから頭蓋骨の一部。他に、肋骨や胸椎らしい骨も見えたわ」


 温めたドリアを口に運びながら、彼女はどこか高揚したようにそんな確認をする。

 話のテーマは食事時にするものではなかったし、高揚するような内容でもなかったけれど、香宮としては気にならないようだった。

 何となく微妙な気分になりながらも、食事をしながら推理を聞くことに僕が同意したのも確かなので、そのまま話を続ける。


「つまりあの場所には、一人分の死体が丸々埋まっていたのか。こう、バラバラにして一部だけ埋めた、とかじゃなくて」

「ええ。そしてあの死体が埋められたのは、十年から十五年前のことだと思う」

「十年以上前か……因みに、根拠は?」

「埋められた死体が完全に白骨化するには、それ相応の時間がかかるの。死体が外に放置されていたのなら、かなり早期から肉が腐り始めるけれど……土中や水中では、腐敗速度が変わってくる。特に土中に埋められた死体は、完全な白骨化に年単位の時間がかかるわ」

「あー、そう言えば……入試の勉強でやったな」

「季節や外気温の影響も考慮すると、あの環境で埋められた死体が白骨化するには、七、八年かかると思う」


 さらりとした口調だったが、その分彼女の確信も伝わってくるようだった。

 頷きながら、僕は自然と話に引き寄せられていく。


「一応言っておくと、人為的に白骨化を進めるような手段もあるわ。死体に火をつけて、焼け残った骨だけを回収するような……でも流石に、何者かが一度死体を白骨化させて、それからわざわざ埋め直したとも思えない。それなら、バラバラに砕いて海にでも流した方が早いもの」

「つまりあの白骨化は、あくまで自然現象によるもの……一度死体を埋めた後は、犯人はその死体を弄ってはいないってことか」

「そうね。ずっと土中にいなければ、あの色にはならないもの。そのことも加味して計算すると、どうしても十年程度はかかるわ」

「なるほど……」


 死法学を専攻している探偵らしい、冷静な推理だった。

 自分の考えを整理するためにか、基礎の基礎の部分から話してくれる。

 お陰で、専攻が違う僕としても分かりやすかった。


 ただ────。


「香宮、質問良い?」

「どうぞ」

「前提をひっくり返すようでアレだけど……そもそもこれ、事件と扱って良いのか?警察の話だと、まだ殺人事件だと断定した訳でも無かったみたいだけど」


 白骨死体をいきなり見つけるという出来事のインパクトが強すぎて忘れかけていたが、これだけで事件だと決まる訳ではない。

 死体が見つかるだけなら、可能性は色々と考えられる。


「ゴミ処理センターが建つ前は、あの辺りはそんなに開発されていない場所だったんだろう?だったらこう、山菜採りに来た人が急死して、そのまま誰にも発見されず地面に埋まり、やがて白骨へ……みたいな流れもありそうな気がするけど。もしくは実は自殺者で、山奥で一人毒を飲んだとか」


 今のところ、僕たちは死体こそ見つけたものの、凶器やダイイングメッセージを見つけた訳ではない。

 事故や自殺の可能性は十分に考えられる。

 そう思っての発言だったが、即座に「違うわ」という声が返ってきた。


「警察が来るまでに、頭蓋骨を少し調べたのだけど……その骨に、不自然な割れ目があったの。正確に言えば、細かなヒビがたくさん入っていた」

「ヒビ?……白骨化する中で、自然にできたとかではなく?」

「違うと思う。そうだとすると、骨の割れ方がおかしかったもの」


 そう告げた彼女はドリアの皿にスプーンを置くと、唐突に自分の顔をぺたぺた触り始める。

 何事かと僕は動きを止めたが、どうやら自分の頭蓋骨のことを指しているらしかった。


「知っていると思うけど、頭の骨は、複数の骨がパズルのように繋ぎ合わされた構造になっているの。頭頂骨、側頭骨、蝶形骨、上顎骨……小さな骨まで合わせるともっとあるけれど」

「ああ、それも入試でやった記憶がある」

「そして頭蓋骨には、元々何本もの縫合……骨と骨を繋ぐ縫い目みたいな物が走っているの。だから死体が白骨化すると、普通、その縫い目の部分は切り離されやすくなっていく」

「そっか、どうしても繋ぎ目は脆くなるから……」

「ええ。なのにあの骨は、矢状縫合やラムダ縫合のところが割れていなかった。それとは関係ない、本当に純粋な骨の部分に大小のヒビがあった……多分、生きている内に叩き割られたからだと思う」

「……つまり、何者かに撲殺されたってことか。頭蓋骨がひび割れる程の強い力で」


 こうして話を聞くと、確かに撲殺された可能性が高いことが分かる。

 骨一つでそこまで分かるものなんだな、と僕はこっそり感心した。


「それに、足の骨の状態も気にかかったわ。ちょっと細過ぎたから」

「細過ぎた?」

「当たり前のことだけど、骨は使わなければ自然と細くなる物なの。例えば寝たきりの老人の手足は、殆ど棒のようになってしまうでしょう?私たちが見つけたあの白骨は、本当にそのくらい足が細くなっていたわ。間違っても、健康な若い人の骨じゃない。骨の密度から見ても、多分それなりの高齢者……しかも、しばらく自分の足で歩いていないような人であるはず。ついでに言うと骨盤が広かったから、女性だと思う」

「じゃあ、被害者はお婆さん……それも寝たきりだったり、車椅子を使ったりしている人……」


 少しだけ車椅子に乗った晶子さんのことを思い出しながら、僕は自然死の可能性を脳内で棄却する。

 舗装されていないあの道を、足の悪い老人が歩いてきたとは思えないからだ。

 先程述べた「一人で山菜採りに来て、持病で突然死」なんて流れは、ある程度の運動能力がある人にしか起こらない。


 強いて言えば、高所から墜落して頭を打った可能性は残るか。

 しかしあの土地に崖は無かったし、高所から落下してあそこに埋まるには、木登りでもするしかない。

 足の悪いであろう被害者には、物理的に無理な手段だ。


「やっぱり総合的に考えると……何者かが足の悪い老人を撲殺して。あの森に埋めたってことになるのか」

「そう言うこと。そして犯人が被害者を埋めたのは、ゴミ処理センターが完成する前のことだと思う」

「確かに。そうじゃなければ、わざわざあの場所に埋める理由がない」


 今回死体が発見された場所は、私有地の内部ではあったが、そんなに奥まった場所ではなかった。

 殆ど獣道だったとは言え、私有地を横断する人たちが踏み均した道まであったのである。


 普通なら、死体をそんな見つかりそうな場所には置かないだろう。

 道が分かりにくいとは言え、ゴミ処理センターが開設された以上、あそこには定期的に人が来てしまう。

 仮に森に埋めるのなら、それこそ羽生家の屋敷のような山奥まで行った方が良いだろう。


 それにも関わらず、あの死体は道の真ん中に埋まっていた。

 白骨化するまで隠していたのだから、わざと見つけてもらおうとしたとも思えない。

 だとすれば、可能性は一つだ。


「十年以上前、あの辺りはゴミ処理センターもなく、土地の買収もされていなかった。多分、木々の手入れもあまりされていない場所だったんだろう。だから犯人は、ここなら誰も訪れないと思って、死体を森の中に隠した……」

「けれどその後、ゴミ処理センターが開設された。結果として、誰も立ち寄らないはずのあの場所を多くの人が訪れるようになった。彼らが歩くことで地表が削られ、今日、敢え無く死体が見つかった……悪くないわ」


 自ら推理の流れを確認するように、香宮は紅茶を飲みながらコクコク頷く。

 その様子を見ながら、僕はふと疑問を抱いた。


「でも、そうだとすると……この犯人、相当ラッキーな人じゃないか?」

「そうかしら?」

「ああ。だってあの場所が私有地として残っているのは、偶々土地の持ち主が、ゴミ処理センター開設の時に土地買収に抵抗したからで……もしもその人が普通に土地を売っていたら、あの森はゴミ処理センターの一部になっていてもおかしくなかった。それこそ、森を切り倒して駐車場にするとか、新しい道にするとか……」

「確かに、そうなったでしょうね」

「仮にそうなっていたら、その工事中に白骨死体は見つかっていたはずで……これまで死体が発見されなかったのは、地主が土地買収に抵抗したお陰と言える。だったら……」

「犯人は、あの土地の持ち主だと言うつもり?」


 今まさに指摘しようとした点を先回りされて、僕は少し言葉に詰まる。

 実際、僕の仮説はそれだった。


 あの土地の持ち主が犯人であれば、死体を埋めるのは簡単だ。

 地主として自由に立ち入ることができるため、実に埋めやすい。

 土地買収に抵抗したのも、自ら埋めた死体が発見されることを恐れたためだと考えれば説明が付く。


 思いつくまま、僕はそんな意見を述べてみる。

 しかし、香宮はバッサリとこれらを斬った。


「有り得なくはないけど、正直無視して良い可能性だと思う。もしも土地の持ち主が犯人なら、絶対にああはならないもの」

「どうして?」

「いくら自分の土地は売らなかったにしても、周辺の土地は既に売られていたわ。だからこそ、ゴミ処理センターは建設されたの。そしてセンターが作られる以上、これからあの場所を訪れる人が増えることは簡単に予測できたはず。だから、もし地主が犯人なら……センター開設前に死体を掘り返して、場所を移すのが普通ではないかしら」

「あっ」


 確かに、と思った。

 いくら何でも、埋めたまま放置するのは楽観的過ぎる対応だ。

 本当に地主が死体を埋めたのなら、死体を回収しないのはおかしい。


「それに、土地買収に抵抗して悪目立ちすることもメリットが無いわ。下手すると、それだけで何か不都合なことがある土地なのでは、と疑われる恐れがあるもの」

「そっか、なるほど……」

「仮に地主が犯人なら、ベストな対応は『一度死体を掘り返して、まっさらな状態にした上で土地を売却する』になるかしら。そうすれば死体を動かせる上に、元の場所もセンター側が勝手に舗装して、隠してくれるから」


 そうなるな、と僕はまた頷く。

 納得感の強い論理だった。

 そして頷いた瞬間、まるでその言葉に合わせるように、お屋敷に電話のベルの音が鳴り響いた。

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