幻葬市土地事情
それより数十分後。
先程までの香宮と同じような表情を、今度は僕が浮かべていた。
舗装されていない道を、ベッドのパーツを載せたリヤカーを引きつつ歩いているために。
「本当に……変な道だね、この辺り。細い道ばかり舗装されてて、こういう太い道は砂利のままで……かと思えば、森のままみたいなところもあるし」
「そうね。この付近の再開発はかなり遅れたから……」
僕よりも先を歩きながら、香宮は淡々と話をしてくれる。
リヤカーを引く役目が変わったこともあって、香宮は流石に元の調子を取り戻していた。
辛うじて、見知った街の案内をするくらいの体力は残っていたらしい。
「有名な話だけど、『法壊事件』を切っ掛けに、『名探偵』が幻葬高校を立ち上げた。関東の端にある田舎町の土地を買い漁ってね。でも、最初からこの街の全てを買い上げた訳じゃなかった」
「ああ、聞いたことがある。最初は学校周辺の土地しか買ってなかったって……今みたいな、外部都市との出入りに制限があった訳でも無かったとか」
「そうね。学校開設当初は、幻葬高校以外の建物はまだまだ田舎で……インフラなども、殆ど整備されていなかったらしいわ」
その後のことは、僕も知っている。
幻葬高校の経営の傍ら、法壊事件を解決した「名探偵」は更なる金と名声を稼ぎ、この街を学園都市として組み上げていった。
平正時代初期を端緒に、四十年以上の時間をかけて、この街は幻葬市になったのだ。
「だけれど、少しずつ街を組み上げるのは大変だったそうよ。そもそも『名探偵』自身、街づくりの専門家ではないもの……そうやってまともな都市計画も無いまま幻葬市を作ったものだから、この街にはチグハグなところが結構残っているの。不思議なくらいに整備されていないところがある、というのかしら」
「それが……この、舗装もされていない道?」
「それだけじゃないわ。例えば、私たちが今向かっているゴミ処理センターも、十年前までは存在しなかった。それまでのゴミ処理は、幻葬市の外に輸送して行っていたそうよ」
「不便過ぎるよね、それ」
「だからこそ、チグハグなの。普通の街ならあって当然の施設が無かったり、逆に普通の街には無い物が真ん中にあったり……」
そこまで解説したところで、香宮は唐突に立ち止まる。
いつの間にか、彼女は小さな森のようなエリアに相対していた。
ここまでの道も緑が多かったが、その中でも特に木々が残っている場所。
その森の中には、明らかに人の足で踏み固めたであろう道も伸びていた。
形状は殆ど獣道だが、それでもリヤカーが何とか通れそうなくらいには広い。
道の先では、目的地たるゴミ処理センターの看板が見えていた。
──おお、もうすぐそこまで来ているのか。
ようやくこの作業も終わりそうだと感じて、僕はちょっと嬉しくなる。
そして当然、彼女がその道を先導するものだと思った。
しかし、僕の予想は裏切られる。
彼女は少しだけ迷うように立ち止まると、くるりとつま先を九十度回転させ、左に曲がって別の道を歩いていく。
明らかに森を迂回しているらしい彼女の動きに、あれっと思った。
「……こっち、行かない?真っすぐ進んだところに、丁度ゴミ処理センターがあるみたいだけど」
慌てて前進した僕は、自分だけその森に踏み入るようにしながら──リヤカーの動きに押されて、自然と立ち入ってしまったのだ──香宮の背中に問いかける。
すると、彼女はすぐに答えてくれた。
「そこの森のエリア、私有地なの。ゴミ処理センターを建てる時に、行政が買収に失敗したところで……無断で立ち入るのは、ちょっと駄目でしょう?」
「私有地?……でも、柵も何も無い。立ち入り禁止の看板とかも無いし」
「柵や看板も、昔はきちんとあったわ。ここの地主さん、凄く厳しくて頑固な人だから」
「知っているのか?」
「ええ。例えば土地買収の際には、職員の態度が悪かったとかで強く抵抗したと聞いているわ。だからこそ、今でも私有地として残っているの。行政の側も、かなりの額を呈示したそうだけれど」
「へえ……じゃあ、この付近の道が変に細かったり、ぐねぐね折れ曲がっていたりするのって、もしかして」
「あの森のところを買収できなかったから、大きな道路を作れなかったのよ。丁度、付近の土地に干渉してしまうだけの面積があるから」
「なるほど……じゃあ、この獣道みたいなのは?」
「いくら何でも周囲の道が細くて不便だから、私たちみたいに手持ちの粗大ゴミを持参する人が、勝手に切り開いた道ね。柵や看板も、その中で捨てられたのだと思う。勿論犯罪でしょうけど……この様子からすると、かなりの人がこの道を使っているみたい」
なるほど、と改めてその道を見やる。
舗装も何も無い地面や、明らかに人の肩とぶつかって折れたであろう枝の数々は、確かに「勝手に作られてしまいました感」で満ちていた。
折角土地買収に抵抗したのに、そのせいでこんな風に無断で侵入する人が増えたのは、かなり可哀想な話だが……。
「その地主さん、こうやって勝手に立ち入る人がいること自体には何も言わないのかな?柵や看板を立て直すとか」
「その人、もうかなりの高齢だから……管理自体難しいのだと思う。一応、今でも通り抜け禁止とは言っているのだけど」
──そうか……それにしても、地主の事情をよく知っているな、香宮。
話を聞いている内に、そんなことを思う。
香宮家は幻葬市に以前から住んでいる地主だと言っていたから、地主同士のネットワークでもあるのだろうか?
そんな考察を進めている内に、香宮はちょいちょい、と手招くようなジェスチャーをする。
「正直なところ、そこをリヤカーで押し通っても問題にはならないと思う……でも、良くないことではあるから。私有地を迂回することになるけれど、ちゃんとした道を行きましょう?」
「了解。ちょっと待っててくれ。リヤカーを回転させるから……」
地主としての共感があるのか、香宮はこの時代にそぐわないくらいに遵法精神に溢れた提案をした。
勿論、僕も好んで不法侵入をしたい訳ではないので、彼女の指示に従って動き出す。
ただ、リヤカーを引いているという状況が悪かった。
元が勝手に踏み固められた道であるため、リヤカーを回転させられるだけの幅がそもそもない。
ちょっとバックして元の道に戻れば良いのだが、僕は横着して無理に回転させようとして────それが不味かった。
無理に回したリヤカーの車輪越しに、ガンッと大きな衝撃。
何だと思った時には、リヤカーの動きは急停止していた、ついていけなかった僕はリヤカーのフレームに脇腹を激突させてしまっていた。
「いったっ……!」
反射的に脇腹を押さえつつ、僕は元凶を確認する。
すると、車輪が何かに乗り上げてしまっているのが見えた。
どうやら地面に何らかの出っ張りがあり、無理に回したリヤカーがそこに引っ掛かったらしい。
「だ……大丈夫?」
「……あ、うん。ごめん、心配させた」
流石に驚いて香宮が戻ってくる中、僕は平気な風を装う。
実のところ脇腹はジワジワと痛んでいたけれど、何だかこれで痛がるのも情けない気がした。
「変な動き方をしたから、車輪を引っかけたよ。これに……」
そう言いながら、僕は静かにリヤカーを移動させ、改めて地面を観察する。
説明がてら、元凶となった物を見せたかったのだ。
幸い、それはすぐに見つけられた。
しかし────。
「……何だ、これ」
見慣れない光景に、僕はつい呟く。
実際、そこには変な物が転がっていた。
正確には、埋まっていた。
大雑把に言えば、拳よりも少し小さいくらいの茶色い石。
それが地面に突き刺さっていて、上の方だけが地上に出ている。
僕が車輪を引っかけたせいか、少し欠けてしまってもいた。
普通に見ていれば、ただ森の地面に転がっている石にしか思えなかっただろう。
しかしリヤカーが急停止したことから分かる通り、それはしっかりと地面に固定されていた。
固定というか、正確には長い棒のような物が丸ごと埋まっていて、その一部だけが地上に出ているかのような。
そして、何よりもこの時の僕が気になったのは。
この障害物の外観に、そこはかとない既視感を抱いたことだった。
──何か最近、こういうのを見なかったっけ……地下室とかで。
この既視感に引きずられて、僕はまじまじとそれを観察する。
足が止まっているのも気にならなかった。
確か自分は、これと同じような物を知っているような────。
「脛骨粗面……」
「え?」
そこまで考えたところで、こちらに近寄ってきた香宮がぼそりと呟く。
慌てて振り返ると、彼女は初めて見る表情を浮かべていた。
目を輝かせ、口元を緩ませた顔。
まるで、長い間会っていない恋人と再会したかのような。
その顔のまま、彼女は聞かれてもいないのにブツブツと解説を始める。
「かなり古い上に劣化しているけど、間違いないわ。脛骨の上部……粗面部が少し突き出ていて、そこに車輪が引っ掛かって割れている。地面に固定されているところを見ると、この部位だけじゃなく、下部も揃っているのかしら。関節軟骨は当然存在しない。位置的に、膝蓋骨は……」
「あ、ちょ、香宮?」
異様な雰囲気に呑まれかけて、僕はつい声をかける。
この少女は、とんでもないところに飛び立とうとしているのではないか。
「い、いきなりどうした?その、これは……」
「気が付かないの、九城君?それとも、脛骨という名前に聞き覚えが無いかしら」
「いや、それは……ええと確か、足の骨の一つだったと思うけど。膝から下を構成する骨で……」
「その通りよ。私の見る限り、この埋まっている物は脛骨の一部で間違いないわ……私の言いたいこと、分かる?」
「ええっと、つまりこれは人の骨の一部って……ことで……」
そこまで言われて、僕も流石に状況を理解した。
森の中で埋まっている人骨。
どう考えたって、存在して当然の代物ではない。
「まさか……白骨死体?足の骨がここに埋まっていて……リヤカーが偶然、それに引っかかった?」
「そういうことになるわね……時に、九城君」
「え、何?」
「このベッドのフレーム……どうせ捨てるのなら、多少汚したって構わないわよね?」
「あ、ああ、うん」
そうだけど、と続けようとした瞬間。
既に香宮は動いていた。
速やかに僕とリヤカーを押し退け、代わりに搭載していたベッドのフレームの一つを手に取る。
それは丁度、一メートルくらいの細い木の板だった。
重さ的には大したことがなく、非力な香宮でも十分振り回せる物。
彼女は無造作にそれを掴むと、ずかずかと私有地に踏み入ってリヤカーを押し退け、発見した骨の周囲にザクリと刺した。
すぐにそれを引き抜くと、今度はその隣をザクリ。
それも終えると、続いてはもう少し外をザクリ。
ベッドのフレームをシャベル代わりにして、人骨を掘り起こそうとしているのだ、ということに気づくまでに少しかかった。
「か、香宮……」
「……」
「その、私有地だから入らない方が良いって、さっき君が言ったんじゃ……それに白骨死体を発見したんだから、こんな時代でも、一応警察に通報するのが筋だと思うんだけど……もしも骨を壊したら、責任が……」
「私、そんなヘマはしない。それに、ここの地主とは知り合いだから」
そういう問題ではない。
直に言えないまま、僕は心の中でツッコむ。
そして混乱しながらも、一応、スマートフォンに「110」の番号を表示させるのだった。
「いやあしかし、またこうして出会うとは。奇縁、と言うのですかな」
「そうですね……」
白骨死体発見から三十分後。
道がグネグネしているせいで到着の遅れたパトカーのサイレンをBGMに、僕と藤間刑事は数日振りの挨拶と、事情説明をしていた。
別に意図して知り合いを呼んだ訳では無いのだが、通報してみたら彼が来たのである。
「羽生邸の事件の調書すら、まだ完成していないんです。そんな状態でまた貴方と事件とは……いやはや、この時代らしいハプニングですな」
「まあ、確かに。その節はどうも、お世話になりました」
どちらかと言えば、彼に世話になったというより、終夜と一緒に彼をお世話していたような気がするのだが、礼儀としてそんなことを述べる。
心の入っていない挨拶を終えてから、僕は今回の事件について話を向けた。
「僕たち、ゴミ処理センターに行こうとしていて……偶々リヤカーを引っかけたら、それが骨の一部だったんです。香宮がそれを見抜きました。だからまあ、警察が到着するまで、掘り出していたというか」
「ははあ……刑事としては、止めて欲しい行為ですな。死体の損壊になり得ます。ひょっとすると、探偵とは言え素人が変に弄ったせいで、個人の特定が出来なくなるかもしれない」
「僕もそう思ったんですけど……止められなくて。何だか香宮、鬼気迫る雰囲気があったと言うか」
実際、警察が到着するまでの間、僕は香宮を止められなかった。
本気を出せば止められたかもしれないが、ベッドのフレームをぶん回す彼女に恐れをなしてしまったのである。
ついでに言うと──彼女が誇るだけあって──白骨死体は本当に傷一つ無く掘り出されていたので、止めるのも何だか変な気がしたのもある。
「香宮、どうなるんです?パトカーが到着した瞬間に、別の刑事さんに連れて行かれましたけど」
「本当なら問題行為ですが、まあ不問となるでしょう。死法学を専攻するだけあって、骨は特に傷ついていないようですし、加えて香宮家のお嬢様となると……」
今の警察では罰するのは無理ですよ、と諦めたような口ぶりが続く。
変な話だが、藤間刑事のこの言葉を聞いて、初めて僕は香宮が資産家の出身であることを理解した気がした。
幻葬市にお屋敷が構えるだけでなく、警察に顔が利くレベルの名士でもあるらしい。
「じゃあ、その内帰ってきますかね?」
「ええ。ただ一応、問題のベッドのフレームは警察で回収しましょうかな……何か付着しているかもしれませんから」
「ああ、確かに」
「それさえしてもらえたら、もう帰っていただいて大丈夫ですかな。他に聞くことはありませんから……」
前の事件で協力したこともあってか、白骨を勝手に掘り出した割に、藤間刑事の対応は柔らかい。
こんな時代なので、遺体の掘り起こし程度では大して問題視されないという事情もあるが。
──じゃあとりあえず、他のベッドパーツは処分しておくか。その後は……。
香宮の話を聞くことになるのかな、とぼんやり思った。
死体を掘り続けている間、彼女の瞳を満たしていた蒼い光を自然と思い出す。
終夜もやっていた、探偵の目つきを。
藤間刑事は、もう聞くことは無いと言ってくれているけれど。
どうやらまだまだ、話さないといけないことはあるらしい。