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同行

 たかだか入居して数日だけれども、香宮邸における僕たちの生活スタイルは早くから固定されていた。


 まず朝、全員とも概ね六時から六時半にかけて起床。

 終夜はそこから朝食の準備にかかり、僕や香宮はのそのそとリビングに集合する。


 七時前くらいからは朝食を摂取。

 僕と終夜はテレビを見ながら適当な世間話をすることもあるが、香宮はほぼほぼ完全な無言だ。

 三十分くらいでその時間は終わり、めいめいで使った皿を洗って自室に戻る。


 ここからお昼までは、完全にフリーだ。

 僕は倉庫に戻って掃除や必需品の買い出し──未だに引っ越し作業が完遂していないのだ──をするし、香宮は地下室で研究。

 終夜は大抵、お昼ご飯の用意をした後、何かしら用事があると言って外出する。


 このため、昼食はそれぞれ一人で食べる形になる。

 香宮の地下室には僕が昼食を置きに行って、適当な時間に回収。


 午後は午後で、別に決まったことはない。

 入学準備や何やらをしていると終夜が帰ってくるので、それに合わせてちょっと話をするくらいだ。

 その後の夕食も、概ね昼と同じ流れを繰り返す。


 食事を終えると彼女たちは入浴を始めるので、マナーとして僕は倉庫に退散。

 香宮はともかく、終夜はかなりの長風呂らしいので、ここから彼女と話す機会は無い。

 僕は倉庫内にある小さなお風呂──何故かここにも風呂がある、倉庫とは何なのか──で手早く済まし、速やかに就寝。


 最終ステップとして僕が悪夢に飛び起きる段階があるが、これはまあ彼女たちには関係ないだろう。

 研究がヒートアップした香宮を除いて、概ね早寝早起きで進んでいるのである。


 ……終夜が不意に質問してきたのは、そんな早起きの朝食の最中。

 あと三日で高校の入学式になる、という日の朝のことだった。




「……そう言えば九城君、実家から送ってきた荷物ってどうしたの?学生寮に事前に送ったって言ってたけど」


 クロワッサンを齧りながら、終夜がふと思い出したように問いかける。

 初日以外は僕の引っ越し作業に関わらなかった彼女だが、今更ながら気になったらしい。

 学生寮で住むことを取りやめた僕が、当初の荷物をどうしたのか。


「ああ、一昨日辺りから受け取りに行ってるよ。予定通りに学生寮に配達されていたから、寮監さんに早く回収するように言われてて」

「あー、そっか。学生寮の人からしたら、もう住むことが無い学生の荷物だもんね。預かっておく理由が無いか……」

「そう言うこと。だけどちょっと量があるから、手で運んでくるのがキツくて。寮監の人には悪いけど、少しずつ運ばせてもらってる」

「業者を呼んだら?もしくは、タクシーを寮の前に待機させるとか。段ボール数箱くらいなら積んでくれると思うけど」

「いや、それは高い。僕が運べば無料なんだし……」


 いくら家賃が安いお屋敷に住めたとは言え、この先何があるか分からない。

 例えば明日、義父さんが強盗に殺害され、そのまま仕送りが消滅……なんて流れだって有り得ない訳ではないのだ。

 そう言うことを考えて、お金は可能な限り浪費したくなかった。


「それに送られてきた荷物を見たら、今では不要になったのも結構あったんだ。食器とか、自炊用具とか」

「あー、確かに。ここだと私が作るしね」

「そう言うのを選り分けて処分しているから、猶更時間がかかるんだ……まあそれでも、今日には終わる予定だけど」


 そんな雑談をしていたところで、不意に僕は視線を感じる。

 何だと思って振り向くと、そこには黙々とクロワッサンをむしる香宮の涼し気な顔があった。

 彼女の横顔を見て、僕はまたかと思う。


 彼女が僕の部屋を唐突に尋ねたあの夜から、こういうことがしばしばあった。

 あの時、変な答えを返したこともあって、彼女を再び警戒させてしまったのか。

 朝食の時間になると、香宮は僕をいつも観察しているようだった。


 ──ミスったなあ……現代ではよくあることなんだし、普通に答えれば良かった。彼女も言っていたけど、大家として住人の動機を知りたいのは当然だろうし。


 困った困ったと思いながら、僕は紅茶を一口。

 別段見られて困ることは無いのだけど、それでも大家に不信感を持たれたままなのは、ちょっと落ち着かない話だった。


 ──でも、僕の方から言いに行くのもアレだしな……こっちから「最近、香宮って僕のことを見てない?」とか言いに行くのも、凄い勘違い男っぽくて嫌だ。


 どうしたものか、と思いながら僕は更にクロワッサンに手を伸ばす。

 無論、香宮は素知らぬ顔で紅茶のカップを下ろし、代わりにビスケットのような物を摘まんでいた。


 ここの食事は全員メニューが同じなのだが、香宮の朝食だけは少し違う。

 彼女専用メニューなのか、紅茶のカップの近くに幾つかのお茶菓子が追加で用意されるのだ。

 美味しそうなので正直ちょっと欲しいのだけど、僕からはそれを述べることはできないような空気感があった。


 ある意味、僕たちの微妙な距離感を象徴する小物である。

 こちらから「ちょっともらっても良い?」と言えない程度の警戒が常にあるというか。

 そんな僕たち二人の関係を知ってか知らずか、ここで終夜はとりわけ明るい声を発する。


「じゃあ、今日で九城君の引っ越しは完全に終わりってことね。もし何か困ったことがあったら電話してね。私のスマホの番号、教えてるでしょ?」

「ああ、ここに住み始めてすぐに登録したから……」

「いつも言ってるけど、何かあったらそこに連絡。ああそれと、処分する荷物の中に粗大ゴミがあったら、ゴミ処理センターに運んでくれる?高校からちょっと歩くけど、アンタみたいな新入生のために、無料で引き取ってくれるサービスがあるから……それじゃ、今日もよろしく」


 テキパキと言いながら、彼女は自分の皿をサクッと片付け始めた。

 それを見て、僕と香宮は少しだけ食べる手を早める。

 こうやって食事を終えていくのも、既に見慣れた光景と化していた。




 そして、数時間後。

 朝食の場で言った通り、僕は学生寮で最後の引っ越し作業に励んでいた。




「……よし、これでもう小物は全部OK」


 額の汗を拭いながら、寮の玄関前で段ボールを折り畳む。

 昨日までに殆どやり切っていたこともあって、最後の作業はあっさり終わった。

 捨てるかどうか迷っていた小物を捨てて、段ボール箱を畳んで片付けるだけである。


 ただし一つ。

 終夜に言われていた通り、粗大ゴミの処分は残っていたのだが。


「大物としては、これだけか……」


 そう言いながら、僕は学生寮の真ん前まで出してもらった大荷物を見やる。

 そこに転がっているのは、簡単に言えば組み立て式ベッドのパーツだった。

 僕が実家に住んでいた時、自室に置いてあったベッドが、分解された上で届いているのである。


 本来、学生寮には備え付けのベッドがあるため、こんな物を輸送する必要はない。

 事実、僕はこれを実家に置いてくる予定だった。

 しかし、義父さんが僕を心配して無理矢理持参させたのである。


 義父さんは心配症なので、「ベッドが変わるだけで悪夢が酷くなるかもしれない」なんて懸念を抱いたらしい。

 しかし当然ながら、香宮邸にはベッドが普通に存在していたので──そして僕の悪夢はベッドの有無で変わる物ではないので──現在ではこれは無用の長物と化していた。

 仮に学生寮に住んでいたとしても、ベッドが二つになって邪魔だっただろうけど。


「義父さんには申し訳ないけど、捨てるしかないな、これは……こうして解体すると分かるけど、フレームは歪んでいるし、ネジとかも腐食しているし」


 こうして観察すると分かるのだが、小学生の頃から使っていた一品なので、老朽化が無視できないレベルになっている。

 今からこれをもう一度組み立てたとしても、近いうちに普通に壊れてしまうのではないだろうか。

 愛着が無い訳でもないが、やはりこれはお屋敷に持ち帰らず、実家に送り返すこともせず、粗大ゴミとして捨てるしかないようだった。


「ただ、どうやって運ぼうかな……終夜に教えてもらったゴミ処理センター、一キロくらいは離れているんだよな。手で運ぶのは辛いし」


 何十パーツかに別れたベッドを見ながら、僕は少し唸る。

 幸いにしてマットレスは学生寮の人が引き取ってくれた──別の学生に安値で貸すらしい、ちゃっかりした運営だ──のだが、こんなに古いフレームは流石に引き取ってくれなかった。

 それなりに大きなパーツなので、手で運びにくいことこの上無いのだが、やはり節約のためには歩いて持っていくしかないだろうか────。


「……じょうくん……くじょうくん」

「え?」


 そこで不意に、背後から声をかけられた。

 何だと思って振り向いた瞬間、僕はぎょっと体を跳ねさせる。


 振り向いた先、すなわち学生寮の前にある路地────そこに何故か、香宮がいた。


 しかも、ただ立っているのではない。

 どういう訳か、腰に大きめのリヤカーを引くようにして立っている。

 ゼェハァと息を荒らした、かなり疲れた様子で


 服装だけはいつもの黒いワンピースなので、工事現場の作業員みたいなその様子は、恐ろしい程に違和感があった。

 青白かったはずの彼女の頬が赤くなっているのが、酷くアンバランスである。


「か、香宮!?どうして、ここに……そのリヤカーも……何だ?」

「し、しずくが……その、持っていきなさいって……」

「しずく……終夜か。え、終夜の指示?」

「あなたが……出ていって、ちょっと経ったときに……」


 息を詰まらせながら香宮が言うには、僕が学生寮に荷物を取りに行き、終夜がまた用事で出ていった後、彼女は普段通り地下室に籠っていたらしい。

 しかしそこに、終夜から電話が掛かってきた。

 今思い出したんだけど、九城君に渡したい物があったの、と言って。


 その渡したい物こそ、このリヤカー。

 ゴミ処理センターを紹介したは良い物の、一人で粗大ゴミをそこまで運ぶのは難しいことに、終夜も後になって気が付いたらしい。

 それでお屋敷の一画に転がっていたリヤカーを思い出した、という流れだった。


 しかし張本人の僕が既に外出していて、終夜も出向いた先から帰ってきていない以上、リヤカーを持って行けるのが香宮しかいない。

 あまりにもまごまごしていると、僕が別の手段で粗大ゴミを運び始め、リヤカーを届けられない恐れもある。

 かくして、彼女が汗水垂らしながら、こうしてリヤカーを持ってきてくれた────そういう流れのようだった。


 ──理由は分かった、けど……それにしたって、そこそこの距離があったのに。わざわざ来てくれたのか。


 息を整えながら近くの壁に寄りかかる香宮を見ながら、僕は感謝と申し訳なさ、そして意外性を感じる。

 今までの印象で言うと、あまりこういうことを率先して行うタイプには見えなかったのだけれど。

 終夜の頼みとは言え、まさかこんな肉体労働を、僕のためにしてくれるとは。


「でも香宮、荷物とか無いけど大丈夫だった?水とか、タオルとか……」

「途中まで、持っていたけれど……それを持ち運ぶのすら辛くなったから、途中の駅でコインロッカーに預けてきて……」

「……なるほど」


 気持ちは分かるが、それらを置いて行ってしまったら、一層リヤカーを引くのが辛くなってしまう。

 疲れすぎて、冷静な判断が出来ていないのだろうか。

 いや、それ以前に────。


「僕、この前終夜が渡してきた賃貸契約書に、スマホの番号を書いておいたはずだけど……その書類を見たら、僕に連絡はできたんじゃないかな?あの書類、お屋敷のどこかにあるだろうし」

「……あ」


 ふと気が付いたことを述べると、香宮の動きがピシッと止まった。

 それは考えていなかった、とでもいう風に。


「だからまず僕に連絡して、リヤカーを取りに来るように指示すれば良かったんじゃないかな?そうすれば、君がそんな疲れなくても済んだというか」

「……もう、言わないで」


 本当に頭からすっぽ抜けていたのか、香宮は恥ずかしそうに首を振る。

 初対面の時、彼女のことを死体のようだと表現したのが嘘に思えるくらい、感情豊かな様子だった。

 この時ばかりは、朝の気まずさも忘れて僕は苦笑してしまう。


 死法学が専攻だとか、お屋敷のお嬢様だとか。

 彼女の特異性は色々あるけれど、この時ばかりはそんなことは思い出さなかった。

 目の前にいるのは、慣れないことに苦戦する一人の少女だ。


「まあでも、本当にありがとう。丁度このベッドのフレームを運ぼうとしていたところだったから……助かった。これで楽にやれる」

「そう、ね……そう言ってくれたなら、私が久しぶりに外に出た甲斐があるわ」

「まあ、後は自分で済ますから……香宮はいつも通り、家に戻っても」


 あの屋敷に住み始めてからこっち、外に出た彼女の姿など初めて見た。

 明らかに体力がなさそうな体格をしているし、正直立っているのも辛いだろう。

 そう思って帰宅を勧めると、彼女は意外にも首を横に振った。


「いえ……ここまで来たならもう、貴方と一緒に行くわ。少し、アドバイスしたいこともあるもの」

「アドバイス?」

「実は、雫の教えていたあの場所の周囲は、再開発の悪影響で変に細い道が多いの。それこそ、リヤカーが通れない程の細い道。だから、道も分からず進むと、多分どこかでリヤカーが引っ掛かるわ」

「へー……それは困るな」

「だからついでに、広い道を教えておこうと思って……私はずっとこの街に住んでいる分、詳しいから」


 そう言って、彼女はやっと動悸が落ち着いた様子ですっと立ち上がる。

 そして、僕を急かすようにほら、とベッドのフレームを指さした。


 ──有難いけど……あれ、つまり僕たちは、粗大ゴミを運び終わるまで、一緒に出歩くのか?


 よく知らない街の、よく知らない道で、この間の一件から微妙に気まずい少女と同行。

 これはまた、ややこしい話になってきたようだった。

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