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死法学者の怖いもの(Period3 終)

 ────試薬消失に関わる一件が午前中で解決したので、その後は比較的地味に進行した。


 香宮は地下室に籠り続け。

 僕たちは普通に引っ越しを進めて。

 昼食のカレーと夕食のビーフシチューは、香宮が地下にいるままなので僕と終夜で黙々と食べた。


 香宮の分のご飯は、地下室の扉の前にラップをかけて置いておくらしい。

 扱いが完全に引きこもりに接する保護者のそれだったけれど、いつものことのようだった。


「あの子、できたての料理の美味しさを知らないんじゃないかしら?」


 そう言いながらラップをかける終夜の姿もまた、何だか引きこもりの親のそれに見えてしまう。

 もし僕に母親がいたら、あんな感じのことをしてくれるのだろうか、なんてことすら思った。


 何にせよ、色々と手続きをしたり、学生寮に連絡を入れたりしている内に一日は終わって。

 昨日と同様に、静かな夜を迎えた。

 終夜におやすみと言ってから倉庫に戻った僕は、今日は悪夢を見るかなあと思いながら、簡素なままの自室に戻る。


 ……だが、その瞬間。

 僕は凍り付いたようにピシッと動きを止める羽目になった。


 仕方がないだろう。

 誰もいないはずの、昨日から使い始めた僕のベッドに。

 このお屋敷の大家である少女が、ちょこんと座っていたのだから。




「え……か、香宮……さん?」


 幽霊でも見たような気持ちになって、僕は震える手で彼女を指さしてしまう。

 彼女の青白い肌や生気のなさもあって、幽霊というのはあながち変な例えでも無かった。

 勿論、現実に眼前にいる彼女にはしっかりとした両足があり、つまらなそうに足をブラブラさせているけれど。


「こんばんは、九城君」

「あ、はい……こんばんは」


 状況を受け入れられずに困っていると、何故かごく普通に挨拶が飛んでくる。

 脊髄反射で挨拶を返しつつ、僕はそんな悠長なことを言っていられないと思い直した。


「いやあの、どうしたんです、香宮さん?どうやってこの部屋に……」

「私、大家だもの。倉庫の合鍵くらいは持っているわ」


 そう言いながら、彼女はポケットから鍵を取り出して、しゃらんと揺らす。

 納得感の強い解答だったので、思わず「ああ、そっか」と呟いてしまった。

 確かに大家なのだから、鍵くらいは自由自在だろう。


 ──でもこの子、どうして僕の部屋に……僕たちが食事をしている間に、こっそり地下室を出てここに来たってことになるけど。


 三年間同居している終夜から、香宮は地下室にいつもいると聞いたばかりなのだが、早速イレギュラーな行動をとられたことになる。

 どういう心境の変化なのだろうと思っていると、どうしてか彼女は不満そうな表情を浮かべた。

 同時に、「……敬語」と呟かれる。


「昨日から思っていたのだけれど、敬語、やめてほしいの。同じ歳でしょう?」

「あ、はあ、分かりました……じゃないか、ええと……分かった」


 言われるままにタメ口で返してみると、途端に香宮は真顔に戻って頷く。

 それで良し、とでも言いたそうだった。


 ──え、まさかこの子、敬語をやめさせるためだけに夜中に僕の部屋に来たのか?


 だとしたらまあまあの奇行というか、こんな夜に一々伝えることでもないと思うのだが、これが彼女のスタイルなのだろうか。

 本当に変わった子だなあ、なんて感想を抱いていると、僕の思考を読んだのか香宮は首を横に振る。


「何を想像しているか、大体分かるけど多分違う……ちょっと、謝りたいことがあったから、待っていたの」

「……謝りたいこと?」


 はて、と再び首を捻った。

 思い当たることが無い。

 強いて言えば午前中の一件で少し疑われたが、あれはもう終わった話のはずだ。


「その……終夜も気づいていないのでしょうけど、私、貴方に悪いことをしていたの。だから……それを謝りたくて」

「悪いことって……あー」


 よっぽど口にしにくいのか、香宮はパジャマの裾を弄りながらボソボソと喋る。

 その様子を見て、僕はようやく彼女が何を謝りに来たかを察した。

 理不尽なことをする子じゃない、という終夜の評価を思い出す。


 なるほど確かに、アレをわざわざ謝りに来たとすれば律儀なことだ。

 この時代らしくない子だと思いつつ、僕は自分から言及することにする。


「別に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことは……それをしばらく隠してたってことは、謝らなくてもいいと思う。それで誰かが困った訳でもないんだから」


 そう言った瞬間、今度は香宮の動きが凍り付いた。

 信じられない、とでも言いたげに僕のことをじっと見つめてくる。

 どうも最近、こういう風に見られることが増えたなあ、とぼんやり思った。




 ────今朝、香宮は試薬が無くなったことを僕たちに報告した。

 あの時の彼女は必死そうだったし、名指しこそしなかったが、僕を犯人として疑ってもいた。

 彼女の様子から見ても、朝の時点では本当に瓶を見つけていなかったのだろう。


 しかし、その後。

 僕たちが真相を解明して、推理を伝えに行った時。

 あの時の彼女は、少し変だった。


 まず、僕たちの来訪に冷静に対応したこと自体がおかしい。

 僕たちの話を聞く時に、「言いたいことがよく分からない」とまで言っていた。

 僕を試薬泥棒として疑っていた人としては、これはおかしな発言だ。


 泥棒として疑っている相手が唐突に地下室に来たのだから、「何か弁明しに来たのか」とか、「観念して自首しに来たのかもしれない」なんて考えてもおかしくない。

 だというのに、彼女は冷静過ぎた。

 もうちょっとこう、こちらを疑う姿勢を見せるのが自然だろうに。


 それに推理を述べた後、彼女が試薬の瓶を直に見せてくれた時の様子も引っ掛かっていた。

 あの時の彼女は、髪が多少は整えられていたし、服もいくらか直していた。

 朝食の時より、ずっと容姿に配慮をしていたのである。


 彼女の話では、朝から這いつくばって捜索を続けていたとの話だった。

 それにも関わらず、妙に身だしなみを整えている。

 本当に僕たちが話しかける直前まで捜索をしていたのであれば、ああはなっていないと思うのだけど。


 要するに、本当に彼女が試薬の位置を把握しておらず、僕たちが来るまで捜索していたにしては、変なことが多いのだ。

 身だしなみを整えているなんて、まるで────厄介事が終わって、安心したかのような行動を取るなんて。


 この矛盾を解決するには、発想を逆転するしかない。

 彼女は僕たちがファミレスにいる間に、既に頑張って試薬の瓶を探し当てていた。

 そう考えると、何も矛盾は無くなる。


 彼女は朝食後、懐中電灯を片手にもっと探すと言っていた。

 多分、棚の下まではよく見ていないことを思い出して、明かりを点けて探そうとしていたのだろう。


 いくらロボット掃除機の充電器が分かりにくい場所にあるとは言え、這いつくばってライトを付ければすぐに見つかる。

 だから彼女は、比較的すぐに試薬の瓶を見つけたのではないだろうか。


 それを見つけたからこそ、彼女は安心して身だしなみを直していた。

 状況的に、あくまでロボット掃除機が悪さをしただけということもすぐに分かったことだろう。

 犯人などいないと、真っ先に気が付いた訳だ。


 しかしこの直後、彼女は割と気まずい思いをすることになる。

 というのもつい先程、朝食の場で窃盗を疑うような発言をしているからだ。

 試薬は何者かによって盗まれたのではないか、と決めつけてしまった。


 この状況で「ごめん、実はロボット掃除機のせいだった。アレのことを忘れてて」と正直に言うのはちょっと恥ずかしい。

 そもそもあの時、僕たちはファミレスに避難していてすぐに話しかけられなかった。


 だからなのだろうか。

 戻ってきた僕たちが、「試薬の瓶はまだ見つかっていないか」と問いかけた時。

 恥ずかしさと気まずさに負けて、彼女はこう答えてしまったのだ。


『…………まだ見つかっていないけれど』




「結果から言えば、貴方の推理もあってすぐに見つかったフリができたから、何とかなったのだけれど……嘘を吐いたのには変わりがないから」


 だから謝りに来た、ということらしい。

 確かに、あそこで彼女が「実はもう見つかったの」と言ってくれれば、僕たちは扉の前で長々と説明をする必要もなかった。

 言ってみれば不要な努力をさせられた訳で、香宮はそこを悪く思っているらしい。


「いやまあ、そんな、頭を下げなくても……本当に、困ってはいないから」


 わざわざ立ち上がってまで謝罪をする香宮を前に、僕は慌ててフォローを入れる。

 決して、無理に慰めている訳ではない。

 本心だった。


 終夜と話をしている中で、僕たちは一度、彼女の自作自演説を疑った。

 しかしあれは少し、終夜の邪推が混ざっていたようだ。

 こう言うのも含めて、彼女は「日常の謎」が苦手なのだろう。


 香宮はただ、試薬を見つけた後に周囲を疑ったのを恥じて、正直に言い出せなかっただけだった。

 そして僕の推理を切っ掛けに、何とか試薬を見つけたという態にした。

 それでまあ、この一件は終わりだろう。


「午前中にも言ったけど、最初に僕を疑ったことも当然の判断だ。終夜が連れてきた変な男子が地下室に来ること自体、香宮にとっては嫌なことだっただろうし……」


 だから気にしていない、と何度も伝える。

 すると、香宮も安心したように肩の力を抜いた。


「じゃあ、最後に一言だけ……ごめんなさい」

「OK、許した……これで終わりで」


 謝罪合戦になる前に、そう言っておく。

 そこで初めて、香宮はフフッと微笑んだ。

 第一印象とは全く違う、それはそれは綺麗な笑みだった。




 ────そこから、少しの間。

 僕たちはポツポツとだけど、世間話のような物をした。

 簡単な自己紹介だとか、入試の愚痴だとか、そういう何気ない会話を。


 初対面がアレだったので、思えばこういう会話を碌にしていない。

 それを取り戻したい、という思いが双方にあったのだろうか。

 互いにそこまで会話が得意でも無いはずなのに、意外にもそれは長続きした。


 そして、その中で。

 雑談に乗じて、互いの第一印象が話の種になった。


「参考程度に聞きたいんだけど……僕の第一印象って、どんな物だった?忌憚ない意見が聞きたいんだけど」


 何となく、僕はそんなことを聞く。

 僕の香宮に対する印象は既に決まっているけれど、その逆は聞いていない。

 そのせいか、自然と質問していた。


 問われた香宮は、意外にも真剣に考え込む。

 そして言葉を選びながら、こんな風に言った。


「そうね、正直に言えば……強く警戒していたわ。不気味だとすら思えて、怖かった」

「ハハ……僕、そんなに泥棒っぽい顔かな?」

「いえ、そうではないの。雫の誘いに乗ってここに住もうとする人が現れたことが、私にはとても不思議だったから」


 ん、と僕は首を傾げる。

 どういうことだろうか。

 分かりにくい言い回しだと思ったのか、そこで香宮は解説をしてくれる。


「雫に聞いたのだけれど……貴方はこの街に来てすぐ、かなり唐突にあの子に勧誘されたのよね?この倉庫に住んでみないかと」

「まあ、そんな感じ」

「私、それを聞いた時に不思議に思ったの。終夜の判断もそうだけれど……その男性は、どうして誘いに乗ったのだろうと思って」

「どうして、とは?」

「普通に考えれば、同級生の少女にこんな古いお屋敷に誘い込まれるなんて、凄く怖いことでしょう?九城君は何故か、私たちのリスクのことばかり心配してくれていたけれど……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 教え諭すように。

 香宮の冷静な推論が、僕が忘れていた視点を埋めていく。


「格安の家賃で大きな屋敷に学生を住まわせること自体が、まず怪しいわ。私が希望者でも警戒する。もしかしたら大家に荷物を盗まれるかもしれない、最悪の場合は殺されるかもしれない、と考えるのが普通でしょう?この時代では、良い条件で人を集めてから、殺して臓器売買をする業者までいるのだから。九城君から見て、この話はとても胡散臭い物のはずなの」

「……」

「実際、似たような警戒をしたせいか、今までは碌な人間が来なかった。詐欺師まがいの人間がお金をたかりに来たくらいで。それなのに……」

「そんな怪しい誘いに頷く人間が現れた。だから君は、僕が怖かった……僕の考えが理解できなかったから」

「ええ……本音を言えば、よくもまあ住む気になったものだと思ったわ。こんな変なお屋敷に……」


 自ら住む屋敷をそう述べてから、香宮はじっとこちらを見つめてくる。

 黒目がちの瞳は、どこまでも温度が無かった。


「大家として聞きたいのだけど……九城君、()()()()()()()()()()()()?」

「……それは勿論、幻葬高校に入った以上、探偵を目指すために……」

「そうではなくて……雫の怪しい誘いに乗ってまで格安の場所に住もうとする、その気概の理由を知りたいの。何か、強い動機があるのか……」


 彼女自身、話の流れでついそこに触れただけで、本当はそこまで深く聞く気はなかったのだろう。

 台詞の後半になるに従って、段々と語気は弱くなっていった。

 僕もそれを察知してか、こんな言葉で返す。


「それを話すことは……入居条件?」


 自分としては、もう少し普通に話している気だった。

 しかしいざ言葉に出してみると、自分でも意外な程にそれは香宮を突き放すような声色になってしまっていた。

 だからなのか、香宮はさっと目を逸らす。


「いいえ……今日は謝罪に来ただけだもの。ごめんなさい、変なことを聞いて」


 そこで再び気まずくなったのか、彼女はぴょんと立ち上がった。

 そのまま、頭を下げて僕の部屋を立ち去っていく。

 おやすみなさい、という響きだけが場に残っていた。




「途中までは上手く誤解を解いていけたのに……最後の最後で、また疑われた感じがあるな。疑われたというか、怖がらせたというか」


 一人でぼやきながら、僕は布団を整える。

 あんなに気を遣わせてしまうのなら、別に普通に話しても良かったかもしれない。

 僕がこの街に来た動機なんて、この時代では珍しくもないものなのだから。


「でもまあ、あんまり積極的に話したいことでもないからなあ……」


 一人でブツブツ言いながら、閉めてなかったカーテンの端を手で持つ。

 しかしそれをスライドさせる直前、窓から月が見えることに気が付いた。

 満月……ではない、少し丸みの足りない月。


 あと少しで、僕たちは幻葬高校に入学するけれど────入学式の頃には、あの月も満ちているだろうか。

 らしくもないことを考えながら、僕はカーテンをシャッと閉めた。

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