前へ次へ
19/34

生きているのは彼女だけ

「終夜から見た感じ、自作自演説はどのくらい有り得そう?いくら何でもそれはしないと考えるのか、やりかねないタイプだと思っているのか」


 気分が暗くなりつつも、僕はそこを確認する。

 短時間で色々起こり過ぎたが、僕は香宮と昨日会ったばかりなのだ。

 この辺りの人間性に関しては、終夜に聞くしかなかった。


「んー……少なくとも三年前、私と同居を始めた頃の凪はそんなことはしなかったわ。多少はトラブルもあったけれど、話し合いで済んでいたもの」

「じゃあ終夜の目線では、自作自演とは考えにくい?」

「……理由なく他者に悪意を向けたり、理不尽なことをしたりする子じゃないわ。ただ……何度も言うように、地下室はあの子にとって特別だから」

「香宮さんにとっては、試薬も標本も宝物ってことか」

「ええ。初恋の人は誰だって聞いたら、『子どもの頃に見た綺麗な死体が好きだったわ』って答えるような子だから、凪は。どんな生者よりも死体が好きなの」


 ──それはまた、インパクト強いエピソードが……。


 どうも香宮に関する話を聞けば聞くほど、彼女の異常性と言うか、探偵狂時代ですら奇異とされる価値観が透けて見えてくる。

 今更ながら、物凄いお屋敷に住むことになってしまった。


『……お客様、ご注文の物をお持ちいたしましたワン。ゆっくりと取って欲しいワン』

「あ、来た」


 そんなことを考えていると、不意に声優が吹き込んだらしい電子音がテーブルの傍で響いた。

 釣られて顔を上げると、このファミレスで少し前から導入されている配膳ロボットが通路まで来ている。

 何故か犬柄の模様をした機体に、「ご注文の物をお持ちしました」と言う文字が輝いていた。


 ──店内で宣伝しまくってた奴だな……もう来たのか。


 待たせるのも悪いので、僕は注文したフライドポテトとアイスティーを回収し、終夜の注文したクリームソーダもテーブルに置く。

 その動きをセンサーで感知したのか、配膳ロボットは『ありがとうございましたワン』と言いながら立ち去っていった。

 道順がインプットされているのか、どこにもぶつからずに静かに帰っていく。


「……幻葬市だと、ああいうのも多い?確かに少し前、このチェーンで一斉に導入するってニュースでやっていたけど」


 推理に行き詰っていたこともあって、僕はつい配膳ロボットのことを話題に出す。

 頭を切り替えがてら、雑談がしたかったのだ。

 終夜もその気分は分かったのか、クリームソーダをちゅうちゅう吸いながら乗ってくれる。


「人間が一々行かなくていい分、人件費が削減されるからねー。『外』だとやってないの?」

「一時期やってたけど……壊して部品を売り飛ばすような輩が現れたから、すぐに中止になったよ。言ってはなんだけど、運営側の見積もりが甘かったみたいで」


 探偵狂時代の治安なんて、そんな物である。

 逆説的に、あのロボットが普通に稼働している幻葬市の治安の良さが示されている気もした。

 つい昨日、幻葬市内で殺人事件に巻き込まれておいてなんだが、これでも現代日本ではマシな方なのである。


「この取り組みが成功したら、幻葬市内の店は全てロボットを使っていく方針になるのかな?」

「そうじゃない?無人のレジとかも増えているし……ほら、無人の方が強盗が来た時に安全でしょう?」

「まあ確かに。どれだけ盗まれようと、人的被害は出ない」

「でしょう?ロボット開発が探偵狂時代になっても注力されているのは、それが理由らしいから……なまじ治安が悪くなった分、需要が増したとかで」

「ふーん……まあ確かに、掃除機も進化したし、自動運転の研究もどこかでやっているとか聞いたな」


 そこまで呟いたところで。

 僕はふと、香宮の籠る地下室の様子を思い出していた。


 妙に高い底板と、棚の長い脚。

 ネズミが出ない程度には整えられた環境。

 机の上で寝ていた、香宮の姿。


「……あ」


 その瞬間。

 僕たちの行き詰っていた推理に、いきなり光明が差した。

 棚を全て漁っても見つからなかったにしても────これならば。


「……もしかして、解けた?」


 突然黙ってしまった僕を前に、終夜は首を曲げてこちらを覗き込む。

 何だか彼女も、僕が「日常の謎」を解いている時の様子に慣れてしまったようだった。

 実際、彼女の推測は正解だったのだけど。




「香宮さーん……いますかー?」


 ファミレスで美味しく軽食を頂いた後。

 僕は終夜を伴って、再び地下室の前を訪れていた。

 昨日と違って鍵が閉まっていたので、扉をノックして呼びかける。


「ちょっと、試薬捜索の進捗が聞きたいの……開けなくても良いから、扉の近くに来てくれないー?」


 ついてきてくれた終夜も、隣で声を張り上げる。

 彼女にはもう僕の推理を話しているので、連携も取れていた。

 終夜の自信ある声に引きずられたのか、やがて扉の奥でゴソゴソと音が響き、最後にはトン、と誰かが寄りかかったような音が聴こえた。


『来たわ……何?』


 扉越しということを差し引いても、随分とボソボソとした香宮の声が響く。

 少し心配になったのか、終夜が眉を下げた。


「ちょっと、大丈夫?試薬を探しすぎて調子崩したとかじゃないでしょうね」

『そうではないわ……ただ、ずっと這いつくばって探し物をしていたから、急に立ち上がるとぼんやりしてしまって……』


 だから今はフラフラしている、ということらしい。

 血圧が低いのだろうか、と他人事ながら僕まで心配になってきた。

 しかし今は状況が状況なので、悪いとは思いつつも話を続けることにする。


「香宮さん、実は今朝話していた試薬消失について、ちょっと言いたいことがあるんです。真相が分かったというか」

『言いたいことに、真相……?よく分からないのだけど、何?』

「その前に聞かせてください、試薬の瓶、見つかりました?」

『…………まだ見つかっていないけれど』


 それがどうかしたのか、と言いたそうな声。

 彼女の振る舞いに僅かな違和感を抱きながらも、僕はいつもの言葉を述べた。




「さて────」




「香宮さんの今朝言っていた通り、試薬消失は話だけ聞くと非常に不思議です。僕たちくらいしか立ち入っていない部屋で、何故か物が消えた。香宮さんが僕を疑ったのも分かります」


 物言わぬ扉に向かって、淡々と言葉を並べていく。

 リアクションが見えないために非常にやり辛かったが、仕方がない。

 この推理を述べなければ、彼女は決して扉を開けてくれないだろう。


「ただ最初に言っておきますが、僕はやっていません。終夜も盗むはずがないし、地下室に詳しい香宮さんが変な勘違いをするとも思えない……人間が犯人だと考えると、この謎は解けないんです。その辺りは、香宮さんも分かっていることでしょう」


 香宮による自作自演説は敢えて触れなかった。

 向こうからしても、聞いていて愉快な話題ではないだろう。


「だからこれはもう、人間以外が犯人だと考えるしかありません。地下室内を移動するそれが、試薬の瓶を持ち去ってしまったのだと」

『ここにネズミでもいると言うの?私、そんなに汚くしていないのだけど』


 僕の推理を勘違いしたのか、扉の向こうから抗議のような声が響く。

 すぐにネズミ説を思いついているあたり、一度は考慮した可能性のようだった。


「そうですね。終夜にも聞きましたけど、ネズミはいないそうです。ただ……それを聞いた時に思ったんですよ」

『何をかしら?』

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って。昨日見た感じ、地下室は結構広いですよね?だけど掃除業者は地上の階にしか立ち入らない……つまりこの地下室は、香宮さん自身の手で掃除しないといけないんです。この掃除手段について深掘りすると、試薬の位置が分かります」


 普通に考えれば、ここの掃除は結構大変な作業である。

 香宮は研究に熱中しやすい性格だと聞いたし、部外者が地下室に入ってこない以上、手伝いすら満足に呼べない。

 多少努力したところで、あっという間に床が埃だらけになりそうなものだ。


 それにも関わらず、昨日見た地下室は整理された様子だった。

 ざっと見た限りでは、掃除用具も十分に置いていなさそうだったのに。

 そうなると、香宮が余程ちゃんと掃除をしているのか、或いは────。


「香宮さん、()()()()()()()()()()()()使()()()()()()?だからこそ、棚の下の隙間があんなに広くなっていたんだ。掃除機を通りやすくするために」


 ファミレスで配膳ロボットを見た時、思いついたのだ。

 外ならともかく、家庭内であればあの手のロボットを使う家もあったなと。


「思えば、もっと早く気が付くべきだったわ。凪の両親がこの地下室を用意した時に、掃除への配慮をしないとは思えないもの。凪は、研究に熱中するとその辺は忘れちゃうから……だから海外に行く前に、ロボット掃除機を用意したのでしょうね」


 分かる分かる、とばかりに隣で終夜が頷く。

 香宮の両親と顔見知りらしい彼女から見ても、これは妥当な判断らしい。


「実際、ロボット掃除機を使いやすい環境ではあります。地下室は一階層だけですから、ロボット掃除機の天敵である段差がほぼありません。平面上を行って帰ってくるだけなんですから、上手く道を作れば隅々まで掃除できる」

「棚自体は凪が自分で整理するとして……掃除機が通れるだけのスペースを用意してやれば、後は勝手にやってくれるのね」

「その通り。ただ、普通に香宮さんが起きている時間に動かすと流石に目障りでしょう。だから香宮さんは……自分が寝ている時、特にお昼寝をしている間にそれが動くように設定していた。そうじゃないですか?」


 香宮は僕たちが地下室を訪れた時、昼寝をしていた。

 話によれば、「いつもそのくらいの時間に昼寝をする」とのことだった。


 だったらその間に掃除機を動かそう、というのは当然の判断である。

 別に夜中でも良いのだが、それだと研究に熱中して夜更けまで起きていた時にややこしくなる。

 昼寝中にロボット掃除機を動かすのが、彼女としてはやりやすかったのだろう。


「僕たちは昨日、昼寝中の香宮さんを起こしました。そしてその後、彼女は仮眠の続きをしたと言った。つまりあの時点で、昼寝の時間は残っていた訳です」

「……私たちが立ち去った後で、寝ている凪の隣でロボット掃除機が動き始めたのね。タイマー機能か何かで」

「そう。そして、ロボット掃除機はちょっとしたトラブルを起こしました……掃除のために床を移動する中で、棚の足にぶつかってしまったんです」


 本来なら、道順をプログラムとして覚えているので、ロボット掃除機はそう言うことを何度もやりはしない。

 しかし昨日に限っては、状況が違った。

 と言うのも、僕が地下室から帰る時、棚に足を引っかけて転びかけたからである。


 多分あの時、僕が支えとして掴んだ棚は、その位置をずらしてしまっていたのだろう。

 微妙に動いた棚の足は、ロボット掃除機の進路を妨害するような位置に来てしまった。

 だからその掃除機は、昨日に限って棚に接触してしまったのだ。


「勿論、本来なら問題はありません。元々ああいうロボット掃除機は、色んな物にぶつかりながら進路を決めます。昨日も、ロボット掃除機は進路を微調整して掃除を続けたことでしょう……ただ、棚に置かれていた物にとってはこれが問題でした」


 標本入りの瓶のような、重い物なら問題はない。

 掃除機がぶつかった程度で揺らがないだろうし、そもそも簡単に落ちるような位置に置かないだろう。

 香宮は、それらを何よりも大事にしているのだから。


 だが、試薬の瓶は違う。

 使ったばかりだったのと、僕が揺らしてしまったこともあって、多分それは不安定な位置に存在したのだろう。

 しかも、掃除機がぶつかったものだから────。


「ロボット掃除機が接触した時、試薬の瓶は転がり落ちて、掃除機の上に乗っかっちゃったんですよ。しかもそのまま、ロボット掃除機に同乗する形で持ち去られてしまったんです」


 僕の見た限り、棚の下のスペースにはかなりの余裕があった。

 恐らくロボット掃除機がギリギリ通れるなんてレベルではなく、その上に何か物があっても問題なく移動できるくらいの幅はあるだろう。

 試薬の瓶を載せたままでも、問題無く稼働するということだ。


 ロボット掃除機にしても、目の前に試薬の瓶が落ちてきたらゴミとして押しのけただろうが、上に載る分には対処のしようがない。

 あれは構造上、上にある物を掃除できないのだから。

 試薬の瓶が物凄く重くない限りは、普通に動き続けたはずだ。


「ロボット掃除機は、自動で充電器のところにまで戻るようになっていますよね。つまり現在、試薬の瓶は掃除機ごと充電器のところにあるんじゃないですか?」


 そして恐らく、充電器は部屋の隅の見えにくいところ(端っこの棚の下など)にあるのだろう。

 分かりやすく目立つ場所に用意すると、常にロボット掃除機がそこに待機している形になり、香宮がうっかり蹴り飛ばす可能性がある。

 だからそんなことが起きないように、そうそう触れない場所に充電器を設置したはずだ。


 記憶力が良いという彼女でも、殆ど目にしない物の存在を覚えておくのは難しいだろう。

 故に香宮はロボット掃除機のことを失念していて、当初は棚の上しか探さなかった。

 だからこそ、今回のような誤解が発生したのではないか────そこまで告げたところで、扉の奥でゴソゴソと動くような音がした。


 しばらく待っていると、ガチャリと鍵が開いて扉が開く。

 出てきた香宮は、今朝よりは少し身の回りを整えていた。

 髪もほつれていないし、服も汚れていない。


 そして、そんな彼女の手には。

 緑色に輝く小さな角瓶が握られていた。


「あったのね!」


 ああ良かった、と言う顔で終夜が笑う。

 だが彼女の顔を見ずに、香宮は俯いて。

 そのまま一言だけ呟いた。


「……お騒がせして、ごめんなさい」

前へ次へ目次