悪夢の探偵/夢見る探偵(Period2 終)
「まずさ、あっさりと晶子さんが自白したことの手前について考えない?」
「手前?」
「うん。晶子さんの行動には、彼女が犯人だったことを考えると不可解な点があるから。そこを考えるの」
そう言われると、すぐに思いつくことが一つあった。
これもまた、個人的に気になっていたことである。
「彼女の証言は……夜中の爆発音について僕たちに教えてくれたのは、不可解だった。あの証言は、それまで誰も言っていないことだったのに。よりにもよって、犯人の晶子さん自身が僕たちに……」
「そう、それ!明らかに変でしょ?もしも彼女が本気で捕まりたくなかったのなら、あんな証言はしない方が良いのに」
我が意を得たりと頷く終夜を見ながら、僕は確かにと思う。
どう考えても、あの証言はおかしい。
僕たちが晶子さんの話を聞きに行った時、彼女はわざわざ爆発事故について言及した。
三ヶ月前の夜中に破裂音がした、慌てて飛び起きたと。
僕の密造酒に関する推理も、その応用で終夜が殺人の手法を推理したのも、全てはこの証言が切っ掛けなのだ。
仮に晶子さんからこの話を聞けていなかったら、僕たちの推理はきっと暗礁に乗り上げていただろう。
何せワインの密造について知っているのは羽生家の人間と辞めた使用人だけで、なおかつ主犯である羽生社長は死亡していた。
一緒にやっていたらしい虎之助さんも、身内の犯罪を一々教えるようなことはしないだろう(実際、教えてくれなかった)。
つまり晶子さんが口を開かなければ、辞めた使用人に接触できない僕たちは、永遠に密造酒の存在に気が付けなかった可能性が高いのである。
もしかしたらどこかで辿り着けたかもしれないけど、今よりもずっと時間がかかったに違いない。
晶子さんがあの証言をしてくれたお陰で、僕たちはスムーズな推理ができたのだ。
「言ってしまえば、犯人なのに僕たちのフォローをしてくれてた……本当に、これはどうしてなんだ?」
疑問に苛まれて、僕はもう一度終夜に問いかける。
すると、彼女はさも当然のような顔でこう返した。
「決まっているじゃない。彼女、捕まりたかったのよ。一秒でも早く、警察に連行されたかった」
「……殺人を後悔していて、捕まって楽になりたいと思っていたってこと?確かに悪夢を見ていたくらいだから、罪悪感はあったと思うけど」
「それもあったでしょうね。でも、メインの理由は違うと思う。彼女はきっと……外に出たかったのよ」
はあ、とそこで終夜は酷く疲れたようにため息を吐く。
そして、すらすらと彼女の動機を推理していった。
「私、推理の中で彼女が羽生社長を殺した理由は述べたでしょ?前々から自分を監禁してくる父親が憎かった、いっそ殺してやろうとまで思ったって」
「ああ、『鳥籠娘』らしい理由だった」
「だからこそ考えて欲しいんだけどさ……もしも羽生社長を殺すことに成功して、なおかつ警察が真相を掴めなかったとする。この場合、彼女は自由になれると思う?」
──羽生社長が死んで、警察が真相を掴めない……ええとつまり、今回の犯行の後で晶子さんが上手く逃げおおせた場合か。そうなると……。
無理なんじゃないかな、と最初に思った。
一見すると、鳥籠に閉じ込めた主犯を排除できたように思えるが、その後となると話が別だ。
「羽生社長が死んでも、虎之助さんが現状を続けさせる可能性があるな……実際、特に妹の処遇を問題にしている様子はなかったし。彼個人としては、あの状態を問題視していなかった。取り調べ中ですら妹を外には出さなかったくらいだから……」
「でしょ?何なら羽生社長が死んだ後、虎之助さんがより強く束縛する可能性すらあった。彼からすれば、父親が突然殺されたようにしか見えないんだし……唯一残された家族を、更に偏愛するかも」
「ああ、なるほど……そう考えると、彼女は羽生社長を殺しても、そのままだと自由にはなれないのか」
彼女の足が十全に動くのなら、脱走することだってできただろう。
しかし交通事故の後遺症が、それを許さなかった。
何とか鍵を開けさせたとしても、外を出歩くことはできない。
羽生社長を殺したのであれば、どう転んでも兄である虎之助さんに生活の面倒をみてもらう必要が生じる。
その虎之助さんが妹を自由にすることに消極的であれば、もう詰みである訳だ。
酒の密造は中止されていて、もう一度同じトリックを使うこともできないのだから。
「だから……だから晶子さんは、僕たちに真相を掴んでもらおうと考えたのか?真相が分かれば、警察が自分を捕まえる。そうすれば……」
「犯人として連行されることで、屋敷の外に出られる。彼女はきっと、ただそれだけのために自白に近いことをしたんだと思う。私たちがいなかったら、適当な刑事相手にそうしていたんでしょうけど、偶々私たちがいたから……役回りを変えたんじゃない?」
淡々と告げる終夜を前に、僕は信じられずに首を振る。
しかし彼女の結論が揺らぐことは無かった。
「で、でも連行されたら、留置所や刑務所にしかいられない訳で……自由になれてないんじゃないか?」
「彼女としては、それでも良いって考えたんでしょ。どんな場所であろうと、このお屋敷にいるよりはマシだって」
「それなら、どうして自首をしなかったんだ?あんな回りくどいことをしなくても、自首すれば……」
「馬鹿ね。自首なんてしたら、その分刑が軽くなる可能性があるじゃない……外にいられる時間が、その分だけ短くなっちゃうでしょう?仮に実刑が下されたとしても、虎之助さんが『身内の恥を引き取りに来た』とか言って、出所した彼女をまた監禁する恐れがあるんだから」
「外で暮らす時間を少しでも長くするために……そのために、自首をしなかった。あくまで『第三者によってその犯行を暴かれた』形にしなければならなかった。屋敷の外に出るために、それだけの細工を……?」
「ええ、勿論、毎晩悪夢を見る程にまで自分の行動を悔いていたのも、また事実ではあるんだろうけど」
最後の終夜の言葉は、素っ気なくもどこか同情の気持ちが込められているようだった。
少なくとも、僕にはそう聞こえた。
ただ外に出るために、実の父親を殺したという異常性と。
実際に行動を起こした直後から、毎晩悪夢に苦しんでいたという共感性。
その二つを抱え持っていた彼女を、どこか悼んでいるように。
終夜はそこで少しだけ、車の窓から道の先を見つめていた。
一時間ほど前に、警察に連行された彼女も見たであろう道を。
彼女の隣で、僕もぼんやりと前を見ていた。
ただし、その光景は殆ど頭に入っていない。
頭を占めるものと言えば、あの夜の会話だけだった。
『でも、それなら私たちは悪夢仲間ということになります。だから……やっぱりお話、しませんか?』
壁の奥から、細く響いてきたあの言葉。
悪夢にうなされると言いながら、家族の愚痴をこぼす彼女の姿。
実際に見てはいないものの、割と楽しそうに会話をしていた記憶がある。
その声色を覚えているからだろうか。
どうしても僕は、不要な推理を止められなかった。
──彼女は、本当は父親を殺したかったんじゃなくて……ああいう馬鹿話を、誰かとしたかっただけなんじゃないかな。自分の知らない、誰かと。
推理でも何でもない、ただの願望なのだけれど。
そう思わずにはいられなかった。
彼女自身も気が付いていない、真の動機はこの辺りにあるのではないかと。
ただ、こんな思考に意味はないこともまた分かっていた。
実際に晶子さんは父親の死の要因を作り、警察に連行されている。
僕たちが来た時点で、小麦入りのワインは部屋に運び込まれてしまっていた。
詰まるところ、僕たちが来るのは遅すぎたのかもしれない。
逆に、彼女は早すぎた。
そんな気がした。
──今夜は……彼女は、悪夢を見るのかな。
どうなんだろう。
向かう先が留置場とは言え、十年ぶりに外に出られたことで幸せに寝るのだろうか。
それともやはり、外に出たところで悪夢を見続けるのだろうか。
彼女の「悪夢仲間」として、僕はどうしてもそれが気になった。
だけれどこれは、僕の専攻でも終夜の専攻でもなく。
どう推理しても、分かることは無かった。
「……ある意味、探偵狂時代らしい事件だったわね。今回の事件は」
少し間を置いてから、事件そのものの講評をするように終夜が口を開く。
僕としても割と同意見だったので、頷きを返した。
「旧時代は……少なかったのかな、こういう事件は」
「じゃない?児童虐待自体はあったと思うけど、今とは件数のケタが違うと思う。そもそも晶子さんの件の発端となったのは交通事故だし。ワインの密造の方も、もっと警察がしっかりしていたらそもそもやらなかっただろうし」
確かに、とこれまた頷いた。
今回の殺人事件そのものは、あくまで晶子さんの単独犯だ。
個人的な欲求を元に起こされたものであり、社会がどうのという問題は絡まない。
しかし背景事情まで加味すると、間違いなく探偵狂時代の影響を受けている。
どうしたって、影響を受けざるを得ない。
晶子さんが「鳥籠娘」になったのを誰も問題視しなかったのは、警察が他の仕事で手一杯だから。
羽生社長が彼女を「鳥籠娘」にしたのは、この時代故の交通事故の多さから。
ワインの密造だって、もっと警察が信頼されていた時代なら、「どうせバレる」と思って踏みとどまったかもしれない。
事件そのものに関係せずとも、関係者の行動の裏には、常に探偵狂時代の影がある。
治安が悪化するとはそういうことだ。
旧時代であれば、この事件はまた違った様相を見せてくれたことだろう。
そこまで考えたところで、また終夜が口を開く。
「でも、不謹慎を承知で言えば……高校が始まる前に、この事件を解決できたのは良かったかもしれない。私個人の夢のためには、だけど」
「……夢?」
初めて出てきたワードに、僕はそのまま問い返す。
すると、終夜は再び「言ってなかったっけ?」という風な顔をした。
「いや、私さ、実はずっと前から目標にしていることがあって……一生を懸けてでも叶えようって決めてる夢があるのよ。そういう夢のためにも、色んな経験をしておこうって決めてたから」
「よく分からないけど……どんな夢?」
「んー、割と簡単な夢。多分、現代人が一度は思いつく夢だと思う」
そう前置きしてから、彼女はさらりと夢の中身を告げた。
彼女の言う通り、現代人が一度は思いつく、その夢を。
「探偵狂時代を終わらせる。この国を、もう一度旧時代のように治安が良い国に戻す……それが、私の夢」
恥ずかしいから、あんまり言わないんだけどね。
顔を赤らめながら、彼女は僕に微笑みながら告げた。
──探偵狂時代を、終わらせる……。
終夜の夢を聞いた僕は、ポカンとしていた。
仕方がないだろう。
旧時代の人間には決して分からない感覚だろうが、この時代を生きる僕たちにとって、それは物凄く壮大な言葉だった。
法壊事件が起こってから、四十年以上経つ。
この国の治安は悪いままで安定してしまい、警察は当てにならなくなり、今回のように刑事が素人探偵の推理を当てにすることも増えた。
治安維持という点では異常としか言えないこの光景が、世界の当たり前となってしまった。
だからだろう。
僕たちは、とうの昔に治安の改善を諦めてしまっていた。
警察に代わって探偵たちがそこそこ謎を解いてくれるんだから、もうそれで良いだろうと最初から諦観するようになってしまったのだ。
だって、僕が生まれる前からこの国の治安は悪かったのだ。
道端の財布はほぼ百パーセント持っていかれ、強盗に遭遇することは日常の危機として対策され、普通に生きているだけで殺人事件が身の回りで起きてしまう。
平和で治安の良い国のことなんて、僕たちは年寄りの思い出話の中でしか知らない。
だから終夜が「探偵狂時代を終わらせる」と明言したことは、例えそれが将来の目標に過ぎないにしても、驚くべきことだった。
旧時代の感覚で言うならば、これは紛争地帯の真ん中で「僕が戦争を全て終わらせる」と明言するに等しい。
正しいことは正しいが、余りにも難しすぎて誰も唱えない……そんな夢だった。
あどけない子どもなら、一度は願うだろう夢。
しかし大人になるにつれて、恥ずかしくて口にできなくなってしまう夢。
それを今、彼女は堂々と口にしていた。
羽生社長が死んだ後、彼女はすぐさま情報のすり合わせに動いていた。
あの行動の真意を、僕はやっと理解した気がした。
あれは多分、殺人が専攻だからというだけじゃなくて────こんなところで、ぼやぼやしていられなかったのだ。
「まあ勿論、私はまだダメダメなんだけどね。今回も、密造酒関連の『日常の謎』は独力では解けなかったし……アンタがいなかったら苦戦していたわ、きっと」
そう言って、彼女は苦笑い。
それから、ふと思い出したように僕の方を見た。
「だからどうしても、『日常の謎』が解けるパートナーが必要なの。私の隣で、私に解けない謎を解いてくれる相棒が……」
「……それは」
僕の脳裏に、終夜の家を出る際のやり取りが蘇る。
そうだ、そう言えばこの問題も残っていた。
僕が突然、彼女との同居を誘われた話────この問題も決着がついていなかった。
──そう言えば、驚いている内に羽生家に連れて行かれたから、返事をしていないんだったっけ……終夜の意図が分からなかったから、返事を躊躇っていたんだけど。
本当に、強引な提案だった。
もっとも、こうして連行されたお陰で、終夜がどうしてそこまで僕を確保してこようとするのか、真意を理解できた面もあるのだけど。
彼女の夢も含めての提案だったんだな────そう思い返したところで、運転手が不意に「着きましたよー」と間延びした声を発した。
「うわ、ほんとだ。話している内にもう着いちゃった……」
運転手の声に釣られて、終夜がバタバタと荷物を掴んで外に出ていく。
窓の外を見れば、いつの間にか昨日見たお屋敷に到着していた。
山奥と違ってこちらはもう雨が上がっており、窓ガラスが陽光を綺麗に反射している。
「運転手さん、ちょっとトランクを……」
終夜が当然の行動として荷物を取りに行く中。
僕は彼女の提案を思い返しながら、ぼんやりと座席に残っていた。
そのせいか、怪訝そうな顔で運転手が問いかけてくる。
「あの、ここで降りないんですか?もしかして、目的地が別に?」
「あ、えっと……」
別だと言おうか、と一瞬だけ思った。
簡単なことだ。
ここで一言、「僕の目的地は幻葬高校の学生寮です」と言えば良い。
ただそれだけで、この運転手はそこに僕を連れて行ってくれるだろう。
学生寮には荷物も届いているはずだ。
僕の本来の目的地はそこなのだから、それで何も問題ない。
だけど。
それでも。
──探偵狂時代を終わらせる。この国を、もう一度旧時代のように治安が良い国に戻す……それが、私の夢なの。
終夜の声が、耳に残っていた。
彼女の真意を、僕は理解している。
──こんな時代でなかったら、いつでもこういう話ができたのでしょうに……申し訳ありません。
晶子さんの嘆きが、頭をよぎった。
彼女の真意を、僕は推理している。
だから、僕は────。
「……いえ、別じゃないです。僕も、目的地はここですから」
静かにそう答える。
運転手は、「だったら早くそう言ってくれ」と言いたそうな顔をして扉を開けてくれた。
彼の誘導に従い、僕は荷物を抱えて車を降りる。
降りてすぐ、終夜のお屋敷の真正面で彼女は待っていた。
先に荷物を下ろした彼女は、まるで僕が来ることが分かっていたようにそこに立っていてくれる。
今のやり取りが聴こえていたのだろうか。
彼女は少し安心したような、しかしそれ以上に嬉しそうな微笑みを向けてくれた。
僕が微笑み返すと、彼女は栗色の髪を風に揺らし、すっと手を前に差し出す。
「九城君……ようこそ、幻葬市へ」
「ああ、これからよろしく、終夜」
黎和十六年、春。
幻葬高校の入学式が迫ったこの日。
九城空は、終夜雫の家に引っ越しをした。