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鳥籠にはいつも隙間がある

 そこから彼女は、呆気にとられる藤間刑事を尻目に一息に推理を述べていった。

 彼女の有様は非常に強引だったが、同時に自身の推理に対する絶対の自信を反映しているようでもあった。




「晶子さんが自分の父親への殺意を抱いたのは、ずっと前のことでしょう。それこそ、彼女が『鳥籠娘』になった時から思っていたのかもしれません」


「これ自体は、刑事さんにも理解できる感情でしょう?家族の手によって部屋に監禁され、外との交流はたまに使用人が食事を持ってくるだけ。足が悪いのに、夜中にヘルパーもつけてくれない」


「こんな時代だからこそ見過ごされてしまっていますが、羽生社長の娘への行動は犯罪行為です……そうやって閉じ込められ、助けも呼べない中で、自分にそのような状況を強いる父親への殺意が芽生えてもおかしくはないでしょう」


「しかし彼女には、チャンスが無かった。父親と顔を合わすこと自体が少ないですし、支えがあってようやく立てる程度の足では、会えたところで害するのは難しい。それ以前に、使用人に買ってもらう形でしか私物を用意できませんしね。いくら殺意があろうが、現実的には彼女は父親を殺せなかった」


「だからこそ、適当にパンくずを撒いて鳥を見る事くらいしか慰めがなかった訳です」


「しかし、ある夜に転機が訪れます」


「先程述べた通り、ワインの密造をしていた小屋で爆発事故が起きたんです。彼女自身、その轟音を聞いて飛び起きたと言っていました」


「恐らく、この時点では晶子さんはそこが密造酒の製造拠点であることは知らなかったんでしょう。彼女はただ、鳥の餌やりに小屋の天井を使うくらいしか活用していなかった」


「だからきっと、普通に心配になって窓から小屋の様子を伺ったんだと思います。窓枠が多少細かろうが、寄りかかって下を見ることくらいはできる」


「そしてこの爆発、小屋の天井に穴をあける程にまで大きな物だったようです。話を聞いた使用人に、穴の開いた天井のパーツを運んだという人がいましたから」


「ついでにこの穴の位置なんですが……恐らく、お屋敷の壁に近いところ。晶子さんが覗き込んだ際、真下に見えるような位置にあったんじゃないかと思います」


「つまりこの時、晶子さんはその穴を通して、密造酒の樽を視認できたんです」


「蓋は吹っ飛んでいますから、密造酒の液面も見えたことでしょう。彼女はその時、ここで何か飲み物が作られていたらしい、ということを察した」


「勿論、この後現場には羽生社長や虎之助さんが駆け付けました。彼女の話ではそんな音は聞いていないと答えたとの話ですが、いくら何でも晶子さんが飛び起きる程の轟音がしたのに、本館にいた彼らが気が付かないとも思えない。きっと上から覗き込む彼女に気が付かないまま、彼らは小屋の様子を見に来たはずです」


「そして……彼らは特に片付けもせず、その場を離れた」


「当然ですよね。この家は夜には使用人を帰してしまいますから、片付けたくても人出が足りません。電気も消してしまうので、単純に作業もやりにくいですし」


「多分、吹っ飛んだ蓋も探さなかったことでしょう。庭のどこかに墜落していたはずですが、流石に深夜に探すのは難しい」


「次の朝に使用人が来て、片付けができるようになるまで、とりあえず放っておこうとなったんだと思います」


「ですがこれが、晶子さんにチャンスを与えることになりました」


「晶子さんは二人が立ち去った隙を見計らって、普段鳥の餌やりに使っているパンくずを取り出した」


「そしてきっと、それを小屋の穴めがけて撒いたんです」


「穴を通って、真下にあるワインの樽に……蓋がなくなって液面を晒しているそのワインに、小麦粉が混ざるように」


「羽生社長はケチで有名な方。きっとこんな事故が起きても、小屋の中にある密造酒を全部捨てるようなことはしない。勿体ないと言って、濾過なり消毒なりをした上で口にする可能性が高い……全部消費した方が、証拠隠滅にもなりますから」


「つまり今、このワインに何か毒物を混入させてしまえば、きっと羽生社長はそれを飲んでくれる」


「勿論、彼女が本物の毒を手に入れる手段はありませんから、唯一父親を害する可能性があるもの……アレルギーを引き起こす小麦に頼る形になりました」


「使用人はおらず、家族たちも朝を迎えるまでは自室にいる。山奥で他に目撃者はおらず、邪魔する者もいない」


「時間はたっぷりある上に、誰かに見られる心配も薄い訳です」


「だから……彼女は下に向かって、パンくずを撒き続けた。とても細かく千切ってね」


「一度ワイン樽に入ってしまえば、それはただのゴミと見なされるでしょう。天井に穴が空いた時に何か、ゴミが入っただけだろうと……溶け込んでしまった物については目に見えませんし、不審がられる恐れは少ない」


「狙いを外して周囲に撒けてしまったとしても、そんなに不審がられることはないでしょう。壊れた天井の一部と同化するだけですから」


「実際、ことは彼女の思惑通りに進みました。羽生社長は事故を起こしたワイン樽の中身を処分せず、濾過なら消毒なりをして空き瓶に詰め替えた」


「そしてその瓶を、ずっと前に自室へと運び込んでいた」


「自らの死因を、自分の手でワインセラーに並べたんです」


「もっとも、件の樽から回収したワインを飲むまでには時間がかかり、この三ヶ月は今までのストックを飲むか、別の樽の物を飲むかしていたのでしょうが……」


「昨晩になって、いよいよ彼は問題の樽から回収したワインを口にしました」


「無論、この密造酒一口に混入している小麦の成分は微量です。しかしアレルギーは過敏な人なら、ごく微量でも重篤な症状を起こすこともある」


「結果として、彼はアナフィラキシーショックを起こして死に至った……」


「こう言った様々な偶然が作用したために、誰も訪れていない部屋の真ん中で、本来入っていない小麦が混入したワインを飲んで羽生社長が死ぬ、という状況になったのです」




 全てを語り終わってもなお、終夜は表情を変えなかった。

 対照的に、藤間刑事は顔色を実にカラフルに変化させている。

 彼の想像力では対応しきれない推理だったらしい。


「え、ええと……そうなると……犯人は羽生晶子さんだと……?」

「はい。最初からそう言っているじゃないですか」

「し、しかし……証拠はあるんですか?こう言っては何ですが、さっき私が言った『詰め替えを指示された使用人が小麦粉を混入させた』の方がまだ説得力があるような……あの部屋に閉じ込められた彼女が、本当にそんなことをしたかどうかは……」


 ──まあ、そうなるか。


 藤間刑事がゴニョゴニョ言うのを聞きながら、僕は密かに同意する。

 実際、彼の言っていることは正しい。


 終夜の推理は決定的な物的証拠を元にしたようなものではなく、使用人の話や僕からまた聞きした話を繋ぎ合わせて作った物だ。

 犯人が晶子さんだと断定することすら、本当なら難しい。

 少なくとも旧時代であれば、これを殺人罪として立件するのはまず無理だろう。


 ──でも……やっぱり犯人、彼女なんだろうな。そうじゃないと、悪夢のことが説明がつかなくなる。


 口にはしないが、そんなことも思う。

 藤間刑事に対しては言わなかったが、僕は一つだけ、晶子さんを犯人であることを示す証言を得ていた。

 それが、例の悪夢に関するエピソードだ。


 深夜のお喋りの中で、晶子さんは言っていた。

 自分は最近によく悪夢を見る、三ヶ月前から毎晩のように見るようになったと。

 実を言えば、これを聞いた瞬間から引っ掛かりを覚えていた。


 同じように悪夢を見る僕が言うのも何だが、毎晩悪夢を見る状態というのは、はっきり言って異常だ。

 よっぽど心理的に追い詰められていなければ、連続して悪夢なんて見ないだろう。


 晶子さんは確かに、事実上の監禁状態にあり精神的なストレスを抱えていた。

 だが、何年も前から悪夢を見ていた訳ではない。

 悪夢を見るようになったのは、あくまで「三ヶ月前」。


 どうして、「三ヶ月前」と断定しているのか?

 どうして、「三ヶ月前」から悪夢を見るようになったのか?


 彼女が三ヶ月前に、終夜の推理通りのことを────殺人に繋がり得る行為を働いたのだとすると、これに説明が付く。

 この時期は、例の爆発事故が起こりワインの密造が中止されたのと同時期なのだから。

 簡単に言えば、自分の行為に恐怖して罪悪感を抱えていた訳だ。


 詰まるところ、彼女の悪夢が示唆している。

 羽生晶子さんこそ、この事件の犯人であると。


 ただし勿論、この程度のことでは証拠にも何もならない。

 本人の主観はどこまで行っても本人の物でしかなく、推測は妄想の域を出ない。

 だからなのか、終夜はそこで藤間刑事に対して実に分かりやすい提案をした。


「……ここでグダグダ言っていても仕方がありません、藤間刑事、ちょっと提案良いですか?」

「はあ、何ですかな?」

「虎之助さんに言って、晶子さんの部屋の鍵を開けてもらいます。その上で、本人に直接聞きましょう……『貴女が犯人ですか』って。警察も彼女が犯人じゃないって最初から決めつけていたから、そんなことは聞いていないでしょう?」


 そう告げられた藤間刑事は、ポカンと口を開けていた。

 今更そんな正攻法を提案されたことで、いよいよ脳がオーバーヒートしたらしい。

 だが、終夜は本気だった。






「……と言う訳で、改めて聞きます。羽生晶子さん、貴女が犯人ですか?」


 十数分後。

 提案通りに開けてもらった晶子さんの部屋の中で、終夜は実にあっさりとその言葉を述べた。

 ニコニコと話を聞いている、晶子さんの前で。


 そんな彼女たちの奥で、藤間刑事は酷く冷めた顔をしていた。

 まあ、これは当然だろう。

 彼は、晶子さんが自白するはずが無いと踏んでいるのだ。


 本当に彼女が犯人だったのなら、自分の罪を隠すために認めない。

 逆に彼女が無実なら、当然自分への疑いは否定する。

 どっちに転んでも、彼女から帰ってくる言葉は「自分は父親を殺していない、パンくずを撒くようなことはしていない」だけだろう────この部屋に来る最中、藤間刑事はずっとそのように言っていた。


 しかし、この時。

 終夜の推理を聞いた晶子さんは、ふわりと頷いて。

 軽く微笑みながらこう述べた。


「……はい、私がやりました」






 それから、数時間後。


「晶子さん、連行されちゃったね」


 容疑者確保により事件が解決したとして、僕と終夜は警察から解放されて、帰路についていた。

 出入りが許されるようになった使用人の一人に頼んで、帰りの車を出してもらったのである。

 会社への連絡やら、警察対応やらで大わらわになっている虎之助さんも、流石にこれは承諾してくれた。


 故に、僕と終夜は再び雨の降り始めた山道を静かに進んでいく。

 行きの時と同じく、運転手は無口で会話に口を挟むことは無い。

 そのお陰で、僕と終夜はまるで二人きりになったかのように会話を続けた。


「連行の時……清々しそうな様子な気がしたよ、あの人。警察官の手を借りて、傘をさして……傍目から見れば、あんまり綺麗な景色でもないはずなのに」

「だけど、彼女にとっては花道だったんじゃない?少なくとも私には、割と楽しんでそうに見えたけど」


 まあ確かに、と僕は頷く。

 ついさっき警察に連行された彼女の姿は、天気には似つかわしくない程に晴れやかだった。

 晶子さんの笑顔を思い出しながら、僕は終夜に質問をしてみる。


「なあ、終夜……まだ聞いていないことがあったんだけどさ」

「え、何?」

「晶子さん、何であんなにあっさりと犯行を認めたんだ?そして君は、どうして彼女が犯行を認めると確信していたんだ?僕たちの推理は正直、物的証拠は何一つない物だったし……正直、否認されたらそれまでだった気もするんだけど」


 一緒に推理をした時から、気になっていたことを問いかける。

 すると、終夜は意外そうな顔をした。


「あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ。君と推理のすり合わせをした時も、僕は密造酒のことだけ話したから……」


 今回の推理、僕たちは各々で役割分担をしている。

 僕は「日常の謎」専攻として密造酒絡みを、終夜は「殺人」専攻として密造酒に小麦を混入させるトリックの方を担当したのだ。

 結果として、犯人の動機や心理については互いに説明していない。


 だから僕も、正直意外だったのだ。

 あんなにもあっさりと彼女が犯行を認めたのは。

 気分的には、藤間刑事と同じだったと言っても良い。


「晶子さんは、会話の端々から分かるレベルで羽生社長のことを憎んでいた。恨んでいたし、軽蔑もしていたんだろう……だから正直、殺人を実行したこと自体は分かるんだ。でも、だったら捕まりたくないと思うのも自然なんじゃないかなって……」

「折角、自分から自由を奪った父親を殺したんだから、わざわざ捕まりに行く理由がないだろうってこと?」

「うん。だけど実際は簡単に捕まったし、君もそれが分かっている風だった……だから、その理由を聞いておきたくて」

「そっか……そうね、そこも伝えておかないと。アンタと晶子さん、超短い付き合いとは言え仲良くなってたみたいだし」


 そう言いながら、終夜は一度僕に対して、実に優しい笑みを浮かべた。

 その表情のまま、彼女は二度目の推理を開始する。

 ただ、僕一人のために。




「さて────」

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