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探偵同盟

 そして、虎之助さんとの会話から三十分後。

 僕たちは再び晶子さんの部屋を訪れていた。


「そうですか……それはまた、ミステリーですね。カメラの監視下に置かれた部屋での殺人であることを考えれば、ある種の密室殺人と言えるのでしょうか」

「そうですね。警察の話では羽生社長の部屋に他に出入口は有りませんでしたし、窓も誰かが出入りしたような痕跡はないそうなんです。本当に、犯人がどう動いたのかが分からないと……」

「なるほど。終夜さんも、九城さんも、大変なことに巻き込まれてしまいましたね」

「ははは……」


 苦笑を浮かべて、僕たちと晶子さんは話し合う。

 藤間刑事が晶子さんにも取り調べをしたいと言い出したために同行したのだが、いつしか事情説明みたいになっていた。


 実の父の死を知った晶子さんだが、その表情は大きくは変わらず、依然として水晶のような装いを崩していない。

 まだ、現実を受け入れていないのかもしれなかった。

 それどころか、事件の様相を知らせた僕たち──警察はある程度事情聴取をすると、すぐに去ってしまった──のことを心配する余裕すら見せていた。


「遅れましたが……お悔やみ申し上げます、晶子さん。お兄様ともども、大変なご苦労を」


 一応の礼儀ということか、終夜はそこで思い出したようにかしこまった言葉を述べる。

 しかし向こうもそれは望んでいなかったのか、彼女は手をブンブンと振った。


「大丈夫です、そんな気を遣われなくても……元々、この部屋にいる分にはあまり会わない父親でしたから」

「そうなんですか?」

「ええ。お父様は私をこの部屋に押しとどめておくことには熱心でしたが、だからと言って会いに来ることはあまり……正直、顔もよく思い出せないくらいです」


 それはお兄様も同じでしたけどね、と言いながら晶子さんはじっと扉を見る。

 妹と会話することもなく、扉の前で会社の人と電話している虎之助さんへの当てつけのような発言だった。

 もっとも彼の場合は、社長の急死という異常事態に立ち向かっている最中なので、致し方ない面もあるだろうけど。


「……それよりも晶子さん、警察にも聞かれたでしょうけど、もう一度聞いておきます。あの晩、僕と別れた後に何か気になる物は見ませんでしたか?」


 話の中身がドロドロしてきたので、僕は無理矢理話題を変える。

 事件捜査も大概暗いが、客観的な話をしている時は雰囲気が暗くならないところがあった。

 それは彼女も分かっているのか、普通に答えてくれる。


「私、あの後はじっと起きていましたけど……特に何もありませんでした。この部屋から動いていないので、そもそも知ることのできる範囲は狭いのですけど」

「なるほど、因みに外については?窓から変な物が見えるとか、そういうこともありませんでしたか?」

「それもないです。昨晩、雨が降ったでしょう?だから窓も締め切ってしまっていて……最初から見ていません」


 まあそれはそうだろうな、という回答だった。

 今では雨は止んでいるが、あの時の雨はかなりの勢いだった。

 あれで窓を開ける人はまずいないし、多少の音も雨音で隠れてしまう。


 ──最初から分かっていたけど、晶子さんから重要な情報は聞けそうにないかな……もっともその分、容疑者から外れてもいるんだけど。


 警察があっという間に彼女への取り調べを終えた辺りにも、その意図が透けて見える。

 その分、虎之助さんへの疑いは少し増してしまうが。

 そんなことを考えていると、終夜がずいっと身を乗り出した。


「すいません、晶子さん。私からも質問よろしいですか?」

「勿論、何ですか?」

「昨晩に限らず、ここ最近の夜で、何か変わったことがあった日はないか聞きたいんです。ここ何ヶ月かの間に、夜中に変な音が聴こえたとか、そういうことはありませんでしたか?」


 ──え……どんな質問だ?


 終夜が何を聞きたいのか分からず、僕はきょとんとした顔をしてしまう。

 しかしその突飛な質問に、意外なことに晶子さんは迅速に反応した。

 彼女はすぐに何かを思い出したような顔をすると、静かに自室の窓を見つめ始める。


「そうですね……変なことと言えば、一つだけ。三ヶ月前に、ちょっとおかしなことがありました」

「三ヶ月前?」

「はい、ちょうどそれくらい前の平日の夜です。その日も私は一人で寝ていたんですけど……その、不意に破裂音のような音が聴こえたことがありました。何かがはじけ飛んでしまったような、凄い音が外で聞こえて……」

「……外で工事でもしていたんですか?」

「まさか。夜中の事でしたし、外は静かなものでした。だけど、唐突にそんな音がして……私、怖くて聞かなかった振りをしてベッドに籠ってしまいました。窓枠に乗り上げて正体を確かめようかとも思ったのですが、ここの窓枠は鳥も乗れないくらいに細いので……ちょっと、躊躇われて」


 それに正体を確かめても、どうせ私は外に出られませんからと言葉が続く。

 どうやら「鳥籠娘」たる彼女にとって、外で異変が起こったからと言ってそれを調べるようなことは無いらしい。

 本人の言う通り知る方法が無い上に、知ったところでどうするという気分なのだろう。


「ただ次の日、私は朝食を運んでくれた使用人にその話をしたのです。お父様やお兄様に、あの音を聴かなかったか確かめて欲しいと。そうしたら……」

「どうなったんです?」

「二人とも、聞いた覚えはないとのことでした。かなり大きな音だったはずですけど……」


 不満そうに言いながら、彼女はチラリと電話中の虎之助さんを見やる。

 三ヶ月前の不満を、今になって思い出したのか。

 少しだけ彼女は表情を曇らせると、やがて自ら雰囲気を切り替えるように明るい顔をした。


「私が覚えている奇妙なことと言えば、これだけです……お気に召しましたか?」

「はい……協力ありがとうございました」


 ゆらりと頭を下げてから、終夜は軽く別れを言って部屋を出ようとする。

 僕は会話の意味を把握しないままそれに続こうとしたが、そこで少し思い出すことがあり、晶子さんに言葉をかけた。


「あ、晶子さん……今日は、鳥の餌やりはしたんですか?」

「……はい?」

「いえ、昨日言っていたなと思って。鳥に餌をあげるのが趣味だって……今日は雨が上がったばかりで、鳥がいなさそうでしたから、ちょっと気になって。ここ、ベランダ無いみたいですし」


 僕がそう告げると、晶子さんは少しだけ意外そうな顔をした。

 しかしすぐに微笑んで、さらりと言葉を返す。


「いいえ、していません。前は鳥が掌に乗ってくれるほどに近寄ってくれたんですけど、最近はそれもありませんから。三ヶ月くらい前から、控えるようにしているんです」

「……なるほど」

「心配してくださって、ありがとうございます」

「……ええ、まあ」


 優雅に笑う彼女を見ながら、僕は今度こそ部屋を立ち去る。

 そしてこの瞬間、僕の脳裏には一つの推理がよぎっていた。

 今までの思考を覆す、とある推理が。




「……なあ、終夜」

「どうしたの、九城君」

「君は、もう……()()()()()()()()()()()?」


 晶子さんの部屋からの帰り道。

 さっさと行ってしまった虎之助さんの背中を見つめながら、僕はスマホで調べ物をしていた。

 その最中で唐突に問いかけてみると、終夜は真剣な顔で頷いた。


「実を言うと、こうじゃないかなあっていうイメージはある。正直、かなり粗いんだけど」


 だろうなと思った。

 何となく、終夜ならそう言うだろうという気がしていたのだ。

 昨日出会ったばかりの相手をこうも信じるのは、何だか変な感じがしたけど────それでも、彼女は探偵なのだから。


「そうか……この短時間で凄いな。流石、専攻が『殺人』の人は違う」

「別に関係ないわよ。この捜査が終わらないと家に帰れないみたいだから、必死で解いてるだけ」


 割と切実な事情を言われた物だから、僕はそこでちょっと笑ってしまう。

 まあ確かに、今の僕たちが一番困るのはそれだった。

 質の低下した現代の警察に捜査を任せてしまうと、この屋敷への待機命令が解除されるまでどれだけ待たされるか分かったものじゃない。


 早く家に戻りたいのであれば、自力で謎を解いて犯人を告発するしかない。

 そう言う意味では、犯行直後に動き回る終夜の行動は間違ったものでは無かった。


「ただ、未だに説明つかないところは残っているのよねえ……何だかこう、解きたい謎の手間にもう一つ謎が残っているというか、幾つかの事件が混ざっている感じがあるというか」


 しかしそこで、終夜は本気で困った様子で首を捻り始める。

 彼女としても、自分の推理に今だ確信を抱けていないのか。

 この辺りが前に言っていた、彼女の弱点なのかもしれない────そう思いつつ、調べ物を終えた僕は口を開いた。


「だったらさ、終夜……少しだけ、僕の推理を聞いてくれないか」

「アンタの?でもアンタって……」

「ああ、僕の専攻は『日常の謎』だ。だから正直、殺人の手法はよく分かっていない。でも一つ、殺人に関係する出来事について思いつくことがあるんだ。今の晶子さんとの会話ではっきりしたことが……証拠は無いし、妄想みたいなものだけど」

「……聞かせて」


 真面目な顔になった終夜は、足を止めて僕の方を向く。

 釣られて立ち止まった僕は、僅かに足を伸ばして終夜の耳に口を寄せた。


 そして、語ってみる。

 僕の妄想を。

 十分ばかり、僕と彼女は羽生家の廊下でヒソヒソ話に興じることになった。


「……って流れだったんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」


 全てを語り終えて、彼女から体を離す。

 その時になっても、終夜は僕の推理を良いとも悪いとも言わなかった。

 代わりにピン、と指を一本立てる。


「その推理……立証できる?」

「分からない。でも一応、関係者がゼロって訳にはいかないと思う。だから使用人の人とかに聞けば、何とかなるかも……」

「そうね……よし!」


 いきなり言葉に力を籠めると、終夜はズカズカと廊下を力強く歩き始める。

 不意打ちを喰らった僕は、慌てて彼女の背中を追いかけることになった。




 この後、僕と終夜は物凄く地味な聞き取り調査をすることになるのだけど、その流れは割愛する。

 基本的には、門の前でたむろしていた使用人の人たち──殺人事件で屋敷が封鎖されたので、出勤できずにそこに留まっていたのだ──に、門越しに質問をして回っていただけだ。

 描写としては単調なので、ここでは書かない。


 実際、そこで僕たちが聞きまわったことはただ一つ。

 この一文だけだ。


「三ヶ月前まで、このお屋敷にはプレハブ小屋のようなものが併設されていませんでしたか?また羽生社長から、廃材の処理や小屋の取り壊しを依頼されたことはありませんか?」


 この質問を、あらゆる人にしまくった。

 コイツラは一体何を聞いているんだろう、という目で何度も見られた。


 だけど、何度も聞いてみると────古株の使用人が、そうだと述べた。

 中に入ったことはないが、確かにそんなものがあった、大穴の開いた天井のパーツを運んだと。

 他にも、似たような証言がポツポツあった。


 それを聞いてから。

 僕と終夜は互いに頷き合い、警察の元へと向かうことになる。




「さて、急に呼びつけてどうしたのですかな、客人二名」


 再び食事の間に来てくれた藤間刑事は、朝よりは疲労した様子だった。

 無理もない。

 ただでさえ警察の仕事は増えているのに、その中で「監視カメラに映っていない犯人による殺人事件」なんてものに遭遇するとは、彼も不運な刑事である。


「もしかして、何か気が付いたことがあったから教えてくれる、ということでしょうか。それなら現代の学生としては立派な態度です。今の時代、警察の信頼が低下したせいか証言を拒否する人が多くて……現在も羽生虎之助さんにまた取り調べをしているのですが、彼もずっとだんまりです。いやはや、本当にあれは辛い……」


 僕たちがまだ子どもということもあってか、藤間刑事は朗らかに世間話をしようとする。

 しかし、それを終夜が手で制した。

 黙って聞けと言わんばかりに。


「藤間刑事、仰る通り、私たちは情報提供をしに来ました。ただそれは、何か見つけたとかそういうことではありません」

「ほう、なら何ですか、お嬢さん」

「犯人とそのトリックが分かりました。だから、警察に動いて欲しいんです。いくら探偵狂時代と言えど、逮捕状の請求は司法の仕事ですから」


 終夜が淡々と言葉を告げると、藤間刑事はその顔に浮かべた愛想笑いを打ち消す。

 そして、「本当でしょうか?」と静かに呟いた。


 この辺りは、彼も現代の刑事だ。

 旧時代なら、こんな子どもが「犯人が分かった」と言っても全く相手にされなかっただろうが、彼もこういうことに慣れているのだろう。

 警察よりも先に、素人の探偵が真相を掴むことに。


 現に今も、素人探偵であるはずの終夜は、僕の隣で自信満々の立ち姿を晒していた。

 彼女の姿は、警察よりも警察らしい。

 終夜は口元を引き締め、真剣な顔になった刑事と渡り合う。


「今から、その真相をお伝えします。ただし最初の方は彼が……九城君が語る形になりますけど」

「ほう、彼も推理に参加したのですか?さっきの取り調べによれば、昨日幻葬市に来たばかりとのことでしたが」

「そうですけど、探偵としての能力には疑いありません。今回の推理は、私と推理の合作みたいなものです……だからほら、九城君!」


 バトンタッチするように、彼女は僕の肩をパン、と叩いた。

 その勢いが余りにも強かったものだから、僕は一度ぐらりと揺れてこけそうになる。

 しかしその衝撃にも負けず、僕は毎度の台詞を口にした。




「さて────」

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