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不確実な毒

 そして、小一時間後。


「……何か、警察の人に疑われた?」

「ううん、何も」


 手荷物検査の後、僕と終夜は再び待機場でコソコソと会話をしていた。

 被害者の死因も分かったところで、話を整理しておきたかったのである。

 遺族である虎之助さんの前ではやりにくいので、彼が取り調べを受けている今が好機だった。


「私、別に小麦を含む食べ物なんて持ってきて無かったし、犯行は難しいと言われて……九城君もそうでしょ?」

「ああ。だって僕、そもそも昨晩は学生寮に泊まる気だったから」


 食事は学生寮で提供されるはずだったので、軽食用にパンを持参するとか、そういうことが無かったのである。

 ある意味、これは僕にとって幸いした点だった。

 これで僕が菓子パンでも購入していたら、「これを千切ってワインに混ぜたのでは?」なんて言われて、強く警察に疑われたかもしれない。


「たださ、検査されながら思ったんだけど、本当にワインに小麦って混入されていたのか?あの刑事さんの話だと、まだちゃんとした検査をしてないみたいだったけど」


 話し方からすると、あくまで警察の推測でしか無いような様子だった。

 今の時代、科捜研は毎日パンク状態で、正確な結果が出るのは何ヶ月も後になっているという話を聞いたこともある。

 だからこそ刑事の報告を疑ってみると、終夜は「それは本当らしいわよ」と意外な報告をした。


「実は、羽生社長の遺体が運び込まれた法医学教室にツテがあるんだけどね。幻葬市だと、そこで色々遺品の分析とかもしてるから……情報漏洩だけど、ちょっと確かめさせたわ」

「それで、間違いないって?」

「そうよ。羽生社長に目立った外傷や他の病気は見当たらず、死因はアナフィラキシーショックとそれによる呼吸困難の疑いが強い。そして残されたワインボトルには小麦の成分が溶け込んでいたって……迅速検査に反応があったらしいから間違いないわ。ああそれと、羽生社長の胃からワインも検出されてるから、ちゃんと飲んでいるのも確定」


 なるほど、と僕は頷く。

 とりあえず、そこは確定情報として考えてよさそうだった。


「じゃあ、藤間刑事の言っていた通りだ。羽生社長は昨夜、いつも通りワインを飲もうとした。だけどそのワインには小麦が入っていて、アレルギーによるショックを起こした……悲鳴とかは、特に聞こえなかったけど」

「夜は雨が降っていたから、それで音が掻き消されたのでしょうね。それに遺体の喉はアレルギー反応で腫れていたそうだから、声が十分に出せなかったんじゃない?それで意識も怪しくなって、碌に助けも呼べないまま亡くなった、とか」


 終夜は淡々と、かなり悲惨な死にざまを解説する。

 聞いているだけでこっちまで息が苦しくなりそうな話だったが、恐らくこれが真実だろう。

 そういう死に方だったからこそ、誰も悲鳴を聞けず、「朝起こしに行ったら死んでいた」という状況になったのだ。


「因みに、事故の可能性は本当にゼロ?元々成分に小麦が使われている飲み物だったとか、或いは何らかの事故でそういうのが混入してたとかは……」

「それはないと思う。これは虎之助さんに聞いたんだけど、羽生社長が最近飲んでいるワインは同じメーカーの物ばかりだったって。もしも成分に小麦を含むお酒だったなら、羽生社長がまず買わないし、うっかり買っていたとしてももっと前に症状が出たはずでしょ?毎日のように遅くまで飲んでいたんだから」

「まあ確かに……そうなると、やっぱり何者かが羽生社長のワインに小麦を混入させたって流れで間違いないか」


 晶子さんの話では、羽生社長はかなりのケチとの話だった。

 恐らく、安いワインをまとめ買いして飲んでいたのだろう。

 だからこそ同じメーカーの物ばかり飲んでいたのだろうし、それで今まで症状が無かったということが、今回の事件性を保証している。


「あ、でもさ、殺人事件だとしても、小麦が混ぜられたのが昨日とは限らないんじゃないか?」

「それはどうして?」

「だってほら、犯人が何らかの手段でそのワインに小麦を混入させたとしても、羽生社長がどのタイミングでそれを飲むかは分からないだろう?実は数日前に犯人がこの屋敷に侵入していて、ワインに細工をしたのかもしれない。そのワインを、昨日偶然羽生社長が開封したんだとすれば、容疑者は僕たち以外の誰かということになる」


 刺殺や銃殺と違って、毒殺──小麦を毒と呼ぶのもアレだが、分かりやすいのでこう表現する──というのは、死ぬタイミングが犯人の手ではコントロールしにくい手法である。

 ワインに小麦が混ぜられていたのは事実にしても、そのタイミングが昨日とは限らない。

 そう思っての指摘だったが、終夜はふるふると首を振って否定した。


「残念だけど、今回に限ってはそうじゃないと思う。現場に落ちてたワイン、別に新品じゃなくて、何日も前から開封して飲んでいたボトルだったそうだから。近くにコルクもなかったし」

「あれ、そうなのか?」

「羽生社長、ワインをちょっとずつ飲むタイプらしくて……一晩で飲み切るようなことは無いから、ある程度飲んだらワインボトルにストッパーを付けて保管していたそうなの。死体の側に転がっていたワインも、そんな感じだったって。まあ、結構中身は残っていたらしいけど……言いたいこと、分かる?」

「えーっと、最後に飲んだのが既に開封済みの飲みかけだったってことは、昨日も一昨日もそのボトルからワインを飲んでいた訳で……ああそうか、なるほど」


 仮に僕の考えた通り、ずっと前に何者かがワインに小麦を混ぜていたのなら、初めてそのワインを口にした日にアレルギーの症状が出るはず。

 アナフィラキシーショックまで行くかどうかは知らないが、何かしら体調が悪くなるとか、そういうことがあってもおかしくない。


 だけど羽生社長の手元に残されたワインボトルは、ずっと前に開封していて、ストッパーまで用意してある状態だった。

 これはつまり、昨日や一昨日にもそのボトルの中身をちょっと飲んだものの、アレルギー症状も無く普通に終わり、次飲むためにストッパーを嵌め直したことを意味する。


 要するに、昨日や一昨日の段階ではそのワインは普通の状態だった訳だ。

 昨夜になって初めて、何者かが一気に小麦を混入させたと考えるしかない。


「一応、前に飲んだ時は症状が軽微だったから、羽生社長自身が問題にしてなかった可能性もあるけど……」

「パンを食べないために食事を全て和食にするような人が、本物のアレルギー症状を気にしないっていうのは有り得ないんじゃない?」

「確かに」


 終夜の意見に、僕はまた頷く。

 こうして色々考えても、やはり「昨夜に屋敷内の何者かがワインに小麦を混入させ、羽生社長を殺害した」と考えるのが一番自然のようだった。

 それでも全ての可能性を潰しておくべく、僕は一応別の仮説も挙げておく。


「一応だけど、自殺の可能性は?まあ、昨日は自殺の素振りなんて全く見せなかったし、遺書も無いから薄い線だとは思うけど」

「ゼロとは言わないけど……かなり考えにくいと思うわ。そもそも、自殺の手法としてアナフィラキシーショックを利用するのは確実性に欠けるもの」

「確実性?」

「小麦アレルギーの人が小麦を摂取するのは、今回のようなことを招く危険行為なのは間違いない。でも、絶対に死ぬとは限らないでしょう?今回は発見が遅れて、既に亡くなっていたけど……」

「ああ、そっか。死ぬレベルの反応が起きない可能性もあるし、早期に発見されて一命をとりとめる可能性もある。仮に羽生社長が自殺志願者だったなら、もっと確実な手段で死ぬはずってことか」


 不謹慎を承知で言うが、自殺するだけなら手法はいくらでもある。

 それらを押し退けてまで、小麦を摂取してのショック死なんていう、ちゃんと死ねるかどうか分からない手段に拘る理由はないわけだ。


 ──とりあえず、これで別解は殆ど潰せたかな。


 羽生社長は自殺でも事故でもなく、昨晩唐突に殺された。

 そしてそれが可能だったのは、屋敷内の人間のみ。

 ようやく、それを確信できた────と思ったところで、僕は「ん?」となった。


「……なあ、終夜。度々質問して申し訳ないんだけどさ」

「別にいいけど。アンタと話している内にこっちも考えがまとまってくるし……どうしたの?」

「いや、さっきの『小麦を摂取したところで確実に死ぬかは分からない』って話を聞いて思ったんだけど……自殺じゃなくて殺人だとしても、この問題点って残るんじゃないか?」


 普通の殺人犯は人を殺す際、相手が百パーセント死ぬ手段を用意する。

 当然だろう、本気で人を殺したいと思っているのならば、不安定な手段には頼れない。

 だというのに、今回の犯人は────。


「羽生社長をどうしても殺したい人がいたとしても……犯人はどうして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?こう言うとアレだけど、ナイフで刺すとか、青酸カリみたいな本物の毒を使うとか、他にもっと確実に殺せる手段があると思うけど。何が何でも殺したいのなら」

「そこなのよねー」


 んー、と唸りながら終夜は腕組みをした。

 彼女としても、ここは分かっていないところだったらしい。

 はっきりと眉を下げていた。


「小麦を混入させた手段もまだ分かってないけど……それが一番の謎かしら。この時代、本物の毒を手に入れることだってお金さえ払えば不可能じゃないのに」

「逆に言えば……犯人としては、小麦の混入だけで確実に殺せる自信があった?」

「それは正直考えにくいわ。確実に相手がアナフィラキシーショックに陥るかどうかなんて、医者でも判断できないでしょ、普通」

「なら、実は殺意はなかったとか?体調を崩させる程度にしておくつもりだったのに、運悪く死んでしまったとか」

「その場合は手段が物騒過ぎるわよ。現に死んでしまっているし。殺意があろうとなかろうと、アレルギーの症状は犯人の手でもコントロールできない。殺人に使うには確実性が無くて、嫌がらせに使うには危なすぎるってワケ。そんなあやふやな手段を何故用いたのか……」


 ううん、と終夜はまた唸る。

 専攻が「殺人」の彼女としては、ここはどうしても解き明かしたいところらしい。

 というか純粋に、自分も巻き込まれた事件で意味不明なことがなされているのが不気味なのだろう。


「でもさ、推理を否定する訳じゃないけど……それは、犯人に聞けば良いんじゃないかな」


 思い悩む終夜を見かねた僕は、そこでついアドバイスをする。

 これを言ったらおしまいな気もしたが、こう考える方が早い気がしたのだ。


「手荷物検査前に話した通り、小麦を昨晩混入させることができたのはこのお屋敷にいた人だけで……使用人が早々に帰宅していた以上、羽生家の人と僕たちくらいしか容疑者はいない」

「……」

「部屋に閉じ込められていて、物理的にワインに触れない晶子さんは容疑者から除外。昨日来たばかりの僕と君も、動機的には除外してもいいだろう?羽生社長を殺すメリットが何一つないし。そうなると、消去法で……」

「……犯人は私しかいない、と言いたい訳かね?」


 突然低い声で呼びかけられ、僕はビクッと肩を跳ねさせた。

 慌てて振り返ると、そこには取り調べから帰ってきたらしい虎之助さんの姿がある。

 どうやら、話を聞かれてしまったらしい。


「さっきまで私の取り調べをしていた刑事たちにも、同じようなことを言われたよ。普通に考えて、その日限りの宿泊客が父を殺すとも思えない。息子の貴方なら動機があるんじゃないか、とね」

「……そう疑われていた割には、随分早く帰られたんですね」


 流石に申し訳なくて黙ってしまった僕の代わりに、終夜が話を繋いでくれる。

 すると、虎之助さんはふっと笑った。


「幸いなことに、私の関与を否定する新証拠が現れたんでね。それのお陰で、解放されたという訳さ」

「新証拠?」

「ああ。君たちには言っていなかったが……この屋敷の各所には監視カメラを設置してある。侵入者が来た場合は、映像でその記録を追える訳だ。そして勿論、父の部屋の前にもそのカメラは設置してあった」

「つまり……昨晩の映像を見たんですね」

「そうだ。刑事曰く、昨晩父の部屋に入った者は、父以外誰もいなかった……父が夜に自室に戻ってから、私が朝起こしに行くまで、部屋に入った者は映っていなかったそうだ。使用人も私も、部屋に入ってはいない」


 だから私が解放された訳さ、と得意気な言葉が続く。

 しかしこの言葉を聞いて、僕と終夜は互いに目を見合わせた。


 自分の疑いが薄まったことに喜び過ぎて、虎之助さんは気が付いていないのだろう。

 今の話が、この事件を更に複雑怪奇にしてしまっていることに。


 先程しつこく確認し合った通り、羽生社長は自殺や事故ではなく、何者かに殺されたと思われる。

 事前に小麦が仕込まれていたとは考えにくく、昨晩になって初めてワインに混入させられた可能性が高い。

 だというのに────昨晩、羽生社長の部屋に入った者がいないのならば。


「犯人は、どうやってワインに細工をしたんだ……?」


 訳が分からない、と思いながら呟く。

 その隣では、終夜がずっと黙って考え込んでいた。

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