前へ次へ
10/34

専攻は「殺人」

 曰く、最初に死体を発見したのは虎之助さんらしい。

 朝六時になって起き出した彼は、まず屋敷の門を開こうとした。

 朝に出勤してくる使用人たちを入れるために、彼は毎朝そうしていたらしい。


 彼の部屋から屋敷の門まで出向こうとすると、途中で父親の部屋の前を通りすがる形になる。

 彼はこの時、父親を起こすこともルーティンとしていた。

 羽生社長は深酒することが多く、いつも寝起きが悪いので、ここで一度起こすのが習慣化していたのである。


 だからいつものように、彼は父親の部屋に立ち寄った。

 しかしこの日、父親の使うベッドには彼の姿は無かった。


 普段よりもずっと下の位置、ベッド下の床。

 そこに、羽生社長は転がっていた。

 喉元を自らかきむしった死体として。


 彼が父親の死体を発見した後は、旧時代とそこまで変わらない流れである。

 警察と救急に通報が入り。

 宿泊客である僕たちは叩き起こされ、警察によって待機を命じられた。




「……遅いわね、警察。この部屋で待てって言われてから結構経つけど」


 終夜がボソッと呟いたのは、待機開始から一時間以上経った頃。

 昨晩夕食を頂いた部屋で集められ、各々椅子に座りながら無言の時間を過ごしていた時のことだ。

 集められたと言っても、僕と終夜、そして虎之助さんしかいなかったが。


「大分前に、遺体は運んだはずだが……クソ、現場検証一つに手間取って!この時代の警察はこれだから……」


 終夜の呟きに呼応するようにして、虎之助さんが愚痴を吐く。

 先程から苛々した様子で室内をぐるぐる歩きまわっているところを見るに、精神的に相当追い詰められているらしい。

 無理もないだろう、実の父親が突然死んでしまったのだから。


 加えて、今回は────。


 ──ただの事故死や病死なら、警察が僕たちを待機させるはずもない……つまり、羽生社長は殺された疑いがあるってことだ。少なくとも、死体を見た警察はそう判断した。


 可能な限り気を落ち着かせながら、僕は現状を分析する。

 結局昨夜は寝られなかったのだが、この程度のことを推理できる程度には頭は働いていた。

 仕事が雑で有名な現代警察が、こうして長時間の現場検証をしていることだけでも、殺人事件の影を感じ取ることはできる。


 だがしかし、まさかあの羽生社長が……。

 もし本当に殺されたのだとすれば、犯人は一体……。

 得体のしれない物を感じて、僕はブルリと身を震わせる。


 確かに殺人事件は増えているし、僕自身も経験がゼロではない。

 だが流石に、自分の宿泊した屋敷で突発的に死人が出るというのは初めての経験だった。


 仮にこれが殺人であるならば、何者かが殺意を持ってこの屋敷をうろついていた、ということになるだろう。

 つまり昨夜の僕は、殺人犯とほど近い場所で深夜のトイレ探しをしていたのだ。

 怖がるなという方が無理があった。


 ──今の時代、どこでも起こり得ることではあるんだけど……怖いな、やっぱり。


 そこまで考えたところで、隣に座る終夜がツンツン、と僕の腕をつついてくる。

 何だと思って振り向くと、じっとこちらを覗き込んでくる終夜の顔があった。


「……どうかした?」

「んーっとね、こうして黙って待ってても仕方がないなって思って。だからさ、ちょっと協力してくれない?」

「協力?」

「情報のすり合わせをしておこうかと思って……九城君、昨夜私と別れてから、このお屋敷で何か変わったことあった?何かあったのなら、教えて欲しいわ。推理してみせるから」


 だから少しでも多くの情報を頂戴、と言って彼女は口元を引き締める。

 それを見て、僕は思わず唾をのんだ。


 ──……ここでこう来るか、終夜。専攻が「殺人」なんだから、ある種当然だけど……。


 何気に初めて、探偵としての彼女を見た気がした。

 終夜の瞳は、今まで見たことがない程に力強い光を帯びている。

 神秘性すら感じる、蒼い瞳……探偵の色。


 間違いない。

 彼女の中で、探偵としてのスイッチが入っている。

 この時代の人間らしく、自らの身を守るために推理を進めようとしている────それを理解した時点で、僕は自らの恐怖心をすぐにかき消した。


 そうだ、彼女の言う通りだ。

 怖がっている暇があるのであれば、自ら情報をすり合わせて、推理の基礎固めでもしていかなくてはならない。

 今は探偵狂時代であり、僕たちは探偵を志願する者たちなのだから。


 不謹慎とか、そういうことを言っている場合ではない。

 推理をしなければ、生き残れないのだから。

 そう決意したところで、終夜の質問が重ねられた。


「誰か屋敷内で不審者に会ったとかは?変な光景を見てもいない?」

「いや……無いな。夜中にちょっと二階まで歩いたんだけど、おかしなことは無かったと思う」

「屋敷の外に変化はなかった?」

「途中で雨が降ったくらいかな。他は知らない」


 昨夜の光景を思い返して、真剣に答える。

 終夜はふんふんと頷いて情報をメモしていたが、やがて不思議そうな表情を浮かべた。


「ちょっと待って、どうしてアンタ、夜中に二階を歩き回ってるの?客室は一階でしょ?」

「ああ、それは……昨日、夜中にちょっと起きたんだけど……そこで少し晶子さんと話して」


 認識を共有させるために、僕は昨日の晶子さんとの会話について終夜に小声で──互いの悪夢については省いた上で──報告する。

 プライバシーに関わることなので躊躇いはあったが、事件捜査となれば仕方がなかった。

 第一、僕と晶子さんが何もしていないことの証明になるだろう。


「……まあ、大体こんな感じだった。だから、僕と晶子さんの午前二時くらいの行動については互いに保証できるんだけど」

「ふーん……何か、初対面の割に妙に仲良くなったのね、アンタたち」

「からかわないでくれ。そういう終夜こそ、何か変な物は見ていないか?」

「ううん、全然。昨日はアンタと別れた後にすぐに寝ちゃって……ほら、朝からドタバタしたから」


 そう言えば、終夜は昨日は朝から面接をしていたんだよな、と思い出す。

 何だかあの面接も財布の落とし物も、割と前のことのように思えてしまうが、全て昨日一日で起きたことなのだ。

 僕と同じく、終夜も疲れがたまっていたのかもしれない。


「だから私の方は。朝に起こされるまでグッスリ……晶子さんとの会話を終えた後は、そっちも同じ感じだった?」

「ああ。似たようなものだよ」


 厳密には、例の悪夢の影響で眠れずに雨音を聞き続けていたのだけれど、そこまでは言わなかった。

 何も見ていないのには変わりない。

 僕のそんな証言を聞いたところで、終夜はすっと顔を同室の虎之助さんに向ける。


「羽生虎之助さん……ちょっと良いですか?」

「ああ、会社の連中にはどう言えば……って、何だい?」

「貴方は、昨夜から今朝にかけてどういう行動をとっていましたか?そして、貴方が見つけたという羽生社長はどのようなお姿でしたか?……お辛いかもしれませんが、お教えください」


 終夜が問いかけると、虎之助さんは驚いたように眼鏡を揺らした。

 しかしすぐに意図を察したのか、いくらか不快そうな声で返答をする。


「恐らくは、君たちと同じようなものだよ。夕食会の後は使用人を帰して、いつも通り門の鍵をかけ、自室で休んだ。父の死体についても最初に言った通り、息苦しそうな様子で死んでいたところを見つけたってだけだ……だが、そんなことを聞いてどうするんだい、雫ちゃん?」


 昨日は自己アピールもあってか敬語だった虎之助さんだが、緊急事態ということもあってか虚飾は外れていた。

 純粋に大人の一人として、皮肉めいた言葉も織り交ぜてくる。

 終夜もこの方が話しやすかったのか、そのまま会話のラリーを続けた。


「巻き込まれた身として、昨夜の状況を知っておきたかったんです。虎之助さんも勘付いているかもしれませんが、この一件はどうも事件性があるようですから」

「……父が、誰かに殺されたっていうのかい?刺し傷も、銃創も無かったのに?」

「では逆に聞きますが、羽生社長はこういう風に急死するのも当然と思えるような、重い持病でもあったのですか?心臓が悪かったとか、血圧が危険水域にあったとか」


 終夜が問い返すと、すぐに虎之助さんは黙った。

 どうもそういう病気は無かったらしい。

 実際、僕の見る限り、昨日の羽生社長は健康そのものだった。


 そんな彼が突然死んだとなれば、やはり他殺が可能性としては挙がるだろう。

 加えて死者は大手食品会社の社長であり、その生死に様々な利権が絡みそうな立場。

 僕たちを待機させた警察も、その死を疑う終夜も、判断は間違っていない。


「……でもさ、終夜、ちょっと良いか?」

「ん、何?」

「もし……もし本当に、羽生社長が何者かに殺されたんだとしたらさ。その場合の容疑者って……」

()()()()()()()()()()、決まっているじゃない……私たちの中の誰かが、羽生社長を殺したの」


 あっけらかんとしたノリで、終夜は断言した。

 専攻が「殺人」の彼女としては、これはとっくの昔に把握していたことらしい。

 だがそれでも、直に聞いた時には「やっぱりそうなるか……」と思ってしまった。


 彼女の言う通り、決まり切っている話ではあった。

 このお屋敷に泊まっていたのは、羽生社長とその子ども二人、そして僕と終夜のみ。

 使用人は夜になると帰されていたし、この山奥では外部から誰かが入り込むのは難しい。


 その上で羽生社長が亡くなった。

 ついでに言えば、屋敷にいた長女────晶子さんは「鳥籠娘」であり、自室から出られる立場になかった。

 そうなると、羽生社長を殺せたのはここにいる三人だけなのである。


 まだ、手段も死因も分かっていない。

 それでも、犯人がこの中にいることだけは間違い無いのだ。




「あー、すいませんすいません。色々と手間取っちゃって、説明が遅れました」


 ドタバタと言いながら四十代くらいの刑事が部屋に駆け付けたのは、それからすぐのことだった。

 如何にもお人好しそうなその男性刑事は、走ったせいかハアハア言いながら席につくと、ポンポンに膨れたお腹を何故かさする。

 小さな丸眼鏡と言い、ひょうきんそうな丸顔と言い、「狸が人に化けた上で刑事になったらこんな感じだろうな」と思わせる容姿をしている人だった。


「どうもお待たせしました、北幻葬署の藤間と申します……ええと、羽生家の息子さんと、宿泊客のお二人、でしたね?」

「はい、そうですけど……それよりも刑事さん、父はどんな状態だったんですか?司法解剖をしたのなら分かるでしょう!?」


 挨拶もそこそこに、虎之助さんが藤間刑事に食って掛かる。

 死体を見てすぐに通報した彼としては、まず把握し損ねた死因を知りたかったのだろう。

 ズカズカと藤間刑事に詰め寄ると、刑事の方もあっさりとそれを教えた。


「ええとですな、まず死亡時刻は午前三時頃。死因は……まあ、窒息死ということになるんですかな。喉が詰まって、息ができなくなったのが原因だそうです」

「窒息……父は、誰かに首でも絞められたんですか?」

「いいえ、それは違います。ええと、アナフィラキシーショック、でしたかな。既に法医学教室の方で軽く調べているのですが、それで間違いないようです」

「アナフィラキシー……」


 そう言われた瞬間、虎之助さんは神妙な顔をした。

 即座に意味を把握したらしい。


 一方、その言葉の意味が怪しかったのが僕である。

 聞いたことはあったのだけれど、幻葬高校の受験勉強だけではそこまで詳しくやっていない。

 仕方なく、僕は隣の終夜に小声で意味を確かめた。


「終夜。アナフィラキシーって、確かアレルギーの凄いバージョン……で合ってる?」

「イメージ的には、まあそんな感じ。正確に言うなら、アレルギー持ちの人がアレルゲン……アレルギーの原因となる物質を侵入させてしまったために、複数の臓器に全身性のアレルギー症状を起こすことを意味するわ。重篤な物だと血圧低下や意識障害を起こして、死んでしまうこともある。喉が腫れ上がって呼吸困難に陥るのも、症状の一つね」


 医学の知識に詳しいのか、終夜はすらすらと解説をしてくれた。

 その知識を頼みに、僕はもう少し質問を重ねる。


「羽生社長は小麦アレルギーだって話だった。その人が、アナフィラキシーショックに伴う呼吸困難で死んだとなると……」

「昨晩、羽生社長は何らかの理由で小麦を摂取した、ということになるわね。だからこそ、重篤なショックを起こして死に至った」


 淡々と、終夜は彼の死を分析する。

 いっそ冷徹さすら感じる様子だったが、僕としては頼りになる振る舞いだった。

 ある意味、探偵狂時代の人間らしい態度である。


「今、そこのお嬢さんもおっしゃられていましたが……まあその、被害者の口元にはワインが零れていました。現場の床にも、ワインボトルが転がっています。どうも、元凶はこれのようですな」


 藤間刑事は、汗を拭いながらそう報告してくれる。

 しかしこの報告には、虎之助さんが疑義を呈した。


「ワイン?確かに父は、ワインが好きでしたが……普通のワインに小麦は含まれていないでしょう?それともなんですか、昨晩、父がいきなりぶどうアレルギーになったとでも?」

「そういう例もないではないそうですが……どうも、話は違うようです。鑑識の方で調べたのですが、どうもワインボトルに何かが混入しているのではないか、との話でした。それこそ、アレルギーを引き起こす何かが」

「何かって……それじゃあ」

「そう、恐らくですが、何者かが被害者の飲むワインボトルに小麦粉を混入させたのではないか、という話になっております。少量の粉が入った程度では、溶け込んでしまって気が付きませんからな……」


 ですから、と言って藤間刑事は僕たちを見る。

 その瞳は、探偵狂時代の警察には珍しく鋭い物だった。


「申し訳ありませんが、皆様の手荷物検査やアリバイの確認をさせていただきます。勿論、ここにはおられませんが二階に籠っているというお嬢さんにも……いいですね?」


 僕と終夜はしっかりと頷いて。

 虎之助さんは、またグルグルと部屋の中を歩き回り始めた。

前へ次へ目次