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 大きな意気込みとは反対に、英章がリンドウにて振る舞ったコーヒーは以前のパフォーマンスを取り戻し……いや、それ以上の味となっていた。思えば、あとは心という、精神論なのだから、いままで積んできた技術は枯れているはずもなく順調に育ってきているはずである。

「あーあ、もうそろそろうちからバリスタが一人いなくなるっていうのは少し寂しいものがあるなぁ」

 山苗がつぶやくように言う。

 本来の営業再開日より二週間ほど遅れて、センブリの再開店が決まり、それにともなってデティールでの活動も終了ということになるわけだ。ここまでお世話になったのにと、思う気持ちはもちろんあるが、やはり自分はセンブリの人間であるという意識の方が強い。

「あはは……、最後まで頑張らせていただきます」

「ねぇ、二谷ちゃん?どうかな?うちにフレーバーを変えてみない?」

「おしゃれでせっかくのお誘いですが、お断りさせていただきます」

「だよねぇ……。残念」

 そこには、ほんの少し、本気の落胆が混じっているように感じるのは自意識過剰ではないと思う。それなりに気に入られているはずだ。だが、個人的心配は別にある。

「先輩……、だめですか?」

「い、一奈ちゃん。う、うぅーん。さすがにね。もともとそういう契約だし」

「そう、ですか」

 こちらは本気で落ち込みかけているのでなんとも複雑な気分となる。彼女のことを馬鹿にできないのは自分も英章が京都に戻って修行をすると聞いたときに似たような反応だったから。まるであの時の鏡をみているようで少し胸がむきゅむきゅする。

 一奈の猫のような性格と、そしてその内に秘めた炎が何を刺激したのか奏音にやたらとなついているので何とも言えない。

 ちなみにちっひーは彼氏の浮気を証拠を煮詰めたうえで提出をしてそのまま別れを切り出したと聞いている。ただ、その復讐方法がえげつなかったのを覚えている。何気なくに入手した彼氏の携帯パスワードを使って、ロックを解除。その後彼のSNSから浮気相手に対してこれらの事実を暴露したとのこと。その浮気相手も自分がそのような存在であることを知らなかったらしく完全な二股を仕掛けていたこととなる。さらにその浮気相手の手伝いもあり彼氏の友好関係にもその事情を伝えられいろいろと信用度の低い位置にまで落とし込めたとか。その過程が犯罪行為に接するとかは詳しくは知らないけど……、ほんの少しだけ彼氏に同情心も芽生える。

 なお、一番怖かったのはその様子を喜々と語っていたちっひーである。

「ふふっ、まぁ、二人とも。いろいろと熱いうちにやった方がいいのよ。アイスコーヒーはともかくホット系のコーヒーは温かいうちに提供しないとおいしさ半減だしね」

 なにか含みのあるウインクをする。鉄は熱いうちに打て、ということなのか、と感じるがこの人はデティールで唯一、奏音の中にある恋心を知っている存在であると思い出して、その真意に悪意が含まれているのかを判別できなくなった。

「先輩、後ででいいんでセンブリ……でしたっけ?とにかく、先輩が務める喫茶店の場所教えてください。ボク、行きたいんで」

「あぁ、場所言ってなかったっけ?でも、ちっひーの時もそうだけど働いている姿を、知り合いにお客さんとして見られるのってどこか恥ずかしいんだよね」

「ボク、邪魔したりしないんで、教えてください」

「わ、わかったわかった。あとで住所とか送るよ」

 場所といっても最寄駅から徒歩数分だし迷うこともないだろうけども。それと、隠れ家的に、というには繁盛をしているが、センブリがホームページを開いていないのを今のセリフで思い出した。調べればSNSを初めとして様々な形で感想を述べているものは数件ヒットするけど詳しいことは分からなかったのだろう。

 その様子を見ていた山苗さんが朗らかに笑いながらいう。

「あーあ、どうせなら天童さんもう少し京都で引っ込んでいてくれたらうれしかったのになぁ。そうだ、お客さんのふりして難癖付けてプライド折ってみよっかな。顔は古木に頼めばバレないだろうし」

「それは、怖いんでやめてください。というか、古木さん絶対やらないでしょ」

「それもそうね」

 どこまで本気かわからない山苗の言葉に苦笑気味にくぎを刺しておく。また京都に戻られたら、それはそれで大変であるのだから。


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