悪夢の始まり(2)
「……一体どうしたって言うんだ?」
「レオンに相談がある。エミリアの命を救うため父は魔力を失い、魔術師団を去って今は商売に専念してもらう事にしたけれど」
「……ああ」
「私が魔術師団の団長の座を継いで、まだ私の後任……副団長は決めておらず空席のままだ」
「確かに、そうだな。副団長の選任を手伝って欲しいと、そんな話か?」
「いや、候補はいるんだ。まだ本人に打診はしていないけど。……本人に打診する前に、君の意見を聞かせて欲しくて」
「俺の意見で良ければ……」
「エミリアを、魔術師団に入れてやろうと思うんだ」
……エドリックが何を言っているのか、レオンには理解できなかった。今、何と言ったか。エミリアを魔術師団に入れようと、そう言ったのかと……自分の頭の中でエドリックの言葉を繰り返して、それからようやくその言葉の意味を理解する。
「何を馬鹿な事を……エミリアは俺の妻だ」
「そんな事わかってるよ。だからまず君に相談してる」
「それに……俺の妻である以前に、エミリアは女だ。ゼグウスとの戦がどうなるかわからないこんな時に、何を言うんだ……」
「魔術師として優秀なら、男も女も関係ない。父上は昔、エミリアが女だからと魔術師団入りを許さなかったけど、私は性別で貴賤はしないよ。エミリアは父上の魔力を自分の物にしているはずで……それが何を意味するか、わかるかい? 私と同じように、紋章もいらなければ魔力が切れる心配もしなくていい」
「だからと言って……」
「あいつは元々、魔術師団に入りたがっていた。妊娠して魔法を使わないようにしていたようだけど、出産は終えたからもう魔法も使える。魔術師として優秀で、魔力も申し分ない。エミリア以上に、今魔術師団の副団長に相応しい人物はいないと私は確信してる」
「……ふざけるな。俺は自分が危険な目に遭うのは構わないが、エミリアを危険には曝せない」
「じゃあ、レオン。未来を一つ教える。これを聞いても君の意見が変わらないのなら、エミリアを魔術師団に入れるのは諦めるよ。本人にも打診しない」
「未来……。今度は何が見えたと言うんだ」
エドリックは、この未来を告げればレオンがエミリアの魔術師団入りを許可すると、きっとそう思っているのだろう。いわば彼の『切り札』だ。だが、レオンはどんな未来を聞いても、エミリアを危険に晒すことはしたくないとそう思っている。
そのレオンの信念を揺るがせるとすれば、相当の事と言う事になる。何を言うのか、レオンはエドリックの瞳を見る。
「ゼグウスとはこの後全面戦争になる。敵はどんどん攻めてきて、我が国は劣勢だ。王都での市街戦も勃発する」
「な……」
「さぁ、どうする? 敵が攻めてくるから、エミリアは領地へ戻すかい? それとも、共に戦わせる? エミリアが共に戦えるのであれば、民間人の被害も抑えられるだろうね」
「……市街戦になるのは、間違いはないんだな?」
「今まで私が嘘を吐いたことがあるかい? 私の予知夢が、現実にならなかった事はあるかい?」
「……いや、ないな」
「そうだろう? ついでに聞いて欲しい。サンレーム地方の魔物の事件だけれど……やはり、あれは『魔女』が絡んでいた。どうやら『魔女』は、魔物を操ることができるらしい。王都を襲ってくるのも、人間じゃなく魔物だ」
エドリックの話す『未来』に、レオンは絶句する。サンレーム地方を魔物が襲ったのは、きっとレクト王国の王都襲撃のための『練習』に過ぎなかったのだろう。来るべきその時に備えた、訓練だ。
レオンには少しばかり違和感があった。先日のメルガス川での戦い……集まった兵力は双方同じくらいだったが、ゼグウスの騎士たちは明らかに練度が低かったのだ。
レクトは精鋭を揃え、騎士達も皆全身甲冑。対してゼグウスは、精鋭は恐らくは一部でほとんどが新兵や騎士となって数年程度の若い兵。加えて、装備も鎖帷子など守備力としては些か頼りないものが多かった。重装備のせいで川に倒れ助からなかった兵も、レクト側には多かった訳ではあるのだが……
その時は、ゼグウスに金がないのかと思った。全身甲冑となると当然高額であり、騎士全員分を用意するとなると途方もない予算が必要なのである。王妃の浪費の話も聞いていたし、正式な和平を結べば多少なりとも軍事力を落とし今後の軍事費を抑える事ができる。だから今回、和平を持ち掛けてきたのではないかと……
だが、ゼグウスはそんなつもりではなかったという事だろう。わざと和平交渉が難航するようにし、ちょっとしたきっかけで戦が起こるようにして……そして、メルガス川の戦いではわざと負けたのだ。捕虜を救うと言う名目で、感情も持たず人間を殺戮する魔物を送り込んでくるつもりなのだろう。
レオンのこの考えが正しければ、恐ろしすぎて背筋が凍る。一体何人が死ぬのか……考えるだけで、頭がくらくらとしてきた。
「……エミリアが魔術師として戦う場合とそうでない場合、どれくらい被害が変わってくると……エド、お前はどう考える?」
「エミリアがいないなら、王都から逃げる術のない民間人は見捨てなくては……我々戦える者が生き残れないと、そう考えている。残念だけど」
「エミリアがいれば、民間人も守れると?」
「もちろん全員は無理だけどね。だが、民間人の救助ができるくらいの余裕はできるだろう」
そんな話を聞いては、レオンも苦渋の決断をしなくてはならなかった。それは騎士団長としてだけではなく、一人の人間として……今にも犠牲になるとわかっている人を見捨てられるような、レオンはそんな人間ではない。
エドリックは昔から、取捨選択をする男だった。断片的ではあっても未来が見えるから、その未来をより良くするために捨てるものはバッサリと切り捨てるし、使えるものは何でも利用する。
それは時に無慈悲な選択をすることになったとしても、より良い未来のためだと……彼はそう、割り切って選択してきたのだ。
「お前は……お前が今の俺の立場だったら、愛する夫人を危険な戦闘に駆り出すのか?」
「もちろん。勝つために使えるものは、何でも使う。逆に言えば、使わなければ勝てないかもしれない。使えるものがあるのに、使わずに負けたなんてそんな結果になるのは嫌だよ」
「……少し、時間をくれ」
「あぁ、ゆっくり考えてくれ。とは言っても、そんなに悠長には待っていられないけど」
その日、レオンは仕事を終え屋敷に戻った後もいつものように過ごした。いつもの通りエミリアを腕に抱いて寝台に入る。そして、エミリアと互いに今日あった事を報告し合う。
「今日はリュークと一緒に、庭に出たわ。最近暖かくなってきたら、お散歩も気持ち良くて。厩舎にも行って、馬を触らせてあげたりして」
「それは良かった。……エミリア、聞きたい事があるのだが」
「なぁに?」
「君は今でも魔術師団に入りたいと、その気持ちはあるのか?」
「うーん……そう言う気持ちがないって言えば嘘になるかしら。お父様の魔力のお陰で私は以前よりも強くなっているはずだし、魔術師団に入ったとしても足手まといにはならないわ」
「そうか」
「どうしてそんな事を聞くの? 兄様が何か言ってた?」
「いや……そう言う訳ではないのだが」
「そう。でも、今は母親をやることで精いっぱい。それに、あなた前に言っていたでしょう?」
「うん? 何をだ?」
「子供はたくさん欲しいって。すぐに二人目とはいかないとは思うけれど、また子供が出来たら魔法は使えないし……」
エミリアは、あんな事があってもなお次の子の事を考えていた。レオンはむしろその事に驚く。
確かに子供はたくさん欲しい。自分自身に兄弟がいなかった事もあり、いつも兄弟姉妹のいる友人達を羨ましく思っていたものだ。リュークにも同じ思いはさせたくないと思いながらも、レオンは二人目を考えるのが怖かった。
もしもまた、エミリアが命を懸けるような事になってしまったらと……。元々、出産と言うのは命懸けだと知らない訳ではない。だが、自分達がその当事者になるとは思っていなかった。
同じような事が再び起こる可能性がゼロではない以上、二人目はそのうち欲しいとは思ってもまだ考えないようにしていたのは……どうやらレオンだけだったらしい。やはり、母親と言う生き物は強いのだと……そう思ってレオンは笑った。