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悪夢の始まり(1)

「レオン、レオン……」

「はっ……エミリア」

「……大丈夫? 今日もいつもの夢を見ていたの?」

「あぁ……」


 まだ日が昇っておらず、薄暗い部屋。レオンはエミリアに起こされる。眠っていたはずなのにどっと疲れている感じがするのと、寝汗がひどい。

 メルガス川から戻って来て以降、毎日この調子だった。夢を見てうなされる。夢の内容は覚えていたりいなかったりだが……メルガス川の戦いで、死んだ者達がレオンを川底へと誘ってくるのだ。

 この数日で、戦死者の家族にも会った。彼らの家族も皆、騎士である以上危険が伴う事も理解はしていただろう。それでも、親族の死となると素直には受け入れられない。

 レオンもそうだった。父の死を目の間で見ていても、その死はそう簡単には受け入れられなかった。死の瞬間を見ていない死者の家族が、受け入れられるはずなどない。

 遺体を前に泣き叫ぶ、騎士の妻や親、子。遺体が見つからなかった騎士の家族は、更に死を受け入れられないだろう。レオンが母を亡くした時のように、父親の死が理解すらできず、涙する母親を不思議な目で見つめる幼い子供もいた。

 そんな遺族の姿を見て、仲間たちの死を目の当たりにして……他者の前では普段通りを装っているつもりではあるが、精神的には相当参っていたのだろう。だから死者が夢に出てくるのだ。

 そうしてうなされ、エミリアに起こされる。こんな日がもう何日も続いていた。


「すまない、エミリア。いつも君まで起こしてしまう」

「私は大丈夫よ。それよりも、私はレオンが心配なの。……少し、休暇をもらったらどう?」

「そう言う訳にはいかない。俺は騎士団長だ、皆の前では普段通りにしていなくては……」

「それは、気持ちはわかるけど……」

「こんな姿は君の前でしか見せられない。……格好悪いな」

「……そんな事ない。いくら完璧なあなただって、人間だもの……弱いところの一つや二つないとおかしいわ。それに私は、私があなたを支えられるのは嬉しい。私にまでなんでもないと偽って、気丈に振る舞う必要なんてない」


 エミリアはそう言いながら、レオンを抱きしめる。レオンもエミリアの頭を抱くように、そしてエミリアの温もりを確かめるように強く抱きしめた。

 以前は、エミリアにこそこんな弱い姿は見せられなかった。だが結婚して……文字通りエミリアが支えてくれるから、こうして弱いところもエミリアには見せられる。

 弱い姿を見せても、エミリアはレオンの事を馬鹿にしない。レオンの苦悩も、すべて包んでくれる。エミリアがいてくれて良かったと、レオンは心の底から思った。


「もう少し眠れそう?」

「あぁ。ありがとう、エミリア」


 レオンの腕に抱かれているときが一番落ち着くと、エミリアはそう言ってくれる。だが、レオンもまた……エミリアをこうしてその腕に抱いているときが一番落ち着く時間だった。

 夫婦とはこうやって、互いを尊重しながら支え合っていくものなのだろうと……レオンは改めて思う。もう一度目を閉じて、今度は朝日が昇り始め……その日差しが窓に差し込み始めるまで目を覚ます事はなかった。


 その日、レオンは捕虜となっているゼグウスの兵について資料をまとめていた。名前、年齢、階級、家族がいるかなど……嘘か本当かはわからないが、彼ら一人一人に聞いて回ったものである。

 捕虜の扱いについては現時点では未定だが、ゼグウス側に使者は出している。それはもちろん和平について、今後の事を再度話し合う場を持ちたいと。ゼグウス側の出方によって捕虜の扱いも変わるのだから、特に階級などは重要である。

 交渉次第で国に帰してやる人間、あるいは処刑する人間を決めろと言われた時に……平民か貴族か、重役なのかそうではないのかを忖度しないで決めて良いのであれば、できれば年老いた親や幼い子供がいる兵から帰してやりたいし、処刑するのであれば家族のいない者から。レオンはそう考えている。


「レオン、入るよ」

「エドか。どうした」


 騎士団長室に、エドリックがやってくる。彼は先日の『メルガス川の戦い』の後でも、いつもと同じく……何一つ変わらないように見えた。

 レオンもそのように振る舞っているから、エドリックも本心では参っているのかもしれないが……彼はそんなに脆くないと、レオンはそう思っている。


「エドリック様、今お茶を……」

「アレク君、お茶はいい。すまないが、席を外してもらえるかな」

「え……あ、はい。では、失礼します」


 エドリックが、お気に入りのアレクに出て行くように言うのは初めての事だった。彼に聞かれて不都合な話があるわけではないと言うのもあるかもしれないが、いつもは同席を拒むようなことはしない。

 アレクが騎士団長室を出て行ったのを確認し、エドリックはレオンに向き合う。いつになく真剣な表情だった。

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