和平交渉(1)
「行ってくるね」
「はい、お気をつけて。これ、作ったんです。メルガス川はまだ寒いって聞いたので……」
「ありがとう、アリア」
出発の直前、アレクは短い時間だったがアリアと逢引きをしていた。アリアがアレクの首に手作りの襟巻を巻いてくれると、アレクはアリアを強く抱きしめて彼女と口づける。
戻ってくるまで、一週間から十日ほどかかるだろう。その間アリアに会えないのが辛いと、アレクはそう思いながら名残惜しそうにアリアと離れる。そうしてレオンと共に王宮へ向かい、更に騎士団と共に馬車でメルガス川へと向かった。
魔物との戦闘になりながらも、道は順調だっただろう。和平交渉の会場となるメルガス川に向け、道中の街へ立ち寄りながら進んだ。
交渉の二日前にメルガス川の最寄りの村へ辿り着き、残りの二日はその村で過ごさせてもらった。そして交渉当日の朝は早く出発し、その時を迎える。
川を挟んで西にレクト王国の軍が、東にゼグウス王国の軍がずらりと並んだその異様な光景は壮観でもあっただろう。和平が成らなければ、その場で戦争が始まってしまうと……そう思わせるほどの緊張感。
レオンはエドリックらと何度も入念な打ち合わせをしていた。だが、もしも戦になるようであればレクトが有利なのは間違いない。魔術師団を作ったのは、どこの国よりもレクト王国が早かった。
初代団長であるエルヴィス・グランマージが魔法を世に広めたと言うのはその通りなのだが、魔術師がレクト以外の国で育ち始めたのはここ数年の話。魔術師団を構成できるほどの魔術師が、他国にはいない。騎士団の中の一部隊程度の人間ならいるかもしれないが、一軍隊としての魔術師団を持っているのはレクト王国のみだ。
その魔術師団の精鋭も、今回同行している。もしもこの場で戦いになるのであれば、魔術師団を擁するレクト王国が不利なわけがない。
それにその魔術師団には規格外の『怪物』が団長となりこの場にいる。更には『大陸一の剛の者』である騎士団長のレオンもいる。負けるはずがないのだ。
「レオン様、お気をつけて」
「あぁ」
会談が始まるその時、宰相であるチェリック公爵と共にレオンは川に掛けられた橋を渡る。チェリック公爵と、その護衛として騎士団長であるエクスタード公レオン、魔術師団長グランマージ家のエドリック、その他精鋭の騎士が三名。
この会談のために急遽作られた、川にかけられた橋の丁度真ん中、木造の小屋へ彼らが入るのと同時に……川の反対側からも、同じようにゼグウス王国の人間が数名その建物に入った。
……アレクは騎士達と共に、ただ会談の行方を……川の流れを伺う。雪解け水で川は増水しているようで、川の流れは随分と早かった。普段はもっと穏やかな川だと、普段のこの川の様子を知る騎士が言う。
強い風が吹いて……その風は冷たく、長く外にいると凍えそうだ。出発直前にアリアが渡してくれた襟巻がとても暖かくて、帰ったらこの襟巻のお陰で寒さを凌げたとアリアにお礼を言わねばと。アレクはそんな事を考えながらレオン達が橋の上の小屋から出てくるのを待つ。
和平の交渉は難航しているのか、彼らは中々小屋から出てこなかったのだが……昼になって、小屋の扉が開く。先ほど小屋へ入った六人の男が戻ってきた。
「しばし休憩だ。会談は一時間後から再開する」
そう言ったレオンの表情は硬い。やはり、話は難航しているのだろう。この休憩は、昼食をとるための物だという事で、急いで昼食を用意し簡単な物を口にした。
そうして一時間後に交渉の再開……両国の騎士達は、川の東西でじっとその行方を見守っていた。
動きがあったのは……一体、どれくらいの時間待っていただろうと思う頃。扉が開いたと思えば、レオンがチェリック公を守る様に出てくる。レクト王国側の兵たちは、皆何事だと一斉に武器を握った。
「皆、武器を取る必要はない! 我々は戦をするわけではない!!」
レオンがそう声を上げるが、末端まではその声は届かなかったのだろう。あるいは、下げようとはしたものの弦が手から離れてしまったのか……一本の矢が、ゼグウスに向かって放たれ……それが合図となってしまった。両国の騎士たちは、増水した川へ向かって一気に駆けだす。
騎士ではないアレクは、何もできなかった。ただまずは主君の、レオンの元へ急がねばと走って橋へ向かう。レオンの元までたどり着けば、彼は『なんて事だ……』と、ぶつかり始めた騎士達の戦を見てそう呟いていた。
文官であるチェリック公も恐怖に震えていて、レオンの後に出てきたエドリックと騎士も小屋の外の状況を確認するが……橋を渡りきったところで、戦になった以上もう和平のための橋も小屋も不必要だと悟ったのか、エドリックは橋へ向かって炎の魔法を放ち木で作られた橋を燃やす。
その燃え盛る炎は……完全に交渉は決裂したと、それを知らせるには十分だった。
魔術師たちが後列から、敵へ向かって魔法を放つ。だが、混戦状態で敵味方を判別して狙うのは中々に難しいのだろう。味方に当てぬようにすれば攻撃の機会がなく、かといって無差別に放てば味方に損害を出してしまう。
戦いになれば魔術師を擁立するレクト王国が有利だと思っていたが、実際にはそうではないかもしれない。アレクはただ、唖然としていた。
「どうしてこんな事になったのですか」
「和平の条件に中々折り合いが着かず……向こうが我が国の侮辱をはじめ、チェリック公の足を踏みつけてきたんだ」
「だから一度、互いに冷静になって頭を冷やすべきだと小屋の外へ出る事にしただけだったのだが……」
「喧嘩っ早い奴がいたんだね。こんなはずではなかったと、そう思っているのは向こうも一緒だと思うよ」
まさに、こんなはずではと……レオンもエドリックも口を揃えた。川で乱戦になっているのを、アレクはただ見つめる事しかできない。