前へ次へ
92/133

出産(3)

「エド……お前、まさか知っていたのか」

「レオン、ずっと黙っていてごめんよ。エミリアに子供が出来てすぐ……君と話をしただろう? あの時から、この未来は見えていたよ」

「まさか……。あの時お前は、子供は無事に生まれるとそう言っていたではないか」

「子供はね。母子ともに、とは言っていない」

「そんなの、詭弁だ」

「そうかもしれないね。でも、お陰で対策を取る時間はたっぷりあった。去年から、二度領地に向かったのもこのためだ」

「……では、アレクも知っていたのか」

「あぁ。でも彼を責めないでくれ。私が口止めをしていたんだ」

「レ、レオン様申し訳ございません!」

「アレク……」


 アレクもこのエドリックの『予知夢』の事を知っていて、ずっとエミリアの事を心配してくれていたのだろう。部屋の中には親族しかいなかったが、声を聞いて部屋の戸を開け大きな声でそう言った。

 アレクが謝る必要はないし、こんな未来の事を聞かされてレオンに言えなくて当然だろう。レオンはアレクを責める気はないが、昨日……エミリアが産気付いたと聞いた時のアレクの表情に合点がいった。

 そして、次の瞬間……エミリアの呼吸が止まった。本当に、エルバートの魔力を使って作った彼の『形代』が死に消えるのか、そしてその『形代』の命を贄にエミリアは生き返るのか……レオンは半信半疑だったが、もうそれに賭けるしかない。


「エミリア……頼む、戻って来てくれ」


 レオンはその場に座り込みエミリアの手を握るが、その手がレオンの手を握り返してくれる事はない。アリアは、もうボロボロに泣いている。アレクも、エミリアの母のイザベラも同じように瞳を潤ませていた。

 当然、レオンの両目にも……。エドリックとエルバードは、エルバートの『形代』をただじっと見つめていたが……次の瞬間、エルバードの『形代』は突然事切れたようにフッと消えた。そして、エルバードが急にガクンと膝を着く。糸で釣られていた操り人形の、その糸を切ったような姿であった。


「形代が消えた……。父上、魔力は?」

「あぁ、もう何も感じぬ……全て、あの形代が持って行った」

「そうですか、では成功ですね。父上、感謝します」

「娘のためだ、仕方があるまい。エドリックよ、魔術師団の事は……お前に任せるぞ」

「えぇ、わかっています。父上から魔術師団を引き継ぐのが、二年早くなっただけです。問題ありません」


 エドリックはそう淡々と言った後、レオンに向かってニコリと微笑んだ。その会話とその微笑みに、レオンは安堵する。先ほどまでエミリアの裾から流れていた赤黒い血は、もう止まっているようだ。

 あとはエミリアが息を吹き返すだけ。頼むと、レオンはそれを祈りながらエミリアの手を握る。レオンの手を、エミリアの手が弱々しく握り返したような気がした。


「エミリア……?」


 見れば、先ほど止まったはずの息が戻っている。まだ小さいが、胸が上下に動いていた。本当に息を吹き返したと、レオンは更に瞳が熱くなる。


「エミリア、よく戻って来てくれた。エミリア、少しだけで良い、早く目を覚ましてくれ。エミリア……」


 レオンはそう、何度も何度もエミリアの名を呼んだ。声はまだ彼女には聞こえていないのだろうか。両手で強く、エミリアの手を握って祈る様にすれば……その瞼がゆっくりと開く。


「エミリア」

「レオン……?」

「……あぁ、良かった。エミリア」


 何が起こったのかよくわかっていないエミリアを、レオンは抱きしめる。なぜレオンが泣いているのか、エミリアはその事に疑問符を浮かべていた事だろう。

 まだ分娩椅子に座ったままだし、そうなるとここは男子禁制の部屋のはず。子供はどうなった? と、エミリアは今の状況を理解するのに精いっぱいだっただろう。

 いや、それよりも……致死量の出血があったせいで身体がだるく、まだ頭も上手く働いていないはずである。レオンはエミリアを抱きしめながら言った。


「驚かせて済まない。君の体力が戻ったら、きちんとすべて話す。まずはゆっくり休んでくれ。子供は無事元気に生まれてくれた。心配はいらない」

「そう……良かった。なんだか頭がぼーっとしていて……」

「出産で疲れたんだ。安心しろ、次に君が目を覚ますまでずっとそばに居るから」

「うん……ありがとう、レオン」


 エミリアはまた目を閉じると、気を失うように。きちんと息をしている事を確認してから、レオンは立ち上がった。レオンの衣服には血がべったりとついていたが、レオンはそれを気にすることなく話始める。


「まだ後の処置はあるか?」

「は……はい。奥様は血で汚れておりますから、綺麗に拭かせて頂きます……」

「わかった。では、後の処置は頼む。私も着替えてくる」

「お兄様、赤ちゃんは……」

「アリア、まだ少し抱いていてくれるか。エミリアを部屋に連れて行く時に、一緒に連れて行く。祖父母になるエルバード卿たちにも抱かせてやってくれ」

「はい」


 レオンは部屋を後にし、一度自分の部屋に戻るが……部屋の入口にいたアレクへ、濡らした布を持ってくるように伝えた。服が血まみれなのだから、当然その下の肌に血がついているだろう。拭う必要がある。

 アレクはすぐに濡らした布と、それと少しぬるめのお湯も一緒に部屋に持ってきてくれた。レオンは衣服を脱いで、血を拭う。アレクの持ってきたそのぬるめのお湯もすぐに真っ赤に染まった。


前へ次へ目次