出産(1)
「エミリア、誕生日おめでとう」
「ありがとう、レオン」
年が明け、二月。その日はエミリアの誕生日だった。レオンは随分と前から花屋に薔薇の花束を注文し、今日屋敷に届くよう手配しておいた。愛する妻が、この世に生を受けた日。それはレオンにとって、何よりも特別な日だ。
もちろん騎士団の仕事は休暇を取っているし、花束以外にも贈り物は用意している。今夜の食事はエミリアの大好きな『シャルメン』を予約してあるし、もう良いと言われるくらいに愛の言葉を伝えるつもりである。
結婚してから、初めてのその特別な日。エミリアの腹はもう随分と大きくなっていて、最近ではレオンが触れて子供の動きもわかるようになっていた。エミリア自身も、顔つきが随分と母親らしくなっている。
子供に着せるための服ももう何着も出来ているようで、子供を迎える準備も出来つつある。出産は来月の頭頃だろうと言われていた。そしてその月の月末には……レクト王国とゼグウス王国の和平交渉の場が持たれる予定だ。
来月はレオンにとって、とても大切な月になる。そんな中で迎えたエミリアの誕生日だった。
「今日から少しだけ、あなたとの年の差が縮まるのね」
「たったの二カ月じゃないか」
「そうだけど、私はこの二カ月が嬉しいの。縮まらないはずの年の差が、たった二月だけでも縮まるんだもの」
「そう言えば君は、昔から背伸びばかりしていたからな」
エミリアは幼い頃から、五歳年上のレオンに追いつこうと必死に背伸びをしていた。今思い返せば、そんな姿も可愛らしくて仕方がない。
婚約者であるレオンに子供だと思われないよう、頑張って背伸びをしていた幼い少女の姿を思い出して、レオンはクスリと笑った。
……そして、特に大きな事件もないまま日常は過ぎてゆく。『ゼグウスの魔女』についての調査もエドリックに頼んであるが、そちらも進展がないままだった。
アリアと恋人関係になったアレクから惚気話を聞いたりしながら、ついにその日が訪れる。レオンが騎士達の稽古を見ている時、エクスタード家の私兵が城にやってきたのだ。
「公爵、奥様が産気付かれたようです」
その報せを聞いて、騎士団の事は全て副団長のルーカスに任せてすぐに家に戻る。アレクも緊張したような顔をしていたが、レオンはアレクのその表情については特に気にはしていなかった。
彼も自分と同じように、身近な人間の出産と言う事で緊張しているのだろうと……その程度にしか、思っていなかったのだ。
「戻った。エミリアは?」
「公爵、おかえりなさいませ。奥様が産気付かれたと言ってもまだまだですよ」
「そ、そうか……」
「はい。軽い陣痛が来ているようですが、奥様は初産ですし……まだ何時間もかかるでしょう」
産婆にそう言われたが、レオンも初めての事であるし何もわからない。産気付いたと言う報告を聞いてすぐ戻ってきたが、恐らくは使用人が産婆を呼んでから一時間くらいは経っているはずだ。
分娩に男性が携われることは何もなく、エミリアのいる部屋は男子禁制と言われ入らせてももらえない。既にエミリアの隣で声をかけてやることも、手を握ってやることも出来ず……ただ落ち着かない時間を過ごしただけだった。
「もう夜か……」
「レオン様、夕食が出来ておりますが」
「あぁ」
夕食と言われ、レオンはアリアと共に夕食を取った。先ほどアリアにエミリアの様子を見てきてもらったが、まだ本格的な陣痛とは言い難く数分置きに痛みが来ては引いていくと言う状況らしい。
エミリアの事が心配で、食事はあまり満足に手を付けられなかった。何もできない、ただ彼女と子供の事を考えるだけの時間がもどかしい……
「この調子だと、今夜には生まれません。明日の朝になると思いますので、公爵様はどうかお休み下さい」
「そうか……いや、エミリアが頑張っていると言うのに、私一人でやすやすと寝てはいられん」
「もし夜中のうちにお生まれになるようでしたらすぐお声かけいたしますので、どうかお休みください。公爵様が起きていられても、奥様にして差し上げられることはないのです」
「う……うむ」
産婆にそうはっきりと言われ、レオンは仕方がなく寝室へ戻った。エミリアのいない寝室は落ち着かず、寝台に横になっても中々眠れなかった。
だが目を瞑っていればいつの間にか眠ってはいたようで、窓から差し込む朝日に目を覚ます。夜中のうちに起こされなかったという事は、産婆が言った通り夜のうちには生まれなかったのだろう。
寝台から出て軽く身支度を整え、部屋を出る。使用人たちが、忙しそうに走り回っていた。
「お兄様、おはようございます」
「おはよう、アリア。エミリアは……」
「先ほど破水したそうです、なのでもう少しかと……」
「そうか……」
「お兄様。今日は、教会へ行きますか?」
「いや、行っている間に子が生まれても困る。今朝の祈りは屋敷で済ませよう。アリア、付き合ってくれるか」
「はい」
「アレクは?」
「先ほどグランマージ家に向かいました」
「そうか」
アレクはグランマージ家へ行って、エミリアの両親にそろそろ生まれそうだという事を報せに行ってくれたのだろう。ついにその瞬間が来るのかと、レオンは先ほどよりもそわそわとしていた。
軽く朝食を食べ、屋敷にある小さな祭壇を前にアリアと共に朝の祈りを捧げる。そうしているうちにアレクも戻って来て、彼はエミリアの両親と……それと、エドリックも共にエクスタード家に現れた。