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邂逅と懺悔(3)

 翌日、レオンが宿まで迎えに来てくれたが、何となく彼の顔を見るのが恥ずかしかった。酔って醜態を晒した事も、抱きしめられ口づけたことも……夢ではない。

 しかしレオンはやはりいつもと同じ、感情を表に出すわけでもなく飄々と。何事もなかったように振舞っており、意識しているのは自分だけなのかと少し悔しい気持ちである。


「アレクと言ったな。君はギルドに行きたいとか」

「はい、冒険者に興味があって」

「そうか、ギルドならグランマージ家までの通り道だ。だが、こちらは時間がかかりそうだが、ギルドはそう時間はかからないだろう。折角だから、王都の見学をすると良い。見て回るところはいくらでもある」

「でも俺、観光は一人ではちょっと……こんなに大きな街は初めてだから、絶対に道に迷って宿まで戻って来られないんじゃないかって」

「アリアのいる聖ヴェーリュック教会も通り道だ。少し雑務もあるだろうが外出もできるだろうし、道案内はアリアに頼めば良い」

「レオン様が昨日連れていた子ですか? でも、それは彼女に迷惑じゃ」

「案ずるな、それくらいの事で嫌な顔をする子じゃない。それに、あの子は君と逆でこの王都から出たことがない。地方の話も新鮮だろうし、色々聞かせてやってくれ」


 レオンの提案でアリアのいる教会まで行って、アレクとアリアをギルドに連れて行った後グランマージ家へ向かうことになった。宿に戻ってくるのはきっと夕方、もしかすると夜になるかもしれない。その間のアレクの観光はアリアに任せるという事にして。


「私たちはきっと少し遅くなるだろうが、アリアはあまり遅くならないうちに教会へ帰してやって欲しい。宿と教会はそう遠くないし、何と言ってもこの宿は王都城下町のほぼ中心に位置して、目の前に噴水と言う目印もある。道に迷いそうなら誰かに聞けば、きちんと戻って来られるだろう」


 レオンはアレクに、少しばかり釘を刺すように。夕べ聞いた、レオンとアリアの関係は、彼には伝えていない。

 兄妹だと知っているエミリアには、妹を可愛がるあまりに心配性になっているレオンの姿はなんだか新鮮だった。


 宿を出ると、レオンがエクスタード家から乗ってきて待たせていたと言う馬車に乗り……昨日乗った簡素な馬車ではなく、かなりの豪華な馬車にアレクは随分興奮していたようだが……教会でレオンがアリアにアレクとギルドへ行ってほしい事、その後夕方まで彼へ城下町を案内してもらうように頼めばアリアは快諾してくれたようだった。

 本当であれば一度二人を馬車に乗せてギルドで降ろすつもりだったが、アリアはまだすぐには出られないらしい。アレクだけをおろして、馬車の中はレオンと二人になる……もちろん外に御者はいるが、中の声までは聞こえないだろう。


「レオン、どうしよう。私、心臓が口から出てきそう」

「安心しろ、心臓は口からは出ない」

「例えに決まってるでしょう。……私が居なくなった時、みんな怒ってたわよね?」

「伯爵は怒っていたが、お父上はそうでもなかったぞ。怒るよりも、取り返しのつかないことが起こったと青ざめていた」

「うぅ、お父様に申し訳ない……。おじい様にはすごい剣幕で怒鳴られそうだわ……」

「……エミリア、その事だが……伯爵は、もう随分と高齢だ。君の知っている、あの厳しい伯爵の姿は過去のものと思ってほしい」

「……おじい様もお年を召して、丸くなったっていう事?」

「いや……やはり、先に言っておくべきだな。伯爵はここ数年、体調を崩しがちでな。それでも医者に良い薬を出してもらって、魔術の研究を続けていたのだが……先日、ついに倒れて寝台から出られなくなった」

「うそ……」

「俺も二週間ほど前に一度見舞いに行ったが、もう長くはないかもしれないと思ってしまって……君が戻ってきたのがこの時期で良かったかもしれない。俺が見舞いに行った時は眠っていたが、君の名をうわ言のように繰り返していた」

「おじい様……」


 確かに、祖父……グランマージ伯爵はもう八十近い高齢者のはずだ。六十を過ぎれば長寿と言われるこの世界で、八十ともなればもう大往生だろう。

 それまではエルフ族だけが使えた『魔法』を人間の世界に持ち込み、ウルフエンド大陸に広めた偉大なる魔術師……その彼の心残りは孫娘のエミリアが戻ってこない事だったのだろうか。レオンの真剣な表情、選んだ言葉……それを想うと目頭が熱くなってくる。


「伯爵のあの姿を見たら、あの日君を外に連れ出した事を悔やんだよ。父の時もそう思ったものだが……俺が君を連れ出さしさえしなければ、きっと子供の一人や二人でも抱かせてあげられていたと思うと……」

「そうよね、私たちの結婚はおじい様の悲願でもあったんだもの。両家の間に生まれた子を、きっと見たかったでしょうね」


 まだ祖父は亡くなったわけではない。だがその時は恐らく近いと、レオンに言われて胸が苦しくなった。身体が震える。エミリアが自由に生きてきた五年。自由の代償は大きかったかもしれない。

 レオンがそっと、エミリアの肩を抱き寄せる。自然にレオンに身体を預けるような姿勢になるが、恥ずかしいよりも嬉しいが勝った。レオンも親族の死を経験しているだけあって、今のエミリアの気持ちがわかるのだろう。

 いや、レオンの場合は……彼の父は魔物討伐に出た際に亡くなったと聞いている。死に向かう命を、その灯が消えるのを受け入れるための時間がある分、まだエミリアの方が恵まれているかもしれない。

 少しばかりしんみりとしてしまったが、馬車が止まった。どうやらグランマージ家に着いたらしい。レオンは手回しが良く、夕べのうちに今日伯爵の見舞いへ尋ねると伝令を送っていたそうだ。ただし、エミリアがいるとは言っていないと……

 エクスタード家の馬車を確認した、グランマージ家の召使いが御者へ声をかけているのが聞こえる。そうして次の瞬間、御者が馬車の扉を開き……レオンが先に降り、そしてレオンが手を差し出してくれる。

 きっと、グランマージ家の召使い達はレオンの他に誰かいるなんてこれっぽっちも思っていなかっただろう。そしてそのもう一人、レオンの手を取り馬車から降りてくるのが、まさか五年前に家から消えるようにいなくなったエミリアだとは……


「お、お嬢様!?」

「エミリアお嬢様では……!」

「誰か、エルバート様にご報告を……!」

「エクスタード公、これは一体……」


 長くグランマージ家に仕えている、高齢の執事がレオンに尋ねる。彼の事は『じいや』と、かつてエミリアはそう呼んでいた。記憶の中の彼は初老と言う感じだったが、たった五年で随分と老け込んだようにも思える。

 

「見ての通り、エミリアを連れてきた。伯爵の見舞いに来たが、彼女と二人でエルバート卿にもお目通り願いたい」

「はっ……」


 堂々とした振る舞いのレオンに対して、エミリアはそんな彼の後ろに隠れるように……五年前に突如姿を消し、ふらりと戻ってきたエミリアに対して皆がどのような目で見てくるのか。それが怖かったのかもしれない。

 執事はレオンの言葉に返事をしたが、その声は震えていた。そして、レオンの後ろに隠れるようにしていたエミリアへ、優しい声で言う。


「お嬢様、よく戻ってきてくださいました。きっとお父上も、おじい様もお喜びになられるでしょう」

「……ただいま」


『じいや』の目に光る涙に、エミリアも堪えきれない。戻ってきてよかったんだと、エミリアは思った。

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