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創造祭(3)

 噴水広場まで出て来れば、もう教会へ向かう人の波にはぐれてしまいそうになる事はなかった。だが、それでも二人は手を離さず繋いだまま道を歩く。

 きっと、どちらかが声をかけねばこのままだろう。アリアは言う機会を逃してしまったと思ったが、きっとアレクも同じように思っている。

 だが本当に恋人のようだと、夢のような時間だった。


「わ、すごい。見て、アリア」

「本当ですね! すごいです!」


 噴水の前で、芸人一座と思われる者たちが音楽を奏でている。玉に乗った男が、その音楽に合わせ楽しそうに踊っていた。

 実際のところ、アリアも創造祭は教会が忙しいため、こんなにも明るいうちに自由に過ごせるのは初めての事。大道芸人の話も聞いてはいたものの、実際に見るのは初めてだ。


「あの玉に乗るのは難しくないのでしょうか」

「きっとすごく難しいと思う。たくさん練習したんじゃないかな」


 彼らの芸を見ていると、今度は帽子から鳩を出したり手に握った硬貨を消してみたりとアリアにとっては目を疑うような光景ばかりだった。

 彼らが一礼すると、周囲の人間は中心に立つ男の帽子に硬貨を投げ入れる。見物料を払うのかと、アリアも財布を出して硬貨を一枚取り出す……その時だった。


「あっ……」


 ドン、とアリアに子供がぶつかる。七、八歳くらいの少年だろうか。少年はアリアにぶつかるとそのままアリアの財布を盗んで走って行ってしまった。

 アレクがそれに気づいて、少年の後を追おうとするが……アリアを一人にする訳にもいかないと思ったのだろう。駆けようとしたところで足を止め、アリアの方へ戻ってきた。


「アリア、怪我はない?」

「はい、大丈夫です」

「財布盗られたよね? 俺、あの子を探して取り返してくるよ。だからアリアは屋敷に……」

「いいえ、大丈夫です。きっとあの子、フォルヴァ区の貧しい子なんだと思います。そんなに大金が入っていた訳ではないですし、あのお金で美味しいご飯や温かい服を買ってくれれば……」

「アリア……」

「今の子の足元、見ましたか? こんなに寒いのに、裸足だったんです……服も、とても薄着でした」


 もうすぐ雪が降ると言うのに、なんて可哀想な子なんだと……アリアは思う。自分はいつも暖かい屋敷の中でぬくぬくと裁縫や編み物をして、お茶を飲みお菓子を食べ笑っているのだ。

 ひったくりや泥棒をする子供たちに親はいないか、親はいてもまともに働けないような病気を持ったりしている事が多いらしい。アリアは母一人子一人で教会に身を寄せていたが、その選択をしなかった人たちは皆フォルヴァ区へ流れてゆく。

 フォルヴァ区に生きる子供たちは可哀想だと、アリアも知っている。日々の食事も満足に食べられず、着替えを持っていない事すらある。時にフォルヴァ区より孤児が保護され教会へ預けられる事もあるが、そんな子は教会の質素な食事ですら貪るように食べていた。

 生まれる家は選べないだけに、残酷だ。貴族の家に生まれれば裕福な暮らしができるが、そうでなければ貧相な生活を余儀なくされる。


「……どうして神様は、この世に貧富の差など作ったのでしょう」

「アリア……レオン様も、以前仰っていたよ。フォルヴァ区は何度も浄化を試みているけれど上手く行かないって」

「はい……。せめてあの子が、あのお金で救われる事を信じたいです。ほんの少しだけでも……」


 アリアは手に持っていた、見物料として払おうと思っていた硬貨を改めて大道芸人が持っていた帽子へ入れる。大道芸人の男も今アリアが少年に財布を盗られていたのを見ていたので断ろうとするが、アリアは勿論その手を引っ込めるようなことはしなかった。


「アリア、そうだ。新しい財布、俺が買ってあげるよ」

「え? でも……」

「今日は大切な人に物を贈ったりする日なんだろう? 俺は……君の事が大切だから」

「あ、アレクさん。それって……」

「あぁでも、今日お店はやってないのか。じゃあ明日、一緒に買い物に行こう? 俺、レオン様に言って少し時間を頂くから」

「……はい」


 アレクはアリアの言葉を塞ぐと、少し顔を赤らめてそっぽを向いた。噴水広場から場所を移そうと一歩足を出したアレクを追って、アリアも右足を出す。そうして、アレクの手を取った。


「あ……アリア?」

「嫌ですか……?」

「……嫌じゃないよ」


 アレクの大きな手が、アリアの手を握り返す。もうはぐれてしまいそうな程の人混みはないから、はぐれそうだからなんて口実はつけられない。

 だが、既に手を繋ぐ事に理由は要らなかった。アリアは握り返してくれたアレクのその手から、彼の気持ちを聞けた気がする。

 アレクも、同じように思ってくれているかもしれない。だが、アリアにできるのはここまでで……アリアが公爵家の娘でアレクが公爵の従者である限り、これ以上踏み込むことは許されないと、アリアはそれを知っている。

 だからもう少しだけ、今日だけ我儘でいさせてと。アリアは自分よりも一歩前を歩くアレクの背中を見ながら、その頬を赤らめながらそう思っていた。

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