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白い襟巻(1)

 サンレーム地方が魔物に襲われる事件が解決してから、三か月の月日が経った。事件の頃は夏が終わり秋めいてきた頃だったが、野山の木々はすっかりと紅葉し既に見頃は通り過ぎていた。

 もうすぐレクト王国にも冬がやってくると、色づいた葉が一枚また一枚と落ちていく度に実感させられる。エミリアは厳しい冬の真っただ中に生まれ、そしてレオンは春の日差しが暖かくなった頃に生まれた。

 二人の子はその中間、まさに冬の終わりが近づき雪の解けたその隙間から新芽が顔を出し始める頃に生まれるだろう。エミリアの腹は少しだけ大きくなって、一目見てその腹には子を宿しているのだろうと言う事がわかるようになっていた。

 朝の日課である教会への礼拝も、朝の冷え込みが厳しくなってきた事もありレオンはエミリアの同行を許可してくれなくなった。風邪でも引いたら困るとそう言って。

 アリアも、本当はレオンと同行して教会まで行きたいだろうがエミリアと共に屋敷に残ってくれていた。

 エクスタード家の中にも小さな祭壇くらいはあるので、エミリアはアリアと共に祈る。今日も一日が無事に終わりますようにと。そしてお腹の子が元気に成長してくれますようにと……

 そんな、数か月前と今日とでそこまで大きく変わらない日常を送る中で、突然舞い込んできた大きな報せ。百年ほど前の戦争から停戦状態であったレクト王国とゼグウス王国が、ついに和平交渉のための会談を行うと言う話だった。

 場所は両国の国境を分けるように流れるメルガス川。レクト王国側としては、サンレーム地方ノルトック山脈を水源としている。その川に新たな橋を架け、橋の中間に会談を行うための小屋を建てるそうだ。

 両国の公平のため、その工事は両国とも一部国境を接する中立国・フェトラー王国が行う、との事である。その話をレオンが持ち帰った日、眠る前の話題はその話以外には有り得なかった。


「本当に和平なんて成るのかしら」

「実際、今時点で百年前の戦争の事を知る者はいない。事実上和平が成っているようなものだし、きっと無事に和平条約が締結されるさ」

「そうだと良いけれど……。その条約の調印をするための会談を、メルガス川にわざわざ建物を作ってするの?」

「あぁ。我が国からは宰相のチェリック公が出向くことになるだろう」

「護衛は? チェリック家の私兵? それとも騎士団と魔術師団で?」

「半々だろうな。……俺が行く事になるかもしれない」

「でも、レオンは城下を出られないでしょう?」

「会談の頃には、きっと子供も生まれている。男の子だったなら、俺の城下からの外出禁止も解かれるだろう。そうでなかったとしても、ゼグウスとの何が起こるかわからない会談に……騎士団長不在で騎士団は出せないと、俺はそう思っている」

「和平交渉の会談なのに?」

「あぁ。持ちかけてきたのはゼグウス王国側からだ。何か裏があるかもしれない。少なくとも俺やエドリックは、奴らの言う事を馬鹿正直に信じてはいないという事だ」

「さっきはきっと無事に和平条約が締結されるって言ったのに」

「何が起こるかはわからないだろう?」


 レオンはそう言うと、その腕に包んだエミリアの額にそっと口づける。エミリアもレオンから『ゼグウスの魔女』の話は聞いていた。だからこそレオンは警戒しているのかと、そんな気持ちである。

 だがその会談の場で何かあれば、一番危険なのはその場にいる者ではないか。愛する夫をそんな場所に行かせたくないと、エミリアがそう思うのは当然の事であったであろう。

 恐らくは子供が生まれたばかりの時期、そんな中でもしも万一レオンが危ない目に合うような事があれば……そして、命を落とすような事があればその後エミリアはどうすれば良いのかと……考えたくもない事だ。


「……嫌よ」

「……そう言ってくれるのは嬉しいが、俺はエクスタード公として騎士団長として生きなければいけない。まだ時間はあるから、その時の事を今話すのはよそう」

「うん……」


 レオンの服を、ぎゅっと掴む。レオンは更にエミリアを強く抱きしめ、不安も含め全てを包んでくれているようだった。エミリアはその腕の中で思う。明日からもう一つ、祈る事が増えると。

 レオンがゼグウスとの会談に行かなくて良い事になりますように。と……その願いは、叶う事はないかもしれないが……



「お義姉様、見てください!」

「あら、可愛い! 赤ちゃん用の靴下かしら。これ、どうしたの?」

「私が編んだんです! 私、お裁縫も編み物も得意なんですよ。先日お買い物に出た時に、とても可愛い色の毛糸が売っているのを見かけたので作ってみました!」

「とても上手ね。……私は、母が教えてくれようとしたけれど嫌がって真面目に聞いていなかったから、もう編み物の仕方なんて忘れちゃった」

「私が教えますから、一緒に作りませんか? 赤ちゃんの物は小さくて、作っているだけで可愛いから楽しいですよ」


 貴族の女性は、自分では何もできないと思われがちだが……案外そうではない。裁縫や編み物は彼女らの嗜みの一つでもあるし、子供が生まれるとなるとその衣服の用意は母となる女性の仕事でもある。

 確かにそろそろ子どもの物を準備し始めなければ、生まれる頃には間に合わないかもしれないと……エミリアは思う。最悪は使用人の女性達に手伝ってもらえば良いのだが、彼女らには本来の仕事があるのだから頼りすぎる訳にはいかないだろう。

 ここにアリアと言う強力な助っ人もいるのだから、暫くは彼女に教えを請いながら一緒に作ってもらえば出産までにはきっとそれなりの数を用意できるはずだ。


「そうね……じゃあアリア、色々と教えてくれるかしら?」

「もちろんです! お義姉様、少し待っていてくださいね。今部屋から編み物に必要な物を持ってきますから!」


 アリアはそう言って、自分の部屋へ一度戻っていく。アリアが作ってくれたという毛糸で編んだ靴下は本当に小さく、赤ん坊と言うものに縁がなかったエミリアはその小ささに驚いたのが正直なところだ。

 最後に新生児を見たのは、兄・エドリックに長男エルヴィスが生まれた時でもう六年も前の話。その時エルヴィスがどれだけ小さかったかなんて、正直忘れてしまっていた。

 そして今、エクスタード家やグランマージ家の使用人にエミリアよりも先に出産しそうな者はいなければ、ここ数カ月の間に出産した者もいない。生まれたばかりの赤ん坊の小ささが全く分からない。


「赤ちゃんって、こんなに小さいのね……」


 手のひらに載せても、まだまだ余るほどの小さな靴下。それを見て、エミリアは不安になってくる。

 本当に自分が母親になれるのか、小さな身体で生まれてくる子供をきちんと育てられるのか。妊娠中の女性ならきっと誰もが抱える不安だが、最近では子の胎動も活発になってきたし腹が出てきたしで、出産も一日一日近づいていると言う実感も沸いてきたせいかもしれない。

 それでも出産まであと三カ月ほどはあるだろうが、久々にその不安を感じた。

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