魔女の噂(1)
「ゼグウスの魔女って、聞いた事はあるかい?」
サンレーム地方に大量の魔物が発生し、その討伐が終わってから一月ほどの時間が経った。エドリックは事件後休暇を取っていたそうだが、その休暇明けに騎士団長室を訪れそう聞いてきた。
ゼグウス王国はサンレーム地方を超えた国境の先、隣の国である。レクト王国よりも歴史は古く、過去にはレクトとゼグウスの間で何度も戦争が起こっていた。今の国境が定められたのも、僅かに百年ほど前のはずだ。
「魔女……? いや、知らないな」
「私も聞いた事はなかったから、やはり王都までは入ってこない話か。しばらく辺境伯の屋敷に居ただろう? そこで、その話を現地の人たちに聞いてね。ゼグウス国王の現王妃……後妻の事らしいんだけど」
「確か、十年ほど前だったか? ゼグウスの国王は前妻が亡くなってすぐに後妻を娶ったんだったな」
「そう、前王妃の死後すぐにゼグウス国内の公爵家出身の娘が後妻になっている。彼女は元々、王の愛妾ではあったようだけど……。その後妻が、魔女だって噂されてるみたいだ。前王妃も、後妻に殺されたんじゃないかってね」
「……その話の信憑性は?」
「正直なところ、わからないよ。ゼグウスに行って、どうにか後妻本人かその近辺と接触できれば『見える』と思うけど」
「我が国とゼグウスが友好国ではない以上、難しいだろうな」
「あぁ、だからその噂の話は置いといて……彼女がなぜ魔女だって言われるかだ」
エドリックは出された紅茶を一口飲んで、そう言った。その時、扉がコンコンと叩かれ騎士団長室の扉が開く。入ってきたのは、アレクだった。
「レオン様、頼まれていた騎士の名簿が……あ、エドリック様。いらしていたんですね。すみません、話の途中で」
「いや、いいよ。あぁ、アレク君。君なら知ってるかな? ゼグウスの魔女の話」
「ゼグウスの魔女……王妃の話ですか?」
「そうそう、やはり君は知っているか」
「はい。前王妃を毒殺して自分が王妃になったとか、美貌を保つために美しく若い娘を攫ってその血肉を食らっているとか……」
「噂にしても、おぞましい話だな……」
「呪術の世界では、贄として生き物の臓器を使ったりする。時に人間だってその犠牲になっているんだ、その噂が真実だったとしてもおかしくはないよ。若く美しい娘を食ったって、若返るはずはないけどね」
「でも、事実新しい王妃になってから若い娘の失踪事件が相次いでいたそうです。役人に言っても、男と駆け落ちでもしたのではないかと取り合ってくれないとか……」
アレクはそう言いながら、レオンに紙を数枚渡す。今度騎士団総出で行われる試合の組み合わせを名簿にしてまとめるように頼んでおいたものだ。
馬上槍試合と呼ばれるそれは、左右から馬に乗った騎士が駆け、すれ違いざまに槍で相手を突き落馬せず残ったものが勝ちと言う競技である。
この競技の勝者には王より褒賞まで与えられる名誉あるものであるし、年に一度の祭りでもある。恋人や妻にその雄姿を見せようと、騎士達も気合が入っている事だろう。
騎士団総出とは言っても参加は任意で、エミリアが戻ってきた今年はレオンも参加する。レオンの優勝は間違いないと言われているが、勝負の世界において絶対はない。
馬上槍試合の日は国民にも王宮の馬場が一般開放され、王都に住む国民も多くが見物に来る。熱狂的な馬上槍試合好きもおり、馬上槍試合を見るためだけにはるばる王都へやってくると言う地方の住民もいるらしい。
なお参加二年で父に出禁とされてしまった試合はまた別で、そちらは剣技を競うものだ。馬術と槍術が物を言い、時に運も味方につける必要がある馬上槍試合は華やかさと勇敢さを競うお祭りであるが、剣技を競うその試合は騎士団内部での行事であり一般への開放もしていない。
しかしその試合の結果次第で騎士団内での立ち位置や給金も変わってゆく。馬上槍試合よりも剣試合の方が、騎士たちにとっては重要な行事であろう。
「税も、今の王妃になってから増えたそうですよ。ゼグウス国王は美しい王妃の傀儡になっていて、王妃の贅沢のために地方への取り立ても半端ないって聞きました」
「前王妃の殺害や若い娘を食っているとか、そういう噂は置いといても……国王を操って増税に厳しい取り立て、魔女と呼ばれるには十分だな。それでエド、そのゼグウス王妃がどうかしたのか」
「……先日の魔物の騒ぎに、その『ゼグウスの魔女』が絡んでいるんじゃないかって思っているんだ」
「なんだって?」
「私は最終的に前線に出て、魔物の最後の一匹……親玉と思われる魔物を撃破した。でかい図体に、竜ではないのに炎を吐く。鎧のように固い皮膚……あんな魔物は初めて見た。それに、明らかに魔物達の統率が執れていて……可笑しいと思わないかい?」
「確かに、魔物には理性がない。餌を狩るため集団で行動し、役割分担をして狩りを行う事もあるにはあるが……」
「それは小さな一つの群れでの話だ。今回は種類の違う様々な魔物が集まって、一気に押し寄せてきている。そもそも、魔物とは何なんだ? 我々は生まれた時からその存在が外の世界にいる事が当たり前だが、ほんの百年前ほどには存在しなかったそうじゃないか。奴らは一体どこから、何のためにこの世に現れたのか」
「……魔物がどうやって現れたのかなんて、考えた事もなかったな……」
「我が国とゼグウスの戦争が一時停戦となったのも、魔物と言う人間を脅かす存在が現れたからだ。『ゼグウスの魔女』が何らかの力で魔物を操る事が出来て、魔物を集め我が国を襲おうとしている……なんて、そんな事も考えてしまってね」
「もしもそんな事ができるのなら、一大事だ。ゼグウスとは結局和解しておらず、一時停戦の状態が百年続いている訳だが……停戦が解かれる」
「まぁ、まったく突拍子の無い私の妄想だ。人間が魔物を操るなんて、そんな事きっとできやしない。本当の『魔女』ならできるのかもしれないけれど、現在の王妃は元々ただの公爵令嬢。『魔女』なんて、彼女への恐怖が作ったただの戯言だよ」
エドリックはそう言うと、紅茶を飲み干し席を立つ。そして思い出したように、アレクの方を見た。
「そうだアレク君。今度また領地へ行こうと思っているんだ。また着いてきてもらってもいいかい?」
「あ……はい。レオン様の許可さえ頂けるのでしたら」
「私は構わないが……エドは本当に、アレクの事が気に入っているな」
「あぁ、私の従者に欲しいくらいだよ。では、アレク君。日取りが決まったら教えよう。長く休暇を取ってしまったから、実は仕事が山積みでさ。どうやら仕事をせず油を売っている事がバレて、父上がお怒りのようだから戻らないと」
エドリックがそう言って笑って、騎士団長室を後にする。城の中にはエドリックの使い魔があちこちに居て、ありとあらゆる情報は瞬時に彼の頭に入ってくるらしい。エルバート卿の様子も、それで察したのだろう。
彼が言っていた『ゼグウスの魔女』……現ゼグウス王妃の事は気になるが、今は目先の事を片付けてしまわねばならない。アレクに先ほど持ってきてもらった馬上槍試合の名簿へ目を通した。