恋慕(4)
「アレクさん、私……歌劇の鑑賞、とても楽しかったです。アレクさんは、どうでしたか?」
「素晴らしいものを見せてもらったって、感謝してる。俺も歌劇なんて初めて観たから感動したよ」
「良かった。なんだかお食事の間、難しい顔をしていたから」
「え? そ、そうかな……」
「はい。最近剣の稽古を頑張っているみたいだから、疲れていたのかなって思って……」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
「無理はしないでくださいね。お兄様に何か言われたのですか?」
「そういう訳でもないんだ。心配させてごめん。俺がただ、強くなりたくて……」
「そうなのですか? ……危ない事は、しないで欲しいです」
「危ない事をしているつもりは……」
「ギルドでお仕事を請け負って、城下を出て魔物を倒しに行ったりもしますでしょう? 心配だから……」
「アリア……。俺は、何かあった時に君を守れる男でいたい。だから強くなりたい」
「アレクさん」
つい、恥ずかしい事を口走ってしまった。これでは告白のようだと、アレクは出した言葉を引っ込めたい衝動に駆られた。もう出してしまったから引っ込められるわけはないのだが。
アリアもアレクの言葉に、少し顔を赤くしているような気がした。
「アリア様。ハンカチ、濡らしてまいりました」
「あ……ジュディーさん、ありがとうございます。アレクさん、少し失礼しますね」
「う、うん」
濡らしたハンカチで、アリアがアレクの頬を優しく拭ってくれる。少しばかり近づいたアリアは、ジュディー渾身の化粧のお陰が、それとも服装や髪型のせいもあるのか……いつもより可愛く見えて仕方がない。
許されるのなら、このまま抱きしめたいと。そう思うほどには……アレクはアリアが愛しくてたまらない。もういい加減、気持ちを抑えるのが辛くなってきた。
この気持ちが溢れる前に、いっそアリアの側から離れた方が良いのではないかと……アレクは思う。アリアの事を想う気持ちが我慢できず、自分が間違いを犯してしまう前に。
その日の夜、アレクはレオンの元を訪れた。当然エミリアも一緒に居たが、彼女に聞かれて不都合があるわけではなく、むしろエミリアにも聞いてもらった方が良いだろう。
何しろ今自分がエクスタード家にいるのは、エミリアと出会った事がきっかけなのだから。
「どうした、アレク。今日アリアの警護で共に外に出て、何かあったか?」
「いえ……そう言う訳ではありません。レオン様、勝手な事を言って申し訳ないのですが……俺、エクスタード家から出て行こうと思っています」
「えぇ!? アレク、どうして?」
「……何があったんだ?」
エミリアが驚いて声を上げるのと、レオンが冷静にアレクに尋ねるのは同時だった。アリアの事が好きすぎて彼女の側にいるのが辛いと、そう言えれば楽だろう。
だが、本当の事は……レオンへ言えなかった。格好悪いし、何より自分勝手すぎる理由だ。レオンならばアレクがアリアを想う気持ちの事をわかってくれるとは思うが、わかって貰ったところでどうにかなるものでもない。
「何かがあった訳ではありません。ですが、俺はもっと強い男になりたいんです。武者修行にでも出ようかと……」
「何を馬鹿な事言ってるの。エクスタード家には優秀な騎士だっているし、彼らと稽古していれば……」
「エミリア。そういう事ではないのだろう、アレク」
「はい。確かに、サムエル様や皆さんに稽古をつけて頂いて、俺は強くなったと思います。ですが、まだまだです」
「訓練だけでは必ずどこかで伸び悩む時期も来る。かつて、私もそうだった」
「レオン様も、ですか?」
「あぁ。成人前の話だが、城下を抜け出して魔物相手に剣を振るったものだ。死と隣り合わせでなければ学べない事だって多いからな」
「でも、アレク。あなたがいなくなっちゃったら、アリアが悲しむわ」
「そんな事は……」
「あるだろうな。……アレク、正直に言ってくれ。君はアリアが好きなのか?」
やはりレオンにはバレていた。エドリックにレオンの前で『最近好きな子ができたね?』と聞かれた時から……レオンには見透かされていたとは、そう思ってはいた。
何しろアレクは元々城下の人間ではないのだから、交流のある異性は限られる。他には候補となる相手はいないだろうと言うくらいには、アリアとはよく会っていたのだから。
「……好きです。もう、気持ちを抑えるのが辛いくらいに……」
「やはりな。背中を押してやろうと思っていたのだが、逆効果だったか」
「え? 俺がアリアの護衛をする事になったのは……貴族の男とアリアの逢瀬に俺を連れて行くことで、諦めさせようとしていた訳では?」
「そうか、アレクはそんな風に捉えてしまったのか。悪かった、そんなつもりはないんだ」
「あなたが気持ちを抑えられなくなれば行動に出るだろうと思って、それでレオンはアリアの警護をお願いしたのよ」
「え、え? ちょ、ちょっと待ってください。話がよくわからないんですが」
「私は君とアリアが結ばれるなら、それでいいと思っているという事だ」
「ですが、俺とアリアでは身分が」
「身分など気にしなくていい。私が我を通しエミリアが戻ってくるのを待っていたように、アリアにも本当に想う相手と結ばれて欲しい。貴族だから貴族としか結ばれてはいけないなんて、そんな時代は過去のものにしたいと思っているんだ」
「レオン様……」
「だが、君がアリアの心を射止められるかどうかは別の話だぞ。今の話は、私は君の事を応援していると言う話であって」
「あ、ありがとうございます! お、俺……本当に良いんですか? もしも、アリアが俺の気持ちに応えてくれるなら……」
「あぁ、その時になって反対などしないから安心しろ。だから、これからもエクスタード家に居てくれるか?」
「はい、レオン様!」
レオンには敵わないと、アレクは改めてそう思う。アレクの気持ちに気づいていただけでなく、更に応援してくれると……もしもアレクとアリアが想い合うのであれば、その時は認めてくれるとそう言ってくれた。
「だが、アリアにはこれからも貴族の男とは会わせるぞ。そうしないと貴族達がうるさいものでな。そこでアリアに好きな男ができる様なら、私はアリアの気持ちを尊重せざるを得ない」
「わかっています。でも、レオン様のお言葉で少しだけ気が晴れました。身分の壁は超えられないと、それが杞憂で想いを抑えていたので」
「敵は多いわよ。……でも、アリアの事を『エクスタード家の娘』じゃなく、一人の女の子として見てあげられるのはあなただけでしょうから、私もあなたの事を応援してるわ」
「エミリアさん……」
「だがアレク、強くなりたいのも本音だろう? アリアの護衛はサムエルを戻すから、君も私の従者に戻ってくれ。そして、今までのようにたまに魔物退治の依頼を受けると良い。空いた時間に、騎士達との訓練も」
「はい!」
そうしてアレクはレオン達の部屋を出る。隣のアリアの部屋の扉を見て、アレクは瞳を細めた。レオンに認められたことが、アリアを想っても良い事がこんなにも嬉しいものかと……
アリアはもう眠っているだろう。小さく『おやすみ』と、その扉の向こうのアリアに声をかけるように呟く。
アレクは少しだけ浮かれながら、自分も部屋に戻った。