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恋慕(2)

「明日、アリアがヴェリッツ家のライオネル様とお会いするそうです」

「あぁ、その話は私も知っている。今日ライオネルから聞いた。彼は明日非番だからな」

「そうですか……」

「アリアは何が好きかと聞かれたから、『シャルメン』の料理が好きだと言っておいた。夕食前には帰すようにと伝えてあるから、きっと昼食が『シャルメン」になるだろうな」

「……はい。あの、レオン様」

「なんだ」

「アリアの護衛は、どうして俺なんですか?」

「……アリアが君を信頼しているからだ。アリアだけじゃない。私も君を信頼している」

「数年前に、外部からの人間を新しく雇うつもりはないと……そう言っていたと、サムエル様から聞きました。どうして俺を雇ってくれたんですか? どうして、俺を信頼してくれているんですか?」

「どうしてだろうな。エミリアの恩人だから、と言うのが一番だろうか。君も知っての通り、私はエミリアを一番に考えて生きている。エミリアに害を成すのであれば徹底的に叩きのめすし、エミリアの恩人には最大限の礼を尽くしたい」

「レオン様はエミリアさんの事を、本当に……愛しているんですね」

「愛しているなんて、そんな言葉では足りないかもしれない。エミリアは私の全てだ。エミリアが生まれたばかりの頃、グランマージ家に会いに行って……この子が将来お前の妻になるんだと父に言われたあの時から、私の世界の中心にはいつもエミリアがいた」


 レオンは愛しい人を想う優しい瞳を細めて、その横顔は昔を懐かしむようだった。先日サムエルからも、過去の話をアレクは聞いている。

 外から人を雇うつもりはないと言うのも、過去にそれでエミリアが危ない目にあったからだろう。少年時代のレオンが、エミリアに毒を盛った犯人に馬乗りになって殴りかかっていたなんて言うのも、今の冷静沈着なレオンからは考えられない。

 確かにエミリアが一人飛竜の棲む谷へ向かったと聞けば、職務の全てを放り出してすぐに助けに行くために行動したりと、エミリアの事となると周囲が見えなくなるという事はあるにしても……だ。


「君も好きな子がいるのなら、私の気持ちはわからないか?」

「……とてもよく、わかります。俺は今、何をしていても彼女の事で頭がいっぱいで……だから稽古をして、気を紛らわせていると言うか……」

「想いは伝えないのか」

「伝えたいです。でも、伝えたところで……彼女を困らせるだけですから」

「そうか……」


 丁度、屋敷の玄関前に着いた。アレクがさっとレオンの前へ出てその扉を開け、屋敷の中に入る。レオンは出迎えた使用人に外套を渡し、それからアレクの方を振り向いた。


「明日はアリアの事を頼んだぞ。ライオネルは私の部下だが、ヴェリッツ家は格式高い家だ。くれぐれも、失礼のないようにな」

「はい、わかっています」


 アレクは夕食を食べてから風呂に入って、寝室へと向かう。その日、朝から剣を振っていて身体は疲れていたはずなのに、中々眠れなかった。

 明日の事を考えまいとするが、そう思えば思うほどに考えてしまう。明日、アリアはどんな服を着るのだろうか。ライオネルと何を話すのか。あの可愛らしい笑顔を彼にも見せるのか。

 アリア本人にその気はないとは言え、若い男女が約束を交わしどこかへ出かけるという事は逢瀬に違いない。レオンもアリアの結婚はまだ考えていないような話をしていたが、貴族の男なのだから彼も婚約者候補の一人である。

 ライオネル自身も、アリアに気に入られるためにあれこれ手を尽くしてくるだろう。先日の舞踏会では、レオンが彼の父に伝えているのだ。まだアリアの結婚については何も考えていないと……恐らくライオネルは、その事を父親から聞いている。

 まだ彼女の婚約者の候補すら出揃っていない中、この逢瀬で一歩抜け出せれば非常に有利だという事は誰にでもわかる事。彼は家柄も非常に良いのだから、アリアが彼の事を気に入りさえすればすぐに縁談と言う話になってもおかしくはない。

 自分とアリアが結ばれることはないと、その事はわかっているのに。もしも二人に縁談が持ち上がるようであれば、その時は正気でいられるかと……


 翌朝、毎朝の日課である礼拝を済ませた後でアレクは今日のアリアの付き添いとしてふさわしい格好に着替えた。アリアもまた、普段着としている服から余所行きとして仕立てた服へと着替えたようだ。

 アリアの侍女の中で一番若いジュディーも今日は同行するとの事で、アリアとアレクそしてジュディーの三人でライオネルを待つ。ジュディーはアリアに化粧をしたり、髪型を整えたりと張り切っていたようだ。

 アレクにしてみれば、アリアをこれ以上可愛くしなくて良いと……男に会うために張り切らなくて良いと、思わずため息の一つでも出そうになるのをぐっと堪えた。


「ヴェリッツ家の馬車が参りました」

「わ、わかりました。アレクさん、ジュディーさん、参りましょう」

「アリア様、外では私達の事は呼び捨てに」

「あ、そ、そうですね。……緊張します」

「深呼吸してから出ましょうか」


 アリアはその可愛らしい顔で、眉を少し下げる。ジュディーに言われた通りすぅっと大きく息を吸って、吐いて。それからまるで戦に出るかのように、キリっとした顔つきに。

 彼女は元々姿勢が良いが、その背をピンと伸ばして歩みを進める。その姿は、まさに公爵令嬢と呼ぶに相応しい姿であっただろう。アリアがエクスタード家に来てから、まだそんなに時間は経っていない。

 それでも生まれた時から公爵令嬢として育てられていたかのように振る舞えるのは、彼女の涙ぐましい努力の成果なのだろう。普段は大人しく内気な少女とは思えないほど、アリアは堂々としていた。


「ライオネル様、よく来てくださいました」

「アリア様、先日はありがとうございました。本日はよろしくお願いいたします。さ、どうぞ馬車へ」

「えぇ、ありがとうございます」


 アリアはジュディーと共に馬車へ、ライオネルも馬車に乗る。彼の従者だろう男と、アレクはそれぞれ馬に乗って走る馬車の後続へ着いた。

 馬車の中の様子が気にならないと言えば噓になるが、ジュディーもいるし彼も彼で騎士であり紳士のはずだ。間違いが起こる事はないだろうと、アレクは平静を装いながら馬車を追った。


「どちらへ向かうのですか」


 アレクはヴェリッツ家の従者に尋ねる。少し強面のいかにも強そうな男が、アレクの問いに答えた。


「芝居を見に行くと仰っておりました」

「芝居ですか」

「はい。ライオネル様がぜひアリア様に舞台をお見せしたいと。今、レクトで人気の歌劇団の公演がちょうど本日あるそうです」


 芝居なんて、アレクは今まで見たことがない。恐らくはアリアもだ。歌劇だと言うからには、単なる芝居ではなく演者が歌を歌ったりもするのだろう。

 アレクは確かに無縁だったが、エクスタード家に勤め始めてすぐの頃……レオンとエミリアが結婚直後に芝居を見に行っていた事もあった。戻ってきた後にエミリアに話を聞けば、男女の甘く切ない恋模様を描くような芝居が今人気なのだと言っていた。

 確かその時は、身分違いの恋に苦しむ男女の話だったと……そう言っていたような気がする。まるで今の自分だと、アレクはふと思った。

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