恋慕(1)
翌朝、日々の日課を終えアレクはエクスタード家の庭の隅にある平屋の建物の中に居た。そこは訓練場であり、エクスタード家の私兵はよくそこで訓練をしている。
レオンが直々に稽古を付けてくれるという話で、楽しみでもあれば少し怖くもある。何しろ、レオンの『大陸一の剛の者』としての武勇伝をつい先日聞いたばかりなのだから。
「アレク、君はこれを持て」
「真剣じゃないですか」
「構わん。私を殺す気で来い。私に傷の一つでもつけるか、私の攻撃に二十秒耐えられたら君の勝ちだ」
「に、二十秒……ですか?」
「そうだ。いや、十秒にするか」
十秒とは、訓練にしても短すぎる時間なのは明らかだ。いくらレオンが強いと言っても、流石に十秒は耐えられるだろうとアレクは高を括っていた。レオンは稽古用の木剣だし、自分は真剣である。
お互いに剣を構え、そして……エクスタード家の私兵の一人が、合図をすれば開始だ。勝負はたったの十秒しかないのだから、レオンは合図と共に飛び込んでくるだろうと……アレクは当然、まずは防御するために手と足腰に力を籠めた。
「始め!」
一、二……と、合図をした男が数を数える。思った通りレオンはまっすぐに間合いに飛び込んできて、下段から上段へとアレクの真剣を振り払うように動かした。
当然その動きは予想もできていたし、剣を離さなければ次の一撃だって防げるとそう思っていたが……そう思ったアレクの剣は、いとも簡単に手を離れ空を飛んだ。
強く握っていたはずなのに、レオンの強い一太刀の前に手が痺れ堪えきれなかったのだ。次の瞬間、レオンの木剣がアレクの喉元へ向けられる。かかった時間は、たったの五秒だった。
「あ……」
「まだまだだな」
「ま、参りました……」
動きは予想できたのに、その速さにはついていけなかった。そしてその重すぎる一撃に、なす術もない。サムエルが言った『大陸一の剛の者』と、そして少年時代の『闘神』と言う異名はまさにレオンの事を指しているに違いなかった。
「アレク、これから言う事を心に刻んでおいてくれ。もしも実際に誰かと剣を合わせる事になった時……戦う相手を選べない以上、もしも対峙した相手が自分より強いと思ったらなりふり構うな」
「はい」
「この間君は言ったな。人を殺す事だけは、何があっても絶対にしないと……。もちろん、それが一番良いのは私もわかっている。だが、相手を刺さねば自分や仲間が危うい時、その時君はどうする?」
「その時は……」
「躊躇うな。もしもその時があれば、躊躇わずに刺せ。自分と、仲間や大切な人を優先してくれ」
「はい……」
「納得はしなくていい。だが、その時はいつくるかわからない。だから覚悟は持っていてくれ。それが剣を握るという事だと」
「……わかりました」
「よし。ではアレク、稽古に励め。私はエミリアと共に、グランマージ家へ行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいませ」
レオンは汗の一つもかかず涼しい顔のまま、稽古場を後にする。アレクは先ほどの鬼気迫るレオンの瞳に冷や汗をかいたままだ。
今の稽古の合図をした私兵が、アレクのその様子を見て笑っていた。彼曰く、レオンから騎士や私兵へ稽古を申し出る事はたったの一度だけだと……そして今のように圧倒的な実力差を見せ、覚悟の話をするのはいつもの事だという事だ。
皆それきりレオンに再戦を挑む者はいないそうだが……アレクはいつの日かレオンと同じように強くなって、彼に勝つとは言わなくても同等に戦えるような男になりたいとそう思った。
アレクはその日、夕方まで木剣を振った。エクスタード家の私兵が数人稽古に付き合ってくれたりもしたが、やはり稽古は稽古だと……アレクは思う。人間相手に実践的な訓練は難しいが、最近ギルドへ冒険者としての依頼を受けに行っていなかった事もあり魔物相手に稽古をして強くなろうと決めた。
だが、アレクはアリアの付き人に任命されたこともあり最優先は彼女の事情だ。夜間の警備の任も解かれたし、アリアの外出がない日に依頼を受けに行く事にした。
そして舞踏会の夜から数日後……アレクはアリアに呼び出される。アリアは神妙な顔をしていた。
「お兄様から、先日の舞踏会でお会いした殿方たちにお手紙を書くように言われました。だからあの翌日お手紙を書いてお送りしたのですが……」
「うん、それで?」
「私に会いたいとお返事が届いています。お兄様にも、彼らと出かけるように言われていますが……」
「行きたくない?」
「はい……彼らは私の事を、エクスタード公の妹としてしか見ていないでしょうから……」
内心、アレクは少しだけホッとしていた。もちろんアリアに誰か好きな男ができたのなら、辛いが応援してやらなければいけないと思っている。顔のいい男も、優しそうな男もいたのはアレク自身も見ているが、舞踏の最中アリアも笑顔を見せていたから。
だがアレクは、アリアがエクスタード家の娘になる前から彼女の事を見ていた。今や高嶺の花になってしまったアリアだが、元々は雑草に紛れ路肩で小さく咲いていた花。その雑草の中で美しく花開いていたのを、最初に彼女の事を見つけたのは自分なのにと……そう思えば胸が痛むのは確かだ。
「でも、私……覚悟はしているのです。エクスタード家のためにどこかに嫁ぐという事は。お兄様はお優しいから、私にお相手を選ばせてくださろうとしているんだって……。私がよく知らない相手に嫁がなくて良いように、嫁ぐ家は自分で決めろとそう仰っているんだろうって」
「アリア……」
「早速ですが、明日ヴェリッツ家のライオネル様とお会いします。朝迎えに来て下さるそうです。だから、アレクさんも着いてきてください」
「……わかったよ」
どうしてレオンは、この役を自分にやらせるのかと……アレクは思う。彼なりに、何か意図があっての事だとは思うのだが……アリアと貴族の男との逢瀬を見守らねばならないなんて、アリアの事を想う自分には酷な仕事である。
レオンはアレクのアリアへの恋心に気づいていて、それでいてアリアを諦めさせるためなのかと……アレクはそんな風に思っている。勿論それは、早くアリアへの想いを断ち切れという、レオンなりの優しさなのだろうがと……
その日、アレクは訓練場に籠って一人剣を持って打ち込んでいた。舞踏会で貴族の男と踊るアリアを見てからと言うものの、何かに没頭していないと胸が痛いのだ。加えて、アリアから明日の話まで聞かされては……
明日会うヴェリッツ家の息子は、騎士団に所属しているのでアレクも顔と名前くらいは知っている。彼自身はアレクよりも年下だが、上に兄が二人いて長兄はレオンとも友人のはずである。
そしてヴェリッツ家は財務大臣を務めている、古くから続く公爵家。エクスタード家ほどではないが、先日アリアと踊った男たちの家では一番権威のある家柄であろう。勿論家を継ぐのは長男だから、彼自身に権威はないのだろうが。
「アレク」
「……レオン様」
「また一人で稽古をしていたのか。熱心な事は悪くないが、根を詰めすぎるのも良くない。そろそろ夕食だろうから、今日の稽古はもう終えると良いだろう」
「はい。すみません、もうそんな時間だなんて気がつきませんでした」
「私も今城から戻ったところだ。灯りが見えたものでな」
レオンと共に訓練場を出て、彼の背を見ながら屋敷に戻る。屋敷へ向かう道中で、アレクはレオンに声をかけた。