祝勝会の夜(2)
「エクスタード公とご夫人、それと妹君のアリア様お見えになりました」
舞踏会の会場となる、城の大広間。エミリアはレオンの左腕に自分の右腕を添えて堂々と歩く。この場に来るのは、あの日……レオンから求婚された日以来だ。
実のところ、あの日舞踏会に行くつもりはなかった。エミリアは、自分が行かなければレオンが他の女性と結婚させられると言うその話を知らなかったのだ。
知っていればもっと早くから準備をして、遅れずに行けただろう。夕方になってグランマージ家に戻ってきたエドリックに、自分が行かなければレオンが結婚させられると言う話を聞いて急いで準備した。だから遅くなった。
結果として間に合ったから良かったが……あの時間に合っていなければ、エミリアは後悔しただろう。
「エクスタード公、ご夫人。ご夫人にお会いするのはお二人の結婚式以来ですかな。……そちらのお嬢さんが、お噂の妹君ですな」
「はい、ヴェリッツ公。これが妹のアリアです。アリア、こちらは財務大臣を務めていらっしゃるヴェリッツ公爵だ」
「は……初めまして、ヴェリッツ公爵。エクスタード公の妹の、アリアと申します」
アリアはスカートの裾を軽く持ち上げ、ヴェリッツ公爵へお辞儀をする。お辞儀の角度までフローラに厳しく言われていたが、緊張した面持ちの中でもきちんとできていただろう。
「後でどうですかな、妹君とうちの息子で一曲」
「申し訳ないが、妹は今日の機会にまず陛下にご紹介したいと思っております。そのお話は、また後程という事で」
レオンはそう、ヴェリッツ公爵を軽くあしらう。レクト王国に公爵家は十五あるが、その公爵家の当主の中でレオンは一番若い。
しかし、エクスタード家はその十五の公爵家の中での権力は一番なのである。親以上年上の公爵相手にもレオンが怯まないのは、多少の無礼があったとしてもエクスタード家の当主と言う肩書が盾になると知っているからだ。
そんな権威のあるエクスタード家だからこそ……多数の貴族がエクスタード家と繋がりたいと、そう思っている。自分の娘とレオンの結婚が叶わなかった貴族が今度狙うのは、もちろんアリアであって……息子とアリアを結婚させたいと思っている貴族はこの場に多数いるだろう。
アリアも自分を狙う貴族たちの視線には気づいている。そして、彼女の事を想うアレクも……アレクは自然に、アリアの隣に立っていた。アリアを挟んだ反対側にはサムエルが居たおかげで、多くの視線からアリアを守ることができている、かもしれない。
「陛下」
「おぉ、レオンか。……夫人は、前にこの場に来た時とはずいぶん見違えたようだ」
「陛下、私もいつまでもおてんば娘ではございません。今はエクスタード公の夫人でございますので」
「……無理するでない。お主には公爵夫人の『フリ』は似合わんぞ」
「まぁ、お言葉ですこと」
エミリアが少し膨れてみれば、レオンもフッと笑う。国王も、はははと大きく笑った。現在の国王は、エミリアの父・エルバートとは従兄弟である。多少遠いとは言え親戚関係でもある事から、エミリアは国王に対して他の貴族よりは砕けた会話もできるという事だ。
「陛下、ご紹介が遅くなりましたが……こちらが、妹のアリアです」
「そうかそうか。そたながレオンの妹か。会いたかったぞ、アリア」
「陛下、はじめてお目にかかります。エクスタード公の妹でアリアと申します」
先ほどと同じように、アリアはスカートの裾を軽く持ち上げお辞儀をする。先ほどの公爵相手とは比べ物にならないほど緊張していただろう。
その緊張はエミリアにも伝わるほどだったが、国王は機嫌が良いのかアリアの挨拶に終始ニコニコとしていた。
「陛下、もう一つご報告が」
「何だ。言ってみよ」
「先日、妻の懐妊がわかりました」
「なんと! レオンよ、誠か」
「はい」
「そうかそうか、それはめでたい。全く、いつまでも結婚せんと思っていたが、いざ結婚すればすぐに子供ができたとは。夫人は、身体は問題ないのか」
「悪阻がありましたが、それももう落ち着いたようです」
「そうか、では夫人は身体を大事にせよ。元気な子を産んで貰わねば」
「はい。では陛下、ご挨拶とご報告はこれにて。陛下へご挨拶したい者たちが、後ろでつかえているようですから」
レオンはそう言って、国王に一礼する。エミリア達も一礼し、国王の前から場所を移す。アリアがほっとした顔をしていた。一気に緊張が解けたのだろう。
だが、国王に挨拶しただけでアリアはこれからが本番なのである。エクスタード家の一行が国王への挨拶を終わらせたと知るや、貴族たちが我先にと押し掛けてくるだろう。
「団長。いえ、エクスタード公」
「ヴィクトル。君も来ていたのか」
「はい。……そちらが、お噂の妹君ですね。はじめまして、私はドルフリー伯爵の次男でヴィクトル・ドルフリーと申します」
「ヴィクトル様。アリアです。お見知りおきを」
「ご夫人も、初めてお目にかかります。団長には、いつもお世話になっております」
「初めまして、ヴィクトル様。あなたは騎士団の方なのね? 主人は厳しいでしょう? よく耐えてくださっているわ」
「そんな。団長が我々に厳しくするのは、国民を守るため当然の事。弱音を吐いていては、騎士は務まりません」
レオンの事を真っ先に『団長』と言ったヴィクトルは、騎士団に従事しておりレオンの部下なのだろうという事はすぐに分かった。年は二十歳にはならないくらい……きっとアレクと同じくらいだ。身長はすらりとしていて高く、女性に人気のありそうな整った顔立ちをしていた。
だが、真っ先にレオンに、そしてその後には夫人であるエミリアを差し置いてアリアに挨拶をしたところを見るに……彼もアリア狙いだという事はすぐにわかる。そもそも、貴族の次男は辛い立場だ。基本的には長男が家や財産を相続するため、次男以下は将来的には自分で生計を立てなくてはいけない。
そのためにアリアを、エクスタード家の娘を利用したいのではないかと……甘い顔立ちの裏に潜む野心をエミリアは見抜く。絶対にこんな男には可愛い義妹をあげる訳にはいかないと、エミリアは微笑みながらも苛立ちを覚えていた。
「アリア様、もうすぐ曲が始まります。私と踊っては頂けませんか」
「えっ、わ、私ですか」
「……良いんじゃないか、アリア」
「お、お兄様」
「団長の許可も頂いたところで、さぁ」
「は……はい。あの、私まだあまり上手に踊れなくて……」
「踊りの腕を競うための舞踏会ではありません。肩の力を抜いて、楽しい時間を過ごせればそれで良いではありませんか」
ヴィクトルはアリアの手を少しばかり強引に引いて、広間の真ん中の方へと移動していく。他の貴族たちも男女が組になって広間の真ん中に集まり始めており、そろそろ音楽が始まる頃だろう。
上司であるレオンが、部下であるヴィクトルの野心を見抜いていない訳はないと思うのだが……既に彼はエミリアの中では『顔だけが良い男』と言う評価で、点数をつけるなら百点満点中顔だけの評価で二十点だ。
なぜそんな男の相手をアリアにさせるのかとレオンの方を見れば、レオンはそのエミリアの疑問を感じ取ったのかフッと笑った。
「貴族の男を相手にすることに慣れて欲しいと思っている。それだけだ。何も、今日この場でアリアの結婚相手を決めようと思っているわけではない。彼のような社交的な男なら、踏み台にするのに丁度いいだろう」
「踏み台……そうよ、あんな軽そうな男踏みつけちゃえば良いんだわ」
「……あれでも一応、私の部下で騎士なのだが」
「あっごめんなさい。そうね、軽そうな男は言いすぎたわ。彼なりに必死なのよね」
「そうだな……貴族と言え次男だからな。……アレク」
「なんでしょうか、レオン様」
「今日はアリアの事を、よく見ておけ」
「……はい」
レオンもアレクの気持ちには気づいているはずで……アレクもアリアも、互いに自分の気持ちを隠すのが下手だとエミリアは少し笑った。
だが、両片思いであるが故に相手の気持ちには気づけず、更には身分違いの恋であるせいか気持ちを告げる事もせず……二人ともその気持ちを持ち余し燻っている。
なぜ他の男とアリアが踊り始めると言うその時に、その姿をよく見ておけと言うのか。レオンのその真意はエミリアにはわからないが、恐らくは……アレクを焚きつけているのだろうと、エミリアはそう理解した。
エミリアがアレクの方をちらりと見れば、彼はただまっすぐにその瞳にアリアの姿を映している。だがそれは愛しい少女を見つめる瞳ではなく、悔しさとやり場のない怒りのようなものが満ちているように感じた。