泡沫の夢(2)
「アレクさん、もう起き上がっても平気ですか?」
「あぁ。……アリア、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「はい……でも、本当に心配だったんです。無理はしないでくださいね。後から何か不調が出てきたりとかもするかもしれませんし」
「わかったよ。何かあったら、すぐ君に言うから」
そして、しばし沈黙……。改めてアリアの方を見ると、貴族のご令嬢と言うにふさわしい上品な服を着ていた。家の中の楽に着ている服とはまた違って、外出用なのでいつもより幾ばくか華美な物である。
彼女に想いを寄せる贔屓目もあるだろうが、いつもよりも更に可愛いとそう思った。
「アレクさん、どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ」
……ふと、本当に何でもないのかと。今回の事で、自分たちは常に死と隣り合わせで生きてると……アレクはそれを実感している。何も危険を伴うのは、魔物と戦うような職業の人だけではない。
ある日突然魔物の大群が押し寄せてきたら、人間は無力だろう。レスターだって初めは死んだと思われていたわけだし、自分たちのような若者だっていつ死ぬかわからないのだ。
死の時が近いのは、何も老人だけではない。アリアへは想いを告げずにいようと思ったが、もしもこのまま死んでしまったらきっと後悔するだろう。
だから言いたい。好きだと、言いたい。だがそれは自分の自己満足でしかない事もまた、わかっている。言ったところで結ばれる事もないし、アリアを困らせるだけだ。
ただ彼女の、できるだけそばに居るだけで良いのもまた事実でもある。言ってアリアのそばに居られなくなるのも、耐えがたく辛い事だ。
だが何も言わずに自分が死ぬのも、秘めた思いを抱えたまま数年後どこかへ嫁ぐアリアを見送るのも……どちらも辛い。
「何でもないって顔じゃないですよ」
アリアは眉を下げ、アレクの顔を心配そうに見つめる。その表情に、つい勘違いしてしまいそうで、自惚れてしまいそうで。アリアも自分の事を想ってくれているのではないかと……
だが、レオンの信頼も裏切れない。レオンがなぜサムエルに一緒に来てくれと言ったのかはわからないが、アレクならばアレアと二人きりにしても間違いを起こさないと思っていてくれているからだろう。
自分の想いを伝えたい。もしかしたらアリアも自分の事が好きなのかもしれない。だが、もしも両想いであったとしても、身分の差で結ばれることはできない。レオンの信頼も裏切れない。
様々な葛藤が、アレクの頭をぐるぐると……悩みに悩んだ上で、アレクは想いに蓋をする。
アリアを困らせたくないのが、一番の理由だった。
「本当に、何でもないから心配しないで。そういや、ちょっとお腹が空いたなぁって」
「あ、そうですよね。アレクさんは夕べから何も召し上がっていませんから……でも、いきなり普通の物を食べると胃がびっくりしちゃうかもしれません。お腹に優しい物を用意して頂きましょう」
「そうだね。……サムエル様、いつお戻りになるのかな。サムエル様が戻られないと、家に帰れないだろう? 俺が先に一人で戻るわけにもいかないし」
「そうですね。きっとすぐ戻ってくると思いますが……」
と、すぐに扉が叩かれる。アレクが返事をすると、入ってきたのはサムエルだった。先ほどから噂をすればと言う所だが、戻ってきた彼は手に皿の乗ったお盆を持っていた。
サムエルはそのお盆をアレクに手渡してくれる。お盆には湯気の立ったスープと、丸パンが二つ乗っていた。
「アレク、これを」
「わ……ちょうど、今少し腹が減ったと言う話をしていたところだったんです。……レオン様は、よく気の利くお方ですよね」
「えぇ、周りをよく見ていらっしゃいますし、貴族だからと高慢な態度をとる方ではない。弱きを助け強きを挫く、立派なお方だからこそでしょうな」
「レオン様のお側にお仕えしていて、本当にそう思います。だからこそ、皆がレオン様を慕っている。俺も良い主君を得られて良かったですよ」
「はは、アレクは本当に運が良かったな。レオン様は古くからエクスタード家に仕えている家の者以外を新たに雇うつもりはないと、随分と前に仰っていたからな」
「えぇ、そうだったんですか。じゃあ、どうして俺の事を雇ってくれたんでしょう」
「それはレオン様以外にはわからぬが……アレクの『告白』がレオン様の心を打ちぬいたのかもな」
「告白、ですか?」
アリアが首を傾げる。レオンはサムエルにどうしてアレクを雇う事にしたのかその経緯を話しているようだが、アリアは知らないのだろう。
アレクは少し照れ臭いと思いながら、アリアにも言う。
「あれは、エミリアさんが一人で飛竜の谷へ行って、レオン様と後を追った日だよ。王都に戻ってきた後で『レオン様に惚れました、だからあなたにお仕えしたい』……って感じの事を言ったような……」
「そうだったのですね。……確かにお兄様のあの行動は、騎士団長として決して良い行動ではありませんでしたが、愛する女性のために何もかもを投げ打って行動する姿はとても素敵でした」
「あぁ、本当に格好良かった」
「……レオン様は、エミリア様の事となると周囲が見えなくなってしまうのが玉に瑕です。私もあの時王都に居ればご一緒したものの、領地への遣いとしてちょうど出払っておりましたゆえ……」
「そういえば、サムエルさんは幼少期のお兄様とお義姉様の事もご存じなんですか?」
「それは勿論。レオン様が王都に来られてからの事は、よく存じております」
「お兄様は、王都でお生まれではなかったのですか?」
「えぇ。エクスタード領一の都市、プラムニッツにある領主館でお生まれに。レオン様が二歳の頃、ベイジャー様の前妻であられるディアンヌ様が流行り病でお亡くなりになって……ベイジャー様はその頃騎士団の副団長として王都に詰めておりましたから、それでレオン様も王都に住まわせることにしたのです」
「そうだったんですね」
「サムエル様、レオン様はどんな子供だったんですか? やはりレオン様と言えど、少年らしくはしゃぎまわったりとか……そんな時代も?」
「……いえ、レオン様は幼い頃から利発で聡明でした。子供らしくないと言えばそうでしょうが、我儘の一つも言わず……全てはお父上に、ベイジャー様に褒められたいという一心だったのでしょう」
昔を懐かしむように、サムエルは目を細める。アレクはアリアと共に、彼の語る昔話に耳を傾けた。
レオンとエミリアの幼少期。アレクにとっては、興味深い話であった。